【24】暴走
それは、正に獅子の咆哮だった。
一歩、一歩、前に進むほどに大地が揺れ、爆音が轟き、閃光が迸る。
グオォォォォォン!!!
吠える──
吠える──
吠え続ける──
そこから感じるのは『激しい怒り』。
雷神の怒りだ。
天空に浮かぶ黒雲から、雷光が走り──
『漆黒の雷』が大地へと降り注ぐ。
ゴウンッ! ゴウンッ! ゴウンッ!
虚空の大地へと落ちた雷は──
まるで〝獅子が敵を威嚇する際の唸り声〟の様に、激しい轟音を立てる。
正しく天災……
人間が……
いや、魔族であろうと、何であろうと──
天の怒りを止める術などない。
……誰も、その場を動く事が出来なかった。
初めての戦闘経験を経て、一回り成長したはずのCクラスの生徒半数も、
『鎧の魔王』と対峙し、その圧力に曝された事で、精神的に強くなったはずの者たちも、
その者たちよりも実戦経験が豊富で、心身共に強靭なはずの生徒会メンバーも、
引率の講師たちのでさえも、
足が竦んで動けない……。
だが、そんな精神状態などとは縁がない──
知性がなく、恐怖と言う感情が欠落している魔物たちは、愚かにも雷神のテリトリーへと足を踏み入れた。
ドドドドドドドド!!!
雪崩の様に、200体近い魔物がユランに向かって押し寄せる。
しかし──
ゴォォォォォォォォ!!!
一際大きな咆哮が轟き、
天空から一筋、『漆黒の雷』が大地に落ちる。
落雷が襲ったのは、先頭にいた一体の魔物だ。
たった一体だけ。
そして、そのたった一体は、音もなく蒸発し──
一瞬の閃光と共に、黒雷は一気に周辺へと広がり──
またもや、音もなく、200体近い魔物を飲み込み──
蒸発させた……。
ゴゥゥゥゥゥゥン!!!
遅れてやってきた獅子の咆哮は、獲物を喰らった悦びに打ち震え、高らかに鳴り響く。
ゴウンッ! ゴウンッ! ゴウンッ!
目の前の敵を喰らい尽くしたと言うのに、黒雷は消える事なく──
巨大な蛇の様にのた打ちながら、
鞭の様にしなやかに、
暴れ回った。
黒雷は、咆哮を上げ、次の獲物〟を探しながら──大地を駆け巡る。
そんな中、全身に黒雷を纏いながら、ユランは走る。
黒雷によって限界まで強化された身体は、空気を切り裂き、大地を深く削りながら前へと進んで行く。
既に、倒すべき敵など居ないと言うのに……。
ユランは止まらない……。
──ユランの聖剣は、黒く、黒く……〝漆黒に近い黒〟に染まっていく。
明らかに、聖剣の力を制御出来ておらず……『リリアを救う』と言う目的すら見失っている様子だった。
『主人殿……まだ、そこに至るのは早過ぎるぞ。へドゥンめ、主人殿可愛さに、後先考えず願いを聞き入れたな……。あのアホ女神、今度会ったら尻をペンペンしてやる』
ラティアスはこの状況をある程度予想していたのか、焦る事もなく、呆れた様にため息を吐いて、ジト目で空を見上げた。
「ペット! 呑気なこと言ってないで、ユーちゃんが大変な事になってるよ! お姉ちゃんが助けないと──」
ユランの尋常ではない様子を見て、レピオが駆け寄ろうとするが──
『──動くな──』
ラティアスが『竜眼』を発動させ、レピオの動きを強制的に制止させた。
「な……!? 何で……こんな……。『竜眼』なんて……!」
レピオはラティアスの『竜眼』に必死に抗おうとするが……
『無駄だ。それなりに力を込めているからな。今までとは違う。決して動かず、口も開かず、じっとしていろ。少しでも動けば、主人殿に焼き殺されるぞ』
ラティアスは鰾膠も無く、言い放つ。
「な……?」
レピオは硬直した身体を動かす事が出来ず、視線だけで辺りを見渡すが──
ラティアスの『竜眼』は、その場にいた全ての……それこそ、ユランを除く全ての者の動きを完全に封じていた。
アカデミーの生徒、
生徒会メンバー、
そして、引率の講師に至るまで……。
それなりに腕に覚えのある者たちであっても、ラティアスの『竜眼』に逆らえず、立ったままで気を失っている様な状態だった。
正気を保ち、僅かながらに会話の出来るレピオは流石『皇級聖剣』と言った所か……。
「ユ、ユーちゃん……。レ、レピオ……アンタに代わるから……『竜眼』を何とかして──」
『まあ、待て。心配せずとも、主人殿は私が何とかしよう。これも〝親の務め〟……だからな』
あくまでも、ラティアスの『竜眼』に抗おうと試みるレピオを、ラティアスはそう言って宥める。
そして──
ドンッ!!
ラティアスは、地面を強く蹴り上げ、疾走してくるユランに向かって突進を開始した。
*
ズズズッ──……
深い闇が、ユランの意識を支配しよと這い寄ってくる……。
殺せ。
殺せ。
邪魔者をコロセ。
頭の中に、そんな声が木霊する。
邪魔者。
邪魔者。
聖剣──そうだ、聖剣は邪魔者だ。
ズズズズッ──……
ユランの頭の中に浮かんだ声は、次第に強くなり……
その声が──
誰の物とも知れないその声が──
まるで、自分の意思であるかのように錯覚し始める。
それは、抗いようのない、圧倒的な『魔の力』の支配であった。
ユランが放った『雷音』の黒雷は、動くモノ──いや、音を立てるモノ全てに反応し、無差別に攻撃を繰り返している。
木々が擦れる音、
小川のせせらぎ、
大地に吹く風の音にまで……
その全てに反応し、落雷の雨を降らせている。
『雷音』の範囲内に、『無事な場所など一つもない』と言った様子だ……。
だが、『雷音』は物の音や動きに反応しているのか──ラティアスの『竜眼』で動きを封じられた者たちを、綺麗に避けるように落雷の雨を降らせている。
通常ならば、この落雷は制御可能なもの……
しかし、魔の力に呑まれかけ、暴走しているユランは、手当たり次第に攻撃を仕掛けていた。
そんな時──
ドンッ!!
ユランの前方から爆発音が響き、土煙を上げながら、〝黒い何か〟がこちらに向かって突っ込んでくる。
──
────
その動きに反応し、天空から新たに七つの黒雷が、『黒い何か』──突進してくるラティアスに降り注いだ。
ガッ! ガガッ! ガガガガガッ!!
遅れてやってきた七つの爆雷音と共に、計八つとなった黒雷が、ラティアスを焼き払わんと攻撃を繰り出す。
まるで、八つ頭を持つヒュドラの様に──
うねり、重なり、咆哮を上げる。
しかし──
ドドドドドドドッ──……
ラティアスの突進は、それらを最も簡単に跳ね除け、止まる事なく突き進んで行く。
そのまま、ラティアスの突進がユランを捉えるかと思われたが……
バチバチバチッ!!!
突然、ユランの全身を『漆黒の雷』が包み込み──
『主人殿! それは使うな! リリリが死ぬぞ!』
ユランがしようとしている事に気が付き、ラティアスは堪らず声を上げる。
ラティアスの制止の声にも構わず、ユランの全身を包み込んだ『漆黒の雷』が爆発を起こした。
『主人殿──!!』
ラティアスは右手を伸ばし、リリアを守るために『竜気』による『防壁』を発動させようとするが──
ペキッ ペキッ ペキペキ──……
ラティアスの『防壁』が発動するよりも早く、ユランの胸に抱かれたリリアの周辺に、〝黒い結晶〟の様なモノが発生し──
あっという間に、リリアの全身を包み込む。
ユランの力が、リリアの周りに『鎧』の様な『防壁』を作り出したのだ。
『……そのくらいの理性は残っていたか。チッ──油断したな』
ラティアスは軽く舌打ちし、失態を演じた自分を恥じた。
リリアの身を慮り、『防壁』を発動するために、自らを包む『竜気』を弱めてしまった……。
そして──
雷そのものと化したユランの身体は、限界まで引き絞った強弓の様に──
しなやかに、
そして、強烈に、
『迅雷一閃』の一撃を放った。
『迅雷』のチャージもなく、即座に放たれた『一閃』……。
通常ならば、必ず必要になってくるプロセスを一切無視し、『迅雷一閃』が放たれる。
ラティアスがリリアの身を案じたのは、ユランが『迅雷一閃』を放とうとしている事に気付いたからだ。
ユランの『迅雷一閃』は、サブウェポンを消滅させるほど反動のある技……
無防備な状態のリリアが巻き込まれればどうなるか……火を見るよりも明らか。
だが、ユランは僅かに残っていた理性で、リリアを守るための『防壁』を展開した。
そして、それが結果的に、リリアの身を案じたラティアスの隙を突く形となってまう。
ガガガガガ!!!
地面を削りながら、漆黒の雷がラティアスに迫る。
『『竜気』の展開は……間に合わんか。ならば純粋な力で押し切る!!』
ラティアスは叫び、ユランの『迅雷一閃』に向かって右手を差し出し、目一杯の力を込めた。
ゴガッ!!!!
ラティアスとユランの身体が交錯し──
一瞬の攻防の後、ユランの身体が後方に抜ける。
サブウェポンを用いないユランの攻撃手段は、『迅雷一閃』の勢いに任せた、ただのタックルだ。
そして──
ゴッ! ゴゴッ!! ゴゴゴゴゴッ!!!
ユランの動きを追う様に、八つ頭の黒竜がラティアスを襲う。
その結果……
『ぐぅ……。流石に、一割の力で生身では……な。この力……まったく……へドゥンめ……冗談が過ぎるぞ』
息も絶え絶えと言った様子で、忌々し気に呟くラティアス。
その身体は──
『竜族』の強靭な肉体の、〝右腕から右胸にかけた部分〟が全て吹き飛んでいた。
普通ならば致命傷だが、ラティアスは全ての生命を超越した『竜族』……それも、ドラゴンハートが発動中のため──
ギュルルル──……
大幅に『竜気』を消費するものの、すぐにその身体は再生し、ラティアスの身体は元の形を取り戻す。
流石に、衣服の再生は不可能なのか、見えないまでもラティアスの右胸部分は肌け、素肌が露わになっていた。
勿論、肌を晒す事に羞恥心など持たないラティアスは、肌けた胸を隠す様子もなかったが……。
『さあ、主人殿。まだ〝親子喧嘩〟は始まったばかり……存分にかかってくるが良い。もう、私も油断はしないからな』
身体が再生し、勢いを取り戻したラティアスは、そのまま戦闘体勢をとる。
と言っても、武器など用いる必要がないため、徒手で構えるだけだが……。
『が……がが……」
それに対して、魔に飲まれかけ、暴走したユランも……サブウェポンを用いる事なく、ダラリと脱力して立ち尽くしている。
『武器もなしに私に挑むとは。やはり理性は失われているか……』
ユランは、その左手に、リリアの身体を大事そうに抱えているが──
すでに、ユランの右手は聖剣の柄から離れており、聖剣も鞘に収まっている。
しかし、『抜剣術』が解除される様子はない。
いや、それどころか──
『──抜ケン──レ◼️ル6──『雷ソウ』──ヲ──発ドウ──◼️◼️カノウ◼️◼️ハ──◼️◼️──デ──』
更なる高み……
レベル6を発動させようとしていた。
『前言撤回……。無意味に理性的だな……』
ラティアスはそんなユランの様子を見て、深いため息を吐くのだった……。