【13】ユラン、クラスで浮く
聖剣士アカデミーの一年『Dクラス』の教室にて、ユランは『アーネスト王国の歴史』なる講義を受けている。
アカデミーに入学してから既に2週間が過ぎようとしているが、この教室の雰囲気には一向に慣れる気がしなかった。
と言うのも……
「ねえ、ユーちゃん。分からない事があったら、お姉ちゃんに何でも聞いてね?」
ユランの真横に腰掛ける三つ編みの少女──レピオが、ユランの耳元に息を吹きかけながら甘ったるい声で囁く。
Dクラスの生徒数は少なく、講義室は広いため、講義席にはかなり空きがあるはずなのに……レピオは当然の様にユランの隣に陣取り、講義そっちのけでユランに話しかけてくるのだ。
(何でこうなった?)
ユランは心の中で嘆くが、なぜこんな事になってしまったのか本当に分からなかった。
*
2週間前、アカデミー入学の初日……。
医務室での一件の後、ガイダンスを受けそびれたユランは、ミュンに教えてもらい、最初の講義が開かれる『Dクラス』の講義室にやって来た。
ちなみに、制服の胸元を破られた(自分で破った)ミュンは、女子寮に着替えに戻っている。
ユランが講義室に入ると、20人程度のアカデミー生が集まっており──
講義室に入って来たユランを見て、皆一様に短い悲鳴を上げて顔を青くした。
Dクラスの面々は、入学試験の時の事でユランに恐怖を感じているのだろう。
……ある意味、彼らのために先頭に立ったというのに酷い話だ。
まあ、プラム・アーヴァインだけは、キラキラと憧れが混じった様な眼差しで見てくる事が、ユランにとっては唯一の救いと言ったところか……。
『……は?』
ユランが、Dクラスの面々の反応にため息を吐き、空いている講義席に向かおうとすると──
ユランの肩に乗っていたラティアスが驚いた声を上げた。
「どうしたんですか、ラティ?」
ユランがラティに問うと……
『あの娘……なぜここにいる? と言うよりも、なぜここにいられる?』
ラティアスは声を低くし、威嚇する様に『カロロ……』と喉を鳴らした。
ユランが、ラティアスの目線の先を辿ると、そこには──
講義席に腰掛け、少しだけ頬を朱に染め、ニコニコ笑顔でユランに手招きをするレピオの姿があった……。
『『竜眼』は利いていたはずだ。分身体とは言え、私が全力でやったのだから……一週間は目覚めないはず。もしや──』
ラティアスはブツブツと独り言の様に呟き、全身を強張らせる。
まるで、今にもレピオに飛び掛かりそうな雰囲気だ。
そして、その後ラティアスが呟いた言葉は、ユランの耳にもしっかりと届いた。
『……『神位』か? いや……それなら『竜眼』で気を失う事はないはず。ならば……『皇位』なのか?』
ラティアスが言う『神位』とは、『神級聖剣』の主の事で、『皇位』とは『皇級聖剣』の主の事だ。
「え? 王位って……『皇級聖剣』って事ですか? レピ姉ぇが? そんなはずないと思うんですけど……」
ユランはラティアスの言葉を聞き、思わず口を挟む。
ユランは、回帰前にレピオの聖剣の事を直接本人から聞いた事がある……。
その時レピオは、
『私は、実は聖剣士アカデミーに通う資格があったんだよ』
と、笑いながらユランに語ったが……その時はレピオの聖剣の等級を聞いた訳ではない。
あくまで、『特別な聖剣』と聞いていただけ……。
(しかし、仮に『皇級』だとしたら……レピ姉ぇがあんな死に方をする訳が……)
ユランが、ラティアスの発言に疑問を呈した原因はそれだ。
レピオの聖剣が『皇級聖剣』ならば、回帰前の〝戦い〟でも生き残っていたはずだった……。
『いや、主人殿。よくよく見れば、アレからは強い『王気』感じる。間違いなく『皇位』──『皇級聖剣』だな……』
「『王気』……?」
『王気とは、『皇級聖剣』を持つ者……王たる〝気〟を持った人間だ。ちなみに、主人殿やリリリからは『神気』──〝人間の神の使者〟たる〝気〟が放たれておる。……竜族はそう言う気の流れを読むのに長けているのだ。間違いはない……』
「と言う事は……レピ姉ぇは、何処かの国の『王族』の血が流れていると言う事ですか? それなら──」
ユランたちがヒソヒソ話をしていると、突然──
「何の話をしてるの? ユーちゃん」
レピオがユランの目の前に現れた。
レピオが座っていた講義席からは、それなりの距離があったにも関わらずだ。
「!?」
ユランは、ラティアスとの話に集中しており、レピオに特別注意を払っていた訳ではないが……
レピオが近付いてくる気配をまるで感じなかった。
これは、ミュンの『静止する世界』に近い現象……。
しかし、レピオは『抜剣術』を使用した様子もない。
つまり、素の状態でユランに気配を感じさせずに近付いてきたと言う事だ……。
『……気配を消すのが上手いな。その面だけで言えば、主人殿より遥かに上か』
ラティアスだけは、レピオの気配を正確に捉えていたらしく、驚いた表情一つ見せない。
レピオを牽制し、ユランに害を為すならば、『即座に対処する』と言った様子だ。
「やっぱり、レピ姉ぇなんだね……」
そんな状況なのに、ユランは妙に感動した瞳でレピを見つめ……
ほんの僅かにだが、目元を潤ませていた。
と言うのも、レピオは回帰前のユランに『傭兵としてのノウハウ』、『暗殺技術』などを仕込んでくれた、言わば『最初の師匠』の様な人物だった。
ユランは、レピオの消足(気配を消す技術)を久しぶりに目にし、感慨も一入と言った様子だ。
まあ、ユランが回帰前になぜその様な技術をレピオから教わったのかと言うと──
ノーズリーフ孤児院がそう言う場所だったと言う事なのだが……。
ユランが感動してレピオを見つめていると、突然──
「ユーちゃん!」
レピオがそう声を上げ、「ガバッ」とユランに抱き付いてくる。
普通なら戸惑う状況だが、ユランもそんなレピオの様子が懐かしく感じてしまい……
レピオを振り払う事もなく、されるがままになっていた。
「私がユーちゃんの〝お姉ちゃん〟になったげる! ユーちゃんに〝運命〟を感じたの!」
『は? 私ですら母として認められる事に苦労していると言うのに……そんな事を宣言するだと? 不遜という言葉を知らないのか、この小娘は……?』
レピオの言葉に、即座にラティアスが反応する。
漆黒の目元が、ギラリと怪しい光を放ち──
今にも、『竜眼』を発動させてレピオを強制的に黙らせそうな勢いだ。
「ぷぷっ。ペットがお母さんだって。笑えるね、ユーちゃん!」
『……あ?』
一触即発。
今にも一人と一匹の〝喧嘩〟が始まりそうだが、レピオから感じる懐かしさに感動しているユランは、二人の状態に気付いていない。
……その後、遠慮なしに放たれたラティアスの『竜眼』でレピオが気を失った事により、話は一旦落ち着いたのだが……
レピオはすぐに目を覚まし、同じ様なやり取りが繰り返されるのだった……。
*
そんな出来事から2週間余りが経過した訳だが、ユランが頭を悩ませているのはレピオの態度だ。
回帰前は、ユランを甘やかしながらも〝良き姉として〟ユランを導いてくれたレピオだったが……
「らびゅー。チュッチュ」
明らかに距離感がおかしい。
レピオは、ユランの左側の講義席に腰掛け、アヒルの様に口を尖らせている。
(何だこれ……)
『離れろ小娘! 何がチュッチュだ! そんな事をしたら、最悪、子供が出来てしまうぞ!』
レピオとは反対側──右側の講義席に腰掛けた人間体のラティアスがレピオの行動に激怒していた。
(何を言ってるんだこの竜は……ツッコんだ方が良いのか?)
最初の講義の時から2週間ほど……ずっとこんなやり取りがDクラスの講義室内で繰り広げられている。
他のクラスメイトは、ドン引きして遠巻きにユランたちを見ているが、レピオとラティアスはそんな事まるで気にしていない。
(と言うか、今更だが、レピ姉ぇは何でDクラスなんだ? 試験の時いなかったよな?)
ユランはここ2週間、ずっとそんな事を考えていたが、レピオの勢いに押されて詳しい話は聞けずにいた。
(以前の、頼れるお姉さんだったレピ姉ぇは何処へ?)
ユランは、レピオの回帰前とは明らかに違う態度に戸惑い……
ラティアスは、レピオに対する謎の対抗意識で……
それぞれ別のところに意識が行き、レピオの様子が〝林での一件〟の時とは明らかに変わっている事に気付いていなかった。
それこそ、まるで別人の様に変わっていると言うのに……。
ちなみに、ユランはクラスでこの様な状況になっている事を他の女子ーズには話していなかった。
(絶対に面倒な事になる)
鈍いながらも、ユランは確かにその事だけは分かっていたからだ……。
「あの……二人ともいい加減に──」
講義中だと言うのに喧嘩を始める二人(一人と一匹)を、流石に嗜めようと声をかけたユランだったが──
──バンッ!!
「で? そこのスケコマシは、私の話をちゃんと聞いていたのか?」
教卓を勢いよく叩いて、そう言った講師の言葉に遮られてしまった。
……正直、ユランは口喧嘩する二人に挟まれていたため、講師の話など全く聞いていなかった。
(て言うより、今は何の講義だったか……? ああ、『アーネスト王国の歴史』を学ぶのだったな)
黒板には、講師が記載したであろう綺麗な文字がビッシリと並んでいたが……
ユランは、回帰して二度目の人生を歩んでいるとは言え、回帰前ではマトモな教育など受けていない。
聖剣の知識などは、独学である程度学んでいたが、『王国の歴史』など触れた事すらなかった。
当然、講師が何を話していたかなど、黒板の記載内容から予測する事も不可能で……
「す、すみません……。聞いていませんでした……」
ユランは、講師に素直に謝罪するが──
『もー。ダメじゃないこの子は。本当にもー。私がいないとダメダメなんだから』
それを聞いていたラティアスが、ニヨニヨした顔で笑った。
「……ラティがいてもダメだったんですけどね」
ユランはため息を吐き、疲れた様に項垂れる。
心労が祟り、ツッコミにも力が無かった。
「ユラン生徒。そして、レピオ生徒。あと、そこの名前も知らないし、明らかに部外者な女性……て言うか、本当に誰だ? 当たり前に居着いていたから、この2週間スルーしていたが……」
教壇に立つ講師の男は、細いメガネをクイッと上げ、ラティアスをギロリと睨みつける様に一瞥する。
『ユランのお母さんだ』
ラティアスは即答するが──
「……ユラン生徒。アカデミーにお母さんを連れてきたのか……?」
それを聞いたメガネの講師は、心底軽蔑しきった視線をユランに向けた。
「ちょ! 違います!!」
「……言い訳するな。このマザコン野郎……。貴様の様な生徒は前代未聞だ」
メガネの講師は完全に『聞く耳持たない』と言った様子だ。
「マザコン野郎。そして、レピオ生徒……。君たちの行動を、Dクラスの〝担当講師〟として2週間黙って見ていたが……そろそろ我慢の限界だ。講義もマトモに聞かんし、最下位クラスだと言うのにその危機感すらない」
(この人、担当講師だったのか……。やたら講義で見るなとは思っていたけど……。と言うか、こんな状況を2週間も我慢してくれていたなんて、この人は案外良い人なのかもしれない……)
ユランは心の中でそう思い、担当講師に謝罪しようとするが……。
「すみませんで──」
「謝罪はいらん。私は君ら全員の根性を叩き直す事に決めた」
ユランの謝罪を遮り、担当講師は再び教卓を『バンッ』と勢いよく叩くと、教卓に置いてあった大きめの羊皮紙を両手で広げ──
その記載内容を、Dクラス全員に見える様に提示した。
羊皮紙には、
『魔物討伐遠征の案内(1年Cクラス限定)』
と、デカデカと書かれていた。
事の成り行きを黙って見守っていたDクラスの面々であったが、その時点で『自分たちも巻き込まれている』と気が付き、慌てて抗議しようとするが……
担当講師は聞く耳を持たず、言う。
「クラスの不手際は連帯責任だ。タダでさえ最下位クラス……一致団結せねばな。まあ、君らには『魔物討伐』など無理な話であろうから、主な役目は遠征に行くCクラス生徒の『荷物持ち』だ。しっかり付いて行き、『戦いと言うものが何たるか』を学んできなさい。出発は2日後……。しっかり準備しておくと良い」
担当講師は、それだけ言い残し、講義室を出て行った。
残されたDクラスの面々が、恐怖を混じりながらも、ユランに対して非難の視線を向けたのは言うまでもない。
ユランとしては、当事者と言えども巻き込まれた形になるのだが……
その事に同情する者など、ここには居なかった……。




