宣誓
GTRが疾走した。弾丸のようなスピード、クラクションの鳴らし続けた。パトカーが追いかけてきた。パトカーに 向かって運転免許と署長の名前を投げた。パトカーは追いかけてこなくなった。
ウェストウッド・センチュリーシティー、俺とはるかの虚飾の楽園。ついた。門、開いていた。絶望が波打ってきた。
芝生を走った。ドアを開けた。足跡があった。気が狂いそうになった。ドラックを乱暴に飲み込んだ。家の中をかけずり まわった。思考はいつまでたってもクリアにならなかった。俺の肉体を駆け巡る脳内麻薬のほうがドラックより強かった。俺のぶっ壊れ そうな精神はドラックに立ち入る隙を与えなかった。
廊下の影に人影があった。メイド服、ファニーが転がっていた。くたばっていなかった。ただ男の獣臭がした。ファニーは 玩具にされたらしかった。どうでもよかった。蹴っ飛ばした。
「おい……エリィとはるかはどこだ」
務めを果たせ――言外の意味、ファニーは虚ろな目で従った。
「奥様は……無事です。私が地下室に……」
地下室――防犯シェルター、閉じこもればマシンガンでもこじ開けられない。ひと時の安堵、だが、ファニー はもう一つの質問に答えていなかった。
「エリィは……エリィはどこなんだ」
「……申し訳ありません」
視線、俺の部屋に向かっていた。俺の足は鉄球の鉛をつけられたかのように重かった。全身に電流が走っていた。認めたく ないという想いが駆け巡っていた。
震える足取りで俺は俺の部屋に向かった。ベッドの上で荒い息をして小さな身体で縮こまっているエリィがいた。シーツに赤いシミが広がっていた。 銃弾が打ち込まれたのだとわかった。エリィは俺を見つけると寂しそうに微笑んだ。
冷静な思考、灼熱のような思考、エリィを抱き上げて走った。GTRの助手席に乗せた。エリィの腹、赤黒い穴が あいていた。血が流れでていた。生命が流れでていた。シーツを破り、縛り付けてキツく患部を塞いだ。
「助けてやる――すぐ病院に連れてってやる!」
911に電話した。救急車など待つ気にならなかった。最高の医者を用意しろと叫んだ。叫びつづけた。クラクションを鳴らした。 車を誰かの車にぶつけても気にならなかった。クラクションを鳴らしながら赤信号に突っ込んだ。危うい運転、ドラックの 効果、俺の神経は刃となり俺の運転をF1レーサーよりシャープにさせていた。
エリィは荒い息を吐いて俺を見つめ続けていた。
「ごめん……ごめんね、シュウイチ」
「謝る必要はない。お前を傷つけた奴らは俺が全てぶっ殺してやる。だから死なないでくれエリィッ!」
叫んだ。誰でも良かった。誰かがエリィを助けてくれるなら俺は魂を悪魔に売り渡しても良かった。
「ねぇ……私のこと……言っていいかな」
呂律はまわっていた。思考は回転していた。エリィは痛みを感じながらまだ正常な意識をもっていた。助かると思った。助けると誓った。焦燥 が俺を焦がした。アクセルをめいいっぱい踏み込んでも焦燥は俺を睨みつけていた。
「ああっ、なんでも言ってくれエリィ。なんだって聞いてやる。聞き続けてやるっ」
「ごめんね……ホントはさ、私、シュウイチが思ってるほど……可愛くないんだ」
何を言っているんだ――お前は俺の天使だ。
叫びたかった。叫んだ。腹の底から叫んだ。エリィは微笑んでくれた。
「私……シュウイチの子供になれなかったね」
「なるんだよエリィ。もうなってるじゃないかっ。お前は俺の可愛い娘なんだよっ!」
「違うの……私、娘になんかなりたくなかったの。シュウイチの――恋人になりたかったの」
告白――俺は呆然とした。息をすることさえ忘れた。エリィを見た。エリィは悲しげに微笑んでいた。儚く も美しい笑みだった。神聖な笑みだった。誰よりも清らかな笑みだった。
「ごめんね………ごめんね、シュウイチ、私、誰よりも醜いよ。こんな私、誰も好きになってくれないよね」
「お前が好きだよエリィ――俺が好きだ」
言った。誰にも赦されないと思った。誰にも赦されることのない言葉だと思った。エリィが微笑んでくれるならば俺は どうなってもよかった。誰を敵にまわしても良かった。
病院についた。エリィを見た。エリィは眠っていた。もう覚めることのない眠りについていた。
殺してやる――誓いを立てた。呪わしい誓いだった。呪わしくも神聖な誓いだった。誰にも穢すことのできない 誓いだった。
俺はエリィの白い顔に手を伸ばした。顔を近づけた。唇を奪った。エリィの唇は柔らかかった。唇を離した。俺は涙を 流した。エリィのための涙だった。涙を流しながら口元を歪めた。笑った。笑い続けた。
俺は悪魔だった――だからエリィという天使は死んだ。
小さなエリィは最期まで俺を愛してくれた。男女の愛なのか、親子の愛なのか、それとも違う何かなのかはわからな かった。区分けするものはなかった。全ては同じ感情だった。俺は娘としてエリィを愛していた。俺は女としてエリィを 愛していた。俺は俺にない心をもっているエリィを愛していた。
真っ白な服を着た男と女がタンカをもって走ってきた。エリィを連れ去っていこうとしていた。俺に何か言っていた。言葉は 聞こえなかった。何も聞こえなかった。二度と聞くことのないエリィの声が頭の中でいつまでも響いていた。
殺してやる――空虚な心を埋めてくれる言葉に俺はすがった。もう俺にはそれしか残されていなかった。エリィ に弾丸をぶち込んだ誰かを殺すしかなかった。エリィを追い込んだ俺自身を殺すしかなかった。
エリィは連れ去られた。真っ白な男はまだ俺に何かを言っていた。俺はぼんやりとした目でサイドミラーを見ていた。そこには誰かが いた。俺だった。憔悴しきった顔と血の気の失せた肌色。涙でグチャグチャになりながら瞳の奥に真っ暗な深遠 なる黒い炎を燃やしていた。
俺は悪魔だった――だからエリィという天使は死んだ。
俺はエリィのためにもう一度涙を流した。