アカデミー入学
『ユラン・ラジーノ──Dクラス』
そう記載された羊皮紙が、ユランの下に届けられたのは今朝の事だ。
ここは、聖剣士アカデミーの学生寮の一室。
今朝、聖剣教会の宿舎から出て、ここに入寮したばかりだというのに、ユランは早速アカデミーの洗礼を受けていた。
「まあ、入学試験でアレだけ暴れればね……。妥当だよね、うん」
ユランは「はいはい」と言った感じで、羊皮紙をくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱に投げ捨てた。
『ふふ、そう言う割には随分と悔しそうだな。主人殿』
ユランの独り言に反応し、そう言ったのは──
ユランの肩に乗っている、翼の生えた小さな黒トカゲだ。
小さいと言っても片手に乗せて余るくらいなので、側から見れば小振りのヌイグルミくらいに見える。
「……そんな事はありませんよラティアス様──それよりも、主人殿は止めてください」
ユランが黒トカゲ──子竜姿のラティアス・ナーグにそう答えると。
かぷっ──
「ちょ! 痛いですって! 首を噛まないでください!」
『敬称は付けるなと言ったであろう? それに、私の事はラティと呼びなさい。主人殿』
ガジガジガジ──
「痛い! ガジガジしないでください! 分かりましたって、ラティ!」
『……それで良い。出来れば敬語もやめて貰いたいが……それは、追々でよかろう』
ユランは、ラティアスに噛み付かれた部分を撫でながら、抗議の目を向ける。
「何も、噛み付かなくても……」
『ふふ、この様な美女に甘噛みされたのだ。嬉しかろ?』
美女と言っても、今のラティアスは子竜のヌイグルミだ。
転身前は、絶世の美女と呼べるほど美しい姿だったのだが……。
「今はトカゲ饅頭ですけどね……」
そう言って憎まれ口を叩くユランに、ラティアスは再び鋭い牙を光らせ──
ブスッ!
さっきよりも強めに噛みついた。
「痛!! ごめんなさい! 一言多かったですう!!」
聖剣士アカデミーの学生寮に、ユランの悲鳴が木霊した……。
*
ラティアスが子竜の姿をとっているのには、ちゃんとしたは理由がある。
厄災騒動が終結した後、アリシアの魔力で濁った肉体を浄化し封印するために、ラティアスは常にアリシアの近くにいる必要が出てしまった。
現在ラティアスは、聖剣教会に身を置き、アリシアの監視兼魔力の封印役として側にいる。
……アリシアは今も眠ったまま目覚めていない。
今、ユランの肩に乗っているのは、ラティアスと意識を共有した分身体だった。
分身体と言っても本体7割、分身体3割で力を分けているため、こちらの分身体もかなりの力を持っている。
このトカゲ饅頭がだ……。
ちなみに、ラティアスが分身体を作った理由は、『せっかく復活したのだから、この時代を満喫してみたい』と言う個人的な理由であった。
今は、分身体がユランの使い魔ならぬ『聖獣(笑)』として側にいながら、現代社会を満喫している。
『で、主人殿? そのDクラスとは何だ?』
「主人殿はやめてくれないんですね……。Dクラスって言うのは──」
Dクラスとは、聖剣士アカデミーのクラス分けの事で──
アカデミーのクラスは入学試験の成績、そして試験時点でのその者の能力などを総合して振り分けられる。
クラスは上からS、A、B、C、Dとあり、ユランが振り分けられたDクラスは最下位──いわゆる『落ちこぼれクラス』と言うやつだ。
『主人殿……。まさか、阿呆なのか?』
「は? いやいやいやいや、何を言いますお嬢さん。それは聞き捨てなりませんぞ。オイラは試験のときに、ちょっとだけヤンチャしちゃっただけでごぜーます。決して馬鹿ではありませぬ」
『焦りすぎだ……。相当ショックだったんだな……』
「哀れみの視線を向けないで!」
ユランだって分かっていた。
試験会場で、あれだけ大立ち回りを演じたのだ──それが、試験官の提案だったとしても、受験者を過剰にボコボコにした事実は変わらない。
しかも、その試験官は処分されているし……。
ユランに何かしらのペナルティを与えなければ、騒動に関係ない受験者たちに示しがつかないのだろう。
「ま、まあ、僕としてはあまり注目されたくなかったし、結果オーライなんですよ」
これは強がりだ。
ユランが神人である事を隠そうとしていたのは、グレンに関する事件や厄災の問題を解決するために『自由に動きやすくするため』だったが──それもほぼ解決している。
今更、神人である事実を隠す必要もなくなったのだ。
ここからは、ユランが知らぬ未来へと進んでいくだろう……。
ここまで過去の出来事が変わってくると、この先の事など予想できる訳がないのだ……。
『まあ、そう言う事にしておこうか……。まったく、可愛いやつめ』
「……厄災騒動の件は、グレンの話題にかき消されて騒がれなくて助かったけど……リリアのケアもしないといけないし、やる事は山積み……それなのにDクラスはなぁ……」
ラティアスの呟きは、聞こえないフリをしたユラン。
実際、ユランの言う通り、リリアはグレンの裏切りが相当ショックだった様で──
顔には出さず、気丈に振る舞っているが……それを忘れようとするかの様に訓練に没頭し、自分を限界以上に追い込んでいる。
心のケアをしなければ、いつか壊れてしまうかもしれない。
今は従者見習いのリネアが側について、やりすぎない様に見張っているが……このまま任せっきりと言う訳にもいかないだろう。
Dクラスは、最下位のクラスとして他のクラスに追いつくために課外の訓練等も行われるらしく、自由時間が極端に少ないクラス。
どこまで、リリアの事に気を回せるか……。
それに、一番の問題は〝世界に対して〟宣戦布告をしてきた『聖人セリオス』と『反逆者グレン・リアーネ』の件だ。
謎に二年と言う猶予を与えられた訳だが、セリオスたちに対抗するために、ユラン自身の『抜剣レベル』を上げる事は急務だった。
「やる事が多すぎて頭が痛くなる……。全部グレンの所為だ」
厄災騒動の件の事後処理自体は、アリシアの『保護術』のおかげで怪我人も殆どなく、バル・ナーグ──今はラティアス・ナーグだが……そのラティアスが破壊した建物を修繕するだけで事は足りそうだ。
さらに、ラティアスの『咆哮』で王都の人間たちはほぼ全員気絶していたため、バル・ナーグ=ラティアスと言う事実を知る者もなく、『厄災は討伐されたと』適当に誤魔化す事も出来た。
そちらは、解決したと言っても良いが……。
ユランが頭を痛める原因は、やはりセリオスやグレンの事だ。
リリアの件は近くにいるため、やりようはあるのだが……。
『ふむ……。そんなに煩わしいなら、ソイツらを始末してこようか? そう言うのは得意なんだ』
突然、ラティアスがそんな事を言い出した。
セリオスたちの事情は、ラティアスに説明済みだ。
「うーん。流石にラティでも、あの二人を同時に相手するのは厳しいと思うんですけど……」
『む、私を侮っているな主人殿。今はこんな形だが、本気を出せば人間など……いや、相手は人間なのか……まだそれほど悪さをしていない様だし、手を出すのは早計か……むう』
ラティアスは自分の中で何か葛藤があったのか、そのまま考え込んでしまった。
グレンはともかく、セリオスは王都に攻め込んだのだから十分に悪さをしたと思うのだが……ラティアスの〝悪さの基準〟は随分と緩いらしい。
ユランとラティアスが、そんな他愛もない会話をしていると──
バンッ!!
「ハローエブリワン! 貴方のミュンちゃんの登場です!!」
寮室の扉を勢いよく開け、ミュンが登場した。
「ここは男子寮なんだけど……」
ユランはミュンの奇怪な行動に慣れ始めていた。
「やれやれ」と言った様子で呆れ顔だ。
「明日からは、アカデミーの授業だね! 同じSクラスとして、楽しい学園生活を送ろうね!!」
「……僕はDクラスだけどね」
「ミュンは激怒した」
「口で言うんだ、それ……」
どんな状況下に置かれても、平常運転のミュンであった……。