【3】『粛清』
聖王国──そこは、アーネスト王国と同じく〝君主制〟……所謂、一人の王が国を統治する体制が取られている国である。
とは言え、アーネスト王国に比べて『聖剣教会』の権威が強い国でもあり、『聖剣』の等級がより重視されている国でもあった。
アーネスト王国との一番の違いは、聖剣の等級が高く、確かな実力を持っていれば、平民から国王にすらなれると言う点だ。
現に、聖王国の現国王は『皇級聖剣』を与えられた〝元平民〟だと言われており……前国王の血など一滴も流れていない人物なのである。
「確か……ローゼンディアスって名前の──平民出身の女性国主だったはずです」
聖王国首都、シルラントの繁華街を歩きながら、黒髪の少女──ミュン・リーリアスが呟く。
いや、呟いたのではなく、ミュンの肩に乗っているヌイグルミの様な見た目の黒トカゲ、ラティアス・ナーグに向かって言ったのだ。
アーネスト王国は聖王国の友好国ではないため、それほど情報がなく、事前に調べられる事には限界があったが……ミュンは王国を出発する前に、聖王国について出来る範囲で下調べしていた。
その国主についても、ミュンが下調べした情報の一つだ。
『ローゼンディアス……。平民出身にしては大層な名前だな』
ローゼンディアス・ゼ・ア・ルミナリア──それが聖王国の現国主の名前だ。
未だ国主になって数年の新参で、事前情報が驚くほど少ない謎の人物でもあった……。
分かっている事は──
女性である事、
平民出身の国主である事、
『皇級聖剣』である事、
国主である事を笠に着ない、『名君である』と噂されている事、
この四点のみだ。
しかし、その謎多き国主よりも更に情報が少なかったのは……
今回の『聖務』の目的でもある、『聖女シリス』。
聖女シリスについては、いくら調べても情報がなく、『名前以外は何も分からない』──ローゼンディアス以上に謎の人物であった。
「名前については、国王になってから改名したかもしれませんし……そこについてはどうでも良いんです。ただ、厄介ですね……」
『うん? 何が厄介なのだ?』
「その国王、『皇級』ですよ? 抜剣レベルにもよりますけど……『レベル3』以上なら、私じゃ絶対に勝てません。聖女だけでも頭が痛いのに」
『いやいや、何故戦う事が前提なのだ? 今回の目的はあくまで『聖女の実態調査』であろ?』
「……調査だけで済むと思います? こんなきな臭い内容の『聖務』が? 始まった時点で嫌な予感がプンプンしてるんですけど」
『まあ、ミミュは〝敵から逃げる事〟は得意じゃないか。私もこの分身体では戦闘面で何の役にも立たないし、無理だと思ったらすぐに逃げる事だ』
「……人を『逃げ足だけは早い奴』みたいに言うの止めてもらえます?」
*
ミュン・リーリアスは天才である。
しかし、
類稀なる剣術の才能も……
抜きん出ている『抜剣術』の才能も……
『貴級聖剣』であるミュンには〝宝の持ち腐れ〟と言っても良い。
『抜剣術』は、聖剣の等級が一つ違えば、同じレベルであっても〝レベル2つ分〟の開きが出ると言われている。
つまり、ミュンが使える『貴級聖剣』の『レベル4』は──『皇級聖剣』の『レベル2』相当でしかなく……
ミュンが言う様に、『皇級聖剣』と敵対した場合、相手が『レベル3』なら──『貴級聖剣』のミュンは『レベル5』でなければ対抗できない事になる。
『レベル4』が相手ともなれば、『レベル6』相当が必要……
『抜剣術』はレベルが一つ違えば、与えられる恩恵や能力にも天地ほどの差が生まれるため、相手のレベルによっては何も出来ずに封殺されてしまうのだ……。
*
ミュンは、シルラント内を歩きながら周辺を注意深く観察する。
先ずは情報収集……
「とにかく、少しでも情報を集めないと……。こう言う場合は──酒場なんかに行くべきなんですかね?」
『……その根拠は?』
「根拠というか、情報が集まる場所って言ったら『酒場』って昔から相場が決まっているのでは?」
『ミミュ、君ねぇ……ここは物語の中じゃないんだよぉ〜? そんなに都合良く、『酒場』なんかに君の欲しい情報が集まるかなぁ? それにぃ〜、ここは大きな街なんだよぉ? 『酒場』が幾つあると思ってるのぉ? それを全部調べて回るのぉ? ヤバすぎぃ〜』
「…………何でムカつく感じで言ったんですか? 煽ってます?」
大声で言い合いをしながら歩く二人だが……
正午になったばかりの繁華街は多くの人で賑わっており、その喧騒に飲まれて特に悪目立ちする様子もない。
分身体であり、本体から離れすぎている所為で何の力も持っていないラティアスは、『黒トカゲ形態』を取っているが……
聖王国でも『喋るペット』と言うのは珍しいものでもないらしい。
「最近の聖王国に関しては、閉鎖的な面が多すぎて情報が少なすぎます……。適当に見て回るだけでも、何かしらの情報が得られそうですが……」
などと考え、『兎にも角にも情報収集』と目的を定めたところで──
「おい! そろそろ始まるぞ!」
突然、何処からともなくそんな声がしたかかと思えば……繁華街の露天商たちが早々に店じまいを始める。
……未だ、正午になったばかりにも関わらずだ。
ただでさえ騒がしかった繁華街の喧騒が、異様なほどの熱気……そして、熱狂に包まれる。
「女王ローゼンディアス様バンザイ! 聖女シリス様バンザイ!」
「粛清を! 聖王国を堕落させる悪しき者たちに粛清を!」
人々は口々にそんな事を叫び始め……
先ほどまでは、何の変哲もないただの繁華街であったにも関わらず、『ただ一人の』『ただの一言』で雰囲気がガラリと変わってしまった。
「……何? ……これ?」
ミュンは、まるで自分が、『別の世界に迷い込んでしまった』かの様な錯覚を覚える。
「あ、あの! ち、ちょっと良いですか!」
ミュンはその異様な光景に押され、思わず一番近くにいた男性に声を掛けてしまう。
『──しまった』
と後悔したが、時すでに遅し……。
突然声を掛けられた男性は、煮えたぎった熱湯に冷や水を浴びせられたかの様に、急に落ち着きを戻し、冷めた視線をミュンに向ける。
その温度差──あまりの不気味さに、ミュンはブルリと身震いするが……
それだけでは終わらず……先ほどまで熱に浮かされた様に熱狂していた人々が──
声を掛けられた男性と同様に、無言になり、ジッとミュンを見つめていたのだ。
まるで、示し合わせたかの様に……。
「あ、あの……私、実はメメントールからの旅行者でして。聖王国は初めてなので事情が分からず……」
ミュンは咄嗟に嘘を付いた。
メメントール国は聖王国の友好国であり、ミュンが付いた嘘が『友好国なら聖王国の内情は知っていて当然』と言うふうに転べば、逆効果になりかねない。
しかし──
「おお! アンタ、メメントールの人か! それなら知らないのも無理はないな……!」
良い方向に転んだらしい……。
男性が納得した様子を見せると、周囲の人間の様子も徐々に落ち着いていき──
また、直ぐに熱に浮かされた様な表情に戻っていく……。
その落差もまた、言い知れぬ不気味にさに拍車をかけていた。
しかし、ミュンはその異様な空気の中──
「そ、そうなんです。まだ、ここに来たばかりなので……聖王国の内情には疎くて。できれば、何があるのか教えて頂けませんか?」
良い方に転んだなら『それを利用しない手はない』と、男性にそう問うた。
ミュンの問いに対する男性の答えは……
「『邪教徒』の粛清だ」
だった……。
*
──男性の話はこうだ。
聖王国には、『国を堕落させる悪』と言われる『邪教徒』なる者が存在する。
『邪教徒』は、光の創造神ソレミアが人類に与えた希望──『聖剣』を利用して〝悪事を働く者〟の事を指す。
聖王国における『邪教徒』は、〝大罪を犯した者〟として、通常の罪人よりも重い咎を受け、その罪は当人だけに留まらず……その親族、関係者にまでも及ぶと言われている。
そのため、『邪教徒』に指定された者に関われば、事実上無関係の者すら〝同類〟として罪に問われかねないたため……完全に社会から孤立し、逃亡する事すらままならない。
現国主、女王ローゼンディアスは、元々『皇級聖剣』だと言う事もあったが、この『邪教徒』を王国から弾圧、粛清した事で国民から英雄視され、国主に成り上がったと言う経歴を持つ。
聖王国にとって、『邪教徒』は『魔族』や『魔物』よりも忌むべき存在として認知されているのだ……。
*
『『粛清』に間に合わなくなるから、話を聞きたいなら付いて来い』と言う男に伴われ、ミュンは歩きながら男の話を聞く。
……その『粛清』とやらが行われる場所へと向かっているのだろう。
男性は『邪教徒』の事を懇切丁寧に説明してくれた。
女王ローゼンディアスが国主となった経緯すら……。
何も知らないミュンに対する親切心なのだろうが、そう語る男性の目は、熱に浮かされる重病人の様で──
明らかに普通じゃない……何かに対して狂信的な……異様な雰囲気を醸し出していた。
「『粛清』って……一体何を……?」
ミュンは、男に聞こえない様な小声で言う。
男には聞こえていないが、ミュンの方に乗っていたラティアスにはしっかり聞こえていた様で──
『……おそらく、『公開処刑』の類だろうな』
ラティアスは、怒気を孕んだ強い口調でそれに答えた。
ラティアスは『繋ぐ者』……例え罪人だとしても人間の命が失われる事が許せないのだろう。
『繋ぐ者』として、『罪を犯した相手を裁く』権限を持っているラティアスだが、『人間の考える罪』と『竜族が考える罪』は違う……ラティアスにとっては人間の罪人=『罪人』ではないのだ。
そんなラティアスの様子を気にするでもなく、男は相変わらず熱の籠った視線を前方に向け、言った。
「アンタは運が良い。最近、女王ローゼンディアス様のご活躍で『邪教徒』の数も減ってきてるからな。『粛清』が見られるなんてなかなか無い事だ」
──おそらく、民衆が熱狂していた原因はこれだろう。
大罪人の『公開処刑』なのどは、どこの国でも当たり前の様に行われている事で……
娯楽の少ない市民たちに取って、良い見せ物になる事この上ない。
実際、アーネスト王国でも大罪人と呼ばれる者たちに対しては──『公開処刑場』にて、民衆の前で処刑が行われるなど……〝見せしめ〟の意味を込めた処刑執行が催される事もあった。
まあ、『国家転覆を目論んだ』などと言う、〝国レベルで危機をもたらした大罪人〟に限った処罰ではあるのだが……。
男の話では、『邪教徒』は大罪を犯した者──『粛清』されるには、それなりの理由と罪があるのだろう……。
しかし……
「気持ちの良いものじゃないですね……」
ミュンは、『粛清』に熱を上げる男に、自らとの温度差を悟られない様に……静にため息を吐いた。
*
ミュンたちが『粛清』が行われるらしき場所──巨大な競技場の様な、全体石造りの建物の入り口付近にたどり着いた時、目の前には想像を絶する光景が広がっていた。
人の群れ、群れ、群れ……。
『街中の人間がそこに集まっているのではないか』と思われるほどの群衆──そして、肌寒い気候を吹き飛ばすほどの熱気、熱気、熱気……。
石造りの競技場は、『屋根のない野晒しの客席』と、中心の一段高い位置にある『舞台の様な場所に』分かれており……そのさらに奥には、そこだけ『屋根の付いた豪奢な飾り付けのされた席』がいくつかある。
豪華な席は、貴族などが座る貴賓席なのだろうか……全体的に何とも悪趣味な場所だ。
「おっといけねぇ! もうこんなに集まってやがる! アンタ、早く行かないと良い場所で見られなくなるぞ!」
男はそう言うと、伴ってきたミュンを置き去りにし、人の波の中に飲み込まれていった。
中心の舞台様の場所については、一段階高い場所にあるため、ミュンがいる位置からでも十分に見渡せるのだが……。
誰しもが『最前列で見たい』と言う理由からか、前方は人でごった返している。
そんな中、その人混みを避けるな様な遠い位置に──しかし、舞台の中心はしっかり見える位置に……その人物はいた。
頭から深くフードを被り、その素顔は確認できなかったが……
体格からいって、おそらく女性。
そのフードの女性は地面に膝を突き、両手を合わせて、祈る様な格好で何かブツブツと呟いている。
傍から見れば、異質で悪目立ちしているが──熱に浮かされている人々は、その異質な人物に気付いてすらいない。
いや、『粛清』などと言う蛮行に興味のないミュンだから気付けたのだろう……。
別段、興味をそそられた訳でもなかった。
先ほどの、『粛清』に対する市民の異様な熱狂具合を目の当たりにしているのだ。
ミュンは、
『こう言う人もいるのだろう』
くらいにしか考えていなかった。
しかし、その女性が発した言葉が偶然にもミュンの耳に入ってしまう。
別段、その声を拾おうとしていた訳ではない。
「……めん……さい……ご……ん……なさ……い……ごめん……なさい……」
女性は、何かに対して、ひたすらに謝罪の言葉を口にしていた。
「粛清」「粛清」「粛清」
と、熱狂的に叫び続ける民衆とは裏腹に……切実に、そして、懇願にも近い必死さで……
神に祈りを捧げる様に……
許しを求める様に……
謝罪の言葉を繰り返していた。
その、あまりの必死な様に、ミュンの心は掻き乱され……思わず、その女性の下へと近づいて行く……。
正直、ミュンは『街の人たちがここに集まっているなら、秘密裏に首都内を探るのに都合が良い』と考えており、このままこの場を後にするつもりだった。
大罪を犯した者が、罪に問われるのは当然の事で……気持ちの良いものではないが、処刑されるのは致し方ない事なのだ。
ミュンはそう思っていた。
だが、その女性の様を見て、そのまま放置して立ち去る事もできなかった。
それが、余計なお節介だとしてもだ……。
「……あ、あの──」
──ミュンが、フードの女性に話しかけようとした瞬間だった。
「始まるぞ!」
誰かが叫んだ。
それが『誰か』などは関係ない。
「『粛清』が始まる。『邪教徒』に粛清を! 苦痛による死を!」
「『粛清』、『粛清』、『粛清』! 聖王国を堕落させる『邪教徒』に死の苦痛を!」
辺りに怒号が飛び、人々の熱狂は最高潮に達した。
ミュンは思わず、叫び声を上げる民衆の方──そして、その熱の中心となっている舞台上に目をやった。
「大罪人がやってきたぞ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」
民衆は、すでに『粛清』という言葉で取り繕う事もしなくなった。
ただ、罪人を『殺せ』『殺せ』『殺せ』と叫び続ける。
声が枯れても、
声が出なくなっても、
声なき声で叫び続ける……。
そんな中、人々を熱狂の渦に巻き込んだ大罪人──『邪教徒』は姿を現した。
ミュンの目に映った大罪人……
それは──
「──こど……も?」
どう見ても、子供……
それも、4、5歳くらいの幼い少年であった……。




