【10】ブラッドソード
「こちらで御座います」
修練場までリリアを訪ねてきた初老の男は、王城内にある宮殿のまでリリアを案内し、そう言って頭を下げた。
一々やる事が丁寧な男の様子に、リリアは言い知れぬ胡散臭さを感じる。
リリアが案内されたのは『 天蠍宮』と呼ばれる宮殿で、所々に黄金の蠍が装飾されている豪奢な宮殿だ。
天蠍宮の主はアーネスト王国第一王子──
『スコーピオン・リズ・フリューゲル』
回帰前に、リリアに呪いの剣『ブラッドソード』を与えた男だ。
「天蠍宮……? という事は、私をお呼びになったのは、スコーピオン第一王子様」
「左様に御座います」
リリアは、途端にこの初老の男の胡散臭さの正体が分かった。
あの男の従者なら、マトモな人間でない事は明らかだ。
スコーピオンに一度も会った事のないリリアも、スコーピオンの事は噂などで聞き及んでおり……
この呼び出しの裏に、何かしらの企みがある事など透けて見えていた。
「応接室にて、スコーピオン様がお待ちです」
初老の男は笑顔を崩さぬまま、リリアを天蠍宮の中へと招き入れる。
いや、リリアを破滅へと誘う、邪剣『ブラッドソード』の下に……。
*
「初めまして。俺はこの国の第一王子、スコーピオンと言う。神人殿を天蠍宮に招く事が出来、嬉しく思うぞ」
天蠍宮の応接室に通されたリリアは、そこで待っていたスコーピオンに促され、豪奢な装飾が施されたソファーに腰掛けていた。
応接室に居るのは、スコーピオンとリリアを案内した初老の男のみ……。
応接室の外にも人の気配がなく、どうやら人払いをしている様で……リリアに内密に話したい事でもあるのだろう。
「リリア・リアーネです。私をお呼びとの事でしたので、馳せ参じました」
リリアが簡単に言葉を返すと、それを受けたスコーピオンは僅かに顔を顰め、
「ふむ……。王族を前に、敬意を示す挨拶もなしか。礼儀知らずも甚だしいが、其方は神人……。それも良かろう」
などと、吐き捨てる様に言った。
リリアにしてみれば、良い噂を聞かないスコーピオンは関わりたくもない相手……
神人である以上、リリアの方が立場が上なのだから、素っ気ない態度になるのは無理からぬ事だった。
「其方をここに呼んだ理由だが──」
スコーピオンはそう口にすると、スッと右手を上げる。
それに反応したのは初老の男で、いつの間にか手に持っていた豪奢な箱をスコーピオンの前まで持ってきた。
そして、初老の男は、対面でソファーに腰掛けるスコーピオンとリリアの間にあるローテーブルにその箱を置いたのだ。
「これは……何でしょうか?」
突然、目の前に置かれた箱に、リリアは疑問符を浮かべスコーピオンに訊ねる。
「それが、其方をここに呼んだ理由。其方を強くする──俺からの贈り物だ。開けてみなさい」
スコーピオンに促され、リリアが箱の蓋を開けると、そこには──
「……剣?」
真っ赤な……
血の様に全体が真っ赤な……
一本の剣が納められていた。
「美しいだろう。それは、ブラッドソードと言う宝剣だ」
美しい……?
この血のように真っ赤な剣が?
──なるほど、見る人が見れば、その赤き姿に魅了される事もあるだろう。
剣が放つ、異様なほど禍々しいオーラ……。
その血の様な赤い刀身は、身震いするほど冷たく、研ぎ澄まされていた。
「その宝剣は、我が王国に代々伝わる国宝──何でも、『抜剣レベル』を上げてくれる効果があるらしいぞ?」
「……『抜剣レベル』を上げるなど、そんなものある訳が……」
そう言いながらも、リリアはブラッドソードを見て身震いするほどの興奮を覚えていた。
自分に才能がなく、どれだけ頑張っても一向に上達しなかった『抜剣術』が──
この剣を手に入れるだけで……。
『世の中、そんな上手い話はない』
そう分かっていながら、リリアの心は、その甘い誘惑に惑わされそうになる。
なぜなら、ブラッドソードは、リリアが今一番欲していたものなのだから……。
「一度、手に取ってみなさい。きっと気に入るだろう」
「……」
リリアは、ブラッドソードに右手を伸ばし──
ギュッ──……
その右手は空を握った……。
「……どう言うつもりだ?」
そんなリリアの様子を見て、スコーピオンは訝しげな顔で問う。
「くだらない……。簡単に『抜剣レベル』を上げるなど、そんなモノある訳がない。仮にあったとしても、私はそんなモノに頼るつもりなどありません」
リリアは、スコーピオンの〝贈り物〟を明確に拒んだ。
心が弱い方に流れそうになろうとも、今のリリアには──
その弱い心を理解し、受け入れてくれる人たちがいる。
回帰前はプレッシャーに押し潰され、頼れる者もいない孤独の中で、心が弱い方へと流れてしまった。
それは、リリア・リアーネに有って、シリウス・リアーネには無かったものだ。
「……出来損ないと呼ばれる其方を思っての事だと言うのに、俺の気持ちを無碍にするつもりか?」
──スコーピオンとは、そう言う男だ。
怒りから自分を制御できなくなり、本人を前にして平気で侮辱の言葉を述べる。
(出来損ないか……)
それは、この男を表す言葉でもあるのだろう……。
スコーピオンは王位継承権を持たない『貴級聖剣』の王族。
彼自身は強い野心を持っているが、決して国主になる事は出来ない……
継承権を持たずとも、それに納得して後継者候補を立てようとしている他の兄弟とは違い、スコーピオンは分不相応な夢を見ている。
決して叶うことのない夢を追い続ける……『出来損ない』と言われても仕方のない男だった。
「出来損ない……。確かに、私はそうなのでしょう。しかし、そうだとしても、そんなモノに頼る様では、兄を止める事など到底不可能でしょう」
リリアはそう言うと、ソファーから立ち上がり、くるりと踵を返す。
『もう話す事はない』と言わんばかりに、スコーピオンに背を向けた。
「貴方も、妙な小細工などせずに……自分の身の丈にあった行動をすべきですわ」
リリアの蔑むような言葉に、スコーピオンは静かに怒り……言った。
「貴様……。俺を愚弄する気か? 王国の第一王子たるこの俺を……」
スコーピオンのそんな言葉に対して、リリアは背を向けたまま振り向く事なく──
「貴方こそ、神人たる私に──継承権も持たぬ一国の王子如きが……不遜ですわね」
吐き捨てる様に言った。
そして、そのまま応接室を出て行こうと歩き出す。
*
スコーピオンの目的は、〝自分の神人〟を手に入れる事……。
最も国主に近いと言われた妹──ジェミニに、グレン・リアーネが付いたことで、野心の塊であるスコーピオンですらジェミニが国主となる事を認めざるを得なかった。
しかし、グレンが離反し、ジェミニを始めとした他の継承者候補たちが継承権を放棄すると言い出した事で、スコーピオンの野心はかつてないほど激しく燃え上がる事となる。
神人さえ自分の側につけば、アーネストですらスコーピオンを国主と認めるざるを得ないだろう。
スコーピオンは、まず最初に『雷の神人』ユラン・ラジーノを自分の派閥に取り入れる事を考えた。
まだ14歳で、幼さの残る少年であれば、簡単に説き伏せる事もできるだろうと考えていた。
だが、スコーピオンが初めてユランの姿を見た時、その言い知れぬ雰囲気に気圧され、近付くことすら出来なくなってしまった。
スコーピオンが考えていた作戦……
言葉で説き伏せる事が出来ないなら、『ブラッドソード』を利用し、その呪いを使って『生きる人形』を作れば良い。
形上だけでも神人が自分に付けば、後は何とでもなると考えていたのだ。
しかし、このユラン・ラジーノと言う少年は、そんなスコーピオンの策略など、平気で見破り……即座に喉笛に噛み付いて来そうな雰囲気がする。
人の本質を見抜く力……
それは、他の兄弟にはない、スコーピオンだけが持つ〝特性〟だった。
スコーピオンは、それを活かし、人心を操る術に長けていた……。
その〝特性〟が、ユラン・ラジーノには手を出さない方が良いとスコーピオンに警鐘を鳴らしたのだ。
ユランを諦めざるを得ないのならば、残る神人は、周囲から『出来損ない』と呼ばれているリリアだけ。
スコーピオンは、リリアに対して、ある種の親近感の様なものを感じていた。
『神級聖剣』と言う最強の聖剣を持ちながら、『抜剣術』の才能に恵まれず、周囲から冷遇されているリリア……
国主の子──王族として産まれながら、『継承権』を持たず、周囲からも期待される事のないスコーピオン……
傍から見れば、似た様な境遇の二人である。
スコーピオンはリリアを初めて見た時、『この神人ならば与し易かろう』と考え、リリアを利用する事にしたのだ……。
*
応接室を出て行こうとするリリアを前に、スコーピオンは激しい怒りを感じていた。
自分の同じ様な境遇の癖に、共感するどころか蔑んだ言葉を吐き、見下した態度を取る。
プライドの高いスコーピオンには、到底、許せる事ではなかった。
「待て! このまま帰る事は許さん!」
──パシッ!
スコーピオンは歩き出したリリアを追いかけ、無理矢理リリアの右手を掴むと──強引に引き寄せた。
「──つっ!」
普段から鍛えに鍛えているリリアだ。
優男のスコーピオンに腕を引かれたところで、バランスを崩すはずもなく……リリアはそのままスコーピオンの腕を振り払おうとする。
しかし──
グッ──……
スコーピオンは、リリアをそのまま引き寄せるのではなく、
片手に持った〝豪奢な箱に入ったソレ〟を、
強引にリリアの右手に握らせた……。
──
────
「……あっ」
スコーピオンの突然の行動に、リリアは思わずそんな声を漏らす。
スコーピオンはブラッドソードの効果をよく知っていた。
なぜなら……
今まで、『力が欲しい』と渇望する者たちを使い……
〝実験〟を行なって来たのだから……。
スコーピオンは、ブラッドソードの『呪い』にのたうち回るリリアの姿を想像した。
いい気味だ。
王族である自分を小馬鹿にしたのだから、当然の報い……。
まあ、『心が死んだ』後にでも、有効的に使ってやろう。
などと、スコーピオンは心の中でほくそ笑んだ。
──
────
「……」
しかし、いつまで待ってもリリアはブラッドソードの呪いに苛まれる事はなく……
スコーピオンが握った腕を、嫌悪感を含んだ鋭い視線で睨み付けていた。
「どう言う事だ? なぜ、ブラッドソードの『呪い』が発動しない?」
思い通りの結果にならず、困惑するスコーピオン。
そして、そのスコーピオンの問いに対し、いつの間にそこに現れたのか──
『そんな事をしても意味がないぞ? 〝ソレ〟は真に力を渇望する者にだけ反応する呪いの剣だ。いや、剣というよりは、ソレに似せた…〝神位〟の『魂の残滓』と言った所か……』
人間姿の、神竜ラティアス・ナーグがそう答えるのだった……。