アメリカ
「なんであんなに黄色い猿どもは頭が悪いんだ」
ロジャックの呟き、嘲り、イェローモンキィーという発音、いつものことだった。日本人、中国人、韓国人――自分達以外、白人以外を全て卑下していた。だから俺も いつものように答えた。
「俺だってその猿だぜロジャック」
「そうだったな、忘れてたよ。そんなつもりじゃなかったんだが」
じゃあどんなつもりなんだよ――問うてやりたかった。怒りは英語じゃ伝え切れなかった。日本語でぶち まけてやりたかった。
ロジャックの視線、フロアに向かっている。パソコンに向かい合った者たちに向けている。製図室には白人はいない。 大雑把な性格を大概持っている白人は細やかな精密作業には向かない。
ロサンゼルス、繁栄と栄華の街、富と力の街、完全なる白人社会が構築されている街。その中で名をつらねる大企業の 高層ビルの一室、壁にもたれたままジッとフロアを見た。人形のように誰もが無表情だった。
ロジャックの声、無性に苛立っている。プロジェクトのリミットが迫っている。なのにうまくいってなかった。プロジェクトリーダー という地位、しがみついて離さない。
特許はいくつか獲得していた。パーツは作られた。だが、全体のイメージができていない。デザインができていない。何を する機械なのだと、数ヶ月前に聞いたことがあった。ロジャックは笑った。ガードマンのお前には関係ないと言って捨てた。
嘲笑に腹は立たなかった。
「きっとうまくいくさ。心配するなよ。お前は天才なんだろ。だったら、もう少し余裕をもったらどうだ」
流暢な英語、空手とともに体に叩き込んだ成果、最初は話すのも聞くのも苦痛だった。いまじゃ体の中に入り込み、巣食って いる。話せないと馬鹿扱い、話せても馬鹿扱い、どちらも同じ結果だというのに叩き込んだ。
「チッ、わかってるよ。テメェもこんなところで油売ってないでまわってこいよ」
「今日は非番なんだよ」
「ああ――そういうことね」
ロジャックの目、理解したと言っていた。意図、察している。
「友人の俺がこんな時なのにお前は我らが女神様とデートの約束でもしてるのか」
女神様――本当にロジャック言いたかった言葉、金のなる木、知っている。知っていた。だが、知らない ふりをしつづける。
「そんなようなもんだよ」
吐き捨てるように答えて、部屋から去った。去り際、ロジャックの舌打ちが聞こえた。
白いブタども――だが、俺は白い女を愛していた。矛盾、例外にすべきだった。しなければ ならなかった。そうしなければ、ここにいられなかった。
アメリカに来たのは五年も前だった。最初は戸惑い、次に広い世界に憧れ、そして夢や希望をもっていた。全ては幻想だった。 全てはぶち壊れた。全ては呪わしいものに変化した。
何かを呪う時に必ず妹のさくらの顔が浮かぶ。月一で電話してくる妹の声が脳裏に浮かび上がる。
兄さん、いつ帰ってくるの――いつもさくらは甘い声で俺を誘惑する。俺の弱さを引きずり出す。怖かった。だが、望んで いた。電話がかかってくるだろう日をカレンダーに赤丸までつけていた。だが、いつも俺はこう答える。
いつかだよ、そう曖昧に答えなければ、すぐに日本に帰ってしまいそうだった。
エレヴィターのスイッチを押した。見上げた。点滅する数字、オレンジの色に染まっている。眼鏡をかけたボサ ボサの栗毛の白人が隣でぶつぶつ言っていた。白衣は墨みたいな灰色の汚れがついて不潔そうだった。
「スカルド、ひげぐらいそったらどうだ」
「……ダメだ、株価の変動を読みきれない……あれを、いや、違う……システム自体が……」
ため息を吐いた。スカルドの肩に手を乗せた。スカルドは勢いよく顔を上げて目を見開いて俺を戸惑いながら見つめた。
「アズマか、驚かすなよ」
「さっきも声をかけたぜ」
「すまない、考え事してたんだ」
「またバクチやってんのかよ」
スカルドは眉をひそめた。心外だという顔を浮かべた。
「アズマ、株はギャンブルじゃない。紳士のたしなみだ」
「お前にとっちゃ株も先物取引もファンドもギャンブルじゃなくてその“たしなみ”なんだろうが俺にとっちゃどれも一緒くただ」
「理解されなくて残念だよ。君もメノンの話を聞いてみたらいいだろうに」
メノン――資産投資会社のセールスレディ、研究者のスカルド、女に免疫のないスカルド、女を全て天使だと 思っているスカルド、体よく食い物にされていた。
スカルドは気づかない。大損をしても喜んで金を出していた。甘い言葉とうまそうな肉体に目がくらんでいた。金は 天下のまわりモノ、日本のことわざを思い出して口元を歪めた。
エレヴィターの機械音が鳴った。スカルドを促して乗り込んだ。浮遊感と圧迫感、個室に二人きり、俺は 口を開いた。
「あれ、作ってくれたか?」
「アズマ、またやるのかい。君の健康状態のデータがほしいのだが」
「心配するなよ。仮に俺がくたばっても俺はお前を恨まない」
「ヨシノに殺されるよ。それだけじゃすまないかもしれない」
気弱なスカルド――胸倉をつかんだ。肩の筋肉が盛り上がった。スカルドの目を見た。怯えが走っていた。
「いいじゃねぇか、自分の体をどうしようが俺の勝手だ」
「そうだけど、最近、ヨシノが僕を見てるんだ。研究にまるで関係のない薬物を入荷してるってバレはじめてる」
スカルド、薬学のエキスパート、ガキの頃からのガリ勉、家にいる時は九割は机に向かっていたと言っていた。 俺は渇く唇をなめた。
「俺が言い含めてやるよ。お前のオアソビもな」
スカルドの目が光った。スカルドは研究資金の一部を使い込んでいた。メノンという女にトチ狂っていた。自分の家に 銀行から抵当権までつけられても金を吐き出し続けていた。
「アズマ、頼むからヨシノには黙っておいてくれよ。彼女の一言で僕は全てを失ってしまう」
「お前の態度次第だぜスカルド、俺の一言でももしかしたらお前は全部失くすかもしれないな」
「イジメないでくれよ。君の性格は良く知ってるさ。君はヨシノを使って何もしたことがない」
「頭が良いと過去の事例ばかり追いたがるのか?これからもしないという保証は何一つとしてないぜ」
左右に泳ぐ視線――あるはずのない逃げ道を探していた。やがて諦めたようにうなだれた。
「わかったよ。アズマ、ただし、濃度は下げるよ」
それが精一杯の譲歩と抵抗だとも言うようにスカルドは言った。
研究煉、ビルの最上階にあった。総合研究室、個人研究室、食堂、自販機、リフレッシュルーム、ツルツルの大理石の 床、防火金属でできた青銅の壁。機能美の結集され、富が造りだした世界だった。
蛍光灯のライトの強烈な光が眼球に忍び込んだ。窓ガラスは一切なかった。全ては青銅の壁。太陽の光は時間を 取り戻すから通さないようにしろと誰かが言っていた。そしてそういう造りになった。研究者は研究のことだけを 考えていればいい。そういうポリシー。変人の巣窟、俺には理解できない思考回路と世界だった。
「じゃあ、僕は自分の部屋に戻るよ」
スカルド、引きつった笑みを浮かべていた。
「ああ――ちょっと待てよ」
スカルドに近づいた。目を見た。睨みつけた。スカルドの声にならない悲鳴、貧弱な骨格と筋肉を持った男の悲鳴、肩に手を伸ばし、肩をはらった。
「ホコリがついてるぜ。身だしなみには気をつけろよ」
「す、すまないアズマ」
「それと、なるべく早くくれよ。飲まない習慣が続いてたからキツイんだ」
「わっ、わかってる。き、君こそ僕に対するヨシノの疑いを払拭してくれよ」
「わかってるさ。持ちつ持たれつだ。俺達は一蓮托生だぜスカルド」
一蓮托生、うまく英語に直せなかった。だが、破滅する時は二人だ、と言ってやった。スカルドの顔が青ざめた。
「ぼ、僕は……」
「わかってるさスカルド、お前は何も悪くない。俺も悪くない。誰も悪くない。ただ一緒に楽しくやっていこうって 言ってるだけさ」
微笑みかけた。額に汗を浮かべたスカルドの笑み、まだ引きつっていた。肩をポンッと叩いて見送った。カゲロウのように頼りない足取りで廊下を歩いて いくスカルド、自分の部屋に入るまで見つめ続けた。
「あの売女にプレッシャーかけねぇとアイツやべぇか……」
スカルドを本当に破滅させるわけにはいかなかった。スカルドは利用価値がある。永遠と糸に繋がれたダンスを踊ってもらわなければ ならない。
メノン――顔を思い出す。赤毛の女、妖艶な女、男を狂わせる女、一度だけスカルドに紹介されたことが あった。全ての男を自分のペットか道具だと思っている女だった。
どうにかする必要があった。黙らせる方法がいくつか頭に浮かんだ。だが、ひとまず頭の隅に置いた。




