【6】逃亡
行くべきか、行かざるべきか……。
突然現れ、自分に付いて来るように促すフードの女性──ミュンは思案した。
これは罠?
このフードの女性が、民衆と同じローゼンディアスの信者──『狂信者』の類であれば、それこそ完全に詰みだ。
ミュン自身も……。
『邪教徒』と呼ばれたこの少年も……。
捕まってしまえば、どのような目に遭うか──火を見るよりも明らか。
……撃退する?
見たところ、フードの女性は一人……。
一人くらいなら、今のミュンでも十分に制圧可能だろう。
しかし──
ミュンは、このフードの女性が、
必死に、
切実に──
〝何か〟に謝罪する様を思い出していた。
〝何か〟とは……状況から見て、この少年である可能性が高いだろう。
「何て速さだ! だが、ローゼンディアス様のために、何としてでも見付け出せ!」
「手分けして探すんだ! シルラントから絶対に出すな!!」
ダッ! ダッ! ダッ! ダッ!
遠くから、民衆の叫ぶ声が聞こえる。
ミュンと少年を探す、大勢の怒号が……。
未だに距離は離れているが、着実に近付いてきている……。
(……信じるしか、ないか……)
どの道、この足では遠くへ逃げられない。
すぐに追い付かれ──
数に任せて包囲され──
確実に捕まってしまうだろう。
……ミュンには、最初から選択肢などなかった。
「……貴方が誰かは分からないけど、信じるわよ!」
軽い牽制の意味を込め、少しだけ強めの口調で言う。
今のミュンの状態で、それが有効的なのかは分からなかったが……。
ミュンは少年を守る様に抱え込み、先走るフードの女性の後を追った。
*
フードの女性に案内されたのは、薄暗い……まともに日の光も射さない場所で……。
まだ正午を少し過ぎたばかりだと言うのに、真夜中の様に薄暗かった。
途中、トンネルの様な形状の通路を越えた辺りまでは把握できていたのだが……。
足下すら見えない……完全なる暗所に迷い込んでしまった様な感じだ。
『サーチ──』
「待って下さい。この場所で神聖術は……」
あまりの暗さに、ミュンが『サーチ』の神聖術を唱えようとすると──
前を歩くフードの女性は、右手を前に差し出してミュンの詠唱を静止する。
「あちらには、神聖力を探れるあの悪魔──いえ、聖女がいますから……この場所が見つかってしまいます」
フードの女性はそう言うと、羽織っていたローブの中から小さめのカンテラを取り出し、それに火を灯した。
──ホウ……
カンテラの明かりは、薄暗かったその場所に温かい光を灯し──
辛うじてだが、自分たちの周りだけは見える程度の明るさになった。
「……進みましょう。ここは未だ地上ですから。見つかってしまうやも……」
フードの女性は、そう言って先へ先へと進む様に促す。
その声色から、フードの女性の焦りが感じられ、〝この場所〟が未だ安全地帯ではない事を暗に示している様子だった。
(地上……。と言う事は、これから地下に向かうのね)
そして、ミュンの予想通り、しばらく進んで行くと……地下へと続くであろう長い階段が現れる。
石造りで、カンテラの光に照らされていると言うのに、一切の温かみがなく……何とも寒々しい空気の流れる場所だった。
「ここからは、特に足下に注意して下さい。苔や泥濘で滑りやすくなっていますから」
ローブの女性は、ミュンにそう言って注意を促す。
(なるほど……。石造りなのに、階段が泥や土で汚れてる……。頻繁に人の出入りがある証拠ね)
ミュンは、ローブの女性案内に従いながらも、周辺の状況を極力把握できる様に努めていた。
*
「ここです。明るくなりますから、ご注意を……」
地下へと続く階段を降り、苔の生えた薄暗い道をさらに進んだ先──
重々しい、錆びた金属製の大扉が現れた。
ミュンが観察していた限りでは、地下に降りてからの通路には、幾つも別れ道があり……
成程、『これならば、容易に攻め込まれはしないだろう』と思わせる作りになっていた。
「……」
ミュンは、ローブの女性の言葉に無言で頷き──
その返答を受け、ローブの女性は重厚そうな扉に手を掛ける。
──ギギギッ
重々しい見た目に反し、意外なほどスムーズに大扉が開き──
「──つっ」
扉の奥から射し込んだ強烈な光を浴び、ミュンは思わず顔を顰めた。
「セシリア様! ご無事で!」
次第にその明るさにも慣れ、戻ってくる視界の中でミュンが捉えたのは、誰かの名前を呼びながら走り寄ってくる一人の男性の姿だ。
(セシリア……。どこかで聞いたことのある名ね)
ミュンは走り寄ってくる男性を警戒しながら、そんな事を考えていた。
「……ごめんなさい。心配をかけましたね」
男性に対して、優しげな声でそう返したのはフードの女性──
おそらく、セシリアとは彼女の名前なのだろう……。
「ここ……は?」
視界が完全に正常に戻ったため、ミュンはぐるりと辺りを見渡す。
石造り──と言うよりはレンガ造りに近い、しっかりと隙間なく石が敷き詰められた壁や天井。
広さは、小さめの屋敷の大広間ほどはあるだろう……100人くらいなら、余裕で入れそうなほど大きな部屋だ。
形状は真四角に近く、四方の壁にそれぞれ幾つかのカンテラが設置されており、中では轟々と真っ赤な炎が燃え続けている。
──『眩しいほどの明るさ』の正体はこれだ。
窓が一つもない地下空間だと言うのに、この場所は真っ昼間の様に明るい。
おそらく、壁に設置されたカンテラが特別製なのだろう……。
カンテラの数に対して、異常なほどの明るさを保っていた。
さらに、この大部屋の奥の壁には幾つもの木製扉が見られ──この場所全体が、何かしらの意図を持って人工的に造られたものだと分かる。
「ミ、ミゲル! ああ、よく無事で!」
ミュンが周囲を注意深く観察していると、奥の扉の一つから大柄な女性が現れ、叫びながらミュンのいる方へ走り寄って来た。
いや、正確にはミュンにではなく、ミュンが抱えた少年に向かってだろう……。
名を呼ばれた少年は──走り寄ってくる女性を確認した後、
「おかあさん!」
そう叫んだ。
悲鳴の様な……
喉から搾り出したかの様な、必死な叫び……。
(……いつの間にか『竜眼』が解けてたのね。それなのに、今まで叫び声も上げずに我慢していた……。幼いのに状況判断が出来る……強い子)
少しだけ舌足らずな口調で、母親を呼び続ける少年──
その両目からは、堰を切った様に大粒の涙が溢れ出ていた。
(何とも感動的な場面だけど……)
ミュンは、そんな親子の再会を見て、少年の心の強さに感動すると同時に──
「ミゲル……ミゲルか……。ものすごい既視感」
少年の名前から、またもやジーノ村襲撃事件の事を思い出し、何とも複雑な気分になった……。
『ミミュ、安全が確保できたなら──そろそろ『アクセル』を解除しろ。これ以上、身体に負担をかければ、それこそ本当に死んでしまうぞ』
周辺に何とも落ち着いた、和やかな空気が流れる中──
いつの間にかミュンの胸元に潜り込んでいたラティアスが、ミュンにだけ聞こえる小さな声で言う。
安全の確保……。
今更、ローブの女性がミュンに敵対してくるとは思えないが……かと言って、完全に信用できる訳でもない。
未だ、ローブの女性の素顔も分からず、素性なども一切分からないのだ……。
そもそも、この場所はどこだ?
何故ここに案内された?
ミュンの頭に浮かんだのは、そんな疑問ばかりだ。
(でも……まあ……)
ラティアスの言った通り、このまま警戒し続け、『アクセル』を維持し続けても過剰に身体に負担が掛かるだけ。
それに、どの道ローブの女性の案内に従ってこの場所に来た時点で袋小路……裏切られれば完全に詰みだ。
「……ふう」
ならば、安全だと信じてみるしかないのだろう。
ミュンは、小さくため息をついた後、『アクセル』を解除する。
──グンッ
その瞬間、身体全体にズシリと重力がかかる様な感覚に襲われ──羽根の様に軽かった少年の身体にも、相応の重さが加わった。
しかし、『アクセル』を解除した事で何よりも厄介だったのは……
「……うっ……ぐぅ……」
最初にミュンの身体を襲ったのは、右足の痛み──いや、右足だけではない。
それを追いかける様に、全身の骨をハンマーで砕かれた様な激痛が走り──
身体全体が、電流を流された様に痺れ──
フッと、ミュンの意識が遠のいていく……。
(……ユランくんを見て……ある程度キツいのは分かってたけど……あ……甘く見てた……)
ミュンは、前のめりに倒れそうになる身体を、右足を出す事で堪え様とするが──
「あぐ……」
右足の負傷が一番酷い事を完全に忘れており、そのままうつ伏せに倒れ込む。
……最後の力を振り絞り、倒れる前に抱えていた少年だけは、何とか母親らしき女性に託すことができたが──
『ギョヒン』
ミュンの胸元に潜り込んでいたラティアスが押し潰され、何とも間抜けな悲鳴を上げる。
そんな、ラティアスの間の抜けた声を耳にしたのを最後に……ミュンの意識は唐突にブラックアウトするのだった。