【リリア・リアーネ(1)】
「あの〝出来損ない〟の神人はどうしている?」
「今だ、ブラッドソードの〝副作用〟に苦しんでいる様です」
「ふん……。神人と言えども、所詮は出来損ないか……。優秀なあれの兄とは大違いだな」
「……しかし、今の世に神人は必要不可欠ですから」
「分かっておる……。だから、こうして手を尽くしているのだろう」
「ふふ……。これも、仕方のない犠牲というやつですな」
「犠牲とは人聞が悪いな……。ブラッドソードの副作用では死にはしないだろう……。大袈裟に言うでない」
「死ななければ、どうとでもなりますか……。まあ、所詮はリアーネの女ですからな。誰も心配などしないでしょう」
「そうだ。それよりも、今は〝完成された神人〟が必要なのだ。〝出来損ない〟ではなくな……」
「左様で御座いますな」
「引き続き、アレの監視を続けろ……。心は死んでも構わんが……何としても、神人として完成に近付けるのだ」
「御意……。御身の御心のままに」
*
「今日からしばらくの間、屋敷に住むことになった子だ。仲良くしてあげてほしい」
聖務でしばらく屋敷を開けていた兄──グレンが屋敷に帰るなり、私にそんな事を言ってきた。
屋敷に戻ったその足で、私の所に顔を出すのはいつもの事だが、今回は〝オマケ〟がある様だった。
「……」
兄の横で俯いて、一言も発さない子供……。
兄に伴われて屋敷にやってきたのは、私より少し下──10歳くらいの男の子だ。
「そうですか……。お兄様のお好きな様に」
──私は、兄に対して素っ気ない返事を返す。
兄には悪いが、私も自分の事で精一杯で、他人──况してや、見知らぬ男の子に気を回す余裕などない。
私には『リアーネ家の女子』としての〝役目〟があるのだから……。
見知らぬ少年のお世話などすれば、〝変に目立ってしまう〟でしょう?
それは父が許さない。
私は〝無知で愚かな世間知らず〟──純真無垢な子供でなくてはならないのだ……。
「……リリア。この子は故郷の村が魔族に滅ぼされた……可哀想な子なんだ」
兄は私に向かってそう言った。
俯いて、物言わぬ少年に哀れみの視線を向けて……。
……『可哀想な子だ』などと、本人の前で言ってしまうあたり、兄は少し空気が読めない所があるというか……あまり、人に気を使うことができない性格だった。
「お名前は、何とおっしゃるのですか?」
〝仲良く〟出来る保証はないが、名前くらい聞いておかなければ……。
屋敷にしばらく滞在するのであれば、接する事もあるだろう……せめて、呼び方くらいは知っておいた方が良い。
「……すまないが、本人が何も話してくれないから名前はわからないんだ。ジーノ村と言う辺境の小さな村の子供なんだが……。兎に角、しばらく屋敷で暮らす予定だからね」
……呆れてしまう。
名前も知らない子供を受け入れた事もそうだが……兄はこの子の〝事情〟すら詳しく話そうとしない。
──この子は、村が魔族に滅ぼされた子供。
〝世間知らずで無知な妹〟が知るには残酷な内容だ、と詳細を話す事を躊躇ったのだろう……。
お兄様……勘違いしてます。
私がこの子の事情を知り、心を痛めるとでも?
自分の事で精一杯の私が?
それは要らぬ心配と言うものだ。
そんな兄に対して、私は──
「分かりました……。お兄様のお好きな様に」
再び、素っ気ない態度で返した……。
*
その日から、〝名前もわからない少年〟は屋敷の住人になった。
私の部屋から離れた場所に、少年の私室は設けられたのだが……。
自室で一日の大半を過ごす私は、少年が屋敷に来て以降……少年との接点は殆どなかった。
ただ、私の部屋にイライラとした様子で訪れた父が──
「グレンの奴め……。私に無断で田舎者の子供を受け入れるなんて」
などと呟いているのを聞くと、少しだけ少年に同情する気持ちも湧いてくるのだ。
私と同じ……父、ホフマン・リアーネに疎まれる存在……。
いや、少し違う。
父は少年の存在を疎ましく思いながらも、ほんの少しだけ気を遣っている様に見える。
──まあ、私に対する態度と比べて、本当に僅かにだが……。
……相手が男の子──男児だからなのだろうか。
それは、〝リアーネ家の当主らしい考え方〟だと言えるのだろう……。
父は、実の〝娘〟である私の方が、〝名前も知らぬ少年〟より立場が低いと考えているのかも知れない。
それ自体は、別に気にならない。
私に対する父の素っ気ない態度は今に始まった事ではないし、既に割り切っている。
しかし、気がかりな事が一つ……。
兄、グレンの事だ。
兄のグレンも、今は私に対して気を使うような態度を取っているが……兄もリアーネの男……。
いつか、兄が態度を急変させ、私を〝リアーネの女〟として扱う日が来るのかも知れない……。
そう思うと、私は兄に対してなかなか心を開くことが出来なくなっていた。
私は屋敷の中にただ一人……。
誰も信用できずに、誰にも心を開けない。
誰の言葉も信じて疑わない。
──そんな〝純真無垢な少女〟など、ここにはいないのだ……。
*
少年が屋敷で暮らす様になって、しばらくしたある日……。
私はたまたま、少年の部屋の近くを通りかかった。
私の一日は殆どど自室で完結してしまうため、あまり部屋からは出ないのだが……。
その日は、本当にたまたまだった。
屋敷の一階に用事があり、部屋を出たのだが……。
少年の私室が一階へと続く階段の近くにあったため、少年の部屋の前を通らざるを得なかった。
──私も普段なら、少年の部屋を気にせず一階に降りていたかも知れない。
しかし、少年の部屋の扉が開きっぱなしになっていたため、廊下から室内が見えてしまったのだ。
「……」
少年は、ただ、薄暗い部屋の中で膝を抱えて座っていた……。
その瞳には光が宿っておらず、虚空を見つめたまま微動だにせず座っていたのだ。
……少年、は屋敷に初めて訪れたときに比べ、ずいぶん痩せこけて、全体的にやつれた様に見える。
「……寒くないのですか?」
──私は、思わず少年の部屋まで足を運び、声をかけてしまった。
「……」
少年は答えない。
それどころか、虚空を見つめたまま、私の方に視線すら向けようとしなかった。
「風邪を……引いてしまいますわよ」
今日は暖かい季節にしては珍しく、少々肌寒い日だ……。
痩せぎすになってしまった少年には、堪える寒さだろう。
私は少年の部屋のベッドから、毛布を一枚剥ぎ取ると、少年の身体に巻いてあげた。
風邪を引いてしまっても、この屋敷には看病してくれる人などいない。
私と同じ様に……。
いや、私の場合は風邪を引いても隠しているだけで……知れば、兄が世話を焼いてくれそうだが。
今は、まだ……。
「貴方、痩せすぎてますわ……。しっかり食事を摂らないと死んでしまいますわよ」
「……」
部屋の中を確認すると、少しも手をつけられていないであろう少年の食事が、テーブルの上に置かれたままになっていた。
食事はしっかり与えられている様で、少しだけ安心したが……まさか、この子は屋敷に来てから碌に食事も摂っていないのだろうか?
聖剣の加護のおかげで、餓死は免れている様だが、このままでは……。
餓死寸前にも関わらず、誰にも顧みられる事のない少年……。
だんだん、腹が立ってきた。
兄は、この少年を屋敷に招いておいて、少年の状態に気付いてもいないのだろう。
──手を差し伸べて、それで満足しているのだろうか……。
偽善者、ここに極まれりだ……。
屋敷の従者たちも、何をやっていたのだろうか……名前もわからないとはいえ、少年は客人だと言うのに。
それを、食事も満足に摂れない状態であるにも関わらず、そのまま放置するなんて……。
ガチャン──……。
私はテーブルの上の食事の中から、比較的消化に良さそうなスープの皿を手に取った。
そして、自らの口に含むと──
「……んっ」
口移しで、スープを少年の口に流し込んだ。
私はリアーネの女……。
どうせ、見知らぬ誰かに捧げる予定の唇だ……ここで、この少年に捧げて何の問題があると言うのだろうか。
ゴクン──……
少年の喉が鳴り、スープを飲み込んだのが確認できた……。
相変わらずの無表情で、感情の変化は見られなかったが……何とかなりそうだ。
私はこの行為を何度か続け、皿の中のスープをカラにする事ができた。
(この少年は、私の助けなしでは生きていけないのですね……)
そう思うと、この少年に対して愛着の様な感情が湧いてくる気がして……何だが不思議な感覚だった。
不純な動機だとわかっているが……。
そんな出来事があってから、私は毎日の様に少年の部屋を訪れる事になった。




