【33】開戦 〝厄災〟の力……
〝その時〟が訪れるまで、王都の町はいつもと変わらない時間が流れていた。
リリアが討伐した『魔王』や魔物の大群の存在は、それでも人々の危機感を煽るには足りなかったと言える。
一部の人間は『魔王』の出現に恐怖を覚えていたが、中には「何かの催しでは?」と考えていた者もいたほどだ。
それも当然かもしれない……。
アーネスト王国には優秀な聖剣士が多くおり、その聖剣士たちが睨みを利かせているため、王都への魔族襲撃など稀な事だ。
それは、グレン・リアーネが現れてからは特に顕著で、ここ十年近く、王都では魔族関連の事件など起こった事がなかった。
そうなれば、人々の危機意識は次第に薄れて行き──
魔族が王都のど真ん中に現れても、小規模な騒ぎで収まってしまう。
今回の事件が良い例で、
リリアが露店街で『魔王』と戦闘した際も──
ミュンとリネアが繁華街の路地裏で『魔王』と激しい戦いを演じていても──
そして、露店街の空に黒い球が打ち上がったとしても──
多くの人々は、いつもと変わらない日常を送るだけで、騒いでいた人間などごく一部だ。
たが、人々が『変わらない日常』を望んだとしても、否が応にも〝その時〟は訪れるのだ……。
突然、
容赦なく、
無慈悲に……。
──それはただ、空に浮いているだけだった。
瞳を閉じ、微動だにせず、その大きな双翼の翼は羽ばたく気配すらない。
だが、人々は感じていた──
目に見えなくも、近くにいなくても、そんな事は関係ないのだ……。
──ただ、感じた。
〝ソレ〟の存在を……
ただ、感じただけなのだ……。
*
「あぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
一番最初に叫んだのは誰だろう?
〝ソレ〟の近くに──露店街にいた者か……
それとも、〝ソレ〟から遠く離れた王都の外れ──貧困地区にいた者か……
分からないが、
叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ……
逃げる、逃げる、逃げる……
少しでも王都の中心から離れなくては……。
それは、人々の本能からの行動だった。
王都にいた全ての市民は──
戦いに参加する事のなかった貴族たちは──
蜘蛛の子を散らす様に逃げた。
まるで津波だ。
人の津波……。
誰かを押し退け、誰かを押し倒し、誰かを踏み付け……人々は逃げる。
押し倒された誰かが悲鳴を上げる。
──関係ない。
踏み付けられた誰かが呻き声を上げる。
──関係ない。
親と引き離された子供が泣き喚く。
──関係ないのだ、そんな事は。
だって、逃げなければ…………死ぬのだから。
*
「くっ……。これはマズイぞ。何とかして、騒ぎを収めなくては……」
ジェミニたちより一足遅れてやってきたクロノス。
露店街から迫って来る人の波から逃れるため、大きく跳躍し、露店街にある建物の屋根に避難していた。
「クロノス卿、ご無事でしたか!」
そのクロノスに声をかけたのは、同じく人の波から避難してきた貴族たちだった。
それらは皆、王城に集まっていた面々──戦う意思の有る者たちだ。
クロノスよりも到着は遅れたが、全員揃っている様子だった。
「無事……か。無事と言えるのか、これは?」
クロノスが、苦々しい表情で屋根の上から人の波を見下ろした。
「これでは、市民に甚大な被害が出てしまう……。まずは、そっちを何とかしよう」
「あ、あれは……放っておいてよろしいので?」
貴族の一人がそう言い、空に浮かぶバル・ナーグを指差した。
その貴族の手はカタカタと震え、バル・ナーグの姿を目視できずに俯き──指先だけをそちらに向けて指している。
目を向けただけでも、その威圧感から心臓が握り潰されそうだと感じたからだ。
「神人殿を信じるしかない。貴公らは予定通り市民の避難誘導を……。私は、神人殿と共にアレと戦うつもりだ」
「し、しかし……いくら貴方と言えども……あんなバケモノを相手になど……」
貴族の一人は、震える声でクロノスの選択を憂いた。
死にに行く様なものだ……と。
「無理だろうな。一矢報いる事すら叶わぬだろう……。しかし、市民が逃げ果せるまでは、な……」
クロノスは、『それが王族の勤め』だと言わんばかりに、決意を込めた視線を貴族たちに向ける。
「……」
貴族たちは、そんなクロノスの視線を受け、無言で頷くと──
ザッ ザッ ザッ
各々が勤めを果たすために、震える身体を無理やり押さえつけ、散って行った。
「さて……。私も、先ほどから震えが止まらない状態では有るが……自分の役目を──」
ザザザザッ──
クロノスがバル・ナーグの下へ向かおうとしたとき、突然、目の前にローブを羽織った数人の男たちが現れた。
いや、全員がフードを目深かに被っているため、性別は分からない。
数にして5人……。
醸し出す雰囲気から、友好的な相手でない事は明白だった。
「ロイヤルガード隊長……クロノス・ガ・フリューゲルだな?」
ローブの集団の一人──
一番前にいた者が、クロノスに問う。
声色から言って、喋った相手は男で間違いない。
「……何者だ?」
「……我々は、アーネスト王国に恨みを持つ者……。復讐者だ」
フードの男はそう言うと、軽く右手を上げた。
それが合図だったのか、ローブの集団5人が、一斉に『抜剣』を発動させる。
……いずれも、漆黒の刀身。
「……なるほど」
その『抜剣』を見て、クロノスはサブウェポンを抜き放ち、戦闘体勢を取る。
「それが噂の『魔剣』か……。ちょうど良い。調査が必要だったしな……。全員生け捕りだ」
ローブの集団の聖剣──
いや、魔剣は漆黒の刃を晒しながら『魔力』を放出する。
「5対1……か。まあ、すぐに片付けてやる。神人殿……申し訳ないが少しだけ待っていてくれ」
クロノスはそう独りごちると、戦闘を開始した。
*
『抜剣レベル4── 『迅雷』を発動──使用可能時間は40分──使用可能回数は──5回です──カウント開始』
ユランは覚醒したバル・ナーグを前に、躊躇せずに『抜剣』を発動した。
『迅雷』の発動回数は5回──フルパワーだ。
ドクン……ドクン……ドクン……
バル・ナーグの心臓の鼓動音が、やけにうるさく感じた。
「幸先が良い! 最初から全力で行く!!」
ユランは地面を強く蹴ると、上空に浮いているバル・ナーグに向かって大きく飛んだ。
そして──
「アリシア!」
ユランが叫ぶと、アリシアはそれに応える様に『能力強化』の神聖術を唱えた。
バル・ナーグの竜気に怯まなかったのは、ユランだけではなかった様で──
アリシアはスッと目を細めて、バル・ナーグを見据えていた。
相変わらず肝が据わっている。
アリシアの神聖術で、能力を『強化』されたユラン。
アリエスの『Gift』による強化も受けているため、身体能力は『超強化』されており──
ユランは、そのまま一回目の『迅雷』を発動させた。
ユランの周りに灰雲が漂い──
その身体に電流がチャージされていく──
バル・ナーグからの妨害はない。
9、8、7──……
0──
『一閃』
『迅雷一閃』を発動すると、ユランの身体は雷となり、一直線にバル・ナーグの首を捉えようと──迫る。
最高のタイミング。
最高の一撃だ。
その場から動かぬのだから、バル・ナーグの首を捉えるのは容易い。
しかし──
ギギギッ──!!!
ユランの放った渾身の一撃は──
バル・ナーグの首を滑る様に逸れ──
後方に抜けた……。
「なっ!?」
擦り傷一つ──
いや、そう言う問題ではない……。
首を切断するために放った一撃は、漆黒の鱗の上を滑り、最も簡単に後方に流された。
ドクン……ドクン……ドクン……
心音がうるさい。
「なんて硬さだ……。それなら!」
ユランは、『迅雷』の負荷で破砕したサブウェポンを投げ捨て──
新たなサブウェポンを『解放』すると、続け様に『迅雷』を放つ準備を始めた。
同時に、
「リリア! 『拘束』を頼む!」
リリアにバル・ナーグを『拘束』で〝縛る〟様に指示を出す。
「あ、ああ……。わ、分かりましたわ」
リリアは、バル・ナーグが放つ竜気の圧から今だに抜け出せておらず、しどろもどろになりながらも──
『水の楔』
『拘束』の神聖術を唱えた。
リリアの周辺から無数の水の鎖が出現し、バル・ナーグの身体を縛り上げる。
ギギギ──……
ギギ──……
『拘束』の神聖術は、縛った相手の『力』を封じる。
それが神聖術でも、魔力でも。
勿論、それは竜気も同様だ。
『拘束』によってバルナーグを覆う竜気が封じられれば、それに応じて防御力も下がるだろう。
『迅雷』
ユランはそれを活かし、再び『迅雷』での攻撃を試みる。
『一閃』
そして、チャージ完了後、即座に『一閃』を発動させた。
ガガガガッ──!!
しかし、先ほどと同様に、ユランが放った『迅雷一閃』はバル・ナーグの身体を傷付けることが出来ず、硬い鱗に阻まれて表面を滑るだけだった。
すでに2回も『迅雷』を無駄打ちしている。
ザザザッ!
ユランが、『迅雷』による勢いを地面に流す様に着地すると、ユランの身体はガリガリと石畳を削りながら停止した。
当然の様に、バル・ナーグにダメージはない。
ドクン……ドクン……ドクン……
バル・ナーグの鼓動音がどんどん大きくなる。
ブゥン──
直後、バル・ナーグの身体から不気味な音が響いたかと思うと、見る見るうちに竜気が膨れ上がっていく。
「アリシア!」
これから起こることを予測し、ユランが叫ぶ。
名前を呼ばれただけだが、アリシアもユランが言わんとしている事を即座に読み取り、『防壁』の神聖術でバル・ナーグを囲った。
──!!──!!!──
『防壁』で囲むと同時に、バル・ナーグの膨れ上がった竜気が大爆発を起こし──
バリンッ!!!
アリシアの張った『防壁』を最も簡単に破り、爆発の余波が一番近くにいたユランの下まで届く。
「ぐっ……!」
ユランは、竜気の爆発に身を焼かれながら、そこから何とか飛び退ると、リリアたちがいる場所まで跳躍した。
これまでの攻防は、ほんの一瞬の間に起きた出来事だ。
光速に近いスピードで攻撃を繰り出すユランだが、バル・ナーグにはまるでダメージが通らない。
相手に攻撃が通らないどころか、ユラン自身は竜気に身体を焼かれ、すでに息も絶え絶えと言った状態だ。
『リペ──がはっ──……』
ユランは『修復』を使い、自身の傷を治そうとするが、思いの外ダメージが深く詠唱を失敗してしまう。
「ユラン君!!」
ユランのその姿を見て、ミュンが悲鳴の様な悲痛な叫び声を上げ、ユランに駆け寄る。
そして、ミュンの叫びを聞いた他の面々も、「ハッ」と我に返り、ミュンに続いた。
「ユラン君! あぁ、そんな……。ごめん……ごめんなさい……」
いつも冷静で、例え格上の『魔王』が相手でも決して取り乱すことのなかったミュンが、バル・ナーグに威圧され、動けなくなってしまった。
何があってもユランの側に……。
幼い頃からそう誓いを立てていたはずなのに、こんなバケモノ相手にユランを一人で行かせてしまった。
ミュンはユランにしがみ付き、何度も謝罪の言葉を述べると……遂に泣き出してしまう。
『聖なる祝福』
竜気の爆発で火傷を負い、満身創痍だったユランに、アリシアが『回復』を掛ける。
すると、ユランの身体から見る見るうちに火傷が消え、すっかり元通りの状態に回復した。
「ぐはっ……! はあ、はあ……ふぅ……死ぬかと思った……」
燃焼箇所が回復し、まともに話すことができる様になったユラン。
アリシアは、ギリッと歯を噛み──
「先生、ごめん。『防壁』を破られた……」
と、悔しげに謝罪する。
「アリシアの所為じゃない。そもそも、アリシアの『防壁』が竜気の威力を弱めてなければ、僕の身体は跡形もなく吹き飛んでいたよ……」
ユランはそう言うと、泣きじゃくるミュンの頭を撫でながら「ミュン、大丈夫だから」と優しく語りかける。
「ユラン、ごめんなさい……。私も咄嗟に動けませんでした。足が竦んでしまって……」
リリアも、バル・ナーグの竜気を恐れ、動けなくなってしまった事を謝罪した。
リリアだけではない。
そこに集まった誰もが、ユラン一人を一人で行かせてしまった事を悔いていた。
「皆んなが動けなくなるのも無理はないんだ。竜気には『恐怖』を増幅させる効果があるから……。ただ、『恐怖』は牽制みたいなもので、一度克服してしまえば自由に動ける様になるはず……」
ユランの言う通り、リリアたちの身体はバル・ナーグ復活直後よりも幾分か自由に動かせる様になっていた。
……完全に克服するのには、まだ時間が掛かりそうだが。
「でも、どうするんだ? ユランの坊主よ。お前の一撃でダメージが通らないんじゃ……正直、お手上げだろ?」
「……暴食公。その通りなんですが……それでも、ある程度のダメージを与えれば、こちらにも〝切り札〟があります」
「切り札?」
「これです」
そう言ってユランが懐から取り出したのは、金色に輝く宝玉──ドラゴン・オーブだった。
「これを使えば、バル・ナーグを再び封印できるはず……」
「おいおい、そんな物が有るんだったら何でさっさと使わない?」
「……今使ったとしても、意味はないですから」
ユランはそう言うと、切り札──ドラゴン・オーブについて説明を始めた……。
ドクン……ドクン……ドクン……
バル・ナーグは相変わらず目を閉じたままで、ゆらゆらと上空を漂う様に浮いている。
『──使用限界まで残り25分です』
……残り時間はそれほど多くない。