【4】正しい事のために
『粛清』……。
その言葉を合図に、舞台へと無理矢理上げられる事になった少年……。
彼が、一体どんな罪を犯したというのだろうか?
「ど……え……? なん……で?」
ミュンは自分の見た光景が信じられず、我が目を疑った。
細く、小さな身体を縄で拘束された少年……。
口布を噛まされ、悲鳴を上げる事も許されない。
その両目からは大粒の涙がこぼれ、その身体は、ガタガタと恐怖に震えているのがミュンの位置からも分かった。
『殺せ』『殺せ』『殺せ』
頭が状況を理解する事を拒んだ。
明らかにおかしい。
変だ。
そう、叫び出したい衝動に駆られたが……ミュンはそれをグッと堪え、言葉を飲み込む。
代わりに──
「あ、あの……。あれは……なん……?」
一番近く……最後尾に近い位置にいた中年男性に声を掛けた。
呂律が上手く回らず、しどろもどろになりながらの質問であったが……中年男性はミュンの声掛けに気付き、振り返る。
「あん? 何だアンタ? 俺に何か用か?」
そして、若干不機嫌な様子でそう問うてきた。
『粛清』の見学を邪魔された事が気に入らなかったのだろうか……。
目の前の光景に、疑問を抱いている様子は見えない。
──中年の男の様子から、ミュンは気付いてしまった。
『ああ、これはこの国で当たり前に行われている事なのだと……』
周りを見渡してみても──
誰も気にしない。
誰も顔を背けない。
むしろ、嬉々としてその光景を目に焼き付けようと……舞台上を凝視していた。
「あ……わたし……メメントールから来て……」
ミュンは少しだけ冷静さを取り戻し、再び嘘を付いた。
メメントールから来た……
便利な言葉だ。
「ああ、アンタ、メメントールから来たのか。じゃあ、驚くのも無理はねぇな。でもよ……友好国なんだし、『粛清』の事は知っておいた方がいいぜ?」
何を知っておけと言うのか……。
子供を罪人として断罪する事か?
「……あの子は、何の罪を犯したのですか……?」
ミュンの問いに対して、中年の男の答えは──
「決まってるだろう。あの子供の親が『邪教徒』だからさ」
ミュンにとって信じられない内容だった。
*
確かに、先ほど別れたばかりの男は言っていた。
『邪教徒』──大罪を犯した者は、その親族や関係者にまで咎が及ぶと……。
しかし、あんな子供まで……。
「あ、あの子の親は……どんな罪を?」
その大罪とは何だ?
幼い子供にまで及ぶ咎……親がどんな大罪を犯せばそんな事に?
「うーん……。どうだったかな? 確か一月前に『粛清』されたのが、あの子供の父親だったが──おお、そうだった! アイツの父親は『無剣』だったんだ。だから『粛清』されたのさ」
「──は? それが、理由?」
ミュンは絶句し、それ以上の言葉が出て来ない。
──『無剣』。
それは、『抜剣術』を扱えぬ者……『レベル0』。
大抵の人間は、自然に『レベル1』の抜剣術に目覚め、当たり前に使用できる様になる。
しかし、稀に『抜剣術』の才能が皆無で、『レベル1』すら扱えない人間も存在するのだ。
中年の男の──いや、この聖王国は、それが大罪だと言う。
アーネスト王国内でも、未だに『無剣』に対する差別意識は強いが……それが罪になる様な事はない。
「『抜剣術』を扱えない事……『レベル0』が……罪?」
「うん? 何言ってんだアンタ? 『無剣』ってのは、聖剣を持たない者の事だぞ? 『レベル0』が罪なんかになるかよ」
中年の男は、ミュンとの会話が噛み合わない事に訝しげな視線を向けるが、すぐに──
「ああ、アンタはメメントールの人だったな。メメントールではそうなのか? 聖王国では『無剣』って言うのは『聖剣』を持たない人間の事だ。神から、当たり前の様に与えられるはずの『聖剣』を与えられない──つまり、神に見放された者。神の教えに背いた『邪教徒』なのさ」
納得した様に説明し始めた。
滅茶苦茶な理屈だ。
聖剣を与えられていないのは、『聖剣授与式』がまともに行われていないだけで、その者の罪でも何でもない。
むしろ、その咎を受けるのは、
『国民に『聖剣』を与えられない様な悪政を敷く国そのもの』
だ……。
それに、あの子供は……。
「……まだ子供みたいですけど? 未だ、聖剣を与えられる年でもないですし……『無剣』かどうか分からないのでは……?」
ミュンの言う通り、聖剣が与えられるのは『10歳になる年の子供』で……見たところ4、5歳の子供である〝あの子〟が聖剣を持っているはずがない。
仮に、アーネスト王国では〝当たり前の様に与えられる聖剣〟が、聖王国では選定され、〝選ばれた者にしか与えられない〟と言った状況であったとしても……
目の前の子供が『無剣』であるかどうかなど、今は未だ分からないのだ。
ミュンは、そんな意味を込めて中年の男に言うが……男からは衝撃の言葉が返ってきた。
「関係ねぇよ、そんな事は。父親も『無剣』──『邪教徒』なら、その子供であるガキも『無剣』で『邪教徒』に決まってる。親が親なら子も子だ。幼くてもあのガキは『邪教徒』なのさ」
*
ミュンが中年の男と話し込んでいる間にも、『粛清』の儀式は進んで行く。
舞台に上げられた少年は、斬首台──木製の厚い板に空けられた半円型の窪みに、強引に首を添えられる。
そして、動けない様にその身体を屈強な男に押さえつけられ……準備が整った。
少年はモゴモゴと何かを叫ぼうとしているが、布を嚙まされているため声など出ない。
大粒の涙が流れても、それを憐れむ者もいない。
人々は、その少年の首が落とされる瞬間を心待ちにし、興奮が抑えられない様子で叫び続けている。
『殺せ』『殺せ』『殺せ』
少年の側には斧を持った男──処刑人が立ち、手に持った斧の刃の部分を触って、切れ味を確かめていた。
「おお、なかなか良い斧だ。あれなら──」
その処刑人の様子を見て、中年の男は満足そうに何度も頷く。
──何が良い斧なものか。
ミュンはギュッと拳を握り締めた。
少し見ただけでも分かる。
斧は、表面に浮き出るほどサビが目立っており、切れ味など皆無だろう。
あれでは……
「──少しでも長く、苦しんで死ぬだろう」
……
…………。
*
『ミミュ……止めておけ。お前は今、『抜剣術』を使えないだろう。生身であそこに飛び込んでいけば確実に死ぬぞ? 今は我慢しろ……。『神命』に背いてでも、この国の者たちには報いを受けさせよう。いずれ、私が……な』
ミュンの心を代弁するかの様に、ラティアスが呟く。
ミュンが『何をしようとしているか』など、ラティアスにはお見通しだった。
……中年の男の姿は、既に近くにはない。
「もう良いかな? 大事な所を見逃しちまう」
などと言って、再び人の波の中に戻って行った。
もっとも、その声は今のミュンの耳には届いていなかったが……。
「ラティアス様……私は……」
ラティアスの言う通り、ミュンは都市に入るために『抜剣術』を使用してしまい、半日は再使用が出来ない。
『粛清』を止めに入ったとしても、生身では即座に捕えられ……最悪、すぐに殺されてしまうだろう。
いや、そもそも、『抜剣術』が使用できたとしても──
「女王ローゼンディアス様!」
「聖女シリス様!」
『粛清』の瞬間を前に現れた〝その者たち〟に立ち向かえる術などなかった……。
*
『粛清』の準備が整い、舞台が熱狂の渦に包まれる中──その者たちは現れた。
天幕で覆われた貴賓席の中から、最初に現れたのは──
ショートボブの白銀の髪、
年齢は十代後半くらい、
黒縁の眼鏡を掛けた小さな顔は、『神の造形』と呼ばれても過言でないほど整っており、
その中でも、特に目を引くのが、『金色に輝く瞳』で──
なるほど、全ての要素が『聖人』としての特徴を表している。
外見だけ見れば、最初に現れたその人物が『聖人』──『聖女』に間違いないだろう。
そして、その『聖女』に次いで現れたのは──
ポニーテールに纏められた茜色の髪、
年齢は20歳そこそこ、
『聖女』ほどではないが、かなり整った容姿、
そして、『聖女』よりも豪華で、煌びやかな服に身を包んだ、
優し気な雰囲気の女性だった。
「シリス様!」「シリス様!」「シリス様!」
「ローゼンディアス様!」「ローゼンディアス様!」
二人の人物に向かって、民衆が叫ぶ。
ローゼンディアスよりも、聖女シリスの名を呼ぶ声が多いのは、二人の人気の差を表しているのだろう。
聖剣教会の権威が強い聖王国では、聖女の存在の方が〝より貴重で尊い〟と判断されている様子だ。
おそらく、白銀の髪の女性が『聖女シリス』なら、ポニーテールの女性は『女王ローゼンディアス』だ……。
『聖女シリス』、そして『女王ローゼンディアス』は、共に斬首台に上げられた少年の近くまでやってくると──
『女王ローゼンディアス』がスッと手を上げた。
──シンッ……
その瞬間、先ほどまで五月蝿いくらいに叫び続けていた民衆が──あっと言う間に静まり返り、辺りが静寂に包まれる。
集まった人々は、息を呑み、耳を澄ませてローゼンディアスの言葉を待つ。
「皆の者……済まないね。私が不甲斐ないばかりに、皆には迷惑をかけ通しだ。最近、少なくなってきたとは言え、未だにこのシルラントの街には『邪教徒』が蔓延っている……。不安だと思うが、私──ローゼンディアスの名の下に、必ずや『邪教徒』をこの街から一掃すると約束しよう」
ローゼンディアスは言う。
その言葉を受け、民衆は叫び出したい衝動を我慢し、皆、小声で「ローゼンディアス様バンザイ」「大罪人に『粛清』を」と繰り返していた。
異様な空気……
正しく、狂信者の集いだ。
ローゼンディアスは続ける。
「この子供は……一月ほど前、『邪教徒』の拠点の一つを潰した際に、捕えられ、『粛清』した男の息子だ。『邪教徒』の息子──勿論、この子も『邪教徒』だが、まだ子供だ。私は女王として、この子に慈悲を与えようと思う。皆、私の〝甘さ〟を許してくれないだろうか……?」
優し気な顔で、
優しい声色で、
そして、優しい笑顔で、『少年に慈悲を与える』と宣う。
民衆は、少年の『粛清』を見るためにこの場を訪れている。
当然、反対の声が上がると思ったが……
「ローゼンディアス様バンザイ」
「我が国の英雄が言うなら……お慈悲を」
と、むしろローゼンディアスの判断を賞賛し始め──再び叫び声を上げ始める。
「お慈悲を!」「お慈悲を!」「お慈悲を!」
『これで少年は解放される』……
誰もがそう思うだろう。
民衆は、少年に『慈悲』が与えられる事を望み、国主であるローゼンディアスは自らが少年に対して『慈悲』という言葉を口にしたのだ。
しかし──
(絶対に違う。そんな空気じゃない。これは──)
ミュンは周囲の空気から、異様な何かを感じ取っていた。
人々の興奮が再び最高潮に達した時、ローゼンディアスが再び口を開く。
そして、言った……。
「ありがとう。さすが我が愛する国民たちだ。よし……私は『慈悲』を持って、この少年を苦しませずに〝天に贈る〟事を約束しよう。そして、この子に聖女様の〝祈り〟を与え──真っ当な人間に生まれ変われる様に……手助けしようではないか」
ローゼンディアスがそう口にした瞬間、民衆は割れんばかりの拍手を送り、ローゼンディアスの〝慈悲深さ〟に感動の涙を流した。
「お慈悲を!」「お慈悲を!」「お慈悲を」「お慈悲を!」「お慈悲を!」「お慈悲を!」
もう、民衆の叫びを止める者などいない。
ローゼンディアスは、後ろに控えていた『聖女シリス』の方へと振り返ると──
無言で頷いた。
*
何が慈悲だ。
何が王女だ。
──何が聖女だ!
ヌルリ──……
強く握りしめた拳が、何かで濡れた……
ミュンの爪が手の平を裂き、その拳を血濡れにしたのだ。
ふざけるな。
ふざけるな。
ふざけるな!
こんなのってない……。
ミュンは激しい憤りを感じ──そして、自分の無力さを悔やんだ。
私が強ければ──
『皇級』よりも、『聖女』よりも──
強ければ──
この感覚は……どこかで……。
ミュンは、昔の事を少しだけ思い出していた。
──炎に燃える村、
──信じていた師に裏切られた悲しさ、
──何も守れない、自分の弱さに対する悔しさ、後悔、
そして──
そして──
「さあ、最後に言い残すことはありますか? それもまた『慈悲』……。叫び声を上げるなり、泣き叫ぶなり──お好きになさい」
ローゼンディアスが、少年の口布を取る。
少年は──
「お……があ……ざん……だす……げでぇ……」
きっと、その声は、喧騒にかき消されて届けたい人には届かない。
きっと、少年を助ける者など誰もいない。
きっと、
きっと、
きっと……。
しかし、ミュンの耳には確かに届いた。
そして、少年を助ける者は──
その時、少年の泣き叫ぶ姿が……
なぜか……
本当になぜか……
幼馴染の──〝ユランの姿〟に重なった。
そんなはずがない。
ミュンの強い幼馴染は、あの時──皆んなの前に立ち、たった一人で戦った。
そんなはずがない。
そんなはずがないのだ……。
しかし、少年の姿は、あの時ユラン──『下級聖剣』の少年の姿に──重なった。
『ミミュ……何をするつもりだ? 今のお前が行っても──』
ラティアスの静止する声にも構わず、ミュンは地を蹴る。
──舞台の周りに密集する、人の群れに向かって……。
(違うんです……ラティアス様。そう言う事じゃないんです)
敵わないから見捨てるの?
助けられないから、助けないの?
違う……。
きっと、私の幼馴染はそうしない!
ミュンは、群衆に向かって疾走する。
群衆を蹴散らす?
間を縫って前に進む?
(……違うよ。全然違う)
ミュンは身を低くし、低空で走りながら、ある技を発動させた。
『隠剣術』……。
『抜剣術』を用いなくても、聖剣の加護を少しだけ得られる技だ。
『隠剣術』を発動したミュンの身体は、急激に軽くなり──
強化された身体能力で、更に速度を増し──
民衆に向かって突進する。
音も無く──
地を這うように──
そして、矢のよう鋭く──
疾走する。
だが、ミュンは、その速度をもって民衆を掻き分けるのではなく──
──ダンッ!!
一足飛びに、舞台に向かって跳躍した。
人の波を飛び越えるだけなら、『隠剣術』で十分だ。
*
その場にいた誰も。
民衆は勿論の事、『皇級』であるローゼンディアスさえも……
ミュンの接近に気付かなかった。
当然である。
不意打ちである上に、ミュンが迫る速度はジーノ村襲撃の時のユランを遥かに超えていた。
『レベル1』だったとは言え、『神級聖剣』のユランをだ。
ドゴォ!!!!
爆音を上げながら、ミュンの身体が舞台の一部へと直撃する。
『ちょ! おまぁぁぁぁ!』
ミュンの肩に乗っていたラティアスは、振り落とされそうになり、悲鳴に近い叫び声を上げた。
まあ、分身体なので、振り落とされたところで本体にダメージはないのだが……叫んでしまうのは、生き物としての性だろう……。
プスプスと土煙を上げるのは、ミュンが着地した場所で──計算通り、捕えられた少年の直近のであった。
「──っ!? 何が起こったのですか! 敵襲!? 皆の者、聖女様をお守りするんだ!!」
先ほどまで、優し気な顔で微笑んでいたローゼンディアスは、突然の来訪者に困惑するが──
直ぐに聖女シリスを守る様に前に出た。
そんなローゼンディアスの様子を見て、周辺で待機していた剣士──おそらく聖剣士が、サブウェポンを引き抜きながら次々に集まってくる。
聖剣士と言う事は……少なくとも『貴級聖剣』以上……。
それが十数人だ。
囲まれてしまえば、『抜剣術』を使えないミュンに勝ち目はない。
逃げ出す事も難しいだろう。
しかし、ミュンは──
混乱するローゼンディアスや聖剣士たちを尻目に、一直線に目標──捕えられた少年の下へと走る。
──素早い。
途轍もなく。
元々直近ではあったが、正に目にも留まらぬは速さで、一瞬の内に少年の下へと辿り着き、
──ドガッ!
少年を押さえていた屈強な男を、一撃のもとに殴り伏せる。
そして、懐から短いナイフを取り出したかと思えば──
ザッザッザッ──……
少年を縛り付けていた縄を、一瞬の内に切り裂いたのだ。
「あう……あ……あ……」
少年は何が起こったのか分からずに、困惑し、恐怖に顔を歪め、今にも暴れ出しそうだが……ミュンは──
『──大人しくしなさい──』
咄嗟に劣化版の『竜眼』を発動し、少年の抵抗を無理やり封じてしまった。
そして、ミュンがそこまで行動した後、やっと土煙が晴れる。
一瞬の出来事であった。
そこまでは順調であったが、しかし……
「何だ、どうやらネズミが一匹紛れ込んでいた様ですね……。『邪教徒』を助けのですか? それなら、貴方も『邪教徒』です……」
土煙が晴れた事で、乱入者──ミュンの姿を確認したローゼンディアスは、余裕の表情で笑った。
当然だ。
ローゼンディアスは『皇級聖剣』……。
滅多な事では、彼女を越える者など現れないだろう。
特に、ミュンを『邪教徒』だと思っているなら『無剣(聖剣なし)』──若しくは、『彼女に仇なす力などない弱者』だと思っているに違いない。
まあ、実際その通りだ。
『貴級聖剣』のミュンでは、ローゼンディアスとの間に、余程のレベル差がない限りは太刀打ちできないのだから……。
ローゼンディアスは余裕を見せ、『抜剣術』を使う気配がない。
それでも、
素早く、ミュンの周りを囲む様に広がった『聖剣士』十数名──
『皇級聖剣』のローゼンディアス──
普通に戦っても、勝てる状態でない事は明らかだ。
そんな状況を前にして、ミュンは別の事を考え、ローゼンディアスと聖騎士たちではなく別の所を凝視していた。
ミュンの視線の先にいるのは──
『聖女シリス』だ。
(気味が悪い……。あの聖女、私の動きに一人だけ反応していた……。無表情で感情の動きが分かり辛かったけど……確実に目で追っていた。あの視界が悪い、土煙の中で……。『皇級』にも出来なかった事を……平然と)
──絶対に勝てない。
ミュンは、未だ剣を交えてすらいないのにそう痛感した。
ならば……。
ヒョイ──……
ミュンは『聖女シリス』へと向けていた視線を外し、近くに横たわっている少年の首を木製の斬首台から外すと、自分の背に庇う様に位置取る。
そして、周りを見渡し、周辺を注意深く観察した。
ミュンを警戒しつも、完全包囲するローゼンディアスと聖剣士たち──立ったままで微動だにしない聖女シリス。
未だに何が起こったか分からず、固唾を飲んで成り行きを見守っている群衆……。
聖剣士たちだけでなく、ローゼンディアスの一言でこの群衆全てが敵になる可能性も……
いや、あの狂信的な様子を見る限りでは、確実にそうなるだろう。
「それで、『邪教徒』さん? これからどうなさるおつもりで? せっかく、お仲間を助けにいらしたと言うのに……諸共、捕縛される可能性が高そうですけど」
ローゼンディアスは、あくまでも余裕の表情を崩さない。
『抜剣術』を使うどころか、サブウェポンを抜いてすらいない……。
ミュンは完全に舐められていた。
しかし、そんなローゼンディアスとは裏腹に──
『抜剣レベル1を発動──使用可能時間は──』
『抜剣レベル1を発動──使用可能時間は──』
──
…………
周りの聖剣士たちは、一斉に『抜剣術』を発動させる。
全員『レベル1』だったが、『隠剣術』しか使っていないミュンとは、得られる恩恵の差が段違いだ。
剣術の腕も天才的なミュン……一対一なら、技術の差でゴリ押しも出来るだろう。
だが、多勢に無勢──まともに戦えば勝ち目はない。
状況的には完全に詰んでいるが……
『で、本当にどうするつもりだ? あの人間の女王の言う通り……このままでは捕縛されるぞ?』
ラティアスは嗜める様に言うが、ミュンを守る様に──『カロロ』と喉を鳴らし、ローゼンディアスたちを威嚇した。
力を持たない分身体のため、その威嚇行為は気付かれてすらいなかったが……
ミュンは、この様な他国の土地で『自分の味方がいる』……それだけで心強かった。
「ラティアス様、仰ったじゃないですか」
『……うん?』
「『ミミュは〝敵から逃げる事〟は得意じゃないか』って。実際、その通りですよ。私は──逃げ足だけは早いんです!」
ミュンは、そう言ってラティアスに笑いかけると──
ググッと腰を落とし──準備を始める。
「──もしかして、『抜剣術』を使うのですか? 『邪教徒』が? 使えるとしても、所詮は『下級のレベル1』が精々でしょう? 無駄だと思いますけどね……」
そんなミュンの様子を見て、『自分が手を下すまでもない』と判断したのだろう……ローゼンディアスが一歩後ろに下がった。
ローゼンディアスの判断は正しい。
今のミュン如きでは、『皇級聖剣』が出るまでもないのだ。
そして、それを合図とするかの様に、ジリジリとミュンを囲んでいた聖剣士たちの輪が狭まっていき──
(逃げるためにも、何とか隙を作らないと……)
ミュンは、咄嗟にそう考えて、盛大にハッタリをかます事にした。
「近付くな!」
叫ぶと同時に、右手で左腰に携えていたサブウェポンを引き抜いたのだ。
それで何が変わるのか?
変わる訳がない。
聖剣士たちの歩みは止まらず、そのままミュンに向かって飛び掛からんと──
──パリィ
────ババババッ!
──バチチィ
突然、ミュンのサブウェポンの刀身に『閃光』が走る。
いや、閃光ではなく、目に見えるほどの高純度の雷──電流だった。
「な、何だ……? き、気を付けろ! こいつ、何かやろうとしてるぞ!」
聖剣士の一人が叫び、仲間たちに注意を促す。
ミュンのサブウェポンは、ユランが『雷装』で制作した特別性の長剣。
本来なら、『ただの丈夫な長剣』でしかないが……ミュンはユランが持つ『雷』の属性を神聖力で無理矢理再現していた。
当然、ユランが使う雷撃ほどの威力はない──と言うよりも、見た目が派手なだけで、大した威力も出ない代物だ。
しかし、その効果は抜群の様で、ミュンの行動を警戒して聖剣士たちの足が止まった。
ただ、これは相手を驚かせただけ……未だ〝逃げ出すのに十分な隙〟が出来たとは言えないだろう。
これはミュンが考えたハッタリではない……ハッタリはこれからだ。
(ユランくん……ごめん!)
ここから遥か遠い地にいる幼馴染に、心の中で詫びると、ミュンは高らかに──ハッタリをかました。
「……私は、アーネスト王国の聖剣士──『雷神』のリーン! 私は、無駄な殺生は好まない! だが、それでも私に害を為そうと言うなら……死ぬ気でかかってきなさい! 『神級聖剣』に敵うと言うならね!!」
──雷神
数年前、アーネスト王国に『雷』の属性を持つ『神級聖剣士』──謎の神人リーンが現れたと言う事は、国外にも広く知られている話だ。
神人が現れたと言うだけで、世界的に大きなニュースなるもので……
その事は、ほぼ閉鎖国状態の聖王国から、
『聖女が誕生した』
と言う噂が、アーネスト王国まで聞こえてきた事からも分かるだろう。
「ら、雷神だって? 『神級聖剣』って……最強の聖剣だろう? 本当に存在したのか……。そんなのが相手なんて……いくらローゼンディアス様でも……」
「馬鹿言うな! 嘘に決まってるだろ! アーネストの『神級聖剣』がこんな所にいるはずがない! 偽物だ!!」
「で、でも……あのサブウェポンを見ろよ。あんなに激しい雷を纏ってるじゃないか」
「……仮に『神級聖剣』だとしても、聖王国には『聖女シリス様』もいる……負けるはずがない」
群衆がガヤガヤと騒ぎ始める。
「皆の者、落ち着くのだ! 『邪教徒』のこの女が、し、神級聖剣のはずがない! 見ておきなさい! わ、私、直々にこの女を『粛清』する!!」
群衆のざわめきに、焦りを感じたのか、一歩下がっていたはずのローゼンディアスが前に出ようとし──
それと同時に、ミュンを囲んでいた聖剣士たちが一歩下がろうとする。
それこそ、明確な〝隙〟だ。
ミュンのハッタリに心を支配され、有りもしない……『神級聖剣』という強者に怯えた。
本人たちも十中八九嘘だと分かっていながら、その〝もしも〟を疑い、前に出られず──聖剣士たちは一歩下がった。
彼らにとって、絶対的強者──『皇級聖剣』のローゼンディアスに全てを委ね……。
それは、すでに〝戦いを放棄した〟も同じ……
あまつさえ、本来ならば『守護すべき対象』であるはずの国主ローゼンディアスを、矢面に立たせてしまったのだ。
逆に、ローゼンディアスは、果敢に前に出て戦おうとするも……サブウェポンも抜かず、『抜剣術』も使用していない。
焦りからの咄嗟の行動なのだろうが……これは明確な〝隙〟なのだ。
戦う意志のない聖剣士と……
戦う用意のないローゼンディアス……
ミュンは、その隙を見逃さない。
しかし、一つだけ不安なことがあるとすれば……
『聖女シリス』
聖女は、ミュンのハッタリに疑心暗鬼になり、必要以上に警戒している他の者たちとは違い──妙に落ち着いた……
いや、まるで感情の抜け落ちた人形の様に、
無表情で、
しかし、ミュンの方をじっと見つめ──
ただ、そこに突っ立っていた。
(──やっぱり、この人……何か変だ)
ミュンはそう感じたが……
迷っている暇はない。
とにかく、ここから逃げ出さなければ……
その一心で、思考を巡らせる。
相手が戸惑っているとは言え、完全に囲まれている状況……。
隙が生まれたからといって、突破は容易ではないだろう。
『隠剣術』ではとても無理だ。
──ならば。
ミュンは、再び幼馴染──ユランの事を思い出していた。
そして、考える。
あの時のユランくんの様に──
強く──
速く──
鋭く──
そうなれる様に──想像を──思考を巡らせる。
私は強い──速い──鋭い──
「大丈夫、一度は見た。私なら出来る……私なら──!!」
そして、ミュンは──
『アクセル』
自分を騙す言葉を──口にした。




