【16】回帰者の責任
森に入って行ったリネアを追いかけたユランだったが、光の差し込まない鬱蒼とした樹々に阻まれ──気が付けばリネアを見失っていた。
「不味いな……。早く見つけないと」
森の中は真っ暗で、足元も碌に見えないほどであった。
このまま、灯りもなく進むのは無理だと判断したユランは──
『捜索』
自分の周辺を捜索する──『捜索』の神聖術を発動した。
『捜索』は、周りの地形を正確に把握し、〝探し物〟などをする際に役立つ生活術だ。
効果範囲が狭く、精々、術者の半径5メートル四方にしか効果がない神聖術だが──発動中はレーダーの様に細かい地形まで正確に把握できる上に、継続的に効果を及ぼすため、真っ暗な森の中でも問題なく行動できる様になるのだ。
ちなみに、暗闇を照らす『照明』という神聖術も存在し、ユランも使用できるが……『捜索』に比べて神聖力の消費量が高いため、敢えて『捜索』を使用した。
神聖術に明るい訳ではないユランは、神聖力の絶対量が少なく、『生活術』や『軽い回復術』などの使用が限界だった。
『捜索』の発動で夜目が利く様になったものの、普段から人の立ち入ることの少ない森の中は、人間の侵入を拒むように深く──真っ直ぐ走る事すらままならない。
ユランは、『捜索』で周囲を確認しつつ、樹々を避けながらも何とか進むが、未だにリネアを発見する事は出来ていなかった。
(まだ遠くには行っていないはずだ)
身体に纏わりついてくる草木を掻き分けながら、ユランはリネアという少女に思いを馳せる。
ユランにとって、リネアはクラスの中でも碌に話もした事もない少女だった。
それは、回帰前の世界でも同じで……。
ユランの中で、この時期のリネアの印象は──
ガストンの取り巻きで、いつもオドオドしていた少女……。
ハッキリ言ってその程度である。
だが、よくよく思い返してみれば、〝あの事件〟が起こるまでは、屈託なく笑う花のような印象の少女だった。
あまり話をした事のないユランの記憶に残っているほど、その笑顔は印象的で……
リネアの身に起こった事件──その内容については、ユラン自身もある程度は噂で聞いていた。
リネアの両親が彼女を捨てて夜逃げしてしまった事や、そのショックで心が傷付き、長期入院を余儀なくされた事などだ。
そして、リネアが村の大人たちに対して、
「私を護ために、お父さんとお母さんは魔物に殺された」
と、嘘をついているという話も聞いていた。
回帰前……そして回帰後に聖剣を手に入れて〝記憶を取り戻す〟までは、ユランもリネアのその言葉を信じていなかった。
平和な村に魔物が出たなどと言う荒唐無稽な話は、とても信じられるものではなかったのだ。
しかし、回帰者であるユランは、魔物という存在をよく知っている。
魔物を操る『魔貴族』や『魔王』といった『魔族』の存在を知っている。
『魔族』の多く──特に『魔貴族』は、狡賢く、人の心を弄び、人間が絶望する様を見て高笑う〝邪悪な存在〟だ。
ユランは回帰前の世界で、『魔族』に苦しめられ、絶望の中で踠き、のた打ちながら死んでいく人々を沢山見てきた。
リネアも、そんな『魔族』の遊びに巻き込まれた犠牲者なのだ。
ユランは記憶を取り戻した後、『リネアの心に寄り添うべきだった』と後悔している。
それは、ユランの回帰者としての責任──
そう、責任なのだ。
ユランは、『魔族』の犠牲者を一人でも多く救う事が、回帰者である自分の責任だと思っていた。
回帰前、リネアはたった一人で、この森の中……誰にも気付かれる事なく死んでいった。
怖かっただろう。
寂しかっただろう。
悔しかっただろう。
姿の見えないリネアの事を思い、ユランは自分の中で怒りの炎が燃え上がっていくのを感じた。
しばらく、森の中を疾走していると──
「見つけた……」
リネアを探して森の中を走り回っていたユランは、月明かりが差し込む開けた場所で遂にリネアを見つける。
ユランは木の陰に身を隠し、静かに様子を伺った。
──リネアは一人ではなかった。
正確には一人と一匹……。
そこでユランが見たものは、大型の犬の様な外見で、漆黒の体毛を持つ魔物──そして、その魔物の前で蹲るリネアの姿だった。
ユランは犬型の魔物の姿を確認した後、『捜索』を利用して周辺を見渡す。
どうやら、敵は犬型の魔物一匹だけの様だ……。
ユランは、リネアが大した傷を負っていない様子を確認し、密かに安堵する。
その身体は恐怖に震えていたが、取り敢えずはケガもなく無事の様だった。
それに──
(低級の魔物一匹だけか……? 〝飼い主〟はどこに行った? 雑魚だけ残して去ったのか?)
眼前の敵が思いの外『低級』で弱い魔物であったため、『隠剣術』を使用すれば問題なくリネアを救出できそうだった。
『捜索』に引っ掛かる〝敵〟もいないため、飼い主が近くに潜んでいる可能性も低い。
ユランはそう判断した。
(使い魔がアレ──『下級種の魔物』なら、ジーノ村に襲撃してきた『魔族』は大した相手じゃないのか?)
ユランは『隠剣術』を使用し、自身の身体能力を高めていく。
ここからは『隠剣術』の使い所が難しい。
身体への負担を考慮すると、使い所は考えなければならなかった。
敵の魔物が『下級種』だとしても、今のユラン──子供の身体では、魔物とマトモに戦うのは不可能だ。
なので、戦闘の際には『隠剣術』か必要不可欠になる。
使い過ぎた末に、反動で動けなくなってしまっては元も子もないのだ。
「誰か……。誰か……たすけてぇ……」
リネアの助けを求めるか細い声が聞こえた瞬間──ユランは木の陰から飛び出し、大口を開けてリネアに迫る魔物に向い、大きく飛び上がる。
その存在に気付いた魔物は、真横から飛び上がったユランがいる方向に向き直ろうと試みるが、時すでに遅し──
ザンッ!
『隠剣術』で身体強化されたユランの放つ一撃は、丸太ほどもある魔物の首を最も簡単に切断した。
そして、頭部を失った魔物の胴体は、力無く──
ズドォォォン!
と轟音を立てながら、地面に倒れ伏す。
ユランは魔物を斬り伏せた後も周囲を警戒しつつ、リネアを背にして立ち、その身を護る様にして前に出た。
「ユラン……くん?」
──ユランの背後からリネアの声がする。
その声は未だに震えており、そこからリネアの恐怖心がユランにも伝わってくる様だった。
ユランは、体内で燃え上がっていた怒りの炎を弱め、リネアを怖がらせないように努めて笑顔を作り──振り返った。
そこには……驚き、安堵、緊張と言った、様々な感情に翻弄され、泣きそうな表情のまま固まったリネアの姿があった。
そんなリネアを見て思わず、
「大丈夫、怖がらないで」
そんな言葉が、ユランの口を衝いて出るのだった……。




