【7】戦いの後に……
「おお! 素晴らしい! この子の聖剣は『皇級聖剣』です!」
その一言から、ローズの人生の第一歩が始まった……。
父親は『下級聖剣』の貧しい農夫。
母親も同じ『下級聖剣』で農夫の妻。
幼い弟が一人。
ローズは貧しいながらも、優しい父親と、穏やかな性格の母親に囲まれて幸せな生活を送っていた。
父や母……幼い弟に贅沢な暮らしをさせてあげたい……。
優しい性格の父親に似たのか、心優しいローズはいつもそんな事を考えていた。
『皇級聖剣』……。
その聖剣を与えられた事は、ローズにとってまたとないチャンスだ。
──自分ならば貴族……いや、国主にだってなれる。
そうすれば、家族をもっと幸せに出来るだろう。
『最近、身体の節々が痛む……』と嘆いていた父を、肉体労働から解放出来る……。
貧しさに耐えかね、家族を置いて家を出ようとしていた母を引き留められる……。
病気がちな幼い弟にだって、質の良い薬を買える……栄養のある食べ物を食べさせてあげられる……。
ローズの人生の第一歩は、やはりそこから始まったのだ。
父も『下級聖剣』……。
母も『下級聖剣』……。
『下級』と『下級』から『皇級』が産まれるなんて……母の不貞行為の結果で出来た子供なのでは?
……そう言う陰口を何度も叩かれた。
別にどうでも良い。
どうせ唯の嫉妬だ……。
ローズは、周りの声に流されず、自分が信じた道を進む決心をした。
聖王国アカデミーに通い、卒業して──ゆくゆくは王宮剣士になる。
今の王家は世襲制……いくらローズが『皇級聖剣』であったとしても、この国では国主の地位など望めるものではないだろう。
ならば、それに次ぐ権力を持つ人間になってやる。
先ずは、聖王国を守護する王宮剣士……。
そして、いずれは──
ローズはそういう決意の下、聖王国アカデミーに入学した。
その時のローズは、未だ10歳……聖剣を与えられたばかりの頃であった。
聖王国の良いところは、『優秀な者は年齢に関係なくアカデミーに入学出来る』と言う特例がある事だ。
他所の国とは違う。
『優秀な人材は早い内から教育し、有能な人物に育て上げる』
そういう事を信条にしている国だ……。
『身体が出来ていない内からアカデミーに通わせ、厳しい訓練を課すなどと……。聖王国は何を考えているのか……』
他国の貴族が、そう言って聖王国のやり方を非難した。
──関係ない。
ローズは早く偉くなり、家族に楽をさせたいのだ。
『自分で物事を正確に判断出来なないような幼子に、アカデミーの教育を施すのか……。カリキュラムの中には、軍事的観点に基づいた訓練などもあるだろう。偏った思想を持った子に成長する可能性も……』
などと言って、聖王国アカデミーの在り方すら否定しようとする者もいた。
──知った事じゃない。
自分の中の正義をしっかり持っていれば、偏った思想に気触れる事もないだろう。
ローズは、家族のために心身共に強くなろうとしている。
家族のために──それがローズの正義だ。
それをしっかり自覚していれば……ローズはどこまでも強くなれる。
ローズは、自分の中の正義が……次第に強くなって行くのを感じた。
アカデミーで学び──
戦を知り──
知識を得た……。
そして、アカデミーを三年で卒業し……13歳になった時、ローズは念願だった王宮剣士になる。
『皇級聖剣』のローズであっても、下っ端からのスタートだったが、待遇は悪くなかった。
周りは皆『貴級聖剣』であったが、摩擦もなく、人間関係も上手くいっていた。
元来、優しい性格であったローズの周りには、争い事など起こる気配もなかったのだ。
ローズは、王宮剣士になった事で貴族となり、爵位も与えられた。
父は農夫を辞め、悠々自適な生活を送る事が出来るようになり……。
母は家族を置いて出掛ける事もなくなって、贅沢な暮らしを満喫するようになり……。
幼い弟は、健康で丈夫な子供に成長した……。
ローズにとっては、家族が全てだ。
一人も欠ける事は許されない。
それがローズの正義だから……。
ローズがそんな考えの下、王宮剣士としての職務を全うしていた折……
両親が亡くなった。
カケルコトハ ユルサレナイ タイセツナ カゾクガ……。
原因は不明……。
公式にそう発表された……。
こうして、ローズに残されたのは──たった一人の弟だけになった……。
*
暗闇に落ちていたはずのミュンの意識が、ゆっくりと覚醒して行く。
未だに、ボーッと霞が掛かった様に安定しない思考を──頭を振って強引に外へと追い出した。
「……ここは?」
幾分か意識がハッキリしたため、辺りを見渡せば──
薄暗い……。
小さな、小屋程度の広さの部屋には、数台の木製ベッドが置かれており……ミュンはその内の一つに横になっていた様だ。
──キツイ薬品の匂いが鼻を突く。
ベットの近くの棚には、医療用のポーションや包帯、医療器具などが置かれているが……どれも、質の悪い粗悪品である事が一目で分かった。
……一応、医務室と言う事らしい。
「……目が覚めましたか」
薄暗く、気配も薄かったために気が付かなかったが──
ミュンが眠っていたベッドの直ぐ側には木製の椅子が置かれており、そこに一人の女性が座っていた。
三つ編みをアップに纏めた若草色の髪が特徴的な女性で、歳の頃は20代前半と言った所だろう──
瞳は深い緑色で、エメラルドの様に輝くその瞳が、髪の色と合わさってとても良く似合っていた。
服装は簡素で、とても高級そうには見えなかったが……
その女性からは、何とも高貴な──気品の様なものが感じ取れた。
女性はご丁寧にも、椅子から立ち上がってミュンに声を掛ける。
「驚きました。あれほどのケガですから、三日は目を覚まさないだろうと予想していたのですが……まだ半日程度ですよ?」
『この子は、私の子供の中でも異常体質でおかしな子なのだ。そう言うものだと思ってくれ』
これまた、いつの間にそこに居たのか、女性の側には黒トカゲ姿のラティアスが立って──いや、プカプカと宙に浮かんでおり、女性の問いに答えた。
「人を……変人みたいに言わないで下さい。それに……ラティアス様の子供ではありません……」
ミュンの思考は、次第に霧が晴れた様にハッキリとしてきているが……未だに上手く呂律が回らない。
『ふむ……。そう言う返しができる程度には回復している様子だが……。動けそうか?』
ラティアスに言われ、ミュンは身体を動かしてみるが──
身体全体が、ギシギシと音を立てる様にぎこちなく動くだけで、上手く力が入らない。
しかし、幸いな事に『アクセル』の影響による痛みは殆どなく、しばらく休んでいれば問題なく回復しそうな状態であった。
「本調子には程遠いでけど……。まあ、数時間もあれば……全快するかもです」
相変わらず呂律は上手く回っていなかったが……。
「……ここの置いてある粗悪なポーションでは、完全回復は見込めないはずなのですが……」
『だから言ったであろ? この子は少し異常なのだと……』
何でもない事の様に語るミュンに、ラティアスと女性は少し引き気味に話し合う。
「……それよりも、ここは何処ですか? あの……地下から出て?」
全身を支配する疲労感から、ラティアスたちの反応に突っ込む気力もなく、ミュンは疲れた様子で問う。
ミュンがそう質問したのは、今いる部屋の雰囲気が、気を失った際にいた部屋とは随分変わっていたからだ。
眩しいくらいに──それこそ、真っ昼間の様に明るかったあの場所と違い、ここは何とも薄暗い。
四方の壁に設置されたカンテラは、相変わらず轟々と燃え続けていると言うのに……。
ミュンの視線がカンテラに向いている事に気付き、女性は──
「……ああ、あのカンテラは特別性なんです。昔からシルラントの王城で使われていた物で、時間帯によって明るさが変わります。この暗さだと──今は深夜になったばかりの頃ですね。ここでは小型の時計は希少ですので……時間を知るのにも重宝しております。ちなみに、ミュン様の質問の答えはノーです。場所は移動しておりませんよ。その辺りは……今から詳しく説明いたしましょう。ミュン様の体調に支障がなければですが……」
女性は、あれだけのやり取りで、ミュンが言わんとしている事を理解し、詳しい説明まで加えていた。
……若干早口だが。
話し方は上品だが、かなり話好きの人物の様だ……。
「大……丈夫です……」
ミュンは回らない舌で、『大丈夫』と返し──
それを確認した女性は口を開き、続きを話し始める。
「まず、ミュン様に関する概ねの事情等は神竜様──ラティアス・ナーグ様から聞き及んでいます。ミュン様には、これからわたくしが話す事情を聞いた上で、わたくしに協力していただければ幸い……そう考えております」
いつの間に──いや、ミュンはここで半日近く意識を失っていたのだ……女性はその間にラティアスから話を聞いたのだろう。
ミュンの名前も知っていたし、ラティアスが何処まで話したのかは不明だが──
女性は、ラティアスが神竜である事も知っている様子だったので、かなり深い部分まで話して聞かせたのかも知れない。
それにしても……
(この人……。こんな、饅頭みたいな黒トカゲの言う事を……よく信じたわね)
ミュンがそう心の中で毒付くと──
『……む? ミミュ、私の悪口を言ったな?』
ラティアスが即座に反応する。
「……心を読まないで下さい。それに、正確には悪口を言ったのではなく、思っただけです」
『一緒だろう! お前は考えている事が全部顔に出ているのだ! そんな子に育てた覚えはありませんよ! 大体だねぇ、私は言わば人類の母の様なもので──』
ミュンの素っ気ない態度にラティアスが騒ぎ始め、独り言の様にブツブツと呟き始める。
ミュンは呆れた様にため息を吐くと、女性に話の先を促した。
「自己紹介が遅れました。わたくしはセシリア──セシリア・ヴィ・カーンズと言います。お見知り置きを」
女性──セシリアはそう自己紹介をする。
(セシリア・ヴィ・カーンズか……。どこかで聞いた事がある名前だと思ったけど、やっぱりこの人……)
ミュンはそんな事を思い、セシリアの全身をジッと観察した。
この、ボロボロで安物の衣服を纏っていても隠しきれない気品は……やはり……。
セシリアは続ける。
「わたくしたちが今いる場所は、我々の組織が隠れ家として使っている場所。……組織と言っても、小規模で、大した力も持たない──ただ、皆で身を寄せ合って暮らしているだけの弱い存在ですが……。この場所は……そしてここへと続く通路は、かつてこの国で大きな戦があった際、〝王族〟の避難場所として使用されたものです」
「……」
「聖王国の王族や、一部の大貴族以外は存在すら知らない……また、王族のみ使用を許されていた隠れ家。わたくしたちは今、ここで生きています。この地下で、いつかまた、陽の下に出られる事を願って……」
聖王国の……王族しか使えないはずの隠し通路……。
隠れ家……。
そして、セシリアと言う名前……。
「ああ、聖王国前国王の娘……セシリア王女か。生きていたのね」
不躾に、そんな言葉が口を突いて出てしまい──ミュンは慌てて口を噤んだ。
聖王国前国王の娘──セシリア王女の事は、事前に調べた資料などに載っていたためミュン自身も把握していた。
前国王が犯したと言われる罪により、セシリア王女も国王と共に処刑されたと言われていたが……どうやら生き延びていた様だ。
アーネスト王国では、親の犯した罪で子にまで責が及ぶ事は無いが──
聖王国では当主などが罪を犯せば、家は取潰し、更にその一族全てに咎が及ぶと言う……苛烈な沙汰が下される。
聖王国の前国王が処刑されたと言う話は、血縁でもないローゼンディアスが、現国王として立っている事実を見れば間違っていないのだろう。
しかし、それが事実ならばセシリアの親族などは全て……
「理解が早くて助かります……」
ミュンの無神経とも取れる発言を気にした様子もなく、セシリアはそう言って微笑んだ。
「──申し訳ありません。無神経な発言してしまい……」
聖王国の事を調べていたミュンは、当然この国の〝法の在り方〟を知っている。
セシリアの現状を鑑みるに、王族とは程遠い暮らしをしているのだろう。
王族としての地位を失い……。
親族は処刑された可能性が高い。
元王族だと言うのに、今はこの様に暗く、穴蔵とも呼べる場所で平民以下の暮らしだ。
「ああ、気にしなくてもよろしいのですよ? わたくしに兄弟はおりませんし、両親は──特に前国王である父は、お世辞にも善い人間とは言えませんでした。処刑されて当然の人間です。一人娘で、後継者であるはずのわたくしですら、貴族たちと結び付きを強固にするための道具……政略結婚の道具としてしか見ていなかった人です。わたくしはお飾りの王女。そんなわたくしですから、お城での扱いも……お付きのメイドにすら蔑まれていたましたから」
ミュンの言わんとしている事を察したのだろう……セシリアは言う。
相変わらず捲し立てた様に一気に喋るが……
ペラペラと自身の内心を語るセシリアからは、その内容に対する悲壮感などは一切感じられない。
──心底、〝どうでも良い事〟だと思っているのだろう。
しかし、セシリアの望みとは?
ミュンに協力を仰ぎたい事とは?
やはり、元王族としての矜持──『邪教徒』と呼ばれる人々の救済だろうか?
それとも、王族としての地位を取り戻したいとか?
いずれにしても、ミュン一人助力したところで何が変わるとも思えないのだが……。
「……私に、何を望むんですか? ラティアス様から事情を聞いているのなら、知っていると思いますけど……私はこの国の人間ではありません。自国での立場も〝準貴族〟の様なものです。戦闘面でも、ローゼンディアスや聖女には遠く及ばない。地位でも武力でも……貴方に助力出来るとは到底思えませんけど?」
ミュンの舌は、いつの間にか万全まで回復しており、先ほどまでの状態が嘘の様に上手く回った。
──やはり、異常なほどの回復力だ。
ミュンは忖度なしで語る。
取り繕っても仕方がない。
セシリアがミュンの〝力〟を勘違いしていると言うなら、それを正さなければならないだろう。
ミュン一人で、セシリアが抱えているであろう問題を解決できると考えているなら、買い被りもいいとこだ。
この国の雰囲気や、セシリアの今の状態から鑑みて、セシリアの望みが簡単に解決できるものとは思えないのだから……。
「それでも、貴方は〝あの少年〟を救った。敵わない相手と分かっていても、火中に飛び込んで行き……わたくしの小さな罪悪感を拭い去ってくれた……」
セシリアは微笑みながらそう語る。
「わたくしは側で見ていました。貴方の勇気を……そして、他人のために戦える気高さ、心優しさを」
側で見ていた?
あの『狂信者』の群れの中で、元王女であるセシリアが?
生きているとは言え、前国王が犯した罪──セシリアの咎が許された訳ではないだろう。
察するに、何かしらの理由で処刑から逃れ、隠れて生きているに違いない。
それなのに、側でミュンの行いを見ていたとは……?
ミュンは、セシリアの言葉に訝しげな視線を向けるが──
「ああ、ミュン様の疑問は分かります。確かにわたくしは今、追われる身……。見つかれば即座に捕らわれてしまうでしょう」
視線だけで何を言いたいのか分かったのか、ミュンが問う前にそう答えを返してきた。
「ミュン様……。『やっぱり、この人は察しが良い。相手が何を考え、何を思っているのかをすぐに察してしまう……。ローゼンディアスよりも余程国主の器ね……』などと考えていますね?」
「……心の声を読まないで下さい」
「おほほ、ミュン様は考えている事が顔に出やすいのですよ」
「だとしても、詳細まで当てないで下さい」
そんなやり取りをしながら、ミュンは側にいたラティアスに視線を向ける。
(最初から何となく気付いていたけど……この二人、何か性格が似てる? 完全に悪い部分がだけど……)
「あらあら、わたくしたちは似てなど──」
『おいおい、私たちは似てなど──』
「もう分かりましたから! 気味が悪いので止めて下さい! それより続を!! ……そんなに顔に出やすいかなぁ!?」
完全に声が揃っている二人……ミュンは、ホラーチックになりかけている雰囲気を無理矢理修正するため、強引に話を戻した。
「──おほん。ミュン様の疑問の答えはコレです」
──スッ……。
セシリアがそう言って取り出したのは──使い古され、草臥れてしまったフード付きのローブだ。
──見覚えがある。
あの、〝フードの女性〟が着用していた物だった……。
これが疑問の答え……?
セシリアはフードの女性と同一人物で……フード付きのローブで身を隠し、民衆に紛れていた?
しかし、それはあまりにも……。
こんな物で多くの民衆の目を誤魔化せるとは思えない……。
むしろ、街中でフード付きのローブなど羽織っていれば、逆に目立ってしまうだろう。
(そう言えば、この隠れ家を訪れた時、フードの女性は『セシリア様』と呼ばれていた様な……)
しかし、ミュンには、どうにもセシリアとあのフードの女性が同一人物には思えなかった。
言っては悪いが、フードの女性からは、セシリアから感じる高貴さや気品などは微塵も感じ取れなかったのだ。
フードの女性──
その雰囲気は、完全に一般人に溶け込んでおり……。
ミュンもあの時、フードの女性の『悲痛な祈り』が耳に入ってこなければ、その存在にすら気付いていなかったかも知れない……。
まるで別人の気配……。
この元王女様に、存在感の隠蔽など──そんな器用な真似が出来る様には思えないのだが……。
ミュンが困惑している事に気付いたのか、セシリアはローブを両手で広げ、ミュンによく見える様に差し出した。
──バサリッ
「これには〝認識阻害〟の神聖術が施されていますから……」
口で説明するよりも、見せた方が早い……と言う事なのだろう。
認識阻害──
セシリアの説明では、これを着用していれば違和感なく群衆に溶け込めるらしい。
静かに、余計なアクションを起こさなければ、気付かれず認識される事もない……。
「凄く便利な代物ですけど──そんな希少な物がなぜ聖王国の……しかも、地下に隠れて暮らしている組織に……?」
「半年ほど前……。聖王国御用達の商人を頼り、アーネスト王国から流れてきた商品を買い取ったのです」
ミュンの疑問に対し、セシリアは隠す事なくローブを手に入れた経緯を語る。
広げられたローブの裏地には、『◼️◼️ム・シーザリオン』と、製作者らしき名が記載されたタグが縫い付けられていた。
ファーストネームの一部が擦れてしまっており、正確な名前までは分からなかったが……。
「このローブを手に入れてからは、外に出る際の危険度は格段に低くなり……以前ほど、隠れて暮らす事も苦ではなくなりました」
セシリアは、何でもない事の様にそう語り、
そして──
「逆に言えば、これがあるため、物資の調達などには困っていないのですよ。少しずつ運び込めば怪しまれる事もありません。資金面や人材の面での不便もありますが……それも時間をかければ解決可能です。あくまでも、悪事を働く事への抵抗を無くせば……」
悪事を働く事への抵抗を無くせば……と言った。
今までも、生きていくために〝悪事〟を働いてきたのだろう。
やむを得ず……
人の物を盗んだり……
時には、奪った事もあるのだろう。
セシリアは、元王女として、元自国民から金品を摂取する事に何を思うのだろうか……。
「……と言っても、我々〝追われる者〟の隠れ家はここだけではありませんし、度々見つかっては『邪教徒』として『粛清』されてしまう訳ですが……」
セシリアは、まるで他人事のように語る。
ミュンは、セシリアの物言いに若干の違和感を覚える……。
しかし、セシリアの表情に変化はない。
今も、優しげに微笑んでいるだけだ。
追われる者とは、セシリアや──何らかの理由で、地下に隠れ住むしかなかった者たちの事を言っているのだろう。
ローゼンディアスらが『邪教徒』と呼ぶ存在だ……。
──何らかの犯罪を犯した者……及び、その親族たち。
セシリアの望みとは……この〝追われる者〟の事なのだろうか……。
やはり、追われる者を解放し、王族としての地位を取り戻す事……。
当然だ。
元王族であるセシリアが、この様な平民以下の暮らしをしているのだ。
我慢できなくて当然……。
そして、自国民であった者たち──追われる者たちにも同じ生活を強いなければならない……。
それも、追われる者たちはローゼンディアスが犯罪者と認定しただけで……その罪は、実際には言い掛かりにも近いものでしかない。
「──貴方の目的は、この地下にいる人たちの解放? そして、王族として再び立つ事ですか?」
ミュンのそんな問いかけに、セシリアは初めて驚いた様な顔になり──静かに頭を振った。
「関係ありませんね。わたくしはあくまで〝元王女〟です。今更、王族としての返り咲くつもりもございませんし……ここの人たちの解放など──ふふ、考えた事もありません。その様な事、わたくしの力では土台無理な話……。力無き我々は、一度見つかってしまえば『粛清』されるしかない。受け入れるしかないのです」
──呆れた。
他人事どころか、追われる者たちの事など気にも留めていない発言だ。
「あの少年の事は? わざわざ、『粛清』の舞台まで見に来ていましたよね? ローブがあったって危険な事には変わりないのに……」
ミュンにとってはそれこそ他人事だ。
ミュンはこの国の人間ですらないのだから……。
しかし、何故かムッとしてしまい、思わず言い返してしまった。
「あの子は未だ子供です。大人の揉め事に、子供が巻き込まれる事が許せなかっただけ……。ミュン様、わたくしはね──身勝手な人間なんです。自分の事しか考えていない。最悪、自分の身に危険が及べば、子供とて見捨てて逃げるでしょう。自分に危険が及ばない範囲で気を揉むかもしれませんが……所詮その程度」
──これは嘘だ。
セシリアの事など、大して知らないミュンですら分かる。
現に、そう語るセシリアの口元はわずかに震え──両手は、傍から見ても分かるくらいに強く握られている。
それに、ミュンは見ている……。
あの時、少年の『粛清』を前して、必死に願い──許しを請うていたセシリアの姿を……。
それに、セシリアがその様な性根の人間ならば、神竜であるラティアスが心を許して事情を話す訳がないだろう。
──きっと、割り切ったフリをしているのだ。
ならば、きっと、やはりセシリアの願いは……。
「では、貴方は私に何を望むんですか?」
元国民……追われる者の救済か──
「ローゼンディアスを──いいえ、ローズ……私の親友を助けて頂きたいのです」
セシリアの口からは、思っても見ない言葉が出た……。




