【34】魔女と聖女
ドラゴン・オーブとは──
悪しき竜を封じる力を持つ『金色の宝玉』、
悪しき竜を解き放つ『漆黒の宝玉』、
この二つの事を呼ぶ。
その二つのうち、『金色の宝玉』は妖精族に伝わる秘宝で、妖精族の王族は代々これを護り、門外不出としてきた。
『漆黒の宝玉』はバル・ナーグの封印体と共に、エルフと同盟を結ぶ種族──『竜人族』が護る土地で管理されており、妖精族と竜人族は協力してバル・ナーグの復活を阻止してきたのだ。
しかし、あるとき、何者かがバル・ナーグの封印体と『漆黒の宝玉』を竜人族の土地から持ち去ったために、竜人族は地下深くに封じられる事となる。
竜人族は元々、バル・ナーグを監視するために地上に出ていたのだが──封印体と宝玉を両方とも失った事から、竜の神が激怒し、竜人族を地下に追いやったとも言われている。
竜人族が、バル・ナーグの監視役から匙を投げた事から、全ての御鉢は妖精族に回ってきた。
ただ、この妖精族もバル・ナーグの封印体が、人間の治める土地にあると知った途端、我関せずという態度を取り始めた。
『人間族が魔竜にやられて何人死のうが、妖精族には何の関係もない』
……妖精族とは、そう言う考えを持つ種族であった。
ならば、何故、そんな排他的な考え方の妖精族が、王女であるニーナを派遣してまでドラゴン・オーブをユランに届けさせたのか……。
何ともきな臭い話だが、答えは単純──
『ドラゴン・オーブを持つ者は、復活したバル・ナーグを再封印する責任を負う』
などと言う、正義感あふれる取り決めが、この世界で暮らす全ての種族の間でなされていたからだ。
最も、人間族はその取り決めを忘れ、バル・ナーグの存在すら知らぬ者たちかばかりになってしまった訳だが……。
まあ、速い話が、妖精族はバル・ナーグの復活が近いと見るや、バル・ナーグに関する全ての責任を人間族に押し付けたのだ。
おそらく、ドラゴン・オーブを運んだ張本人であるニーナは与り知らぬ事だろうが……。
話が逸れたが、ともかく、バル・ナーグを封印するための切り札であるドラゴン・オーブだが……使用すれば問答無用でバル・ナーグを封印できる訳ではない。
まず、絶対条件としてバル・ナーグの竜気がある程度まで減少する必要がある。
竜気が従実している状態では、封印の力など簡単に跳ね除けられてしまう。
バル・ナーグの竜気を減らすためには、弱らせるか、疲労させるしかない。
それが困難な事は、ユランがバル・ナーグに相対してからの數瞬の攻防から見ても明らかな事だろう。
しかし、ユランは回帰前の世界で、バル・ナーグが討伐される様を見届けている。
では、回帰前は、どうやってバル・ナーグを討伐出来るほど追い込んだのだろうか……?
答えは簡単で、バル・ナーグは『ただ疲れた』のだ。
人間を殺し、殺し、殺して、殺した。
飽きるほどに、暴れ、壊し、蹂躙した。
やがてバル・ナーグは、世界の大半を滅ぼし終わった後、『疲れ果てて休眠に入った』。
そのときを狙った……。
それだけだ。
人間は何もしていない。
ただ、無慈悲に、麦の様に簡単に刈ら取られただけ。
そこに平民も、貴族も関係ない。
そして、最後に残った王族── アリエス・セタ・フリューゲルまでも……。
*
「つまり、あのバケモノを……ある程度まで弱らせる必要があるって事か? 無理だろ、それ」
ドラゴン・オーブについての話を聞き、リネア〔暴食公〕は真剣な表情でそう言った。
リネア〔暴食公〕の言う通り、メンバーの中で最高の攻撃力を持つユランの一撃でも、バル・ナーグにはダメージを与えられないのだ。
このままでは、ドラゴン・オーブは切り札たり得ない……ただの綺麗な玉だろう。
「あんなの……まともに相手ができるのは、大罪の中でも〝5罪〟以上の奴だけだ。俺には到底無理だな……」
リネア〔暴食公〕が、苦虫を噛み潰した様な顔で呟く。
「……『抜剣』は可能なんですか?」
「無理だな。ご主人の聖剣に冷却時間は無いが……明確な敵意がこっちに向けられてない。これじゃ俺の『暴食』すら発動は不可能だ」
リネアの『抜剣術』は、相手から明確な敵意を向けられなければ発動条件が整わない。
バル・ナーグは現在、出鱈目に竜気を放出しているだけ……それは敵意とは言えないのだ。
リネア〔暴食公〕の言葉を聞き、ユランは集まったメンバーをぐるりと見渡す。
「私は冷却時間が終わっていませんから……『抜剣術』は使えません。でも、『拘束』ならまだまだ使えます」
とリリア。
極端に冷却時間の短いミュンは、『抜剣』の使用が可能だろうが……
格上の相手を害せないレベル4では、付け焼き刃にもならないだろう。
この中で、何とか戦えそうなのは──
『拘束』で支援が出来るリリア。
そして、皇級聖剣のジェミニだけだ。
だが、それらのメンバーで総攻撃を仕掛けたとしても、バル・ナーグに擦り傷一つ付けられないだろう。
せめて、ユランの『抜剣』がレベル7程度まで至っていたのなら、話は変わってきたかもしれないが……。
回帰前、人類史上初めて『完全抜剣』に至ったほど、ユランの『抜剣術』の才能は抜きん出ている。
このまま行けば、いずれグレンを超えることすら可能だろう。
しかし、〝いずれ〟では駄目なのだ。
今、このときに、バル・ナーグを打倒する力がなければ……。
ユランのもとには、『ソドムの腕輪』と言う〝自分の命を対価に抜剣レベルを1つ上げる〟効果を持つ腕輪もある。
だが、レベル4がレベル5になったところで、バル・ナーグに対抗出来るものでもないだろう。
ドクン……ドクン……ドクン……
バル・ナーグは相変わらず目を閉じたままで、微動だにせず、今のところ動く気配はない。
「なあ、あのバケモノはこちらから攻撃を仕掛けないと反撃して来ないみたいだし……動く気配もない。このまま放置して逃げちまうか? 作戦を立て直すって意味でもな……」
バル・ナーグの様子を観察していたリネア〔暴食公〕が、そんな提案をする。
「そ、そうですわね。一旦、体制を立て直すのは有りかましれません……。お兄様がいれば、あのバケモノにだって対抗出来るはずですし……」
リネア〔暴食公〕の言葉に、リリアもそう言って同意した。
確かに、グレンがいればバル・ナーグにだって対抗出来るだろう。
ユランたちはグレンが『レベル6』だと思っているが、実際にはすでに『レベル7』に至っている。
戦力的には十分だと言えるのだ。
しかし、それを聞いてユランは──
「駄目なんです。バル・ナーグは復活したばかりなので、眠っている状態なだけで……」
ドク……ドク……ドク……ドク……ドク……
いつの間にか、バル・ナーグの鼓動が加速している。
「あぁ、不味い! 早く止めないと!!」
『──使用限界まで残り15分です』
余計な事に時間を使い過ぎた。
初手から碌な立ち回りが出来なかったのだから、体制を立て直す時間は必要だったろうが……。
結局、完全に力負けしている状況で、今更話し合った所で有効な作戦など出るはずもなく……。
ただ、いたずらに時間を消費するだけと言う結果になってしまった。
『迅雷』
ユランは焦りから、形振り構わずに3回目の『迅雷』を使用する。
ドク……ドク……ドク……ドク……
しかし、そんなヤケクソが通用するはずもなく──
『一閃』
カンッ!
一際、間の抜けた打撃音を立てながら、ユランの攻撃はバル・ナーグの鱗に弾き返された。
今までにないくらいの、完全なる無駄打ち……。
その結果が、ユランの焦る気持ちを象徴している様だったが──
ド……ド……ド……ド……ド……ド……
時間は待ってはくれない。
バル・ナーグの鼓動が、尚も加速していき──
ドドドドドドドドドドドドドドド
早鐘の様に激しく、激流の様に派手な音を立てながら、加速、加速、加速、加速して行く。
やがて──
ドンッ!!!!!
一回の爆発音を轟かせ、バル・ナーグの鼓動音が──
止まった……。
──スゥ…………
それまで、閉じたままで、決して開くことのなかったバル・ナーグの両眼が──
ゆっくりと──
開いた……。
──まるで闇だ。
光のまるで射さない……漆黒の闇……。
その両の眼は、深淵を描いた絵画に──
絵の具の黒を、ぐちゃぐちゃに塗りたくった様に──
ただ、黒かった……。
ズゥン──……。
それまで、空中を漂う様に浮いていたバル・ナーグの身体が、地上へと降り立つ。
そして、鋭い牙をいくつも備えた口元が大きく開き──
〝それ〟を開戦の合図としたのだ……。
『グォォォォォォォォォンッ!!!』
轟いたのは咆哮。
そう、ただの『咆哮』だ。
スズゥン──!
その遠吠えを耳にした者は、まるで、重力に押し潰されるかの様に、地面に膝を付き──
やがて、抗う事など出来ずに──
意識を手放した。
ユランたちの中でも、ミュン、リネア、そしてジェミニまでもが、『咆哮』を受けて意識を刈り取られ、地面に倒れ伏す。
耐え切ったのは、二人の神人──
そして、聖女の資格を持ったアリシアだけだった。
さらに、その『咆哮』は王都全土にまで轟き──
王都にいるほぼ全ての人間が、強制的に意識を奪われる。
……援軍に駆けつけるはずであった、聖剣士までも。
「皆んな!」
ユランが声をかけるが、意識を奪われた者たちはピクリとも動かない。
バル・ナーグが、『弱い者に戦う資格はない』と言外に語っている様だった……。
*
竜族の心臓は特別な力を持つ、『ドラゴンハート』と呼ばれる器官だ。
ドラゴンハートは、その鼓動の加速と共に真の力を発揮して行き──
最高値まで達すると、一回の鼓動と共に、持ち主にさまざまな恩恵をもたらす。
この世のどんな金属にも勝る硬質な皮膚、
この世のどんな獣よりも俊敏な身体、
この世のどんな怪物をも捻り潰す怪力、
その他にも、有と有らゆる生物を超越した能力をもたらす──それがドラゴンハート。
古の時代から竜族が『最強の種族』と言われる所以だ。
そして、竜族が持つ特殊性はドラゴンハートだけではなく──
ボボボボ──……
バル・ナーグの口元が、眩い光を放ち始める。
ゆっくりと開かれた口先が向いているのは、リリアやアリシアが居る方向だ。
「ブレスを使う気だ! アリシア!!」
ユランが叫ぶと同時に、アリシアは込められるだけの神聖力を込めた『防壁』を目の前に展開する。
そして──
カッ──!!
バル・ナーグの口から、全てを無に帰す『破壊の光』が放たれ、アリシアの張った『防壁』に直撃した。
バリンッ!!!
アリシアの『防壁』は、『破壊の光』が触れた瞬間、最も簡単に破壊される。
が──
ドドドドドドドド!!!
アリシアたちを狙った『破壊の光』は、既所のところで軌道が逸れ──
線上に有る家々の屋根を、全て破壊しながら進んで行くと、次第に細くなっていき、やがて終息した。
アリシアは『防壁』を『破壊の光』の線上に上手く滑り込ませることで、光の軌道を逸らしたのだ。
しかし、こんな芸当は何度も成功するものではない。
これ以上ブレスを受ければ、それこそ一巻の終わりだ。
「次にブレスを使われたら終わりだ! リリア、『拘束』を頼む! 目を狙う!」
ユランはリリアにそう指示を出し、上空に向かって大きく跳躍した。
今までは閉じられていたバル・ナーグの眼だが、開いている今なら狙う事が出来る。
防御力が高すぎる相手に対しては、弱い部分──例えば、目も狙うなどは戦いの定石だ。
ドラゴンハートで強化されたバル・ナーグにダメージを与えようとすれば、それしか手はない。
リリアが神聖術を準備し──
ユランが『迅雷』を使用する準備を始めたとき──
ブゥン──……
バル・ナーグの瞳が、怪しい光を放つ。
そして──
「あ……う……うあ……」
リリアがそのまま地面に膝を付き、
ドサッ──……
「そ……ばか……な……」
ユランは『迅雷』を発動できぬままに、地面に落下した。
全身から力が失われていく……。
ユランとリリアはそう感じていた。
バル・ナーグの眼で見詰められただけで、激しい脱力感に苛まれ、動く事が出来なくなってまう。
「……あ」
『──抜剣を解除します』
激しい脱力感に抗えず、遂にユランは聖剣から手を離してしまい──『抜剣』が強制的に解除されてしまった。
リリアも完全に戦意喪失してしまい、両手をダラリと地面に垂らして、その視線は呆けた様に天を仰いでいた。
……終わりだ。
人類の希望であるはずの神人たちは、なす術もなく敗れてしまった。
バル・ナーグが使用したのは、竜族だけが持つ特殊な眼『竜眼』だ。
その眼で見詰められると、『戦おう』という意志を強制的に奪われ──
王を前に首を垂れる臣下の様に、抗うという気持ちすら湧かなくなってしまう。
恐ろしい瞳術だった。
「やっぱり……〝厄災〟には……かなわな……かった……ごめん……アリ……シア……」
戦意を奪われたユランは、〝竜眼を受けても平気な〟アリシアに視線を向け、自分の不甲斐なさを謝罪した。
出来ればこの選択は選びたくなかった……。
アリシアに戦わせてはならない。
それにはちゃんとした理由があった。
「大丈夫、私もそろそろ我慢の限界だったから……」
アリシアはそう言うと、ユランの方に向かってゆっくりと歩いて行く。
そして、膝を付いたままのユランに前に立ち、懐を弄った。
「これは借りて行くね。後は私がなんとかするよ……。大丈夫、自分を失わない様に気を付けるから……」
そう言ってバル・ナーグに向き合ったアリシアの手には、ドラゴン・オーブが握られていた。
アリシアはバル・ナーグに向かって歩いて行く……。
そのとき──
アリシアの灰色だった髪は、美しい白銀に染まり──
琥珀色だった瞳は、金色に輝いた。
ボボボボ──……
突然、自身の前に立ち塞がったアリシアを排除しようと、バル・ナーグがブレスを放ち──
『──座れ──』
ズズゥンッッ!!!
アリシアが命じた瞬間──
バル・ナーグの身体が地面に沈む。
頭を垂れ、身体を押し付けられ──
潰れたカエルの様なザマだ。
『トカゲ風情が……よくも』
聖女アリシア──
回帰前は〝厄災〟と呼ばれた『魔女』だった……。
〝厄災〟を狩るには〝厄災〟。
『魔女アリア』と『魔竜バル・ナーグ』……
時を越え、時空を越えて、
〝厄災〟と〝厄災〟の戦いが、始まろうとしていた……。