【12】正体
今より遥か昔──その場所は〝王国〟とは呼べないほどに荒廃し、人間同士の争いが絶えない土地だった……。
そこでは、人の命は麦一握りよりも軽く……大地に芽吹くよりも前に刈り取られるのが常で……。
その地を治める〝王〟は、この現状を憂う事などない〝野獣〟の様な暴君だった。
飢えて……或いは暴虐、蹂躙されて死に行く人々を前に、
『平和とは──安らぎとは、戦いの中で自らが勝ち取るもの。戦う力を持たぬものは生きる価値すらない』
……そう言い放つほどに、暗君たるを恥じる事なく、治世など鼻から眼中にない男だ。
また、
『人間とは、放っておいても〝虫〟の様に増え続ける〝害〟だ。少しは間引かないとな』
そう言って、笑顔で『〝人間狩り〟と称した侵略』を平気で行う残忍さも持ち合わせていた。
そんな暴君が治める土地は……とても〝国〟と呼べる様な代物ではない。
──そんな、神すらも見捨てた土地に、ある日〝特別な力〟を持った◾️◾️が生み落とされた。
その者はいつ生まれたのか……。
どの様な経緯を辿り、そこに現れたのか……。
誰にも分からない……。
いや、その女性の存在は、その〝国〟にとって認知するほどの存在ではなく……人々は知らなかったのだ。
その女性が、そこに現れた意味を……。
*
──ドサッ!
「──ひうっ」
小柄な身体が、床に投げ捨てられる様に無造作に放られ……その〝女性〟は思わず情けない悲鳴を上げる。
女性が投げ捨てられた部屋は、全体的に質素だが……
床には薄い絨毯が敷かれており、勢いよく投げ捨てられたにしては、女性にそれほどの痛みはない様子だ。
その女性とは、
ショートボブの銀髪と、黒縁の眼鏡が特徴的な十代後半くらいの女性──
聖女シリス。
その聖女シリスを無理やり部屋に押し込んだのは……聖王国の女王、ローゼンディアスだった。
ローゼンディアスは、床に突っ伏している聖女シリスを、鋭い視線で睨め付ける様に見下ろし──
腕を組み、苛立たしげに指でトントンと肩を打つ。
時は、ミュンが聖剣教会から無事に逃げ出してから一日後の夜だ。
逃げたミュンを捜索して捕えるべく、一日中首都内を探し回っていたローゼンディアスは……聖剣教会に戻って早々、地下牢に捕らえていたシリスを連れ出し、この部屋に連行していた。
「シリス……。貴様、一体どう言うつもりだ? なぜ、あそこで私の邪魔をした? 貴様が手を出さなければ、確実にあの『邪教徒』を葬れたと言うのに」
ローゼンディアスの言う『邪教徒』とはミュンの事で……ローゼンディアスが激昂しているのは、ミュンとの戦いでシリスが二人の間に無理やり割り込んだ件だ。
「あ、あのー……ワ、ワタシは……割り込んだ訳ではなくてー、ローズの、て、手助けをしようと思っただけなんですー」
何とも間延びした……間の抜けた声で、聖女シリスは答える。
そんなシリスの様子を目の当たりにし、ローゼンディアスはさらに苛立った様子で拳をギュと握った。
「──その、イラつく話し方は止めろと言っただろう? それに、お前が自主的に動いて、事が良い方向に転んだ例があるのか?」
「いえー……いいえ、ワ、ワタシは……」
「それに、貴様、咄嗟の事とは言え、私に向かって生意気な口を聞いたな?」
「違うんです。違くて……。ロ、ローズが言ったんじゃないですか、『聖女らしくしっかりしろ』って……。だから、少しでも威厳のある話し方を……と思って。ワ、ワタシは最初から無理だって言ったのに……。そ、それに、割り込んだのは本当にローズを助けるつもりで……」
「──チッ……。これだから戦いを知らぬ者はいかん。貴様には、私の方が劣勢に見えていたのか? そのゆるいオツムで、よく考えてから発言しろ。私の神経を逆撫でするな、愚か者め」
ローゼンディアスに『ギンッ』と鋭い視線を向けられ、シリスは「ひっ」と短く悲鳴を上げて身を震わせる。
「貴様が無能なのは今に始まった事ではないし、期待もしていない。しかし、私の邪魔だけはしてくれるなよ。貴様は、マスコットキャラよろしく黙って私に従って──市民に愛想を振り撒いておけば良いのだ」
「……はい」
ローゼンディアスはシリスを完全に見下しているのか、怯えるシリスに対して、唾を吐き掛けんばかりの侮蔑のこもった視線を向けた。
そして、急にニヤリと加虐的な笑みを浮かべたかと思えば──
「私に逆らえば、あのガキ共がどうなるか分かっているだろう?」
そんな事をシリスに向かって言った……。
それを受けたシリスは、見る見る内に顔を青くして行き……急に床に両膝を付いてしまう。
「──あ、あぁ……。ヨ、ヨシュア……それに皆んな……ご、ごめんなさい。ワタシは……」
ローゼンディアスの一言で、シリスの中のトラウマとも言えるべき出来事が呼び起こされ──
シリスは床に突っ伏し、全身をガタガタと震わせて、自らの身体を抱き締める……。
『あのガキ共』……具体的にそう言われ、急にシリスの頭の中にある『恐怖』の感情が呼び起こされたのだ。
それは、ローゼンディアスがシリスを縛るために植え付けたトラウマの種である……。
「『お母さん』、『お母さん』と泣き叫んでいたぞ? 貴様の様な無能を慕い、母と呼んでくれる子供たちの心を裏切る訳にはいかないだろう?」
「あぁ……うぅ……」
シリスは最早、ローゼンディアスの言葉に返事をする事すら出来ず……嗚咽を漏らしながら床に倒れ込み、身を丸めた。
「ふん、だらしのない奴め。まあ、お前が私に順々で有り続ければ、ガキ共に危害は加えないと約束しよう」
「……うぅ」
「──チッ。相変わらず使い物にならん。……おい、これを飲んでおけ。次こそ、貴様にやって貰わねばならない事もがある。私の指示でな。勝手に動く事は許さん。……いいか、次はないぞ?」
ローゼンディアスは吐き捨てる様に言うと、床に這いつくばっているシリスに向かって〝何かの錠剤〟を放り──
そのまま振り返る事もなく、部屋を後にした。
*
狭い部屋……。
いや、そこは部屋と言うよりは……まるで、納屋や小屋だ。
掃除が行き届いておらず、全体的に埃っぽい。
部屋の広さも『小部屋』と呼ぶに相応しいほどで、室内にはベッドと小さな机以外は何も置かれていなかった。
生活感などまるでない……本当に、『寝泊まりするだけの部屋』と言った様相だ。
──その小部屋の主は、嗚咽を漏らし、蹲ったまま動かない。
聖女シリス……。
彼女は何が悲しいのか……
とめどなく溢れ出る涙を拭う事なく、震える自身の身体を掻き抱いた。
「……神様……へドゥン様……お助け下さい。ワタシはどうなっても良いから、あの子達を……」
シリスが、この様な状態になる事は珍しくなく……ローゼンディアスが言った『ガキ共』の話が出ると、度々こう言った状態になってしまう。
ローゼンディアスは、シリスがこうなる事を分かっていて、自らの怒りをぶつける様に故意にその言葉を口に出していた。
「……うひぃ……ぐひ……はふ……」
シリスは嗚咽も漏らしすぎた余り、とうとう身体が痙攣し始めてしまい──
「──えぇ……何、この状態?」
そんなシリスの状態を見て、いつの間にかそこに立っていたのか……ある人物が、若干引き気味に呟いた。
そこに立っていたのは──
聖剣教会から、やっとの事で逃げ出したはずのミュン・リーリアスだった。
*
逃走してから一日と少し……ミュンは何とか『抜剣術』の冷却時間《クールタイム》が終わり──『レベル4』を使って再び聖剣教会に忍び込んだ。
……ローゼンディアスが、部屋から完全に立ち去るのを見届けてからの侵入であったため、この奇妙な状況を目の当たりにする事になった……。
普通なら、『レベル5』を使った後の冷却時間は4日程度……その事を考えれば、一日での回復は正に驚異的な早さ言えるだろう。
その冷却時間の短さも、ミュンの能力の〝副恩恵〟だった。
まあ、今までミュン自身にその自覚はなく、ローゼンディアスの説明があって初めて気付いた事なのだが……。
兎にも角にも……ミュンは貴重な『抜剣術』を使い、逃走したはずの聖剣教会内に再び戻っていた。
ローゼンディアスはおそらく、現在、冷却時間のために『抜剣術』を使用できないだろう。
なので、先ほどは黙って見過ごすのではなく、隙をついて『抜剣術』を使用すれば簡単に封殺できていたかもしれない……。
しかし、冷却時間中のローゼンディアスが何の対策も立てていないとは思えないし──彼女の〝運命を決定付ける副恩恵〟は、ミュンを飲み込んでしまう可能性が高い。
下手に手を出すと危険……と言うのもあるが、ミュンは二度の実質的な敗北を経て、ローゼンディアスに対して苦手意識の様なものが芽生えていた。
──悪い言い方をすれば、単純に『ビビっている』のだ……。
まあ、そもそも今回は『レベル4』を使ってまで忍び込んだのだ目的はローゼンディアスではなく、ミュンが用があるのは聖女シリスだ。
*
「……ぐほう……おえい……おおお……」
「……どうすれば良いんですかね、これ? 精神が安定するまで待った方が良いんですか??」
何とも雄々しい嗚咽を漏らしながら蹲るシリスに、ミュンは声をかける事が出来ずに困惑する。
『なぜ私に聞く? 私に分かる訳がなかろう……』
ミュンの肩に乗っていた、羽の生えた黒トカゲ──ラティアスも困った顔でそう返す。
困惑している二人……いや、一人と一匹を前に、シリスは突然──
──ガバッ!!
涙と涎……そして鼻水でグシャグシャになった顔を上げ、目を見開いて目の前にいるミュンを見た。
「……ア、アナタはー! ま、まさかー! 神様の──へドゥン様の使いですかぁー!?」
「違います」
ミュンは、そう言ったシリスの言葉を即座に否定した。
──実際、本当に違う。
シリスの突然の奇行に、ドン引きしているミュンだが……
それとは対照的に、ラティアスは鋭い視線をシリスに向ける。
『……へドゥンが神だと? やっぱりお前は──そうか、あの時感じた〝力〟は間違いではなかったのか……。私が弱体化しているせいで見誤っているかと思ったが……』
そして、ブツブツと独り言を呟き始めた。
「御使様! 助けてー!」
──ガバチョ!
「──ちょ!? き、汚い……」
いきなり──
シリスの『色々なモノで濡れた顔』が、ミュンの胸元にダイレクトアタックをかます。
突然の事で、咄嗟にシリスの顔を胸元から離そうとしたミュンだが……
「……」
鼻水がビローンと胸元から伸びて行き……それを見て無言で心底嫌そうな顔をした……。
『……おい、貴様』
そんなコミカルなシリスの様子を気にも止めず、ラティアスは鋭い視線ままでシリスを呼ぶ。
その時──
──シュルルル……
奇妙な音を立てながら──
「──え!?」
シリスの見た目が変化して行く。
それを見たミュンは驚いた声を上げるが、『そんな事は関係ない』と言わんばかりにシリスの変化は進んで行った。
『白銀』の髪は『漆黒』に……
『黄金色』だった瞳はルビーの様な『紅色』に……
それは、まるで──
『擬態していたな……。おい、ミミュ、そいつから離れろ……。そいつは『聖女』なんかではないぞ。そいつは──』
魔女──いや……
『『魔族』だ……。やはり、あの時感じたのは『魔力』だったか……』
魔族の王……。
『魔王』だった……。




