【8】聖女シリス
「さあ、民衆よ……。聖女シリス様の奇跡をその目に焼き付けなさい……」
ゆったりとした神官服に身を包んだ初老の男が、両手を広げて天を仰ぐ。
男の前──壇場の下には、『聖女シリスの奇跡』を見ようと多くの民衆が詰めかけていた。
時刻は早朝……ミュンが目覚めてから一夜が明けた。
──ここは、聖王国首都シルラントの中心にある建物……祈りの儀式などが行われる『大聖堂』と呼ばれる場所で、聖剣教会の施設内だ。
木製の壁の至る所に、美しい模様のステンドグラスが嵌め込まれており、外の光を取り込んで大聖堂全体がキラキラ輝いている。
『大聖堂』の広さは、大きめの屋敷の大広間くらいはありそうで──全体の七割ほどを占める木製の座席には、200人は優に座れるほどのスペースが用意されていた。
座席の前には一段高い位置に壇場があり、そこには数人の神官らしき男たちが控えている。
壇場の中心ある〝木製の寝台〟を前にして、演説をぶった初老の神官……そして、聖女シリスが民衆に向かって手を振っていた。
──木製の寝台には、10歳くらいだろうか……未だ幼さ残る小柄な少女が横たわっており、胸辺りに鞘に収められた剣が置かれている。
あの剣は、おそらく聖剣だ……。
ボロボロの服を纏っている様から、その少女は、決して身分の高い人間ではないのだろう。
〝寝台の少女〟は聖剣を胸に抱き、青白い顔で死んだ様に眠る……。
しかし、その胸がわずかに上下している様子から、少女が死亡している訳ではない事は分かった。
──これから何が行われると言うのか。
大聖堂に集まった人々は皆、興奮した様子で少女が眠る寝台──そして聖女シリスを見ている……。
興奮──
熱狂──
そして、狂信──
人々が発する空気感は、『粛清』の際に感じたモノに似ているが……熱量はその時の比ではなかった。
誰もが叫び出したい衝動を我慢し、熱に浮かされた様な表情で、壇場に熱い視線を送っていた。
これが、聖剣教会で行われる〝神聖で厳かな儀式〟であると、誰もが理解しているのであろう……。
無駄口を叩くものは皆無で、皆、静かに〝儀式〟の進行を見守っている。
「この少女は、聖剣を持つ者にとっての不治の病……〝剣耗症〟を患っている。聖剣の輝きが徐々に失われて行き──最終的には聖剣と共に魂まで摩耗し……死に至ると言う恐ろしい病気だ。重病の上、身分の低さも相まって、親に捨てられた哀れな子供……」
そう、高らかに演説をぶっている神官は、周辺で待機している者たちよりも豪奢な法衣を着用しており……それが、その神官の位の高さを表していた。
高位の神官は、不治の病を患っていると説明された少女を見下ろし、悲しげに顔を歪める。
傍から見れば、成程、何とも慈悲深い人物に見えるだろう……。
「……高位の神官様、か。あれじゃあ、物臭のノリス様の方が余程マシね。性格の悪さが表情に滲み出てるわ」
信心深い瞳で壇場を見上げる群衆の中に、神官の人柄を侮辱する発言をした者がいた。
この場の空気を読まない発言は、群衆の注目を集め、吊し上げられてもおかしくないのだが……
発言者である、フード付きのローブを羽織った少女──ミュン・リーリアスの発言を気にしている者はいない。
それどころか、誰もミュンの発言など聞こえなかったかの様に無視していた。
シンッと、静まり返った群衆の中にあってもだ……。
「やっぱり凄いですね……このローブ。わざと高位神官の悪口を言ったのに、誰も──気付いてすらいないなんて」
『まあ、な。それは主人殿の協力者──プラム・シーザリオンの傑作だからな。見たところ〝試作品〟の様だが、効果の程は確かだろう』
ローブに施された『認識阻害』の効果の程を確かめ、ミュンは感嘆した様に呟く。
ミュンの言う通り、ローブの『認識阻害』は声音にも及ぶらしく──さらに、ローブの中に潜り込んでいるラティアスの声にすら効果を表していた。
──これならば、余程の大声を出さなければ周囲に気付かれもしないだろう。
ローブの有用さに舌を巻いていたミュンであったが、ラティアスの先ほどの言葉を聞き、何故かピタリと固まって動かなくなってしまった。
「……あの? プラム・シーザリオンって、あのプラムですか? 一年前の『魔物討伐遠征』から帰って来てからと言うもの、用もないのにユランくんにベタベタベタベタベタベタベタベタベタベタベタベタベタベタベタベタベタベタ引っ付いて回っている……ストーカーのプラム・アーヴァイン?」
『……そこについてはお前も大差ないだろうが……。まあ、そのプラムだ。神聖力を秘めた道具──神聖具を制作する際に使う名がシーザリオンだそうだ。と言うか、そのローブの裏地に書いてあっただろう? あの子はそっち方面の才能が明るいらしく、主人殿が色々と支援していたぞ?』
「ローブの裏地タグは掠れて読めなかったでしょう! 名前が変わってたら分かるはずありません! せめて、プラム・ストーカーとでも改名してれば分かったのに! え? ユランくんは何を支援したの? 支援(意味深)って事??」
『おい、落ち着け! 声がだんだん大きくなってるぞ!』
突っ込んだラティアスも人の事は言えないが……。
確かに、ミュンたちの会話は聞こえていないまでも、違和感に気付く者たちが出始めていた。
ミュンとラティアスは、お互いに「しーっ」とジェスチャーをして声を落とす。
「兎に角……私の知らないところでそんな事になってたなんて……。プラムの事なんて毛筋ほども興味がなかったから気付かなかった……うぇん」
『お前は……。主人殿以外の事にも少しは興味を持て』
ミュンたちが、そんなどうでも良い会話をしている最中にも壇上の儀式は進んでいく。
「聖女シリス様の奇跡を見よ! 聖女様の癒しの力は、不治の病すら癒すのだ! さあ、皆立ち上がり聖女様の祝福を賛美せよ!」
高位神官のその声を合図に、今まで静かに見守っていた群衆は総出で立ち上がり──
『解禁された!』と言わんばかりに、声が高らかに叫び始めた。
「癒しを!」「癒しを!」「癒しを!」
「祝福を!」「祝福を!」「祝福を!」
「奇跡を!」「奇跡を!」「奇跡を!」
皆、口々に叫ぶ。
「うっさ! 近くで聞くとただただ五月蝿い!」
耳を劈く様な叫び声に、ミュンは思わず両耳を塞ぐ。
『粛清』の時に比べ、嫌な空気ではないが──
セシリアの話を聞く限りでは、聖女もマトモではないのだろうから……この儀式にも何か裏がありそうだ。
『粛清』と銘打って、聖王国にとっての邪魔者を始末し──それを正当化する……。
この国では、そんな事が罷り通っているのだから……。
コッ……コッ……コッ……
民衆の声を受け、聖女シリスが前に出る。
──驚くほどの無表情。
ミュンは、聖女シリスを初めて見た時から思っていたが……聖女は、何が起こっても表情を変えない。
子供が、目の前で『粛清』されようとしていても──
突如として、目の前に敵が乱入してきても──
まるで表情が動かないのだ。
それは、そう……まるで感情を無くしてしまった人形の様に……。
聖女が立てる靴音が、ミュンの耳にやけに大きく聞こえる様だった……。
*
ミュンは考える。
今は良い。
セシリアに(無理矢理)借り受けたローブの効果のおかげで、周りに存在は気付かれていない。
しかし、この儀式が『粛清』に類似するものだとしたら……黙って見ていられるだろうか?
年端も行かない少女が、無理矢理命を奪われようとしていたら……?
──幸いな事に、壇場にはローゼンディアスの姿はなく……ミュンの『抜剣術』のクールタイムも終わっている。
……いや、幸いな事など──聖女がここにいる限りは何もないだろう。
戦闘を主としない『聖人』であるが……膨大な神聖力を持ち、時には『神の時代の武器』すら召喚できる力を持った存在だ。
その力は少なく見積もっても『皇級』を裕に超え──『神級』に迫る勢い……。
──勝てるはずがない。
(と言うよりも、勝負にすらならないでしょうね……。セシリア王女──こんなのを相手にしろって? 冗談キツイわ……)
この儀式が『粛清』に類するものであったとしても、止めに入り──前回の様に乱入したところで上手くは行かないはずだ。
前回はたまたま運が良く、結果的に展開がミュンに都合の良い方に転がっただけ……。
前回とて、聖女シリスが戦いに介入していれば……即座に敗北していたであろう。
(セシリア王女の願い……。拒否する事も出来るけど……それをしたところで、ね……。救援も呼べない、首都から出られない……となれば、協力した方が無難しら?)
ミュンはそんな風に考えを巡らせながら、ラティアスとの会話を思い出していた。
ミュンが、セシリアの願いを聞き入れるべきか悩み、決めあぐねており……
取り敢えず、現在の首都の様子を確認しようと──隠れ家を出て、街に行く途中でラティアスと交わした会話だ。
*
「──結界、ですか?」
『そうだ。お前が人間の子供を助けたすぐ後くらいからだな。この首都の街全体に張られている』
「……首都全体にって……。その〝結界〟にはどんな効果が?」
『張られた後に色々試して見たが、先ずは『外部との通信の遮断』。念話なども飛ばせないし、受け取る事も出来なくなっていた。そして、何よりも厄介なのが、『外部との直接的な接触行為の遮断』だ。簡単に言えば──結界から物理的に出られなくなってしまったと言う訳だな』
「ええ!? じゃあ、逃げる事も出来なくなったって事ですか? それに、念話も飛ばせないって事は──」
『完全に外と隔離されたな……。明らかに、『邪教徒』認定されたお前を狙い撃ちして張ったのだろう。本体との念話すら遮断された。せめて、一割程度の力さえ出せれば強制的に破壊できたのに』
「……つまり、助けは呼べないって事ですね」
『それに関しては、本体と今の分身体の私はリンクを切り離されて──別個体の様な扱いになっている。リンクが途切れた事に本体が気が付けば良いが……まあ無理だろうな。これだけ弱い分身体だし、実際いつそうなってもおかしくなかった。リンクが途切れたとしても些事として扱われるだろう……。万が一、本体が異変に気付いたとしても、精々が新たな分身を送り込む程度の事しかしないだろうし……その分身体が結界内に入ってしまえば結果は同じ事だからな』
「確かに、無駄に『喋るだけ』のラティアス様が二人に増えても意味ないですからね」
『……もう少しオブラートに包んで話せんのかお前は。──この〝結界〟の厄介な点は、中に入る分にはすんなり入れるところだ。助けが来たとしても、余程の強者でなければ取り込まれてそれまで。結界内から出ようとする者にだけ極度の制限がかかる仕組み……○○○○ホイホイの様なものだな』
「オブラート? ○○○○ホイホイ?」
『……古代語だ。まあ、兎に角──こんな大規模な結界を張れるのは……正に『聖女』の仕業か、或いは強力なアイテムの類だろう。原因となっているであろう、そのどちらかを『打倒』、若しくは『破壊』しなければ首都から出られない。相手は本気でお前を『粛清』するつもりの様だな』
「アイテムだったとしたら、護っているのはローゼンディアスか聖女シリスか……」
『一番の問題は、その原因がどちらにあるか正確に判断できない事だ。私はそう言う〝探り事〟は得意ではないし、そこに関しては本体であろうと同じ……。注意深く観察してお前自身が〝原因〟を探すしかないだろう……』
「分かったところで……ですよね? 詰んでません? それ……」
*
ラティアスと交わした会話では、首都から出るためには〝結界〟を解くしかないらしい。
この結界が、ミュン自身やその周辺の者にだけ及ぶのか、それとも結界の中にいる者全てに及ぶのか……その答えは──
『個々を認識できる結界など、いくら聖女や希少アイテムでもそうそう作り出せるモノではないはず』
ラティアス曰くそう言う事らしいので、今この首都シルラントは、首都自体が外界から完全に隔離された状態だった。
──首都内の人間が、外に出られなくても問題ないと考えているのか……
ローゼンディアスや聖女シリスに対して、『狂信的』な信仰心を見せる民衆なのだから……彼女らに命じられれば、喜んで首都に引き篭もるだろう。
ただ、そうなれば物資の調達なども物理的に不可能になる訳だが……まあ、そんな影響など出ない程度に〝早期に解決する〟と考えているのだ。
──完全に舐められている。
唯一、幸いだったと言えるのは、この結界が〝閉じ込める事〟を目的として張られている事だ。
『神聖術』や『抜剣術』の阻害……『能力の低下』などの特殊な効果は無い。
──『だからと言って何だ』と言う話なのだが……ミュンにとっては、『抜剣術』を封じられていないだけでも幾分かマシな方だろう。
最悪、『静止する世界』で逃亡だけは可能なのだから……。
*
そんなこんなで、ミュンは首都の街に出て早々、聖女に張り付いて色々と探ろうとしている訳だ。
街に出てみれば、
『聖女様の奇跡が見られるぞ!』
などと街人たちが騒いでいたため、そのまま群衆に紛れて、その〝聖女の奇跡〟とやらを拝みに来ていた。
だが、その奇跡が『粛清』と同種のものなら……。
ミュンは、寝台に横たわった少女に近付いていく聖女シリスを見据え、サブウェポンに手を掛ける。
『あのさぁ、ミュンくん君さぁ、さっきまでの葛藤は何だったわけぇ? 長々と考えを巡らせた挙句、やる事は変わんないのぉ? ──今度こそ助からないぞ? 聖女が相手だとするなら、『4星』を使っても逃げられんだろう』
「だから、考えを読まないでくださいって。性分だから仕方ないんです。馬鹿なんです私」
ラティアスの、揶揄う様な……そして、威圧感たっぷりの言葉に対し、ミュンはそう答える。
自棄っぱちになっている様にも聞こえるが……。
ミュン自身は、『抜剣術』が使えると言う一点から、『無理』だと言い切るラティアスとは違い、
『最悪、逃げるだけなら聖女を出し抜ける』
などと考えていたのかもしれない……。
『……そこに関しては、私も大差ないし、お前を責められんが──その必要はない様だぞ?』
ラティアスが、ミュンの反応に呆れた様にため息を吐き、そんな事を言い出した。
「……はあ?」
ラティアスの発言の意味が分からず、ミュンが間の抜けた声を上げる中──
『──修復──』
聖女シリスは『リペア』を唱え、右手を少女に向かって翳した。
──相変わらず、聖女の表情に変化はない。
人形の様に冷たい目……。
ミュンは、聖女の声を初めて聴いたが……表情と同じく、感情の色が一切感じられない冷たい声色で──
しかし、それでいて鈴を転がした様な、とても澄んだ美しい声だと感じていた。
(……癒してる? 『粛清』ではなく?)
『リペア』を唱えた瞬間──聖女シリスの右手から〝淡い緑色の光〟が放たれ……
その緑の光が、寝台に横たわる少女を包み込む。
──やがて光は、少女が胸に抱えていた聖剣に飲み込まれていき……
光が収まる頃には、青白かった少女の肌は生気が戻った様に赤みが差していた。
「見たであろう! 敬虔な信徒たちよ! この少女の病──死は聖女様の手によって祓われた!!」
なるほど、確かに少女の肌に正気が戻った。
今の少女の状態を見れば……聖女の力で持ち直したのは間違いないのだろう。
だが、聖女が使った『リペア』を見たミュンは……その力に強烈な違和感を覚えた。
「違う……。神聖術じゃない」
見ただけで、人の特技や神聖術をある程度は〝模倣〟出来てしまうミュンが──いや、『回復術』の才能がなく、何度も練習したミュンだから分かる……。
「あれは……『特技』みたいなもの……。そんな強力な『特技』持ちって……。やっぱり本物の聖女……」
『特技』とは……神聖力などに頼らない、その者が持つ独自の力だ。
ユランやミュンが使う『アクセル』や、『抜剣術』のレベル4以降から現れる〝特殊効果〟もこれに部類される。
『抜剣術』も用いず……そして、神聖術も使わずに、聖女シリスはその『特技』で当たり前の様に奇跡を起こした。
こんな事が出来るのは──
やはり、聖剣を体内に宿した聖女か、それとも……。
そもそもの話、『修復』の神聖術に病を癒す効果など無い。
『修復』は、あくまで外傷を回復させる神聖術……
体力を回復させる『回復』などもあるが、それでも不可能……。
回復術で病は治せないのだ。
そのために医者がいる訳だし、薬があるのだから……。
「シリス様!」「シリス様!」「シリス様!」
聖女の奇跡を目の当たりにし、民衆はそれを拝見出来た事に歓喜し、聖女シリスの名前を叫ぶ。
神聖術でも不可能な──
奇跡にも近い現象を体現させる『特技』を持つ聖女──
シリス……。
シリスは、未だに無表情で、冷たい……冷め切った瞳で少女を見下ろしている。
ボロボロの服を着た、身分の低い少女をだ……。
『無剣』──『邪教徒』ではないにしろ、助けたところで、聖剣協会や聖女自身に大したメリットはないだろう。
──人々に奇跡を見せるため?
──求心力を強固にするために?
どちらもあり得そうな話だが、聖女シリスは──
「え……?」
ミュンは、それを見て思わず声を上げてしまう。
──チラリと見えただけだし、一瞬だったため、本当に唯の勘違いかもしれない……。
しかし……。
少女の回復を確認した聖女シリスが──
安堵して、一瞬だけ微笑んだ様に見えた。
その笑顔を目にしたミュンは……聖女の事がますます分からなくなってしまった……。