【シエル・アーヴァイン】
「いらっしゃいませ! おひとり様ですか?」
「いえ、連れが先に来てるので……。シエル・アーヴァインって方なのですが」
「アーヴァイン様でしたら、奥の個室でお待ちです。ご案内しますね」
「ありがとうごさいます」
*
「お久しぶりですね、シエル先生」
「……その呼び方やめてくれる? 私はもう先生じゃないわ」
「そうでした。今は聖剣士、華の『ミラージュ隊』の隊員殿でしたね。流石です」
「お世辞はいいわよ……。それより、座ったらどう?」
「ありがとうございます。それでは、失礼して」
「ゼン、あなた変わらないわね……。そう言う律儀なところ」
「クセですからね、そうそう変わるものではありませんよ」
「……ふん」
「そういえば、昇進なさったそうですね」
「相変わらず耳が早いのね」
「あなたの出世には、私の人生がかかっていますからね。動きは常に気にしているんです」
「わかっているわよ。まだ正式な辞令は受けていないけど、私が『ミラージュ隊』の隊長に就任したら約束通り貴方を引き上げるわ」
「ありがとうございます。やっと私も聖剣士に戻れるのですね」
「悪いわね、時間が掛かってしまって」
「仕方のないことです……気にしていませんよ。それよりも、今回の昇進はジーノ村の件で?」
「そうね。アレだけの数の魔物を倒し、『魔貴族』を退けたんだもの。昇進は当然の結果ね」
「……はっはは。確かにそうですね。その通りです」
「事件の後、功績が認められて直ぐに聖剣士に戻れたんだけど、事件を調査した調査員がイチャモンを付けてきてね……。褒美はお預け。まあ、大変だったわよ」
「まさか……。バレたんですか?」
「そんなわけないでしょう? 何のために苦労して裏工作したと思ってるのよ」
「驚かさないで下さいよ……肝が冷えました。でも、今回めでたく功績が認められたと言う事ですね」
「遅いくらいよ。ジーノ村の事件って10年も前よ? 調査にいつまで掛かってるんだか」
「認められるまでに、色々苦労なさったんですね」
「そうね……。調査官に袖の下を渡したり、ゴマスリしたりしてね」
「そんな事を、私に話していいんですか?」
「あなたは共犯者だもの。情報の共有は必要でしょう? 貴方が今後私の隊に来るなら、口裏を合わせておかないとね……あの調査員、ねちっこいから」
「親しいのですか?」
「何度か寝たけど。まあ、それだけね。私の出世の役に立ったから良いけど、調査の結果が出たから後は用無しね」
「怖い人だ……。目的のためには手段を選ばない。昔の貴方からは考えられませんね」
「当然よ……。惨めな思いは、もう御免だもの。上に行くためにはゴマスリだってするわよ。カラダを使う事だって厭わないわ」
「それについては、私も同感ですね」
「10年前、聖剣士の地位を剥奪されて、あんな田舎に左遷された時には気が狂いそうになったわよ」
「私はそれなりに楽しかったですよ? 二度と御免ですが」
「私だって嫌よ。ガキの相手なんて二度と御免ね」
「はっはは、言えてます」
「でも、あのクソ田舎での日々もいい経験だったわ……。出世する為には何でもしようって気になったもの」
*
「ジーノ村と言えば、忌々しいのはあのガキね」
「誰ですか? ガストンくん?」
「あいつはいいのよ。私に害はなかったし……。ミュンよミュン。あの、『貴級聖剣』のガキ」
「ああ、彼女でしたか。最後の最後で貴方を怒らせた」
「あのガキにはガッカリだったわ……。剣術の才能もありそうだったし、アイツが偉くなったら引き上げてもらうつもりだったのに」
「当時、貴方のお気に入りでしたね」
「あんな田舎に『貴級』持ちが出るなんて思ってもいなかったからね。少し期待してたのよ」
「子供らしからぬ才能の持ち主でしたからね。生きていれば一角の人物に成っていたかも知れません」
「まあ、結局は『魔貴族』にやられて死んじゃったから意味なかったんだけどね。あのガキが偉くなってれば、私の未来はもっと明るかったのに……。忌々しいガキだわ」
「まだ上を目指す気なんですか?」
「当たり前よ。せっかく聖剣士に戻れて、隊長になれそうなんだもの。行くとこまで行くわ。それにしても、後ろ盾がないと苦労するわよ……。これも魔族の襲撃で死んでしまったミュンのガキの所為ね」
「酷い言い方をしますね。一時は、貴方のお気に入りだった娘に」
「なによ? アンタだって同じ考えで、当時あのガキを贔屓してたんでしょ?」
「はっはは……。返す言葉もありませんね」
「それよりも、あのクソ田舎時代に一番楽しかったのは……ほら、名前なんだっけ? いつもオドオドして、成績も悪い『劣等生』の……。そう、ユランよユラン。あのガキを虐めている時だったわね」
「そんな生徒居ましたか? 覚えていませんね……」
「居たのよ。そう言うガキが。あのガキを虐めると、ミュンの奴も悲しそうな顔をしてたからね。それもまた楽しくて、中々やめられなかったわ」
「当時の貴方は、ミュンさんの事を好いていると思っていましたよ」
「好きだったわよ? 私を引き上げてくれるかもしれない存在だったもの。それ以外に価値なかったけど……。いちいち私に意見してくるとことかは、最高に鬱陶しくて大嫌いだったわね」
「はっはは、そこまで言いますか」
「まあ、最後は良くやってくれたわ。あのガキに寄生して出世する道は断たれたけど、死ぬ前に私に最高の贈り物を残してくれたもの」
「アレは驚きましたね」
「ええ。まさかあのガキが、一人で魔物を全部倒すとは思わなかったもの。『魔貴族』は流石に無理だったけどね」
「『魔貴族』が逃走してくれて助かりましたよ。私たち二人で手に負える相手ではなかったですからね」
「『魔貴族』様々ね……。ミュンを含め、邪魔な村人は全部片付けてくれたし、手間が省けたわ」
「やはり、村の生き残りがいたら始末するつもりだったんですか?」
「当然でしょ? あの事件を利用しようと考えた時点で、村の生き残りがいたら困るもの」
「それはそうですね。私たちがした事が公になれば、私たちはお終いですから」
「だから私たちは共犯者なのよ。発案者は私だとしてもね」
「しかし、ミュンさんが全滅させた魔物を自分が討伐した事にするなんて……考えもしませんでしたよ」
「少し違うわね……」
「え?」
「ミュンが退けた『魔貴族』も、よ」
「本当に貴方は……怖い人だ。怖くて、とても頼もしい」
*
「私はそろそろお暇しなくては」
「何よ、まだ来たばかりじゃない」
「家族が待っているんです。最近、子供が産まれたばかりで……」
「貴方って、そんな子煩悩な性格だったの?」
「まさか、子供は女の子ですからね。大事に育てて、金持ちの変態貴族にでもくれてやるつもりです」
「最低ね……」
「良いんですよ。私は私で、貴方とは違う方法で上に上がろうとしているだけです」
「はは。なによ、貴方も十分下衆じゃない」
「褒め言葉として受け取っておきます。それでは、また」
*
「ありがとうございましたぁ!」
元気のいい店員の声が、店外に出ていく私の背中を見送る。
冬の訪れを告げる澄んだ風が、私の頬を優しく撫でた。
今日はとても気分がいい。
自分の功績が認められるのって、こんなに嬉しい事なのね。
……まあ、実際にやったのはミュンのガキだけど。
死んでしまった者の功績を後世に残すのは、生き残った者の務めだからね。
私が気分良く王都の街を歩いていると、後方から気配を感じた。
私は聖剣士の花形部隊、『ミラージュ隊』の隊長になる女だ。
不審者の気配などお見通し。
それに、アーヴァインの姓を与えられた貴族でもある。
貴族は命を狙われやすいこともあり、常に警戒は怠らない。
私は、後方から追跡してくる何者かの気配をそのままに、あえて人気のない裏路地までソイツを誘導した。
不審者如きが私を狙うなどとは……身の程と言うのを解らせてやらなければならない。
裏路地に入った後、気配がした方を振り向くと、いつのまにか人が一人立っていた。
「シエル・アーヴァインさんですね?」
ソイツが発したのは、驚くほど冷たい声だった。
声にまったく感情がこもっていない。
まるで『魔族』の連中が放つ声の様な……何とも不快な声だ。
ソイツが、無防備にフラフラと私の方に向かって歩いてくる。
先程までは暗闇だったために、ソイツの容姿は窺い知れなかったが、月明かりが差し込む場所まで出てきたためその姿がはっきりする。
声からして、性別は男だろうが……
ソイツは真っ黒なローブに身を包み、頭にフードを被っているため、髪型さえ詳しくはわからない。
それに──
顔に装着したピエロの仮面。
その仮面は、目と口が三日月型にくり抜かれており、常に笑っている様に見えて何とも不気味だ。
何の装飾もないその白い仮面が、ソイツの不気味さを際立たせている。
「私に何の用?」
私はソイツに問う。
──物取りや襲撃にしては、堂々と姿を現しすぎだ。
「ジーノ村の事件を覚えていますか?」
短く言ったソイツの声が、あまりに冷たく、
感情の籠っていないその声が、
……私の罪を咎めている様で、妙に癪に触った。
「アンタ……何者?」
私はそう言いながらサブウェポンを引き抜き、そのまま警戒体制を取る。
相手が何者かは解らないけど、現役の聖剣士に喧嘩を売るなんて……いい度胸してるじゃない。
コイツが何者であろうと、返り討ちにする自信はある。
「貴方が……。貴方たちが奪ったものを……返してもらいにきました」
ソイツは、警戒体制を取る私の事など歯牙にも掛けない様子で、歩いて、ゆっくり距離を詰めてくる。
感情の籠っていない冷たい声はやけに通りが良く、耳元で囁かれている様に感じた。
「何の事よ……。言い掛かりはよして」
ソイツは……まるで、実態のない幽霊の様だ。
フラフラとおぼつかない足取りだが、確実に一歩一歩コチラに向かってくる。
「覚えていませんか……。でも、これで思い出しますか……?」
ゆっくりとした速度で、私に近づいてきたソイツが──
ソイツが仮面を外す。
そこには──
「ユ……ユランくん?」
醸し出す雰囲気がそもそも違う。
私の記憶の中のユランという少年は、いつもオドオドして俯いている気弱な少年だった。
最後に会ったのは10年も前で……雰囲気も全然変わってるけど、面影がある。
間違いなく、コイツは劣等生のユランだ。
……ジーノ村の生き残りがいたとは。
あのとき、逃げずにちゃんと確認するべきだったわね……。
「お久しぶりです……。シエル先生」
抑揚のない声で、ジーノ村の亡霊──ユランは言う。
コイツが今更、私に何の用が有ると言うのか。
「私はもう、貴方の先生じゃないわ」
私は相手が劣等生の──『下級聖剣』のユランであると解っても、警戒体制は崩さない。
──10年前の亡霊など、信用しても碌な事にならないだろう。
「私に何の用なの? 気味の悪い仮面まで着けて……。盗賊の真似事?」
私が問うと、ユランは手に持っていた気味の悪い仮面を顔の前で持ち上げる。
「ああ……。この仮面が気になりますか……? 別に、顔を隠すために着けてる訳じゃないんです……」
本当に気味の悪い奴だ。
10年前、私に虐められていたときはまだ
可愛げがあったのに。
「だって……この仮面を着けてると──」
ユランは仮面を下ろし、私の方に視線を向けてくる。
今日──初めてコイツと目線が合ったような気がする。
「──笑っているように見えるでしょ?」
ゾクリと、背筋に悪寒が走る。
ユランの目は黒く濁り、まるで死人のように光を失っている。
月明かりに反射する瞳は、焦点が合わずに空を彷徨っていた。
「あの時から……。10年前の事件の後から……。笑う事が出来なくなったんです」
ユランは、聞いてもいないことをペラペラと話し出す。
何の感情も籠っていない──淡々とした口調や感情が抜け落ちた様な表情が、ユランの不気味さをさらに加速させる。
「でも……ミュンは俺の笑顔が好きだって言ってたんです……。だから……〝俺〟はいつも笑顔でいないといけないんですよ……」
──コイツは狂ってる。
本当に、ジーノ村の──10年前の亡霊の様だ。
私の罪を咎めるために、10年前からやってきた亡霊……。
「アンタ、一体何がしたいのよ」
「さっき言ったじゃないですか……。貴方たちが奪ったものを……取り返しに来たんです……」
そう言うと、ユランは再び仮面を装着する。
仮面を装着した顔は月明かりに照らされ、本当に不気味に、歪に──
笑っている様に見えた……。
──くだらない。
私を罰しようと言うの?
劣等生のユラン如きが?
『下級聖剣』のくせに?
「私が……アンタから何を奪ったって言うのよ?」
私がそう言うと、ユランは上を向き、天を仰ぎ見る様にして──言った。
「奪ったじゃないですか……。俺から……ミュンを」
何を言っているんだコイツは。
ミュンのガキを殺したのは『魔貴族』なのに……とんだ逆恨みだ。
大体、10年も前のことをいつまでもウダウダと……。
「村人や……俺を護って死んだミュンの……その死を……貴方たちは穢したんです……」
私は右手で聖剣の柄を握り、いつでも『抜剣』が発動できる体制を取った。
どの道、コイツがジーノ村の生き残りならここで始末しなければならない。
「俺は……。ミュンの最後の姿を覚えています……。勇敢で……強く……そして、美しかった……。彼女の功績を奪い……穢した貴方たちは……俺からミュンを奪ったと同じなんですよ……」
くだらない。
これ以上、コイツと話す事はないわね……。
さっさと始末してしまおう。
私が、今まさに『抜剣』を発動させようとした瞬間──
「そういえば……。貴方に『贈り物』があったんです……」
ドサッ──
そう言うと、ユランは私の前にローブの中に隠し持っていた〝何か〟を投げて寄越した。
麻の袋に入った──丸い形の何かだ。
私の頭の中で──
その袋を開けるな
中身を見るな
と、警鐘を鳴らす声が聞こえる。
しかし、私は何かに導かれる様に、袋の口を開け──中身を見てしまった。
「ひっ……!?」
中身を見た私は、思わず〝ソレ〟が入った袋を取り落としてしまう。
ソレの中身は──
私の元同僚で、共犯者の……
〝ゼンだったモノ〟が詰め込まれていた。
そして、その瞬間──
ズグッ──……
私の胸に、小型の刃物が突き刺さる。
サブウェポンですらない……携帯用の小型刃物だった。
「ユ……ユラン……くん」
ごふっ
喉の奥から、口の中まで何かが溢れてきて、上手く喋れない。
口の中に鉄の味が広がった……。
「な……ぜ……?」
私が
私が劣等生のユランなんかに……。
こんな奴に私の人生が奪われるのか?
それも、武器ですらない──粗末な刃物で?
「悔しいですか……? せっかく聖剣士に戻れたのに……。せっかく偉くなったのに……。あなたは……こんな何もない裏路地で一人寂しく死んでいくんです……。それも、俺の様な『劣等生』にやられて……。あなたの人生はそんなものなんです」
──悔しい
──悔しい
──殺してやる
──殺してやる!
「ゆ……ゆる……さ」
ユランは、地面に倒れ伏した私を見下ろす様に立っている。
仮面で無理矢理作った笑顔が……私を嘲笑っている様で──
絶対に許さない──
死んでも許さない──
呪ってやる──
私は、うつ伏せに倒れたままで、何とか顔だけを上げ──私を見下ろしているユランを睨み付ける。
少しでも私の怨嗟の念が伝わる様に。
「とても悔しそうですね……そうです──」
薄れゆく意識の中で、ユランの発した最後の言葉が私の耳に届いた。
「──その顔が見たかった」
月明かりに照らされたユランの表情は、仮面越しでもわかるくらいに歪んで見えて……
ソレはまるで、
人間の心を弄んで笑う──
『魔族』の様に見えた……。