【30】最後の君主、最後の聖剣士
「ふう……」
戦闘が終了し、『抜剣』も解除したユランは、短いため息を吐く。
久々の全力の使用で、未だ鼓動の加速が収まっていない。
「こ、これが神人の力……。皇級聖剣士ですら、手も足も出なかった『魔王』を……最も簡単に……」
神人の実力をまざまざと見せ付けられた貴族の一人が、その力の強大さに畏怖し、〝バケモノ〟を前にしたかの様に後退りする。
強すぎる力は、人々に与える影響も大きい。
一個人が持つ力としては、『神級聖剣』は規格外──
時にそれは信仰の対象ともなるが、同時に……恐怖の対象ともなり得る。
「私は、グレン・リアーネ公爵の戦い振りを見たことがあるが……同じ『神級』のレベル4でも全然違う。恐ろしい少年だ……」
貴族の一人がそんな事を呟く。
グレンのレベル4──『偽りの死』は、発動中にいかなるダメージを受けようとも死ぬ事はない……言わば防御寄りの能力だ。
対して、ユランの『迅雷』は攻めに特化した超攻撃的な能力……
比べて、どちらが特に優れていると言う訳ではないのだが、側から見れば〝攻撃特化〟の能力の方が強力に映ってしまうだろう。
「……」
大広間に集った貴族の面々は、結果的に彼らの救い主となったユランに対し、感謝よりも恐れる気持ちの方が強くなってしまった様で──
ユランの活躍を称賛するでもなく、労う訳でもなく、ただ遠巻きに見ているだけだった。
そんな中──
「神人くん! ああ、流石ボクの神人くんだ! あれだけの敵を一瞬で倒すなんて!」
アリエスが興奮して声を上げ、子供の様にはしゃいでいた。
そして、そんなアリエスの様子を見て、アーネストもユランに労いの言葉をかける。
「アリエスの言う通り、流石ユランくんだ。ユラン君のおかげで、王国の危機も回避された」
アーネストがそう口にすると、ロイヤルガード隊長のクロノスも、
「兄者の言う通りだ……。神人殿がいなければ、我々はとうに全滅していただろう。感謝する」
と言ってユランに礼を述べた。
そんな王族たちの様子を見ていたからか……
貴族たちの間に走っていた緊張感も、少しだけ和らいだ様に感じる。
そして、誰もがキャンサーが予言したと言う〝王国の危機〟を回避できた事に、安堵のため息を吐いた。
しかし、大広間に漂う緩んだ空気に、ユランの言葉が水を差す。
「危機は去っていません。一番の試練はこれからかも……」
「……どう言う事だ?」
ユランの言葉に最初に反応したのは、国王のアーネストだ。
ユランは、王城に来た理由──今、王都で起こっている事を説明した……。
*
「……」
そこに居並ぶ誰もが言葉を失っていた。
ただ、すでに『戦う』と腹を決めていたユランの心は落ち着いており、ユランはむしろアーネスたちが王国の危機を察知していた事に驚いていた。
「そんなスキルを持った方がいらっしゃるんですね……。流石、王族の方だ」
〝王国の真の危機〟を伝える際、話の流れで王国唯一の預言者──第三王女のキャンサーの事を聞いたユランは……
(そんな有用な人物なら、一度会ってみたい……。協力を得られれば、今後の事を考える上でかなり有利になるだろう)
などと、打算的な事を考えていた。
そんなユランを他所に、大広間に並ぶ面々は、ユランの言葉を「とても信じられない」という風に疑い、怪訝そうな視線を向ける。
いや、『信じたくない』と言うのが実際のところだろう……。
「にわかには信じ難いが……神人殿の言う事なら、間違い無いのだろう。対策を練らなければ……」
クロノスがそう口にすると──
「……うむ。皆で力を合わせ危機を乗り切らねば。皆の者、ここで指を咥えて見ていても王国の危機は去ってくれん……。戦の準備をするのだ!」
アーネストもそれに同意し、『魔王以上の敵』の存在に足が竦んでいる貴族たちを叱咤した。
元々、王国の危機に相対するために集められた優秀な聖剣士たちだ。
再び、戦う覚悟を取り戻すまでにそう時間は掛からなかった。
各々が、自らを鼓舞する様に声を上げ、気合を入れ直している中で──
ただ一人だけ、今だに地面にへたり込み、立ち上がれずにいる者がいた。
第一王女のジェミニだ。
ジェミニは『魔王』相手に、手も足も出なかった事で自信を喪失してしまい──
戦を前に興奮気味の周りの空気から取り残され、無言で俯いていた。
当然の事であるが、ロイヤルガードのメンバーや居並ぶ貴族たちも──
普段は、兄や姉の事を誰よりも気にかけているはずのアリエスも──
意外に娘の事を大切に思い、愛しているはずのアーネストも──
叔父であるクロノスも──
誰もがユランから聞かされた〝王国の危機〟に目が行き、ジェミニの様子に気付けずにいた。
いや、普段から尊大で、自信過剰の嫌いがあるジェミニだ。
単に、落ち込んでいる様など想像できず、『気にする必要はない』と目に入らなかっただけかもしれない。
しかし、ユランだけはジェミニの様子に気付いており──
「……はあ」
と、軽くため息を吐き、ジェミニの方へと歩いていくのだった。
*
「……あの」
地面にへたり込んだままで俯き、微動だにしないジェミニを心配してユランが声をかける。
(ここに居るという事は、大貴族の御令嬢だろうか? 何にしても、少しでも戦力が欲しい今だ……。この人も実力者だろうし、何があったかわからないけど早く立ち直ってもらわないと……)
ジェミニが王女だと知らないユランは、そんな事を考え、王族に対する敬意など払わずに気軽に声をかけた。
「……神人か」
ジェミニは、声をかけたユランの顔をチラリと一瞥しただけで再び俯いてしまう。
「何があったか分かりませんけど、王国の危機なんです。立ち上がって戦わないと」
他人を慰めた経験などあまりなかったユランにとって……
声をかけたは良いが、実際のところ何を言って良いのか分からずに、しどろもどろになりながらそんな事を言ってしまった。
はっきり言って、全然慰めになっていない。
「話は聞いていたが、余はもうダメだ……。強くなければ存在価値などないと言うのに……この体たらく……」
ジェミニは、いじけて指で床にクルクルと渦巻きを描いていた。
普段のジェミニを知る人間が見れば、余りのしおらしい態度に驚愕していた事だろう。
(余って……かなりの大貴族の御令嬢なのだろうか?)
そんなジェミニに対して、ユランは──
「気持ちは分かりますけど……今は」
何とも歯切れの悪い言葉を向ける。
(やっぱり、人を慰めるなんて向いてない)
「気持ちは分かるだと? 神級に選ばれ、あれだけの実力を持つ貴様に……余の何が分かると? 余は強くあらねばならんのだ。弱くては……何のために全てを捨てたと言うのだ。余は戦うために全てを捨てたのだ。女である事も……それなのに、何故これほどに弱い?」
(お、重い……。これは、私がどうこう出来るものではなさそうだ……。早々に退散しよう)
ユランは、自分には荷が重かったと思い直し、適当にお茶を濁して離れる事にした。
「そうですか……。でも、僕は弱い者の気持ちはよく分かります。無力な自分に苛立つ気持ちも。それと同時に、強い力を持ってしまった事への周囲の期待……それに押し潰されそうになる気持ちも分かるんです」
「……」
自分で言っておいて何だけど、かなり適当な事を言ってるよな……。
ユランはそんな自覚を持ちながらも、話を続ける。
「弱くても良いと思います。何よりも、『弱くても何かを成し遂げたい』とか『大切なものを守りたい』とか、そう言う心が大事だと思うから。強い力を持っていても、それを扱う者の心が邪なら、それはただの巨悪だ。それなら、弱い夢想家の方がマシです」
「……」
ジェミニは顔を上げず、俯いたままだ。
(うん。全然響いてないし、自分でも何言ってるか分からないから……もう止めとこ)
「え、えーっと……と、とにかく、(強くなる事を)諦めなくても良いと思います!」
「……なに!?」
(え!? いきなり反応したぞ? 何か変なこと言ったかな??)
「貴様は、余に……(女である事を)諦めなくて良いと言うのか? それを口にする事がどう言う意味か……分かって口にしているのか?」
(全然分からないけど……目が怖いから肯定しておこう)
「は、はい。誰にでも(強くなる)可能性はあるし、(強くなる)権利はあると思います。何より、ここに居るアナタは(戦士として)素晴らしい人だと思いますし……」
「なに!? 余が(女として)素晴らしいだと?」
何故か、話が噛み合っていない様な気がするが、ユランはジェミニの問いを受け──
「はい!」
と、力強く返事を返した。
ドキン
(何だこれは? 胸が苦しい……。言っている事は全然心に響かなかったが……余に〝女で良い〟と言ってくれた者などいなかった。周囲はいつも余に〝特別〟を期待し、弱い事──女である事を許さなかったのに……この少年は……)
「そうか……。まさか、貴様の様な少年に余が(女であると)分からされるとは……」
「……?」
ジェミニは、ジッとユランの瞳を見つめる。
心なしか、頬に朱色が刺している様に見えるが、ユランはその事に気付いていなかった。
(何故かは分からないが、自信を取り戻しているのか? ほう……私の慰めの言葉も案外効果があるじゃないか!)
ユランが心の中で自画自賛していると、ジェミニはゆっくりと立ち上がり──
ガシッ!
とユランの両肩を掴み、言った。
「まさか……貴様は……いや、アナタは……余の……王子様?」
「違います」
ジェミニの尋常ならざる眼光に、ユランはその言葉を即座に否定した。
「全然違います」
念の為、もう一度。
ユランは豹変したジェミニの様子に、変態と化したときの幼馴染の様子を思い出し──
言い知れぬ恐怖に戦慄した。
ジェミニのホールドから、身体を捻って抜け出そうとするユランだが──
『抜剣』を用いない状態の力比べでは圧倒的にジェミニの方が優勢らしく、びくともしなかった。
「余に……いや、私に〝女である事を諦めなくて良い〟と言ってくれたのは……アナタが初めてだ……」
「えぇ……そんな事言ってな──」
ギュム
ユランは突然ジェミニに強引に抱きしめられ、その豊満な胸に顔を埋める。
ジェミニは先ほど激しい戦闘をこなし、かなり汗をかいているはずだと言うのに──
その身体からは、高貴な、薔薇の様な良い香りがした。
「あ……良い匂い。じゃなくて! は、離してください!」
そとき、ユランが上げた大声に、大広間にいた者たちは驚いてそちらに視線を向ける。
そして、ジェミニに抱きしめられたユランに気付いたアリエスは──
「あー! 何してるのジェミニ姉さん!? ボクの神人くんを離してよ!」
慌ててジェミニを止めに入る。
「え!? 姉さんって事は、この人は王女様!?」
そのとき、初めてジェミニが王女だと気付いたユラン──
相手が王族だと判明したため、ますます、無理矢理引き剥がす事が出来なくなってしまった。
王族を無闇に傷付ける行為は流石に……。
と、そんな考えからだ。
しかしジェミニは、止めに入るアリエスの事など意に介さず、その様子を興味深そうに眺めていたアーネストに向かって宣言する。
「父上、アリエスには悪いが、この少年──いや、この人は私が貰う事にした」
「だ、ダメだよ! 神人くんはボクの神人くんなんだから!」
いくら尊敬する姉の言葉であっても、「それだけは納得できない」と、講義するアリエス。
そんなアリエスに、ジェミニは──
「それで良い。〝神人としての彼〟はアリエスに譲る」
などと言い出した。
「……どう言う事?」
アリエスがジェミニの言葉に怪訝そうな顔で問うと、ジェミニはドヤ顔でこう答えた。
「婿に取ると言う事だな」
「!?」
あんぐりと口を開き、驚愕の表情で固まるアリエス。
「だ、ダメに決まってるよ! それに、姉さんには自分の神人がいるじゃないか!」
「ふふ、神人が欲しければ、お前にやろう。それで解決だな。さあ、旦那様……将来の義妹に挨拶して」
「いらない! いくら姉さんでも、絶対に譲らないんだから! それに、誰が義妹よ!」
無益な姉妹喧嘩を眺めていたアーネストは、男になど全く興味を示さなかったジェミニを見て驚いた様な顔をしていたが──
やがて、その顔を邪悪な笑みに変えると、
「あのじゃじゃ馬……いや、ジェミニも落ち着き、神人も手に入る。ジェミニの相手としても……グレンよりもアリなのか?」
などと言い始めた。
「兄者……流石にそれは」
アーネストの下衆な考えに、普段は彼を立てるクロノスですら、呆れて軽蔑した様な視線を向ける。
「お父さん! 余計なこと言わないで!!」
アーネストの言葉を聞き、勝ち誇った様な顔になるジェミニ。
アリエスは、原因となった父親に向かって大声で怒鳴りつけた。
家族を前にすると、アリエスは子供っぽくなるんだな……。
などと、現実逃避してどうでも良い事を考えていたユランは、長いため息をついた後──
ジェミニの胸の中で、遠い目をして天を仰ぐのだった……。
*
【先生、今大丈夫かな?】
興奮した王族娘たちを何とか落ち着かせ、ジェミニから解放されたユラン。
突然、アリシアから念話が送られてきた。
【アリシア……。皆んなはどんな様子?】
【皆んな、それぞれ『魔王』は討伐できたみたい……。でも、そろそろ魔竜が出てきそう】
【やっぱり、再封印は無理そうかな……。グレン・リアーネは?】
【グー先生は〝聖人〟って人と交戦中。そっちは何とかなるんじゃないかな?】
【でも、相手は聖人なんだろ? いくらあの人でも……】
【いや、だってグー先生だよ? 相手が聖人だろうと負けるとは思えないけど】
【……そうなんだけどね。結局、そっちは何とかしてもらうしかない訳だし。あの人を信じよう。こっちは、バル・ナーグを何とかしないと】
【こっちに来るの?】
【うん。と言うより、念話を使って、全員をバル・ナーグの封印体の近くに集めてくれ。そこで落ち合おう】
【分かった。でも、大丈夫なのかな? 〝アレ〟だけでも、世界を一飲みしそうなほど膨大な力を感じるんだけど……】
【切り札は用意した。何とかするしかないよ……】
念話を通してそんな会話をした後、ユランは大広間に集まっていた面々に視線を向けた。
皆、『魔王』に蹂躙されかけたときとは打って変わって、やる気に満ち溢れた顔をしている。
「皆さん、大広間から庭園に出ましょう」
ユランがそう言うと、集まった面々は、ユランの言葉に疑問符を浮かべながらも連れ立って庭園に出た。
そして──
「な!? あ、アレが……神人殿が言っていた〝厄災〟? 力の渦……余波がここまで伝わってくる……」
王都の中心から、天に向かって登っていく黒い球を見つけたクロノスが、そう呟く。
心なしか、クロノスの声が震えている様に感じる。
数々の戦場を駆け抜けた、屈強な戦士であるはずのクロノスが──
『魔王』を前にしても冷静さを失わなかったクロノスが──
明らかに、恐れ慄いていた。
「アレはまだ封印体です。本体はこんなものじゃありません。でも、こちらにも切り札はありますので……」
ユランはそう口にするが、少しだけ自分の身体が震えているのに気付き──
ブルリと身体を振って、その震えを無理矢理止めた。
「僕は王都中央にて、仲間たちとバル・ナーグと交戦するつもりです。……かなりの被害が出る事が予想されるので、皆さんには市民の避難誘導。そして、まだ王都内に魔族が潜んでいるかもしれませんので、それらの討伐をお願います」
ユランはそこまで言うと、両目をゆっくりと閉じ、早鐘の様に脈打つ心臓を落ち着かせると──
「アリエス様……。〝アレ〟をお願いいたします……」
大広間突入前、アリエスが言っていた『考え』を実行するよう促した。
「よしきた。皆んな、特に『抜剣』使用済み叔父さんと姉さんは近くに寄ってね……。じゃあ、始めるよ」
アリエスは、庭園に出ていたメンバー全員が周辺に集まった事を確認すると──
聖剣に手を置き……『抜剣』を発動させた。
『抜剣レベル4── 『Gift』を発動──使用回数は1回です──発動』
アリエスの『抜剣』が発動されると、集まっていたメンバー全員が金色の光に包まれ──
『大いなる祝福』を受けた。
アリエスの抜剣レベル4『Gift』は、与える力の頂点。
その祝福を受けた者は、身体能力が大幅に強化され、そして──
使用済みだった『抜剣』の冷却期間──クールタイムが強制的に解除され、即座に再使用可能になると言うとんでもない能力だった。
「自分の能力は強化されないし、使った後は役立たずになるから……ボクは皇級最弱なんだよ」
アリエスはそう自嘲気味に笑うが、ユランはアリエスの能力を素晴らしいものだと思っていた。
与えるための力。
大いなる祝福……。
それは、誰よりも優しい心を持っているアリエスだから発現した力に違いない。
回帰前、激しいプレッシャーに苛まれながらも残された者たちを思い、恐怖を圧して前線に立ったアリエス──
戦う力などほとんど持たないのに、決して後ろに下がらず、バル・ナーグと対峙したアリエス──
最後には、全ての民のことを憂いながらも、『一人で死ぬのは寂しい』と、家族の名前を呼んだアリエス──
仕えた時間は少なかったが……。
確かにあのとき、アリエスはユランの主人だった。
ユランは、ゆっくりと閉じていた両目を開き──
目の前で『ここからは何もできない』と、寂しげに笑うアリエスを見下ろした。
四年前、王城で出会ったときは背丈もそれほど変わらなかったと言うのに──
いつの間にか、ユランは小柄なアリエスの身長をずいぶん追い越していた。
ユランはアリエスの瞳をジッと見つめると、ニッコリと笑い──
「今も、〝私〟の心はあの頃のままに……」
〝最後の君主〟に〝最後の聖剣士〟としての心を伝えた。
アリエスは、ユランの言葉を聞き、りんごの様に顔を真っ赤にする。
……意味など、伝わっているはずがないが、ユランはそれで満足だった。
「行ってまいります」
「……うん」
アリエスとユラン。
二人がそんなやり取りを交わした後……
いよいよ本当の戦いが始まるのだった……。




