【36】王都戦の決着 神竜ラティアス・ナーグ
遥か昔、『古の時代』と呼ばれた時代の話……。
数ある竜の家門の中でも、最強の力を持つと言われていた黒竜族のナーグ家に、一人の子供が産まれる。
名を『ラティアス・ナーグ』と言った。
ラティアスは、男児しか産まれないとされていたナーグ家に、初めて産まれた女児で、『運命の子』として大切に育てられた。
ラティアスは──
父親から〝正義の心〟
母親から〝他者を愛する心〟
を学び、それぞれの教えを自身のドラゴンハートに刻み付けた。
ラティアスの父親は彼女に対して、いつもこんな事を言い聞かせていた。
『お前は、人間族……いや、この世界に生きる全ての者と竜族を繋ぐ架け橋となるのだ。お前は……ラティアス・ナーグなのだから』
父親の言葉を守り、幼いラティアスはこの世界の守護竜となる事を誓った。
竜族と多種族を繋ぐ者……ラティアス・ナーグとして。
しかし、あるとき、竜族の中で最も好戦的な家門である白竜族──ガーヴ家がある主張をし始めた。
『我々竜族は、世界を統べる力を持つ唯一の種族。他の種族を滅ぼし、竜族だけがこの世界で無二の存在だと知らしめるのだ』
その過激な主張に、竜族の代表5大家門──
赤竜族ズール家
黄竜族ラーラ家
青竜族ノーグ家
緑竜族ビーン家
が賛同し、そして、白竜族のガーヴ家が代表となって、この言葉を旗印に多種族に対して宣戦布告する。
これにより、5大家門に属さない小家門もこの主張に賛同し始め──
本格的に、世界規模で竜族対多種族の構図が構成された。
竜の家門の中でも一際少数だが、最強の力を持っていた黒竜族は、
『竜族の本懐を忘れるな。他種族との調和を守れ』
と言う『竜の神』の言葉を忠実に守り、他の竜族を諌め、争いを回避しようとした。
ナーグ家の族長──ラティアスの父ボルキュス・ナーグが特に守りたかったのは……
人間族であった。
その理由は単純で、ラティアスの母──つまり、ボルキュスの妻が人間族であったためだ。
女児が産まれない黒竜族は、度々、多種族から妻を娶り一族を繋いできた。
黒竜族の遺伝子は強く、どれだけ他の血を混ぜようとも血が薄くなる事はなかったが──子供が出来にくい体質であったため、繁栄せず、最強の力を持ちながらナーグ家は小家門に甘んじてきたのだ。
そして、ナーグ家の説得に耳を貸そうとしなかった他家門は、あろう事か、同じ竜族であるナーグ家を滅ぼそうと動き始めた。
『邪魔をするなら、ナーグ家も他種族と同じ運命を辿るだろう』
白竜族──ガーヴ家の族長はそう語り、黒竜族の里に侵攻した。
ナーグ家は『竜の神』の教えを守り、争いを起こさないために他家門を説得したが、聞き入れられる事はなく──
他家門は、無抵抗を貫いたナーグ家を皆殺しにしてしまった。
ナーグ家は、そのとき滅びたかに見えたが……
他家門が黒竜族の里に侵攻してきた際、人間族の母と共に、幼いラティアスも里から落延びていた。
そして……
何年かの後、竜族が準備を進めてきた〝他種族侵略〟が開始された……。
最初の標的は人間族。
圧倒的な力を持つ竜族に、人間族はなす術もなく敗れ去るかに見えたが──
人間族を守るために、立ち上がった者がいた。
心身ともに大きく成長し、最強の力を手にしたラティアス・ナーグだった。
ラティアスは、たった一人で竜族に立ち向かい──竜族を皆殺しにした。
父や家門の仇打ちではない。
ただ、人間族のために……。
*
突然、人間の姿になったバル・ナーグを見て、ユランが叫ぶ。
「アリシア! ドラゴン・オーブを使うんだ!」
ユランが知る、バル・ナーグの休眠状態とは違う。
しかし、バル・ナーグから発せられる竜気の量が明らかに減少している。
その証拠に、ユランたちに掛けられていた『竜眼』の効果もすでに消失していた。
この状態ならば、きっと……。
ユランは、期待を込めてアリシアの方を見る。
しかし、アリシアは──
『がぁぁぁ!!』
ガン! ガン! ガン!
体内から押し寄せる魔力に必死に抗おうと、地面を殴打し続けている。
ユランの声など、耳に届いていない様子だった。
「まずい。アリシアが『魔女』に……。止めないと!」
『竜眼』の影響が残っており、フラフラとおぼつかない足取りながらも、ユランはアリシアに近付いていく。
そして──
「アリシア! しっかりしてくれ! アリシア!!」
身体を揺すりながら、何度も声をかけるが、アリシアが落ち着く様子はない。
そして、最悪な事に、
『グルル……』
バル・ナーグも再び動き出そうと、唸り声を上げていた。
「……先にこっちをどうにかしないと。アリシア、ごめん!」
ユランは謝罪した後、アリシアの懐に手を突っ込むと、ある物を取り出そうと弄った。
アリシアの年齢に似合わぬ成長した身体に、色々と柔らかいものが触れた気がしたが──それどころではないユランは気に留める事なく、アリシアの懐からドラゴン・オーブを取り出す。
そして、そのままバル・ナーグに向かってドラゴン・オーブを掲げた──
すると、ドラゴン・オーブが眩い光を放ち、バル・ナーグとユランの身体を包み込むのだった……。
*
「……さい」
──誰かが、ユランに呼びかけている。
「起きなさい……人の子よ」
そう呼びかける声は、如何にもユランを気遣っている様に優しげだった。
「……ここは……?」
そこは、不思議な場所だった。
上も下も左も右もない……。
立っているのか、寝ているのかすらも分からない不思議な感覚……。
真っ暗な闇の中で、呼びかけてきた声の主の姿だけがハッキリと見てとれた。
「……バル・ナーグ?」
目の前に立っていたのは、竜の姿から人間の姿に変化した──バル・ナーグだった。
ユランの言葉に、バル・ナーグは、
『それは、本当の名前ではない。昔色々あってね……。竜族を滅ぼした際に、それを見た人間たちが『破壊する(バル)・者』と言う意味で勝手に付けた名だ』
少しだけ微笑みながら、そう答えた。
そして──
『私の本当の名前は──ラティアス・ナーグ……『繋ぐ者』と言う意味だ』
真実の名を語った。
「ラティアス・ナーグ……様? ここはどこなんですか?」
『敬称は必要ないぞ、人の子よ。ここは……まあ、思念の世界の様なものだ。夢現、一時の幻想……『竜の心臓』を使ったな』
「竜の心臓……ですか?」
『それの事だ』
そう言ってラティアスが指差した先には、暗闇の中で、揺蕩う様に浮かんでいる金色の宝玉──ドラゴン・オーブがあった。
「ドラゴン・オーブが竜の心臓?」
『その宝玉はドラゴン・オーブではない。形は似ているが、それは竜族の身体から取り出されたドラゴンハートの成れの果てだ。そして、そのドラゴンハートは──』
ラティアスがそこまで説明すると、それを遮る様に金色の宝玉が輝き──
その輝きの中から、一人の人物が現れる。
漆黒のローブで身を包んだ──
『久しぶりだな……ラティアスよ』
ラティアス・ナーグの父、ボルキュス・ナーグだった。
『私の心臓が役に立った様で何よりだ。一族が滅びたとき、私も覚悟していたが……お前の事だけが気掛かりだった』
ボルキュスがそう言うと、ラティアスはその顔に微笑を浮かべ、スッと跪いた。
『父上、お久しぶりで御座います。父上のドラゴンハートのおかげで、私も正気を取り戻すことができました』
『顔を上げなさい。お前はすでに黒竜族の長……。いや、世界を守る神竜なのだから、私に頭を垂れる必要はない』
『……ありがとうございます』
ラティアスはそう言うと、ゆっくりと立ち上がる。
話について行けないユランは、事の成り行きを見守ることしか出来なかったが、そんなユランを見てラティアスは──
『こちらにいる人の子が、私を正気に戻すために動いてくれた様です。そして、その仲間たちも……。君たちには感謝しても仕切れない。ありがとう』
と言って、深々と頭を下げた……。
「い、いえ。僕は結局何も出来ていませんし……。それよりも、正気に戻ったとは?」
『以前、私が眠りについたときに、何者かが余計な小細工を施したらしいな。目覚めたとき、意識はあったが身体が言う事を聞かなかった……。暴れる様に仕向けられていたのだ』
「……」
『君たちが尽力してくれなければ、余計な犠牲を出すところだった。私は竜神に『罪なき者を害さない』という誓いを立てているからな……。そんな事になれば、自死ものだ』
ユランはそのとき、回帰前の世界でバル・ナーグにドラゴン・オーブを使った際の事を思い出していた。
回帰前、休眠状態だったバル・ナーグはドラゴン・オーブにより正気を取り戻し──自分がしてしまったことを目の当たりにし、絶望……自死を選んだのかもしれない。
確かにあのとき、バル・ナーグは封印体に戻るでもなく、自身を傷付け、跡形もなく消滅していったが──ユランはずっとそれがドラゴン・オーブの効果だと思っていた。
消滅したところで、きっとどこかで復活するのだろう……と、その程度に考えていたのだ。
『あの娘にも感謝しなければならないな。私が正気を取り戻す切っ掛けを作ったばかりではなく、罪なき者を守ってくれた』
「……え?」
あの娘とはアリシアの事だろう。
しかし、罪なき者を守ったとは?
『あの娘は、私と戦いながらも、逃げ惑う人間たち一人一人に『保護術』を掛けていた。膨大な量の人間にね……。おそらく、大きな怪我をした者はいないだろう。あれは、私にも出来ない芸当だ』
「アリシアがそんな事を……。あ!」
ユランはアリシアの話題が出た事で、アリシアが『魔女化』しかけていた事を思い出して思わず声を上げた。
「アリシアのところに戻らないと!」
『……ああ、あの娘の力が変化していた件だな。まあ、ここは現実から隔絶された世界。ここでいくら時間が過ぎようとも、現実に影響しないが……君の精神衛生上良くなさそうだな……』
「すみません……」
『いいさ。あの娘の力が暴走したら、君たちでは止められないだろうからね。あの娘は強い。復活したばかりで、私の力が〝3割程度〟だったとしても……あれだけ対抗できる人間など、そうはいないだろう』
「えぇ、あれで3割だったんですね……」
ラティアスの言葉に驚愕の表情を浮かべるユラン。
ラティアスが本当の力を取り戻していたら、いくらアリシアでも対抗出来なかったであろう。
『あと、最後に一つ……。私の復活で、いずれ地下に封印されていた『竜人族』が目覚めるだろう。彼らには良くしてやってくれ……。一応、竜族の力を受け継ぐ者たちだ』
竜人族の事なら知っている。
ユランの使う体術などの基本戦術は、全て竜人族から学んだものだ。
回帰前の世界では、突然世界に現れた新種族の様に言われていたが、ラティアスの復活が引き金になっていたらしい。
「竜人族は、あなたの血を継ぐ者……。あなたの子供たちなんですね」
『馬鹿を言うな人の子よ。黒竜族は私以外は滅びたし、私はまだ56321歳──人間で言えば赤子の様なものだ。男性経験など有る訳がないだろう』
「へ……?」
『つまり、子はいないと言う事だ。直系の子孫など存在しない……。それはそうと、君のそれはセクハラだぞ?』
「セ、セクハラって何ですか??」
『……古代語だ。話が長くなってしまったが、先に戻りなさい。私は父上と少し話があるからね……。それが済んだら私も戻ろう。以降は、君たちに全面的に協力すると約束する』
ラティアスはそう言うと、トンッと、右手の人差し指でユランの額を押した。
*
「……!?」
唐突に意識が覚醒したユランは、自分がアリシアを抱きしめた状態である事に気付く。
アリシアの髪は半ばまで漆黒に染まっており、瞳も朱色が強くなってきている。
(確かに、時間は経過していない様だが……ここまで進行してしまっているのに止められるのか?)
「アリシア! アリシア!」
ユランはアリシアの名前を呼び続けるが──アリシアはユランの方を見ようともせず、遂には呆けた様に天を仰ぎ、脱力し始めた。
「ユラン! アリちゃんは!?」
いつの間にか、リリアも竜眼の呪縛から解放されており、ユランたちのところに走ってくる。
……他のメンバーは、まだ『咆哮』の影響から目覚めていない。
「アリシア! しっかりしろ!!」
「アリちゃん! 目を覚まして!」
ユランが抱きしめ、横からリリアが寄り添う様にして二人で声をかけ続けるが、アリシアの『魔女化』は止まらなかった。
リリアはアリシアの『魔女化』の事は聞かされていないが……
ユランの焦った様子と、アリシアの普通じゃない状況を見て、ユランに習って行動していた。
ジジジジ──……
アリシアの変化は止まらない。
回帰前、王都の人間の大半を呪い殺した〝厄災〟──『魔女アリア』が、今、目覚めようとしていた。
髪の漆黒が、毛先まで広がり──
瞳の朱色が、金色を覆い隠そうと──
『やれやれ。さっそく受けた恩を返す事になろうとは。まあ、この程度では返しきれないがね……』
突然、そんな声が聞こえたかと思うと、真っ白な右手が、アリシアの頭に優しく添えられた。
そして──
『──鎮まりなさい──』
世界を守る神竜、ラティアス・ナーグの『竜眼』が発動する。
バル・ナーグのときとは違う。
全力の、手加減なしの竜眼……
アリシアの身体から、フッと力が抜け──
気を失うと同時に、その髪色は一瞬で灰色へと変化した。
おそらく、閉じられた両の瞳も琥珀色に戻っている事だろう。
こうして、アーネスト王国を襲った襲撃事件は終わり、王都に平和が戻った。
『咆哮』の影響から目覚めた人々は、王都を護ったユランたちを讃え、歓喜に沸いた。
しかし、すぐに王都中にあるニュースが巡り、人々を失意のドン底に突き落とす事となった。
……人類最強の神人、グレン・リアーネが、
人類に反旗を翻したのだ……。




