【15】私の英雄
長身の男は、貴族の様な豪奢な装いで、黒いタキシードに似た服を着こみ、両手には白い手袋を着用していた。
身長は190センチメートルくらいの長身で、年齢は30代前半くらいに見える。
オールバックにした紫色の髪が、男の端正な顔立ちを際立たせていた。
側から見れば、森に迷い込んだ貴族の男性の様に見えるが──耳まで裂けた口から覗く無数の牙が、男が普通の人間ではない事を物語っている。
『また会えて嬉しいですよ』
男はその感情の籠っていない声とは裏腹に、ニッコリと楽しそうな笑顔を作りながら、そこに立っていた。
リネアは最初、突然現れた男が何者かわからず──その異様な出立に恐怖を感じ、震える声で男に問いかける。
「だ……だれ?」
男はリネアの言葉を受け、クックッと喉を鳴らして笑い、感情の籠っていない声で答えた。
『──おや、覚えていないのですか?』
男は笑顔を崩さない。
『この子の事は覚えている様ですが……それは残念ですね』
男はそう言って魔物の頭を撫でると、リネアを見下ろして顔を歪めて笑い、囁く様に──
言った。
『ピクニックは楽しかったですか?』
──その瞬間、リネアは男の事を思い出す。
両親の遺体を、物の様に「片付けろ」と指示を出した男の顔を……。
「あ……。あぁ……。あぁぁぁぁぁぁぁ!」
リネアは、頭を激しく左右に振りながら、絶叫に近いほどの叫び声を上げる。
──頭を何度も地面に打ちつける。
額から出血したが、構わずに打ちつける。
そしてリネアは、男の顔を、魔物の姿を、その瞳の中に捉え、怨嗟の念の籠った視線を向けた。
瞳から涙が溢れ出る。
「おとうさん……。おかあさん……。ゆるせない……。ゆるせない……」
そんなリネアの姿を見て、男は満足げに笑い、何度も頷く。
『やはり、人間とはそうでなくては面白くない』
男は、悔し涙を流し、自身を睨みつけてくるリネアの反応が、楽しくて仕方がないといった様子だ。
男の大きく裂けた口と、細めた両目が三日月の様に歪み──ピエロの仮面の様に見えた。
『貴方の両親の死──それは私が指示した事ではありませんが、こんなにも楽しませてくれるとは。やはり、私の眷属は優秀な様ですね』
男は、最高の娯楽を提供した眷属──犬型の魔物の頭を何度も撫で、リネアの両親を喰い殺した事を褒め称えている。
そして、男はリネアのすぐ側まで歩いてくると、続けた。
『村人が信じてくれない事が悲しかったですか? 両親を侮辱された事が許せないですか? 一人きりになった事が寂しいですか? 両親の復讐ができない事が悔しいですか? ねぇ、答えてくださいよ』
男の声に、僅かに感情の色らしいものが籠る。
──ソレは心の底から楽しそうで、ご褒美を与えられた子供の様に弾んだ声だった。
「あぁぁぁぁ!」
リネアは叫び、右腰に携えていた『聖剣』の柄を握る。
『聖剣』を握った右手に力を込め、聖剣を引き抜こうと試みるが──ビクともしない。
「抜けろ! 抜けろ! 抜けろぉ!」
『聖剣』の柄を強く握りすぎて、手のひらの皮が破れて出血するが、リネアは構わずに握り続ける。
だが……何度試しても、『聖剣』は微動だにしなかった。
当然である。
10歳の少女に『抜剣術』が扱える筈がないのだから……。
「抜けてよぉ……。お父さんとお母さんの仇を取らなきゃいけないの!」
男はリネアを見下ろし、クックと低い声で笑い、無駄な努力を嘲笑う。
そして、リネアの耳元に顔を近づけ、囁くように言った。
『──無駄ですよ……。それに、抜けたところで貴方に何が出来ると言うのですか?』
男の言葉を受け、リネアは力無く両手を垂らし、肩を落とした。
全てに絶望し、呆けたように、その表情から感情が抜け落ちる。
そんなリネアの姿を見て、男は今日一番の楽しそうな笑顔を作り──
『その顔が見たかった』
と言い放った……。
*
リネアの反応に満足した男は、リネアから離れ、近くで待機していた犬型の魔物の下へと戻る。
『私はそろそろ行かなくてはなりません。後は任せました』
犬型の魔物を一撫でし、男は右手を上に挙げた。
その直後、男の身体が、黒い靄につつまれ──
ソレが晴れたときには……男の姿はその場から掻き消えていた。
男がその場から居なくなると、
ザッ ザッ ザッ
残された黒い魔物は、ゆっくりとリネアに近付いていく……。
「あ……あぁ」
感情の行き場をなくし、呆けていたリネアだったが──目前まで近付いて来た犬型の魔物を見て、再び恐怖が蘇って来る。
両親を喰い殺した魔物の牙が──月光に照らされて怪しい光を放つ。
「まだ……死ねない……。お父さんとお母さんの仇を討つんだから……」
犬型の魔物は、すでにリネアの手が届きそうなほど近くまで迫っていた。
「神様……助けてください……」
魔物の口がゆっくりと開いていく……。
リネアは恐怖と絶望に身を震わせ、神に助けを乞う。
──リネアに出来ることは、涙を流して祈る事だけだったのだ。
リネアはまだ10歳の少女。
「両親と同じところに行ける」などと割り切り、死を受け入れる事ができる年齢ではない。
「誰か……。誰か……たすけてぇ……」
リネアは目を閉じる。
迫り来る死の恐怖に耐えられず、現実から目を背けるように視界を瞼で覆った。
刹那──
ズドォォォン!
何か、大きな物が地面に倒れる音が聞こえ──
強風がリネアの身体を煽った。
リネアが驚き、目を開けると、そこには──
リネアに背を向けて立つ、クラスメイトの少年の姿があった。
「ユラン……くん?」
リネアは、自分の目の前で起きた光景が信じられなかった。
あの、ガストンに意地悪され、自分と同じようにオドオドしていた少年が……
頼りないけど、どこか目が離せず、ずっと気になっていたけど声をかけられなかったクラスメイトが……
両親を喰い殺した魔物を、斬り伏せていた。
ユランはリネアの方を振り返り、リネアを安心させるように笑顔を作る。
その笑顔が、命懸けで自分を庇い、死んでいった母の、死ぬ間際に見せた最後の笑顔に重なった。
そして──
「『大丈夫、怖がらないで』」
そう、言ったのだった。




