【28】遠征終了
「……ちゃん! ──ユーちゃん!!」
自分を呼ぶ声に、闇に沈んでいたユランの意識が唐突に覚醒した。
突然の事に、開くのを拒否しようとする瞼を無理矢理開き、ユランは目を瞬かせる。
「──レピ姉ぇ?」
次第に定まっていく視界の先には──
仰向けに倒れていたユランを覗き込む様にして、声を掛けながら身体を揺すり起こしているレピオがいた。
「ここは……?」
レピオの呼び掛けに答えながら、ユランはゆっくりと身体を起こし、辺りを見渡す。
場所は魔王城が出現した場所──
ゴリアン地帯で間違いない。
しかし、周りに見えるのは、一面焼け焦げた大地と……
大地に根を生やした樹木の様に、微動だにしないアカデミー生や講師たちの姿だった。
「な、何だか……とんでもない事になってるね」
ユランは、目覚めて直ぐ目にした光景に素直な感想を口にしたが、そんなユランの様子を目にしたレピオは、
「やったのはユーちゃんだけどね」
と言って楽しそうにケラケラ笑う。
〝神の庭〟は、『内』と『外』で時間の流れが異なる。
『外』から見てみれば、時間が止まっているかの様にゆるやかに時が流れる場所なのだ。
つまり、ユランたちが〝神の庭〟を訪れていた時間は、『外』からすればほんの一瞬の出来事であったと言う事なのだが……
そのわずかな時間の間に、ラティアスの『竜眼』に囚われていたはずのレピオは、何事も無かったかの様に元気に動き回っていた。
他のアカデミー生や講師陣は、未だに指一本動かせない状態だと言うのに……
流石は『皇級聖剣』と言った所か。
「ペット! ユーちゃんが目を覚ましたよ! …………ペット?」
レピオは、ずっと側に居たらしい人間体のラティアスに声を掛けるが──
ラティアスは目覚めたユランに一度も視線を向ける事なく、ジッと西方の空を凝視している。
そんなラティアスを見て、レピオは訝しげな視線を向けた。
「ユーちゃんたちが現れる前にも、それやってたよね? どこ見てるの??」
レピオは何となしにラティアスの横に立ち、視線の先を追うが……
どれだけ目を凝らそうが、そこに見えるのは地の果てまで広がる平原の緑色だけだった。
『遠すぎて人間の目には見えんだろう。私が見ているのは、先ほどお前に言った〝新たな客〟だ』
それは、ユランたちが魔王城から生還するより少し前……
『竜の心臓』を使用したラティアスがレピオに言った言葉だ。
「そう言えば、そんな事言ってたね。ペットが言った〝新たな客〟って、暴走したユーちゃんの事じゃないの?」
『そんな訳はなかろう。主人殿の暴走は想定外の事だ。私が言っている客とは──』
ラティアスは、言い終わる前に『やれやれ』と言った様子で頭を振り──
西方の空から視線を外すと、初めてユランに視線を向け、言った。
『──主人殿。起き抜けの所で少々辛いだろうが……準備した方が良い。来るぞ』
*
それは──
一瞬の出来事だ。
異様なオーラを放ちながら、
音もなく、
気配もなく、
〝ソレ〟はそこに立っていた。
そもそも、何もかもが矛盾しているのだ。
いつからそこに居たとか、
ずっとそこに居たとか……
気配が全く無いのに、
異様な存在感を放っているだとか……
そこに存在しているのか、
いないのか……。
その存在は、まさに矛盾だ。
この世に存在してはならぬモノ。
「──────」
ユランは、〝ソレ〟を見た瞬間、声にならない悲鳴を上げた。
「────ひゅ」
辛うじて、短く息を吐く事は出来たが……。
それが精一杯だ。
そしてユランは、〝ソレ〟を見ても〝気を失わなかった自分を褒めてあげたい〟とすら思った。
「────ぎにゅ」
ユランの側に立っていたレピオは、奇妙な悲鳴を上げながら地面にうつ伏せに倒れ込む。
レピオは〝ソレ〟の放つ威圧感に抗えず、涙を流しながら地面に這いつくばり──
「ぎにゅ──ぎにゅ──ぎにゅ──」
尚も、奇妙な悲鳴を上げ続ける。
普通ならば、即座に意識を失ってもおかしくは無い状況だが……
レピオは『皇級聖剣』……
中途半端に〝ソレ〟に抗う事が出来てしまい、意識を手放す事が出来ずにいた。
『そうか……ここまでなのか……。しかし、これはただの残滓。謂わば、絞り滓のようなものだぞ?』
〝ソレ〟を前にしても、少しも怯む様子を見せずにラティアスがそう言う。
次いでラティアスは、地面に突っ伏すレピオと、
『息をする事も困難だ』と言った様子のユランに交互に視線を向け、
『『王位』──ましてや『神位』でもこれとは……先が思いやられるな。まあ良い。我が子のこれからに期待するとしよう』
と言って踵を返した。
そして、ラティアスは視線の先に、樹木のように固まって動かないアカデミー生たちを捉え──
『──目を閉じろ──』
『竜眼』を発動させ、その場にいたユランを除く、全ての人間に向かってそう命じた。
いや、ラティアスはユランを『竜眼』の命令から省いた訳ではなく……
神人であるユランは、ラティアスの『竜眼』に、ある程度抗えてしまったのだ。
強制的に目を閉じさせられ、〝ソレ〟を視界から離す事の出来た、レピオを始めとする他の人間たち……
最初から気を失っているため、〝ソレ〟を視界に入れる事すら無かったリリア……
それらの者は運が良かった。
『泣きべそをかく』だけならまだ良い。
失禁したとしても、それが何だと言うのだ。
〝ソレ〟を目にした〝力無き者〟は……
きっと、その恐怖と絶望から、
〝自ら命を絶っていた〟に違いないのだから……。
*
〝ソレ〟の姿は、例えるなら、
体毛の無い狼……。
貧相に痩せこけ、力無くダラリと垂れている両腕を見るに──
とても、強者であるとは思えない有様だ。
それもまた矛盾。
強者足り得るモノなど、何一つ持ち合わせていない様子なのに、〝ソレ〟は確かに強者然としていた。
しかし、剥き出しになった血管や、今にも腐り落ちそうなほど爛れた皮膚が、
〝ソレ〟が普通の生物ではない事の証明の様だった。
【キヒィ──キキキ──ギョヒ──】
それは鳴き声なのか……
まるで人間たちを嘲笑うかの様な、
遥か高みから、人間たちを見下しているかの様な……
そんな色を含んだ笑い声だった。
大凡、知識や良識など持ち合わせていないかの様な下品な声。
しかし、そんな下卑た笑みに対しても、
苛立ちを覚えるとか、
嫌悪を感じるとか、
そんなレベルの話ではなかった……。
ユランが〝ソレ〟から感じたのは、
『恐怖』
ただ、純粋な『恐怖』だ……。
それも仕方のない事。
何故ならば、〝ソレ〟は人類にとって『恐怖』そのものであり、
〝ソレ〟に恐怖を感じるのは、ただの……人としての本能なのだから……。
*
『此奴らを畏怖する……それは人間族としての本能だ。潜在的な恐怖に抗えようはずもない。此奴らを前にすると、人間族は無条件に大幅な〝デバフ〟が掛かるらしい……。まあ、我々『竜族』も例外では無いのだろうが、竜族には〝竜の心臓があるからな』
〝ソレ〟が放つ強烈な『恐怖』の感情に晒されて動けなくなってしまったユランに対し、ラティアスは自分の胸辺りを指差し、そう告げる。
その獣のからユランが感じ取った恐怖は、ラティアス……いや、バル・ナーグと対峙したとき以上だ。
……ある意味、比べ物にならないほどに。
「デ……バフ……?」
ラティアスの言葉を受け、ユランは辛うじてそう口を開く。
『……古代語だ。さあ、主人殿。『魔神族』との初めての接触だぞ。今の状態では、動く事もままならぬだろうが、『魔神族』と言う存在を直に経験する良い機会だ。しっかり見ておくと良い』
ユランは、〝ソレ〟の正体に薄々勘付いていたが……ラティアスの言葉で確信に変わった。
やはり、相手は『魔神族』。
人類の大敵……。
「ラ……ラティ……?」
しかし……
こんなモノが相手だとしたら、人類に勝ち目などない。
人類の希望、
最強の聖剣士であるはずの神人──
ユランが恐怖で動けもしないのだから。
『ふむ。こちらが動きを見せなければ、あちらも動かない……。どうやら、此奴は斥候の様なモノらしい。こちらの様子を伺い、自ら動こうとしないか……』
『魔神族』が放つ『恐怖』を感じていないのか、ラティアスは目の前の相手を興味深そうに──マジマジと観察する様に見回した。
そして、次いでラティアスが放った言葉に、ユランの『魔神族『』に対する『恐怖』は更に強まる事となる。
『主人殿……。残念ながら、此奴は偵察の……唯の雑兵だな。はっきり言って雑魚中の雑魚だ。だが──』
『魔神族』対する恐怖に青ざめているユランに対してラティアスはそう言って笑うと──いつの間にか、ユランが『雷装』で作り出した『雷の槍』を手にしていた。
『そう悲観する事でもない。先ほども言ったように、『魔神族』を必要以上に畏怖してしまうのは『人間族』としての本能の様なものだ。その『恐怖心』に、普通は絶対に抗えない』
そして、ラティアスは『雷の槍』を右手で掲げて持ち、左手を照準の様に『魔神族』がいる方向に伸ばすと、腰をグッと落とす。
槍を投擲するつもりなのだ。
『しかし、勘違いするな主人殿よ……。人間族が『魔神族』に感じている『恐怖』は、絶対的強者から感じる〝畏怖〟とは違う。ただ、『魔神族』と言う存在に本能が屈服しているだけなのだ。そんなモノは──』
【──!?】
一瞬の出来事だ。
ただ、ラティアスは『雷の槍』に竜気を込めた訳でも、特別な措置を施した訳でもない。
力任せに槍を投げつけただけ。
しかし、それは音も無く、
猛烈な勢いで、
目にも留まらぬ速さで、
──『魔神族』に直撃し、その胴体を最も簡単に貫いた。
『克服さえしてしまえば、どうとでもなる。本能に打ち勝つ、強き心を持つのだ。その方法は私が教えよう。そうすれば、主人殿は──『魔神族』最強のバケモノですら超越する、正に『真なる神人』となるだろう』
ゴォォォォォォンッ!!!
ラティアスの言葉を追う様に、『雷の槍』が直撃した際の轟音が遅れて辺りに響き渡る。
そして、『雷の槍』に胴体を貫かれた魔神族は、断末魔の叫びを上げる間もなく、貫かれた箇所から波紋が広がる様に消滅していき──
やがて、跡形もなく消え去った。
「あ……」
『魔神族』が消滅した瞬間、ユランを捉えて離さなかった『恐怖心』が少しずつ失われて行が……
ユランの心の奥底には潜在的恐怖が燻っており、早鐘をつく様に脈打つ鼓動の速さは少しも治る気配がなかった……。
『主人殿。何度も言うが、『魔神族』に対抗するための鍵となるのは『恐怖』に打ち勝つ事だ。斥候程度の雑魚相手だとしても、足がすくみ、動けなくなれば戦いにすらならん』
ラティアスはそう言って微笑むと、『恐怖』の余波で未だに動く事も出来ないユランに近付き、ワシャワシャと頭を撫でる。
『だが、克服でき、自由に動けるならば、『魔族』を相手にするのと左程変わらない。本来の持ち主ではない私が、『雷の槍』を用いて倒せるくらいであるしな。その点だけ言えば、『魔族』を仮想敵とした愚神の行いも間違っていなかったのかも知れないな……』
ラティアスの言葉の意味は、ユランにも理解出来た。
実際に目の当たりにした『魔神族』は、戦闘能力だけで言えば『魔族の』──
中位の『魔王』程度のものだろう。
ラティアスの話では、『魔神族』の中でも偵察目的の、いわゆる斥候で、雑魚程度でしかない様だが……。
しかし、それでも討伐が不可能な訳ではない。
実際に、その程度であれば『神級聖剣』のユランやリリアなら十分に討伐が可能なレベルなのだ。
ただ、ラティアスの言う様に、〝本能レベルで与えられる『恐怖』の感情を克服できれば〟であるが……。
「ま、魔神……ぞ、族……の……きょ、恐怖……に……に……う、打ち勝つ……ほ、方法……って……? ──ぐっ!?」
ユランは疑問を口に出そうとするが、ブルブルと震える唇では上手く言葉を紡ぐ事が出来ず──
忌々しげに右手で口元を覆い、強く握った。
まるで、『恐怖』に支配された心を否定するかの様に、
身動きすら取れなかった事を恥じ、『勇気』を奮い立たせ、『恐怖』を無理矢理にぎり潰そうとするかの様に……。
傍から見ればただの強がりに他ならないが、今のユランにはそれが精一杯だった。
ラティアスは、『魔神族』の恐怖に打ち勝つ方法を教えると言うが……
『ただ、悠長に構えている時間はないだろう。斥候が現れたと言うことは、彼奴等の──封印が綻び始めていると言う事だろうからな……。まあ、持って2、3年と言った所か』
そう呟いたラティアスの言葉が、未だに『魔神族』に対する恐怖を拭いきれないユランの耳の奥くにいつまでも残り続けた……。
こうして、いくつかの疑問を残し、いくつかの問題は解決しないままで『魔物討伐遠征』は終わった。
『魔神族』の事も大きな問題だが、新たに……いや、再び現れた宿敵、『鎧の魔王』の事も無視出来ない問題だ。
回帰前、『鎧の魔王』の居城が現れてからの数年間は周辺で度々『魔物の暴走』が起こっていた。
普通の『魔王』は『知性』があるため、魔王城から生み出される魔物を掌握し、自らの地盤を固める事に勤しむものだが……
『鎧の魔王』に至っては知性が無いため、無制限に現れる魔物を掌握する事なく野放しにする。
理性をなくした魔物たちは、周辺の生物を際限なく喰らい尽くし、土地を破壊していく。
回帰前の世界では、そうやって『鎧の魔王』による被害が拡大していったのだ。
それを見過ごせなくなり、回帰前は小規模の討伐隊が編成され、無理とも思える『鎧の魔王討伐遠征』が実行された訳だが……。
今にして思えば、そう言った状況から、『鎧の魔王』に知性が無い──特別な魔王であると想像出来たかもしれない……。
しかし、人類が衰退した回帰前の世界では、そこまで予想し、状況を静観する余裕などなかったと言える。
兎も角、『鎧の魔王』を放置し続ければ、周辺に被害が拡大していくのは確実だ。
『魔神族』の脅威に対抗するために準備が必要だと言うのに、そちらに戦力を割くのは避けたい所……
それに、『鎧の魔王』の正体についても謎のままである。
回帰前のユランと〝全く同じ顔〟の魔王……。
無関係な訳がない。
魔族の正体が『人間の成れの果て』とはラティアスの言であるが、ならば『鎧の魔王』の正体とは……。
今回の遠征で様々な事が判明したが、新たな疑問が生じ、謎は深まるばかりであった……。




