【22】『深水』
『鎧の魔王』。
その素顔は……。
回帰前の──30代前半くらいのユランの姿に酷似している。
いや……それは、酷似などと言うレベルのものではない。
ユラン本人だから分かる事……。
アレは、確実に──
(あの時の私だ……)
魔族がユランの姿を取り──化ている訳ではない。
なぜならば、今のこの世界に〝回帰前のユランの姿〟を知る者などいないのだから……。
ユランは回帰前、『鎧の魔王』と戦った時の事を思い出していた。
あの時……リリア──いや、シリウス・リアーネは、再生された『鎧の魔王』の素顔を間近で見て、驚きの声を上げ──
そして、ユランの方を振り返り悲しげな顔を見せた……。
なぜ、シリウスがそうしたのか……。
ユランは、分かった様な気がした。
あの日、シリウスは『鎧の魔王』の中に、ユランの姿を見たのだ。
「ば……かな……。そんな事が……」
ユランが『鎧の魔王』の素顔に驚愕し、足を止めてしまったのは、時間にして一瞬の出来事だ。
しかし、その一瞬が致命的……。
【ユラン君! おかしな状況になっているが、考えるのは後だ! リリの限界が近い。早く脱出を──】
ルミナスソードが、リリアを抱いたまま動揺して動けないユランを叱咤するが……
──ゴォォォォ!!
突然、轟音と共に『鎧の魔王』の周辺──ユランたちの眼前を覆う様に、巨大な黒いモヤが立ち込める。
そして、そのモヤはユランたちを中心に、囲む様に広がっていく……。
開戦時とは比べ物にならない規模だ。
やがて──
王の玉座を守る様に、
『魔王城』の外へと続く扉への道を塞ぐ様に、
ユランたちを囲む様に円状に、
200体近い『超級種』の魔物が出現した……。
「……クッ」
ユランが、ルミナスソードの叱咤に我に帰った時にはもう遅い。
完全に、出口への道が塞がれてしまった。
『迅雷』を使用できないユランは、出口への道を塞ぐ『超級種』を一掃する事は不可能……。
道を切り開くためには、一体一体、魔物を処理していかなければならない。
それも、リリアを胸に抱いたままで……。
『抜剣術』を維持して戦うとなれば、リリアを抱えたままでは、サブウェポンを満足に振るう事も出来ないと言うのに……。
こちらを警戒しているのか、『鎧の魔王』から直接の追撃はないが、それも時間の問題だろう。
では、どうする?
リリアも、既に動ける状態ではない。
今だに、気力だけで『抜剣術』を維持してはいるが……歩く事も困難な様子──
リリア自身は『絶対防御』や『反射』が発動中のため、攻撃されてもダメージはないだろうが……その『抜剣術』も、いつまで維持出来るか分からなかった。
「ユラン!!」
出口の方から、ニーナの叫ぶ声が聞こえる。
ニーナとプラムは今だに脱出していない様で、心配気にユランたちを見ており……今にも、ユランたちの方に向かって飛び出して来そうな雰囲気だ。
だが、『貴級聖剣』レベル1のニーナや、レベル0のプラムでは『超級種』の相手など不可能……。
魔物たちは、ニーナやプラムに見向きもせず──ユランたちを囲んだまま微動だにせず、ある程度の距離を取って牽制している。
だが、いつ飛び掛かられてもおかしくない状態だ。
「……ここまでか」
ユランはそう呟くと、リリアを抱える腕に力を込める。
「せめて、リリアだけでも──」
ギュッ──……
ユランの意図に気付いたのか、リリアが震える手で、ルミナスソードを鞘に納めた後、ユランの身体を抱き返す。
そして、虚な瞳でユランを見つめ、ゆっくりと首を左右に振った……。
ユランは、リリアの身体を、ニーナたちがいる方──出口に向かって投げるつもりであった。
『抜剣術』で強化された腕力ならば十分に可能なはずだし、力一杯投げたとしても『絶対防御』がリリアの身を守ってくれるだろう。
あとは、魔物の注意を何とかして自分に引き付ければ……。
そんな事を考えていた……。
しかし、ユランのそんな考え──『自分を犠牲にしてでもリリアを助ける』と言う考えなど、リリアに見透かされていた様だ。
『──使用限界まで残り5分です』
無慈悲にも、リリアの聖剣が『抜剣術』の残り時間を告げ……
終焉へのカウントダウンが始まる……。
リリアの『絶対防御』が解除されれば、今のユランに、リリアを守り切ることなど不可能だ。
それに、ユランの『抜剣術』も、それほど残り時間が多い訳ではないだろう。
ザッザッザッザッ──……
それまでユランたちを牽制し、微動だにしなかった魔物たちが、遂に動き出す。
ゆっくりと、ゆっくりと、ユランたちを囲う様にして迫ってくる……。
「俺の所為だ……。〝ヤツ〟の素顔に驚くあまり、足を止めてしまった……リリア、ごめ──」
「……ん」
──リリアは、ユランの謝罪の言葉を遮る様に、口付けした。
吐瀉物を吐き出した後だ。
ユランに不快に思われるかもしれない。
嫌がられるかもしれない。
しかし──
「リーン……あなた……を……愛……て……い……わ……」
今、伝えなければならない。
これが最後になるかもしれない。
なぜなら──
突然、虚だったリリアの瞳に光が宿る。
「……リリア?」
なぜなら──
これが、リリアがリリアでいられる最後の瞬間なのかも知れないのだから……。
「……ルミナスさん」
【許可出来ない。それをやったら心が死ぬ。耐え切れるものではないよ? 君が君でいられなくなってしまう。ワタシは──】
「──ルミナスさん!!」
腹の底から、絞り出す様な絶叫だった。
有無を言わさぬ魂の叫び……。
【……ワタシが拒否しても、無理矢理にでもやるつもりだな。仕方ない……。ワタシが目一杯フォローする。リリ、死ぬ気で心を守りなさい……】
ルミナスソードがそう言うと、鞘に収められていた刀身が、鞘の上からでも分かるほどに眩い光を放つ。
「リリア!? 何をするつもりだ! 止め──」
ユランが制止する間もなく──
『抜剣レベル6── 『深水』を発動──連続使用のため使用可能時間が減少します──使用可能時間は4分です──カウント開始』
リリアの『抜剣レベル6』が発動した……。
ゴポ──……
ゴポ──……
その瞬間であった。
ユランの視界が、一瞬にして歪む。
歪む、
歪む、
歪んでいく……。
沈む、
沈む、
沈んでいく……。
ただでさえ薄暗かった『王の間』が、さらに暗く──
まるで、『深海』に落とされた様に暗くなる。
視界の歪みは、正に、水中で無理矢理目を開けた時の様に湾曲していた。
苦しくはない……。
いや、むしろ──
ゴボゴボ──……
ユランは湾曲する視界の中に、『深水』の中で息も出来ず、気泡を吐き出しながら、もがき苦しんでいる『超級種』の魔物たちを捉えた。
実際に水の中にいる訳ではないのに……不可視の『深水』に侵食され続けているのだ。
『超級種』たちは、『深水』に呼吸を止められ、さらに生命力まで徐々に奪われていく……。
〝生命〟としての重大な危機に瀕し、『超級種』の魔物たちは術者であるリリアを止めるため、走り出そうとするが──
ゴポ──……
ゴポ──……
まるで水中を揺蕩う水草の様に、ゆっくりと……
『深水』に身体を絡め取られ、動きがスローモーションになる。
まるで、時間が止まっている様だ。
魔物からユランたちまで距離は、10メートルほどしか離れていなかったが──
魔物はその僅かな距離すら詰めることが出来ず、次々と絶命していく……。
『鎧の魔王』は──
ゴボボ──……
『深水』の影響を受け、気泡を吐き出しているものの、まったくの無表情なのは変わらない。
しかし、呼吸を封じられ、徐々に体力が奪われていく『深水』……『鎧の魔王』の異常なほどの回復力も追いついておらず、少しずつではあるが、着実に死に近付いている様子だった。
時間があれば、殺し切る事も可能だろう。
だが、今のリリアは……
ユランに抱き抱えられ、辛うじて『抜剣術』を発動し続けているものの、既に痛みに声を上げる事もなくなり……
廃人の様に瞳に光がなく、ただ虚空を見つめるだけになってしまった。
【ユラン君、今の内に脱出を……。リリが耐えられる内に早く!】
「……リリア」
ユランは、歪む視界の中でも、ニーナたちがいる出口の方向をしっかりと捉え──
リリアを抱えたままで走り出した。
ユランは、『深水』の影響を受ける事なく、高速で出口までの道を駆ける。
影響どころか、不可視の水は、ユランの体力を徐々に〝回復してくれている〟様子だった。
ゴボボ──……
疾走するユランの姿を確認し、『鎧の魔王』が再び魔物を召喚しようと黒いモヤを発動させるが──
ゴポ──……
ゴポ──……
黒いモヤは、広がる前に『深水』に絡め取られ、何事もなかったかの様に消滅した。
ググッ──……
ボグンッ
次いで、『鎧の魔王』は『深水』に侵されながらも、何とか右腕を動かし、指を弾く。
が──
ゴポ──……
ゴポ──……
風の刃は発動すらせず、虚しく気泡が上がるだけだった。
何人も、水神のテリトリーの中では、神を害する事など出来ないのだ。
「ニーナ! プラム! すぐに脱出だ!」
ユランはそう叫ぶと、勢いを止めず、『王の間』を振り返る事もなく、そのまま出口へと続く扉を駆け抜けた……。




