【7】医務室での一幕
『抜剣レベル4──『静止する世界』を発動──使用可能時間は1分です──カウント開始』
ユランに伸し掛かっているレピオを見て、ミュンは即座に『抜剣』を発動させた。
ミュンが『抜剣』を発動させると同時に、世界中の全てが〝静止〟し、時間の流れすら停止する。
「さて、まずはこの女をどうしてやろうかしら……。嫌がっているユランくんに無理やり迫るなんて──」
先ずは、〝この女〟をユランくんの上から排除しなくては──
ミュンはそう考え、レピオの胸ぐらに手を伸ばす。
「多少、痛いかもしれないけど、自業自得ね。この世には、犯してはならない〝聖域〟というものが存在するのよ……」
ミュンは考えていた。
『ケガしない程度に、思いっきり投げ飛ばしてやろう』
そのために、胸ぐらを掴んで引き寄せようと試みる──
フ──……
「……は?」
その瞬間、ミュンは〝ある事実〟に驚愕する事となった。
「触れられない……?」
フ──……
フ──……
フッ──……
何度やっても同じだ。
──5秒経過。
静止した世界が動き出す……。
「ちょっと! レピ姉ぇ、落ち着いて!」
「……ふふ」
『おい、人の子よ! 母親の前で──な、何というふしだらな……』
「ラティ! 照れてないで助けて下さい!」
目の前で騒ぐユランたちを尻目に、ミュンは黙ったままでレピオをジッと見つめ、観察する。
──10秒経過。
再静止……。
「……失礼!」
ブンッ!!
ミュンは、一応レピオに断りを入れてから、今度はかなり強めに右腕をレピオの胸元に近付けた。
それこそ、押し飛ばしてしまえるくらい強くだ。
しかし──
「やっぱり、触れられない……か」
やはり、何度やっても同じ……ミュンの腕は必ずレピオに触れる直前で止まってしまう。
「……」
ミュンは、静止した世界の中でレピオの様子をマジマジと見つめた。
(この人が私より強い? 一応、私はレベル4なんだけど……)
ミュンの抜剣レベル4──『静止する世界』は、その名の通り〝世界を静止〟させ、その静止した世界の中で〝自分だけが動ける〟という能力だ。
だが、その能力には『静止した世界の中では、自分よりも強い相手を害せない』と言う〝制約〟が存在する。
つまり、レピオはアカデミー新入生でありながら、レベル4のミュンより強いと言う事になる……。
それは、レベル2が卒業条件、レベル3で卒業できれば極めて優秀と言われるアカデミーでは異例の事だろう。
(アカデミーの上級生──その中でも、特別優秀な人の名前と顔は全部頭に入ってる。上級生じゃないとしたら、新入生? レベル4以上の? それなら絶対にSクラスだと思うけど……Sクラスは全員ガイダンスに参加してた。この人、一体何者なの……?)
──5秒経過。
静止した世界が動き出す……。
「うわぁぁ!? そんなところに手を置かないで!」
ユランの切羽詰まった叫び声を聞き、ミュンは「ハッ」と我に帰る。
いつの間にかユランとレピオ──二人の距離はかなり近付いており、今にも唇と唇が接触しそうだ。
「──つっ!」
ミュンは、咄嗟に二人を止めようと、そのままレピオへと右手を伸ばす。
とにかく『ユランの上からレピオを退かさなければ……』と、ミュンはタックル気味にレピオに突っ込んだ。
しかし、レピオは突進してくるミュンの右腕を、少しだけ腰を前方に折る事で躱し──
パッ──
パパッ──……
そのままの勢いで腰を捻ってから、ミュンの右腕を巻き込み、逆に投げ飛ばそうと行動したのだ。
「ぐっ……!」
ミュンは、咄嗟にレピオとの間に左膝を差し込み、グッと足に力を入れて投げ技に抵抗する……。
ミュンは、ハッキリ言って戦闘の天才。
聖剣こそ『貴級聖剣』であるため、高位の魔族相手では後れを取る事も間々あるが、単純に戦闘の才能で言えばユラン以上だ。
そのミュンが、翻弄されるほどの動き──
内心、驚きを隠せないミュンであったが、相手の素性も分からないため、過剰に手を出す事もできず……レピオの投げ技に、踏ん張って耐えるしかなかった。
しかし、それを見透かしたかの様に、レピオの腕が蛇の様に絡み付き、胸ぐらを掴まれる──
グンッ──!
(耐え切れない!?)
投げられまいと踏ん張るミュンの身体を最も簡単に掬い上げると、レピオは口端を歪めて妖艶な笑みを浮かべる。
そして、持ち上げたミュンの身体を、そのまま地面に叩き付けようと──
──10秒経過。
再静止……。
「何なの、この人? 冗談じゃないわ……」
ミュンは『静止する世界』の中でレピオから身体を離そうとする。
しかし、がっしりと胸ぐらを掴まれているためにそれが叶わない。
「……ふひ」
かなりの危機的状況にも関わらず、ミュンは何故か邪な笑みを浮かべ──
ビリィッ!
躊躇なく、自分の制服の胸元を引き千切る。
それにより、ミュンの年齢に似合わぬ豊満な胸が露わとなり──
『──抜剣を解除します』
ミュンは、もう『抜剣』など無意味だと『静止する世界』も解除する。
そして、ミュンは──
「きゃー(棒) いやぁー(棒)」
明らかに演技だと丸わかりな悲鳴を上げ、むんずとユランの頭を両手で掴むと……。
ベッドから引っこ抜く様な形で引っ張り、自らの胸の中でギュッと抱いた。
「へぶ!?」
急に、頭ごとベッドから引き抜かれたユランは短く悲鳴を上げる。
ミュンは、全然悔しくなさそうな顔で──
「こ、こんな屈辱を受けるなんて……くっ」
と悔しげな言葉を吐いた。
「ちょ、暗くて前が見えない! 今どうなってるの!? え? なんかずごく柔らかい何かが……」
ユランはミュンの胸の中でバタバタもがいているが、もがけばもがくほどミュンの拘束は強くなり、完全にがっちりとホールドされていた。
一方、ユランに馬乗りになっていたレピオは、土台ごと叩き落とされたダルマ落としの様に、ベッドから転げ落ちる。
『相手をユランから離せないなら、ユランを引き寄せてしまえばいい』
ミュンの絶妙な頭脳プレイ? が炸裂した。
「……」
「ふふふ、やっぱり最後に勝つのは愛!」
『何もやっているんだ、お前たちは……』
「え? ここは何処? これは何?」
無言でミュンを睨み付けるレピオ、
ユランを胸に抱きながらドヤ顔のミュン、
呆れた様にため息を吐くラティアス、
いまだ混乱から抜け出せぬユラン、
かなりカオスな状況になっていたが、その中で急にレピオが「バッ」と立ち上がったかと思えば──
キンッ──……!
突然、サブウェポンを鞘から抜き放った。
「ちょ! 何考えてるのよ、この人!?」
レピオの突然の行動に焦り、ミュンも最初は応戦しようと考えたが、
「まずい! このままユランくんを離したら私の負け! 神は私を試している!?」
と訳の分からない事を言い出し、決してユランの頭を離そうとしなかった。
レピオの目は完全に据わっており、本気でミュンを害するつもりであると分かる。
サブウェポンを抜き放つときの、スムーズな動作──
そして、それからの足運び……。
どれを取っても、レピオはかなり戦い慣れしている様に見える。
いくら、ミュンが戦闘の才能に明るく、場数を踏んでいると言っても、気を引き締めなければ大ケガを追うような相手だ。
しかし、ミュンはユランを離そうとせず、レピオも歩みを止めない。
このままでは最悪の事態も……
などと想像できてしまう場面だが、ミュンにはとっておきの秘策があった。
ユランを離さず、レピオの足を止めるための秘密の呪文が……。
ミュンは息を目一杯吸い込むと、その秘策を唱えた。
「ラティアスママ! 助けてぇ!」
『……む?』
ミュンの魂の叫びを聞いた瞬間、ラティアスの目がギラリと光り──
『──跪け──』
最上級の『竜眼』を、手加減なしでレピオに放ってしまう。
ガクンッ──!
その途端、レピオの身体が糸の切れた人形の様に床に崩れ落ち、完全に気を失って倒れ伏す。
普段は、人間相手に『竜眼』を使う際には極力手加減をし、言葉も優しくなる様に気を付けていたラティアスが……
思わず命令口調で言ってしまうほど、ミュンの言葉に心動かされていた。
『あぁ……。甘言につられてなんて事を……。人の子に、この様な仕打ちをしてしまうなんて……。アイデンティティ、私のアイデンティティが、あぁ、アイデンティティ……』
そして、ラティアスはバグってしまった。
小声で、延々と『アイデンティティ』と呟くだけの悲しきケモノと化したのだ……。
「ユランくん! 今のうちに逃げるよ! やっぱり、この人何か変……。ここに居たら不味い気がする!」
「えぇ!? 何が起こってるの??」
「良いから!!」
ミュンは有無を言わさず、上半身裸のままでユランを胸に抱え、医務室を出ようとする。
ついでに、茫然自失しているラティアスも小脇に抱える事も忘れない。
「ラティアス様! いつまで惚けている気ですか!」
『アイデンティティ?』
ミュンは自分の行動を棚に上げて、ラティアスを抱えて走りながら叱咤する。
ミュンの言葉に、ラティアスは小首を傾げて疑問符を浮かべた。
あれだけ嫌がっていた敬称にも反応せず、完全に混乱状態だ。
「助けていただいて何ですが、仕方のない処置です! あの人、本気で私を殺そうとしてましたよ? 完全に目が本気でしたし……。それに、すぐ目を覚ますんでしょう?」
『本気でやってしまったから……一週間は目を覚まさないかも。シュン……』
やっとまともな事を喋ったかと思えば、ラティアスは口で「シュン……」と言って、益々落ち込んだ様に俯いて肩を落とした。
ミュンとしては、ユランを狙う謎の女が一週間も目を覚まさない事は願ったり叶ったりだが……
(まずは何よりも、この謎の女とユランくんを引き離す事が大事! 倒れた場所が医務室だし、このままにしても大丈夫なはず! ……一応、ユランくんを引き離したら戻ってこよう)
ミュンはそう考え、ユランとラティアスを抱えたまま医務室を後にするのだった。
*
「……」
他に誰もいなくなった医務室で、床に突っ伏していたはずのレピオが、ムクリと起き上がる。
ラティアス曰く、『一週間は目を覚まさない』ほどの『全力の竜眼』を受けたにも関わらずだ……。
「……ここは?」
レピオは、医務室での一連の行動など覚えてもいない様子で、クシャクシャと頭を掻く。
「……何だか分からないけど、妙にスッキリ」
そう言って、キョロキョロと辺りを見渡すが──
自分が何故ここに居て、何をしていたのか……全く思い出すことが出来なかった。
レピオが朧げに覚えている事と言えば、自分を虐めたアカデミー生たちが、突然現れた男の子にコテンパンにされていた事くらいだ。
「でも、良かったぁ。あの人が来てくれなかったら、私…………あの生徒たちを殺してたかも」
レピオはそう言うと、口端を歪めて低い声で笑う……。
そして、そのときの事に想いを馳せ──
「あの人……私を助けてくれた人……。絶対に手に入れるから……」
そう言って、レピオは天井を見上げる。
少しだけ軽くなった心と身体を踊らせる様に、レピオはその場でくるりと回った。
「ねえ、レピオ。貴方から全てを奪った私を許してね……」
誰にともなく、恭しく頭を下げると……。
アスクレピオスはそう独りごちるのだった……。




