【セシリア・ヴィ・カーンズ(2)】
ローズは、初めて会った時から寡黙な人だった。
無駄口を叩かず、職務に徹底する……。
わたくしにはその時、ローズが救いの神に見えた。
わたくしが現在置かれている過酷な状況から、救い出してくれる神様……。
ローズとっては、〝わたくしを守る事〟が与えられた任務であったのかもしれないが──
その時のわたくしにはそう思えたのだ……。
*
「ああああああ!!! うでぇ!! 私じのウデェ!!」
ボタボタと溢れ出る血液……。
綺麗に切断されたジーナの右腕は、未だに切り取られた事に気が付いていないのか、ピクピクと痙攣気味に動き続けている。
止めどなく溢れ出る鮮血は、ただでさえ薄汚かった小部屋の床を真っ赤に染め……汚していく……。
想像を絶する痛み……。
そして腕を失ったショックから、ジーナは半狂乱になって叫び──床を這いずる。
そして、床に落ちた腕を拾い上げ、切断面にグイグイ押し付けた。
そんな事をしても、腕が元通りにくっ付く訳がないのに……ジーナは正常な判断を失っているのだ。
せめて、気を失うことができれば楽だったろうが……。
ジーナは正気を失いながらも、ハッキリと意識を保ち、懸命に失った腕をくっ付けようと努力していた。
「──誰かいないのか!」
そんなジーナの一所懸命な姿になど見向きもせず、腕を切り落とした張本人──王宮剣士のローズは声を上げる。
──腕を切り落としたであろうサブウェポンは、既に鞘に収められ……いや、私の目には、ローズがサブウェポンを抜いた瞬間すら捉えることが出来なかった。
目にも留まらぬ早業……。
「──は、はい! ジーナ様、何事で──ひぃ!?」
ローズの呼びかけに答え……おそらく、廊下で待機していたであろうメイドが数名、ドアを開けて部屋に入ってくる。
呼びかけた相手が、自分たちの上司であるジーナだと思ったのだろう……。
嬉々とした顔で扉を開け──そして、目の前の光景を見て絶句……恐怖の悲鳴を上げた。
このメイドたちは、いつもジーナと共にわたくしに嫌がらせをし、楽しんでいる者たちだ。
……今日もその〝楽しみ〟に呼ばれたと勘違いしたのだろう。
──ジーナの上げた悲鳴を、わたくしのモノだと勘違いしたに違いない……。
「ジ、ジーナ様! あぁ……こ、これは一体……」
目の前でのたうち回るジーナを見て、メイドたちは恐怖に震え、駆け寄って救護する事も出来ない様子だ。
ただ身を震わせ、ローズとわたくしの顔を交互に見ているだけ……。
「お前たちは王宮のメイドだな? コイツをさっさと部屋から引き摺り出せ。セシリア様のお目汚しになるからな」
ローズはそう言って、スッと目を細め、メイドたちに鋭い視線を向ける。
メイドたちも、最初は戸惑った様子を見せていたが──
「は、はい……! す、すぐに、つ、連れて行きます!」
ローズが着ている〝王宮剣士の制服〟を見て、彼女がどう言う立場の人物なのか理解した様子で……すぐに行動を開始した。
──ローズが放つ威圧的な視線から、言う通りにしなければ『ジーナと同じ目に合う』と悟ったのだ。
「あぁぁぁぁがぁぁぁ!!! ゆ、許ざない! ご、国王ざまに……言いづげでや……る!」
メイドたちに伴われ、引き摺られる様に退室して行くジーナ。
捨て台詞を吐いていたが……ジーナは父の寵愛を受けるメイドの一人だ……この後の事を考えると──わたくしは恐ろしくなる。
父の大切な〝愛妾〟を傷付けたのだ。
父の怒りの矛先が向くのは……王宮剣士のローズではなく……間違いなく、わたくしだろう。
「おい、待て」
そんなわたくしの考えを知ってか知らずか、ローズは部屋を出て行こうとするメイドを一人呼び止める。
「は、はひぃ!?」
そのメイドは、ローズに対して完全に恐怖し、震え上がっていたが──律儀に足を止めて上擦った声で返事を返した。
「──この部屋は汚れてしまったな……。セシリア様が使うにそぐわない。セシリア様のには、この宮の最も質の良い部屋に移動して頂く。すぐに用意しろ」
「……あ、あの……け、剣士様……。この宮──薔薇の宮殿のさ、最上級の部屋……『薔薇の間』は……こ、国王陛下の、ゆ、許しがなければ空けられません……」
ローズの放つ圧力に身を震わせながらも、そのメイドはローズの意見に弱々しく反発する。
ローズは恐ろしいが、国王の命に逆らう事など出来ないのだろう……。
「ほう……それはおかしいな。私が先ほど確認したところ──その『薔薇の間』とやらには〝先客〟がある様だが? この宮殿の主人であるはずのセシリア様が使用していないのに……なぜ部屋が解放されているのだ?」
「あ……。そ、それは……ジ、ジーナ様が……。あのお方は……へ、陛下の寵愛を受けておられますから……」
メイドがそう口にした瞬間──
ガッ!!
「──ひぃ! ──うぐぅ……げぇ」
ローズの右腕がメイドの胸元を引っ掴み、そのまま上へと持ち上げた。
メイドの身体が宙に浮き、宙吊りの様な形になる。
女性とは言え、メイドは立派な成人女性だ。
対するローズは長身と言えど、わたくしと同い年くらいの少女……。
しかし、メイドの身体を、片手で軽々と持ち上げるローズの様は……単純な力ですら、常人を大きく逸脱しいる様であり──
メイドにとって、恐怖の対象でしかなかった。
「たかだか、平民出身のメイド風情を……〝あのお方〟だと? 貴様らはセシリア様に仕えるメイドだろう? 口の聞き方すらマトモに知らないのか?」
ローズは、メイドの首元を締め付ける様に、掴んだ襟を強く握って絞り込む。
「──ぐぇ」
蛙が潰れたような声を出しながら、メイドはバタバタと手足を動かし、ローズの手から逃れようとする。
しかし、全身を捩るようにして暴れてみるも、ローズの身体はビクともしなかった……。
「──あの下賎なメイドを『薔薇の間』から叩き出し、すぐさまセシリア様がお入りになれるよう準備するのだ。奴の部屋はここへ移動させ……そして、自分の立場を分からせろ。私はセシリア様の護衛騎士……。この宮の管理を国王陛下から一任されている」
──グイッ
ローズはメイドを自分の下へと引き寄せ、低い声で続けた。
「私に逆らうと言うことは、国王陛下に逆らうも同義……。これ以上囀ると言うなら、その首をへし折るぞ?」
「は……ひぃ……」
首を締め上げられたメイドは、満足に返事も返すことが出来ず、呻き声を上げながら弱々し頷く。
ローズは、そのの返事を聞き──
ドサッ──……
メイドの胸ぐらから手を離し、床に投げ捨てる様に放った。
「──いぎぃ……びぃいい!!」
ローズの手から解放されたメイドは、喉が潰れてしまったのか、濁った様なガラガラ声で悲鳴を上げる。
──このメイドは、ジーナと同じ様にわたくしを虐めていた内の一人だ……。
正直、良い気味だと思ったが──
ローズがわたくしを助けてくれた理由が分からない……。
父に命じられて、わたくしの護衛になった言うなら、ジーナたちと同じ様に行動してもおかしくないのに……。
……なぜなら、わたくしはこの城の中で唯一、迫害しても咎を受けない存在……。
『ストレスの捌け口がお似合いだ』と、両親に……いや、平民出身のメイドにすら、そう思われている存在なのだから……。
「……あ、あの……? ローズ卿……?」
わたくしは、ローズに向かって恐る恐る話しかける。
助けてもらった例を言わなくては……。
ローズの行動にどんな理由があったにせよ、助けてもらった事は事実だ。
──いきなり腕を切り落とした事は、驚いたし、恐ろしいと思ったが……それよりも、『この人が自分を救ってくれるかもしれない』という期待感の方が大きかった。
わたくしのそんな心の声を知ってか知らずか……ローズはわたくしに向かって恭しく頭を下げ──
「正式なご挨拶がお受けまして、申し訳ありません。私はローズ……国王陛下の命により、セシリア様の婚姻が成るまでの間、護衛を務める事となりました。以後、お見知り置きを。私の命ある限り、あらゆる危険、厄事からお守りする事を誓います。……あ、ですが、一つ訂正を。私は未だ〝卿〟ではありません。今は爵位を持たぬ──ただの護衛剣士です」
丁寧に自己紹介をし、最後の方には冗談を少しだけ交えて軽く微笑んだ。
……動揺するわたくしを気遣ってくれたのだろう……。
こんな……役立たずの私のために……。
この人を──ローズを信じて良いのだろうか?
できれば……信じたい。
初めてわたくしを気遣ってくれた人だから……。
でも、父の命とはどう言う事なのだろう?
それだけが分からない。
父は、わたくしを……『下級聖剣』として生まれてしまったわたくしを、〝役立たず〟だと言って見放していたはずだ。
『お前は政略結婚のための道具だ』と、はっきりと言われた事もある。
──コンコン……
考えが纏まらず、ローズの挨拶に対してろくに返事も出来ずにいると──
遠慮がちにドアがノックされる。
ドアは開いてたままなので──何者かが、開いたままのドアをノックした様だ。
──ノックの主は、王城のメイド頭……。
下級ではあるが、貴族家出身のれっきとした王国の従者だ。
〝父の寵愛を受けている〟と言うだけの理由で、今の地位についているジーナとは格の違う人物。
この『薔薇の宮殿』を、ほとんど出たことのないわたくしは、話した事もないような相手だった。
「セシリア様……。剣士様……。国王陛下がお呼びです……」
わたくしがいつまでも入室を許可しなかったため、メイド頭は不機嫌そうに、廊下に立ったままでそう告げた。
ジーナの事が、早くも父の耳に入ったのだろう……。
父の思惑……。
わたくしの、先ほどの疑問は──
すぐに判明する事となる……。
せめて、ローズだけでも咎を受けないようにしなければ……。
*
「国王ざま……王妃ざま……お助げぐだざいぃ……」
父に呼び出されたわたくしとローズは、父がプライベートでよく使う応接室を訪れていた。
ジーナが、泣きながら父に縋り付いている様子を見るに、やはりその事で呼び出されたのだろう。
──豪奢な飾り付けが施された、煌びやかな部屋……。
父の隣には、この部屋に負けないくらいに豪華に着飾った母も居る。
……ジーナと会う時はこんな部屋なのね。
わたくしと会う時は、いつも王座の間だと言うのに……。
どこまで行っても、わたくしは〝外様〟扱いなのだろう。
「ご、ごの……ろ、ろーずど言う……王宮剣士が……私の……私の……腕をォォ」
失われた右腕に包帯を巻き、ジーナは涙ながらに父に訴える。
──流石に腕はくっ付かなかった様だが、しっかりと治療は施されたらしい。
「ほう……。それは、本当の事なのか? セシリアの護衛を命じて早々、問題を起こしたのか、ローズ?」
ジーナの報告を受けた父は、ギロリとローズを睨み付ける。
──父は、予め報告を受け、すでにローズの行いを知っているはずだ。
……白々しい。
「……あの、お父さま──」
わたくしが、ローズの行いについて弁明しようと前に出ようとすると──
ローズが右手を「スッ」と出し、それを静止する。
そして、戸惑っているわたくしに向かって、優しく笑いかけると──
「この者は、あろう事か自分の不甲斐なさをセシリア様の責任にし、そのお顔を平手打ちしたのです。腕一本で済んだだけでも有り難いと思って頂かなければ」
なんの悪びれもなく、言った……。
──なぜ?
ジーナは父の〝お気に入り〟だ。
逆に、わたくしは役立たずの──〝お飾り姫〟……。
わたくしを庇う様な事を言えば、父を敵に回してしまうかも知れないのに……。
──この人は……なぜ?
わたくしの心配を他所に、父は──
「おお、流石はローズだ。私の命──『セシリアの護衛剣士』と言う職務を立派に果たした様だな。お前を〝セシリアの教育係〟とした私の判断は正しかった」
などと言い出した。
「……え……国王ざま……な、なぜ……?」
ジーナは、困惑した様子で父に問う。
泣き叫びすぎた所為なのか、ジーナの声は枯れてしまってガラガラだ。
──わたくし自身も、父の発言の意味が分からなかった。
「なぜだと? お前は利己的な理由でセシリアの頰を張ったのだろう? 王族への不敬は本来『死罪』だ。お前は〝元〟私のお気に入りだからな……その程度で済ませてやろう」
──やはり、この人は……。
どういう風の吹き回しか……突然、わたくしを〝王族〟扱いし始めた。
無論、ジーナは反論し──
「そでば……教育ぐ……係がりのぉ……役め……。国王ざまが……任命じでぐだざっだ……でば……ありまぜんが……。『正しく教育せよ』ど……」
涙ながらに語る。
しかし、父は……すでに興味をなくしたオモチャを見つめる子どもの様に……ジーナに冷たい視線を送った。
「いやいや、何を言っているんだ? 君にセシリアの教育を頼んだのは昨日の話ではないか。ベッドの上での話をここに持ち出されてもな……。今は事情が変わった。セシリアは大事な大事な〝贈り物〟なのだから、傷物にしては──ましてや顔に傷を付けてはならんだろう?」
「な、なぜ……ぞのような……?」
「ローズからの進言でな。確かに、キズモノをサリア公爵に贈る訳にはいかん」
……やはり、まともな理由ではなかった。
わたくしは、どこまで行っても、ただの政略結婚のための道具……。
でも、ローズもそう考えているのかしら?
父にそう進言したと言う事は……やはり……?
「わ、わだじを……愛じでいるど……言っでぐれだでば……ないでずが……。お世継ぎば……お前にまがぜるど……」
……父は、そんな事までジーナに期待していたらしい。
出来損ない──王家に生まれたにも関わらず、『下級聖剣』だったわたくしを見限り、ジーナに世継ぎを産ませるつもりだったのだ。
──いや、ジーナだけではない。
後で分かった事だが……父は、貴族や平民など、立場や地位など度外視で……容姿に優れたものだけを集め、世継ぎを産ませるつもだったらしい。
ジーナ以外の〝お気に入り〟が何人もいたのだ……。
容姿が優れたものを選抜すれば、仮にその子供が〝出来損ない〟だった場合でも──『最低限の使い道』があると考えての事。
……わたくしがそうであった様に。
ただ、父は元来〝精の薄い人間〟だったらしく……実績は伴っていない様子であったが……。
兎に角、そんな外道な発想で〝お気に入り〟を選抜していた父である。
その父に選ばれたローズも……
「はっはは。このローズは『皇級聖剣』だ。その血があれば、さぞ立派な世継ぎが産まれる事だろう。まだ幼いが、後数年もすれば年頃になる。そうなった時に私の妻として娶るつもりだ。──つまり、お前はもう〝用無し〟なのだよ。今までご苦労だったな……十分な金を渡してやるから、さっさとこの城を去るが良い」
──また、父のお気に入りなのだ……。
ローズを愛妾に?
この、気高くも心優しいローズを?
わたくしのために──わたくしのためだけを思って行動してくれたローズを?
ローズは嫌ではないの?
父の発言に、なぜか憂鬱つな気持ちになり、チラリとローズの方に視線を向けると……。
ローズは一瞬だけ……苦虫を噛み潰した様な表情を見せた。
あの顔は……何か、父に逆らえない弱味でも握られているの?
しかし、わたくしの視線から、そこに込められた意味を感じ取ったのか……ローズはわたくしに向かってニッコリと微笑みかけたのだ。
──まさか、私のために?
「い、いや……ぞんなの……。お、王妃ざまは……ぞ、ぞれで……よ、良いのでずが……?」
父から色よい返事がなかった事から、ジーナは矛先を母──王妃に向けた様だ。
母の嫉妬心を煽り、ローズの存在を否定したいらしい。
ローズを否定し……わたくしの世話係に返り咲こうと──自分の〝愛妾〟という存在を棚に上げて……。
しかし、わたくしは知っている。
母はその様な……夫に嫉妬する様な人間ではない。
母は──
「ほほほ、妾は構わんよ? 妾は王妃として贅沢な暮らしができれば文句は言わん。恋愛や色事の在り方は夫婦それぞれだ。我が夫がどれだけ愛妾を抱え、それが世継ぎを産もうが好きにすれば良い。妾は今の生活が守られるなら、後世がどうなろうが知ったことではないのだよ。でなければ、夫の愛妾であるお前を重用する訳がなかろう?」
……そう言う人間なのだ。
王妃として、王の子供を儲け──それが〝出来損ない〟だと判断されても、『義務は果たした』と開き直っている。
かつて、『社交界の華』と呼ばれた母は、その美しい容姿で多くの男性を虜にし──いや、今も虜にし続けていた。
社交界での顔を何よりも重視し、男性を侍らせて優越感を得る事を至極と考える……そう言う人間なのだ。
下劣な思想の父が国主で、それを支える役目を担っているはずの母もそんな人間……。
──聖王国は崩壊しかけていた。
だが、この一件を機に、ジーナを始めとするわたくしを虐げていた者たちは一掃され、生活は大きく変わった。
──嫁ぐまでの仮初の時間だとしても……確かに、変わったのだ。
ローズが来た事で……。
ローズのおかげで……。
でも……ローズが置かれた立場……。
父の〝愛妾〟と言うローズの立場だけが……。
いつまでも、わたくしの心の奥底に引っ掛かり……。
抜けない棘の様に、刺さり続けていたのだ……。