【2】グレンと国王
ユランたちが、貴族街を去った時刻とちょうど同じ頃、アーネスト王国の王城に一人の青年が訪れていた。
王国の聖剣士、グレン・リアーネだ。
コン コン コン──
グレンは、王城の執務室の前に立ち、扉を数回ノックする。
「入りたまえ……」
執務室の中から、男性の低い声がグレンに入室許可を出した。
グレンは少し間を置いた後──
「失礼致します」
扉を開けて中に入るった。
執務室の中は、豪奢なインテリアが並び、その奥の窓際の机には、羊皮紙の山が堆く積み上げられている。
椅子に腰掛け、羊皮紙を一枚一枚確認し、印を押していた初老の男が、作業の手を止める事なく、入室したグレンに視線視線だけを移す。
──グレンは執務室の扉を閉めた後、その場に立ち、恭しく頭を下げた。
「リアーネ家の嫡子、グレン・リアーネが国王陛下にご挨拶申し上げます」
椅子に腰掛ける男──アーネスト王国国王、アーネスト・イル・フリューゲルは、右手を顔の前でフリフリと動かし──
「よい。ここは公の場ではない。楽にしろ」
と、グレンの挨拶を軽く流した。
「それでは、失礼致します」
国王──アーネストの許しを得て、グレンは執務机の前まで歩みを進めると、アーネストを前にして、少しだけ肩の力を抜く。
真剣だった表情も、少しだけ緩んだ。
「お忙しそうですね」
口調は柔らかくなったが、グレンの背筋はピンと伸びており、後ろで組んだ手を上げ、正しい姿勢は崩さない。
「まあ、コレも私の仕事だからな……。国王とは、そういうものだ。『国のために身を犠牲にせよ』とは、先代国王の言葉だったか……」
アーネストはそう言って目を細め、ため息を一つ吐くと、天井を向いた。
眉間に深刻まれた深い皺が、彼の苦労を表現している様だった。
アーネストは疲れが溜まっているのか、両目を閉じて、目頭を抑え──『疲労に効く』と噂の場所をグリグリとマッサージしている。
「お疲れのところ申し訳ありませんが、報告よろしいでしょうか?」
「よい。話せ」
「辺境の村……。ジーノ村の事件の報告です」
「ああ、〝元聖剣士〟の二人が、村を襲った『魔貴族』を撃退したという話だな」
「はい。未だ、調査隊が調べているところですが……事件に巻き込まれた村人たちは、皆、口を揃えて〝その二人〟が事件を解決したと申し立てています」
「それが、何だというのだ? 『魔貴族』を撃退したのなら、元聖剣士の活躍としては十分、賞賛に値するだろう?」
「私は、その件に疑問を持っています。その二人は『貴級聖剣』の『レベル2』です……。絶対に無理だとは言いませんが、その二人の実力で、『魔貴族』を討伐できるとは思えないのです」
「だが、実際に事件に巻き込まれた村人がそう証言しているのだろう? それが偽りだとして──村人が嘘をつく理由は?」
「それはわかりませんが、疑問な点はまだあるのです……」
「……申してみよ」
「その元聖剣士の二人に聞き取りを行いましたが……。この者たちの証言と、現場の状況が一致しないのです」
「どういう事だ?」
「二人からの証言では、『魔貴族』やその眷属たちは、この二人で協力して討伐したとありました……。しかし、『魔貴族』や魔物のほとんどは、一撃の下に切り捨てられていたのです。特に、『魔貴族』は遺体の状態からから察するに……討伐したのは『貴級聖剣』の攻撃とは思えません。あれはもっと……」
グレンは、そこまで一気に話すと、それ以降は口を噤んで押し黙った。
自分で言っておいて、馬鹿らしいと思ったのだ。
ジーノ村の様な辺境の小村に、『貴級聖剣』よりも上の……『皇級聖剣』や『神級聖剣』の主が居るなどという事は、常識的に考えてあり得ない。
「とにかく、村人たちがそういうのなら、疑いの余地はないだろう。報告通りの活躍ならば、その二人には褒美を取らせねばならん。活躍に見合った報酬を与えねば、国王の権威が揺らぐからな……」
「……承知いたしました」
「まあ、お前の心配もわからんではない。しばらく様子を見るとしよう」
アーネストはそう言うと、話題を変える事にした。
事件処理の調査結果が出ない事には、いくらここで話をしたところで、答えが出ない問題だからだ。
「それよりも、シリウス・リアーネの様子はどうだ?」
突然、何の前触れもなく話題が変わるのは、アーネストが話すときの癖である。
アーネストと付き合いの長いグレンは、その事を大して気にしていない。
しかし、シリウス・リアーネの話題が出た事で、グレンはわずかに反応し……少しだけ沈んだ表情になる。
「相変わらず……心を病んでおります」
「そうか……。身内のお前には悪いが、アレは『欠陥品』だからな。近いうちに対処した方が良いだろう」
アーネストの辛辣な物言いに、グレンは何も言えずに黙り込んでしまう。
「……」
「アレは、王国の名門貴族、『リアーネ家』の名を汚す欠陥品だ。リアーネは過去に『ロイヤルガード』を輩出したこともある名門。そのリアーネ家の出自であるにも関わらず、『抜剣術』の才にも恵まれず、病を理由に魔族との戦いにも参加せん」
「……申し訳ありません」
「何故、お前が謝る? お前はこの国の為に良く尽くしてくれている。そもそも、お前とアレでは、存在価値自体が天と地……。いや、それ以上の差があるのだ。お前は神人……。この国にとって、その命は王の命よりも重い」
シリウスの不甲斐なさに責任を感じているグレンを見て、アーネストは不敵に微笑む。
「私は、お前がアレを引き摺り下ろし、リアーネの当主になることを望んでいる……」
「それは……」
「お前はまだ若いが、聖剣士としての在り方を良く理解し、戦士としてもこの上なく優秀だ……。リアーネ家の名をこれ以上落としたくなければ、今後のことを良く考えておけ」
「承知……いたしました」
*
「しかし、グレンよ……。お前も今年で16……成人する年だ。そろそろ、婚約者の一人でも作らねばならんぞ」
アーネストはまた、話題を変え、唐突にそんな事を言い出した。
グレンは、アーネストの言葉に、何とも言えない表情をした後、答える。
「私にはまだ、早いと存じます……」
グレンの答えを聞き、アーネストは呆れた様に嘆息する。
「お前は神人だ。その血脈は必ず後世に残さねばならぬ……」
そして、アーネストは、たった今思いついたかの様に一人の候補者の名前を上げる。
「第一王女──ジェミニはどうだ?」
「第一王女様ですか? あのお方は、私を毛嫌いしている様に見受けられますが……」
グレンのすげない答えを聞き、アーネストはジロリとグレンを一睨みした後、目を閉じて額に手を当てた。
厄介事が解決せず、頭を悩ませている様子だ。
「我が子は、8人の王子と4人の王女がいるが、『皇級聖剣』の主──『王位継承権』があるのは『第一王女のジェミニ』、『第二王子のレオ』、そして、『第四王女のアリエス』の3人だけだ」
「……存じております」
「ジェミニは親の私が言うのも何だが……。容姿端麗、頭脳明晰、非の打ち所がない…………。そう、非の打ち所がない娘だ。私はジェミニを次期国主にと考えていた……。だが、あの放蕩娘は継承権を放棄し、『ロイヤルガード』になると言い出しおった……」
ロイヤルガードとは、国主直属の精鋭部隊で、国内でも特に優秀な聖剣士たちで構成された剣士団だ。
ロイヤルガードの隊長となる人物は、『皇級聖剣』以上の主でなくてはならず、団員になる為には、『貴級聖剣のレベル3以上』と言う厳しい条件がある。
実際、現ロイヤルガードの隊長は、アーネストの実弟で、『皇級聖剣』の主だ。
『皇級聖剣』の主になる為には、王家の血が流れている必要があり、血縁を持たない者が『皇級聖剣』を与えられる事は絶対にない。
つまり、『皇級聖剣』とは、他の聖剣違い、血脈によって伝えられる、特殊な聖剣なのだ。
「しかし、『ロイヤルガード』には王家の血が必要でしょう。現隊長も『そろそろ引退したい』と嘆いていましたし、かえって都合が良いのでは?」
「ジェミニである必要はない。あの娘の素質は兄妹の中でも随一だ。アリエスは、まだ10歳になったばかりで幼すぎるし──レオには国主たる資質が欠落しておる」
アーネストは頭を抱える。
王国の今後を憂いて、アーネストの悩みは尽きない様だ……。
「後継者に関しては、アリエスが成長するまで私が踏ん張れば良い話だが、ジェミニの事は……。あの娘には手綱が必要なのだ。国主になれば、〟国という足枷〟であの娘を縛り付けることも出来ようが……」
「それで私をジェミニ様の婚約者にと?」
「そういう事だな。ジェミニも今はお前のことを毛嫌いしているが、あの娘は自分より強い者に信頼を置く娘だ……。いずれ、お前の事も信頼する様になるかもしれん……。たぶん……。おそらく……』
アーネストの話を聞いたグレンは、ため息吐き、呆れた様に言った。
「失礼を承知で発言しますが…………。そう言うのを押し付けと言うのですよ」
「…………」
グレンの発言を聞いた後、アーネストはそれっきり口を開かなくなってしまった……。




