終曲-『魔王』-
砂浜を歩いていた。俺は故郷に――島に戻った。
ドラックは俺を殺さなかった。スカルド、薬学だけを力とした男、その技術 が呪わしかった。なぜ俺を殺してくれなかったと叫び続けた。俺は俺を殺せなかった。空にいるエリィに懺悔した。エリィ に何かを与えてやりたかった。俺は一生エリィのことを忘れないと決めた。
マフィア達の死は新聞でも取り上げられた。だが、俺一人が殺したとは考えられなかった。武装集団に一人で 立ち向かう狂った奴などいないものとしていた。抗争の線で進めていくと新聞には書いてあった。
情報操作されたのかもしれなかった。だが、どうでも良かった。俺ははるかを捨てて自分だけで日本の 土を踏んだ。はるかがアメリカで何をしようと知ったことじゃなかった。それが俺にできる最後の抵抗だった。
フォンが勢力を伸ばしているらしかった。お前は俺達のヒーローだと言った。俺は仲間になれないと言った。 フォンはあっさり了解した。そして自分自身が組織のヒーローになると言った。俺の存在は結局アメリカに 受け入れられなかった。異邦人ですら俺を必要としなかった。
策謀に呪いに運命――アメリカには二度と行きたくなかった。
「兄さん、まさか朝出かけた時からここに居たの?」
さくらの呆れた声、俺の後ろから聞こえた。夕焼けのオレンジに染まり、波打つ遠い海の向こうにロサンゼルスがあった。俺をそれを見ていた。 目をつむればエリィの微笑む顔があった。エリィが今も海の向こうに生きていてくれるのではないかと愚にも つかない幻想を抱いた。
「もう、なんだかぼんやりしちゃって……全然、私のこと気にしてくれないんですね」
「うるせぇな。少しぐらいセンチメンタルな気分にさせてくれよ……俺だって、久しぶりの故郷で安穏としてぇんだよ」
「帰ってきて、いきなり英語で何か言い続けた時は驚きましたよ」
さくらに言った台詞、エリィ、俺を赦してくれ。エリィ、俺を救ってくれ、エリィ、俺を殺してくれ。
俺は 愚かだった。さくらはエリィなんかじゃなかった。何もかもが違う存在だった。だが、言わなければ俺の胸に あるものが俺の神経を一本残らず焼きつくそうとしていた。
「ねぇ、兄さん……私、兄さんのこと好きだよ」
甘い声だった。俺にすり寄ってくる。俺の肩に手を寄せて吐息を俺の首筋にふきかける。さくらは年月を経て美しくなっていた。自分の魅力に気づいていた。男を狂わせる魅力に気づいて いた。
俺は目をつむった。さくらはエリィの代わりになんかなれなかった。なれるはずがなかった。さくらはさくらだった。
だが、胸の空虚を埋めてくれるなら―――――――。
「ごめんね、さくらちゃん。そこでストップしてくれないと死ぬよ?」
雷光――俺の頭を貫いた。
全身をすっぽりと包む漆黒のマントを着たはるかは俺達の前に立っていた。手にはリヴォルバーがあった。さくらの顔にポイントされていた。さくらが驚きで目を見開いている のがわかった。俺はゆっくりとさくらの手を自分の肩から離れさせた。
「まあ、いつかは来ると思ったよ。一ヶ月で来るとは思わなかったが」
驚きはなかった。予測していた。罪は消えない。俺を断罪する者が現われなければならなかった。
「うん、本当はもっと早く来たかったんだけど、結構、もみ消すのテマだったんだ」
「迷惑かけたな」
「本当だよ。数十人殺したら普通は教科書に載るぐらいの扱いだよ」
「惜しいことをした。俺の名が歴史に残ったのにな」
「載せてあげるよ。世紀の科学者である私の夫として」
涼やかな笑みだった。はるかは俺を殺す気だとわかった。別に構いやしなかった。
「は、はるかちゃん……」
「何、さくらちゃん」
はるかは無邪気に笑った。歳月を経て失ったと思った笑みだった。
「そ、それ、本物?」
「うーん、私も自信ないからちょっと撃ってみるね」
強烈な炸裂音、リヴォルバーから飛び出た弾丸は波打つ海に飲み込まれた。さざなみの音が戻ってきた。硝煙が銃口から昇る。聞きなれた音だった。
さくら、何も知らない。顔を青ざめて崩れ落ちていた。崩れ落ちたさくらの肩に手を乗せた。さくらは俺に呆然とした視線を向けてきた。 俺は微笑んだ。心配ないという意思を送った。少なくとも、俺が死ねばはるかはさくらには手を出さない。
「妬けるね」
「大丈夫だ。お前を今、誰よりも強く想っている」
それは呪詛も愛情も悲哀も何もかもがこもった万感の想いだった。俺ははるかに微笑んだ。はるかも微笑み 返した。
「俺を殺してくれはるか」
言った。目をつむった。こうなると思った。だが、一ヶ月の短い間とはいえ安穏とした日々を過ごすことができた。それが 俺にとっては救いになった。
いつまで待っても衝撃は来なかった。目を開けた。はるかはリヴォルバーを下ろしていた。そして俺に向かって 投げてきた。砂浜に落ちた。俺の足元に落ちた。
「最初はそうしようと思ったけど、私も疲れちゃったんだ。だからさ――秋一くんが私を殺して」
はるかは何を言っているのかわからなかった。だが、俺はリヴォルバーを拾った。はるかに突きつけた。手が震えていた。俺を何かが突き動かしていた。
「はるか――俺がお前を呪わなかった日がなかったと思うか」
言葉、口から勝手に飛び出た。俺の意志じゃなかった。俺はこんなことが言いたいわけではなかった。全てを諦めているはずだった。
「うん。そうしないといけないよね。これが正しい結末だよ」
「ああ、殺してやるぜ。死ねよはるか。誰でもなく俺の手で殺してやる」
俺の手が、指が勝手に動いていた。俺の指がトリガーを引こうとしていた。俺が死ぬべきだった。俺が断罪されるべきだった。
なのに――なぜ俺はこんなことをしている。
止めてくれ――闇に包まれている俺に向かって言った。俺は何も答えてくれなかった。
「でもさ、秋一くん。私もやっぱり人間だから、最期に遺言を残していいかな?」
「いいぜ、言ってみろよ」
はるかは寂しげに微笑んだ。それはエリィの微笑みだった。
「私さ――お腹に秋一くんの子供がいるんだ」
俺の手の中のリヴォルバーがこぼれ落ちた。手が震えていた。俺の身体は俺の意志を聞いてくれた。
「あの日の最後の夜に作られた罪深くも哀れで可愛い子だよ。もしも私を撃たないならこの子を幸せにしてほしいな。エリィちゃんと同じように 愛して欲しいよ」
俺は――はるかを抱きしめるしかなかった。