【8】アーネスト・イル・フリューゲル
「お主らに集まってもらった理由は……まあ、言うまでもないだろう」
アーネスト王国国王アーネスト・イル・フリューゲルは、開口一番に集まった面々に向かってそう告げた。
ここは王城にある謁見の間。
集められた面々は、
ロイヤルガード隊長クロノスを始めとしたロイヤルガードの主要メンバーたち、
第一王女ジェミニとその側近たち、
第四王女アリエスととその側近たち、
そして、王国の中枢を担う大貴族たちだ。
玉座に腰掛けるアーネストは、そう言った面々を数段高い位置から見下ろし、いつになく真剣な面持ちでため息を吐いた。
「兼ねてより保留としてきた『王太子、王太女』についてだ。そろそろ正式な後継者を決めようと思う」
ざわざわ──……。
アーネストのそんな宣言を受け、集まった面々──特に、それぞれの後継者候補に使える側近や大貴族たちは、一様に浮き足立ち騒ぎ始める。
彼らは、後継者が決まる事で自分たちの地位すらも変化しかねない者たちだ。
これは彼らにとって最も重要な案件と言えるため、不安や恐れを含んだ声も多かった。
ましてや、アーネストの発言は謁見の間で、王国にとって中心に近い者たちを集めての発言だ──
これは〝内々の話ではなく公的な決定〟だと、暗に告げているに等しいのだから……。
「そう……これはそう言う内容の話だ。だと言うのに、何故その当事者の一人であるはずのレオがいない?」
アーネストは、主人不在のため〝やむを得ず自分たちだけで参加した〟と言った様子のレオの側近たちに「ギロリ」と鋭い視線を送る。
その視線は、「これは冗談では済まされない」と言外に語っている様で──
レオの側近たちはその視線に耐えかね、ブルリと身体を震わせた。
「レ、レオ様は、こ、後継者の座を、ほ、放棄するそうです。『王になれば、真に市民のための活動に支障が出る』との事だそうで。わ、我々もレオ様と、こ、志を共にするか、覚悟でして。そ、その……はい」
側近の中でも一際、優し気で人の良さそうな男性貴族が、しどろもどろになりながらもレオの意思をアーネストに伝える。
「あの奉仕中毒者め……。まさか、王位継承権を放棄するなどと言い出すとはな」
アーネストは、内なる怒りをぶつける様に、玉座の肘掛けをギリギリと音が出るほど強く握る。
「継承権を放棄するにしても、順序と踏むべき手続きがあるだろうに」
バキバキと、玉座の肘掛けが軋る音が謁見の間に響いた。
いつもの飄々とした様子は鳴りを潜め……
今のアーネストは、国主として王国の行末を憂う余り、心の余裕を無くしている様だった。
王国の守護者たるグレン・リアーネの離叛が、アーネストの心の余裕を奪っている原因である事は間違いないだろう。
「兄者、どの道レオは国主の器ではない。アレは聖剣士としての素養はジェミニに匹敵するが、考え方が市民──特に貧困層に寄り過ぎている。国主となれば、平然と貧民のために国庫を開くぞ」
アーネストの側に控えていたクロノスが、冷や汗を流して怯えるレオの側近たちを見兼ねてそう進言する。
「……だろうな。アレは人格者ではあるが、権力者としての自覚に欠けている。権力を嫌うクセに、自分の理想のために平気で自分の地位を利用する。国主の器でない事は分かっているのだ。しかし、王国の一大事だと言うのに、目先の事にしか目を向けん……。王国が滅びれば、アレの大切にしている〝弱者〟とて滅びる。そんな事も分からんとはな……」
「レオの事は放って置けば良い。腐っても『皇級聖剣』の主なのだ。有事の際には勝手に行動するだろう。無理やり縛ろうとすれば反発するだけ──子供とはそう言うものだ」
「……」
アーネストはクロノスの言葉を受けて苦々し気な表情を浮かべるが、やがて諦めた様にため息を吐き──
「もう良い。レオが王位継承権を放棄すると言うなら、それを受け入れよう。お前たちは下がれ」
レオの側近たちに、謁見の間を出ていく様に指示を出した。
ここは、次の国主を決めるための場……。
レオが王位継承権を放棄したのなら、彼らは部外者という事になるのだ。
レオの側近たちが謁見の間を出るのを確認した後、アーネストは他の王位継承権を持つ者──ジェミニとアリエスへ交互に視線を向ける。
「ではジェミニ、アリエス。お前たちはどうだ? この国のため、国民のために立ってはくれぬか?」
アーネストの言葉を受け、ジェミニとアリエスは顔を見合わせると、互いに頷き合い──
「余……ジェミニ・フォン・フリューゲルは、この場を持って王位継承権を放棄する。余は神人、ユラン・ラジーノ殿の伴侶となる身……国主には成り得ない」
「ボクも── アリエス・セタ・フリューゲルは王位継承権を放棄します。ボ、ボクは国王ではなく、一人の女の子として生きて行きたいので」
と、それぞれ王位継承権を放棄する旨を宣言した。
「……お前たちは、本気でそんな事を言っているのか? 王位継承権を持つ者が皆、継承権を放棄して……この国はどうなる? 王がいなければ国は滅びる。罪なき国民たちを見捨てるつもりなのか?」
アーネストは身体を戦慄かせながら、現国主としての自分の考えを吐露した。
怒りに震えるその様子からは、王国の未来を憂う国主たる威厳が見てとれた。
「父上、余とアリエスはこの国のため、神人殿を王国に繋ぎ止めるために行動しようとしているだ。あの猿野郎の裏切りを忘れた訳ではあるまい?」
「物は言いよう」ではあるが、実際ジェミニの言う通りで……神人であるユランやリリアを、王国に繋ぎ止めておく事は専ら最重要課題ではある。
聖人セリオスや反逆者グレン・リアーネを相手取るために、神人たちの存在は王国にとって必要不可欠──
抑止力であったグレンの離反により、
他国からの侵略──
魔族の襲撃──
そして、聖人と神人の叛逆──
等々、アーネスト王国は今、それらの脅威によって未曾有の危機に瀕している。
いわゆる四面楚歌の状況だ。
そんな状況下では、神人のユランやリリアは、アーネスト王国にとって唯一の希望と言って良い。
「……神人──ユランくんか。確かに、彼の存在は、王国にとってなくてはならないものだ。言いたくはないが、同じ神人でもリリア・リアーネ女史とは重要度が違う。彼には『神竜殿』や『聖女』も付き従っているからな」
アーネストはジェミニの言葉に賛同する意見を述べると、少し考え込んだ後──
「良いだろう。確かに、ジェミニの言う通り、神人殿を繋ぎ止める事は最重要課題である。しかし、その役目はお前たちのどちらか一人で十分だろう? 神人殿に選ばれなかった者が国主になると言うなら、お前たちの勝手を許可しても良い」
そんな事を言い出した。
しかし、そんな互いを天秤に掛ける様な事をジェミニたちが納得する訳もなく、
「父上に許可を得るなど、意味が分からん。人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死ぬのだぞ? それに、王位継承については強制できぬと決まっているはずだ」
「うん。ジェミニ姉さんの言う通りだね。それに、王位継承権を持つ者ならクロノス叔父さんもいますよね? 叔父さんはまだ若いし、ボクたちよりも国主に相応しいのでは?」
それぞれ言いたい事を言って、アーネストの意見に反発した。
ジェミニが言った通り、アーネスト王国の王位継承権に関しては、
『皇級聖剣の主である事』と『王位継承については本人の意思を尊重し、強制せぬ事』と言う内容が、王国典範により定められている。
また、アリエスが言った様に、クロノスは初老に差し掛かったアーネストとは年齢が離れた弟で、未だ30代前半……『皇級聖剣』の主でもあるし、国主として立つに十分な資格と条件を持っている。
「おい、お前たち。いい加減なことを言うな。俺は国主が嫌でロイヤルガードになったのだ。今さら国主になる気などない。とうの昔に継承権を放棄しているしな……」
「では、叔父上の娘──アニスは?」
「それこそ、皮算用だろう。アニスはまだ産まれたばかりだし、俺の子だとは言え、『皇級』とは限らんのだ。それに、アニスは妻の実家──〝ハート家〟の当主となる事が決まっている。継承争いには巻き込めん。いや、俺の命に変えても、アニスにはそんな過酷な道は歩ませはしない」
「……親バカめ」
クロノスやジェミニの話を黙って聞いていたアーネストは、スッと右手を上げ、話を中断させた。
そして──
「もう良い。お前たちの考えは分かった。頭が痛い話だが、後継者問題はしばらく保留としよう」
心底疲れたと言った様子でため息を吐き、アーネストは落胆した様に肩を落とした。
「後継者たちは全滅か……。私の最後の子……〝アスクレピオスさえ生きていれば〟……。あの子は〝生まれ持っての王の器〟……。その産声を聞いたとき、『真なる王が産まれた』と感じたものだ……。産まれてすぐに落命した事が悔やまれる」
「……アスクレピオスか。確かに、産まれたばかりだと言うのに、アレからは類い稀なる『王気』を感じた。生きていれば、希代の王と成っていたかもしれん。しかし、兄者、そこに想いを馳せても仕方のない事だ。失ったものは戻らないのだから……」
クロノスの言葉を受け、アーネストは今は亡き我が子を思い、悲し気に目を伏せた。
「……お前たち、もう下がって良いぞ。私はクロノスと二人で話がしたい」
「……」
「……」
その話はタブーであると分かっているのか、ジェミニやアリエスはそれ以上アーネストに意見する事なく、側近たちを伴い、無言で謁見の間を後にした。
*
他の大貴族もジェミニたちに追随する様に出て行き、謁見の間に残ったのはアーネストとクロノスのみだ。
「……なあ、クロノス。俺はどうすれば良い? 後継者候補たちにそっぽを向かれ、王位を明け渡す事すらままならん」
「兄者、嫌な事を子供らに押し付けようとするからだ。後継者候補もバカじゃない。兄者の考えは、アイツらに見透かされている」
クロノスに辛辣な言葉を浴びせられ、アーネストは両手で顔を覆いそのまま天を仰ぐ。
「……そうか、俺の狡賢さは見透かされているのか。クロノス、やはり俺にはグレンを討つ事は出来そうにない。あいつは、俺の唯一と言って良い……友だったからな」
「だからと言って、グレン・リアーネの処断を押し付けるのは……あの子らには荷が勝ちすぎるだろう」
「……」
「兄者は心配しなくて良い。汚れ役は俺がやってやる。そのためのロイヤルガード……『王を守る盾』だからな」
そう言って、アーネストの肩に手を置くと、クロノスは静かに決意を固める。
アーネストが決断出来ぬと言うのなら、自分が兵たちを扇動し、裏切り者──グレン・リアーネを討つのだと……。