【7】ユランとリリア
「それで、妖精さんは何処からいらしたの? 『ダリアの大樹』に宿る妖精さんだから、この木からかしら?」
月花の少女──リリアは、口元を緩ませ、目を細めて微笑む。
そこには、昼間にユランが目にしたときの、悲しげな様子は見られない。
リリアは、外の世界からやってきた来訪者──『月花の妖精』と話がができて、ワクワクが抑えられない様子だ。
「えーと……。遠くの森……。東の方の……。そう! ミーアの大樹林!」
ユランは、シドロモドロになりながら、知っている森の中で、王都から一番遠い場所の名前を適当に選んで口にした。
ミーアの大樹林は、大陸の東の果てに有る巨大な森だ。
アーネスト王国の領土外にある場所のため、王国の人間はあまり訪れない。
ユランも、回帰前にある事情から数回訪れたのみで、そうでなければ立ち寄ってもいないだろう。
「まあ! 私、ミーアの大樹林の事は知っていましてよ! 人生で一度は訪れてみたい場所ですわ!」
ミーアの大樹林の話が出た事に興奮し、リリアはユランの両手を握り、顔を目一杯近付ける。
(この子、無防備すぎだろ……。色々と大丈夫なのか?)
鼻と鼻、唇と唇がくっ付きそうなほど、二人の顔が近付く。
リリアは興奮の余り、互いの急接近に気付いていない様だ。
「そ、そうなんだぁ……。綺麗な所だし、行ってみると良いかもね!」
リリアの瞳が、ユランの目の前にある……。
空の様に透き通った綺麗なブルーで、ユランはその瞳の美しさに、そのまま吸い込まれそうになった。
ユランは動揺を隠すため、さり気なくリリアから顔を離し、誤魔化す様にそう言った。
「そう出来たら良いのですけど……。そう簡単にはいきませんわ」
リリアはそう言うと、悲し気な顔で俯いてしまう。
ユランが動揺を隠すために言った言葉が、リリアの心の傷に触れ──その所為でリリアの表情は、悲しみを湛えた笑みに戻ってしまった。
ユランは、自分の不用意な発言を悔いたが……
リリアは、すぐに気を取り直した様に──
「それよりも、妖精さんのお名前は何とおっしゃるの?」
と明るい笑顔で言う。
「えっと……。僕は……」
リリアの問いに、ユランは──
本当の名前を言っても大丈夫か?
ユランって名前は妖精っぽいのか?
などと、本気で妖精に成り切るつもりで、思案し、妖精らしい名前を本気で考えていた。
「妖精さんは名前がないの?」
リリアが再びユランに問う。
ユランは、しばらく悩んだ末に──
「じ、実はそうなんだ! 良ければ君が名前を付けてよ!」
などと、何とも他人任せな回答を繰り出した。
ユランのそんな言葉を受け、リリアは──ユランの唇に、そっと右手の人差し指を当てる。
そして……
「リリア……ですわ」
微笑を湛えながら、言った。
「私たち、もうお友達でしょう? 名前で呼んでくださいな」
「ドキン……」と、心臓が跳ね上がった様な気がした。
ユランの心臓の鼓動は……五月蝿いくらいに脈打つ……。
(鼓動が早い……。胸が苦しい……。これは何だ? リリアに対する好意の気持ち? いや、違うな……。これは多分……)
ユランは、リリアが浮かべる〝年相応の笑み〟に心奪われた。
そこにあるのは、全てを諦めた──悲しみを含んだ〝大人の笑み〟ではない。
リリアの穏やかな笑顔が、ユランの心を掴んで離さなかった……。
「妖精さんの名前は……。そうね」
同時に疑問に思う。
なぜ、
なぜ、彼女は……
「『リーン』……。花の妖精という意味ですわ」
この笑みを、失ってしまったのだろうか……。
リリアが浮かべる微笑みは、月明かりに照られ、幻想的な美しさを見せる。
それこそ、『月花の妖精』と見紛うほどに……。
リリアこそが『花の妖精』だと言われれば、誰もが信じずにはいれないだろう。
リリアは今、〝人生で初めて出来た友達〟に、心からの笑顔を見せている。
なぜ、リリアはこの笑みを失い──シリウス・リアーネとなってしまったのだろうか。
純真無垢で、穢れのない少女が──なぜ、望まない戦いに身を置いたのだ?
誰がそうさせた?
ユランは、回帰前の仲間──シリウス・リアーネに想いを馳せる。
美しかった金髪は、老人の様に真っ白に変化し──
絹の様に白い肌は、死人の様にどす黒く変色し──
花の様に可憐な姿体は、幽鬼の様に痩せ細り──
薔薇の様な唇は、乾いてカサカサになっていた。
ユランは、未来のシリウスの事を考えると、胸が締め付けられる思いだった。
残酷な未来から、リリアを救いたい……。
ユランは、グレン・リアーネの生存を一番に考え、行動するつもりだった。
未来の事だけを考え、二人を天秤に掛けたとすれば、その針は確実にグレンの方に振れるだろう。
同じ神人だとしても、未来のリリアの実力はグレンに遠く及ばない。
しかし、ユランは未来の事は度外視で、ただリリアを救いたいと思った。
「『リーン』……。この名前は気に入らないかしら?」
勿論、グレン・リアーネの事は本気で解決しなければならないと思っているし、実際そうするつもりだ。
しかし、今は……
目の前の……『月花の妖精』を救わなければならないと決意する。
「リーン……。良い名前だね。気に入ったよ」
──ユランがそう答えると、リリアも嬉しそうに笑った。
*
「私、リーンにお願いがありますの」
リリアが、「パンッ」と可愛く手を叩き、そんな事を言い出した。
ユランは、なるべくリリアの願いを叶えてあげたいと思い、「いいよ」と即座に答える。
安請け合いしすぎかとも思ったが──自分は妖精のリーン。
妖精ならば、多少の無理は〝不思議な力〟で叶えられるものである。
「城下町を自由に歩いてみたい!」
興奮した様子で、望みを語るリリア。
──『リリアは、そんな些細な事すら妖精に願わねばならないのか』と、ユランは歯を噛む。
リアーネ家の事は、ユランも回帰前に噂で聞いた事がある。
女性を政略結婚の道具として扱い、自由を与えず、人とも思わない……。
リリアが今までどの様な目に遭ってきたのかを想像し、ユランは激しい怒りを感じた。
(グレン・リアーネは何をやっていたんだ? 妹が大事じゃないのか?)
所詮、グレン・リアーネもリアーネ家の人間という事なのだろうか……。
ユランは、そういった余計な考えを、頭を振って思考から追い出す。
今は、リリアの望みを叶えてあげなければ──
ユランは、リリアに向かって右手を差し出した。
そして、悪戯に誘う子供の様にニヤリと笑い、ユランは言った。
「行こう!」
リリアは、突然差し出されたユランの右手を見つめ、キョトンとした顔になる。
そして、しばらくした後、ユランの意図に気づき、慌てて否定した。
「リーン、ち、違うのです……。リーンは勘違いしてますわ」
リリアはアタフタと手を動かし、頬を少しだけ染め、照れた様に笑う。
「勘違いさせてごめんなさい……。リーンは妖精でしょう? 妖精は、眠っている人に『望み通りの夢』を見せる能力があると聞きました。だから──」
ユランは、リリアの話を、それ以上聴いていられなくて──
素早く、リリアを抱き上げる。
「私に、『街を自由に歩く夢』を──って、えぇぇぇ!?」
横抱き──いわゆるお姫様抱っこで、ユランはリリアを抱えると、テラスから飛び上がる。
「ダメですリーン! お父様に怒られてしまうわ!」
「バレなければ大丈夫! それより、喋ると舌を噛むよ!」
ユランとリリア、月夜に舞う二人の姿は、月明かりに照らされ、まるで──
舞台の一幕のように輝いていた。




