処方箋
まだやらなければいけないことがあった。ポケットから薬ビンを取り出した。カプセルを手に取った。口に入れ ようとして手を止めた。
死ぬぞ――構わず、口の中に放り込んだ。
飲み下した。意識、陶酔しはじめた。タイムスリップした。夢が見えた。昔、故郷にいた頃の夢だった。高校に通っていた頃の夢だった。幸せな夢だった。ほほえましい夢だった。さくらが笑いかけてきた。小柄で無邪気だった はるかが笑いかけてきた。もう手に入らない日常がその世界にあった。
「……」
夢を見続けていたかった。スカルドの気持ちが痛いほどわかった。だが、現実を見なければならなかった。誰かを騙し、人を殺し、それでもがむしゃらに生きていく現実を見なければならなかった。
フリーウェイを疾走しながら目的地に向かった。ホテルが見えた。エリィのチェックインしているホテルだった。だが 目的はエリィではなかった。車内で小奇麗なスーツに着替えた。ネクタイをしめた。
今も寂しそうにロザリオを手に持っているエリィの顔が思い浮かんだ――さくらの顔が思い浮かんだ。ダブった。 何かもが違うのにどうしてもダブった。何かを求めいた。何かに向かって走っていた。何かを手に入れたかった。
ホテルマンにキーを投げた。GTRは駐車場に向かった。携帯を手に持った。番号をプッシュした。数回コール音の後に 切った。歩き出した。ホールの金色のエレヴィターに前に立っている赤いドレス 姿のメノンがいた。
「遅いわよアズマ、レディーを待たせるなんて」
「ああ、すまない」
「エスコートしてくださる?」
「勿論だ」
手をうやうやしく取った。ドラックの魔力――身体の疲労を吹き飛ばしてくれる。
フランス料理、口に合わない料理、はるかが気に入り、食わされ続けたことを思い出した。一品一品運ばれてくる料理 が性に合わなかった。
左手を見た。呪縛の証があった。エンゲージリングがあった。愛の証があった。気持ちは今でも変わらなかった。だが、 何かが違ってしまっていた。
「ところで、私を誘った理由を教えてくれないかしらシュウイチ」
「君が美しいからというだけじゃダメなのかい」
よどみなく流れ出る嘘、外見だけならメノンは美しかった。だが、醜悪な女だった。嫌悪すべき存在だった。メノンはお世辞に照れもしなかった。
「男達は私を見ると私を欲しくてたまらない顔をするの」
「そりゃあそうだろうな」
「だけど、貴方はそんな様子を少しも見せないの。これって、不思議だと思わない」
「じゃあなんで俺は君を誘うんだ」
「それがわからないから訊いてるのよシュウイチ――貴方、筋金入りのペテン師ね」
ジョーク、笑った。笑いながらホールをゆっくりとした動作で見回した。スカルド、携帯で連絡を入れた。
夢から覚めろよスカルド――お前の天使の真実の姿を見ろ――心の中であざけった。
「それより、料理はどうだったかな。なかなかいけると思ったんだが不評かい?」
会話、引き伸ばす必要があった。スカルド、まだ姿を見せない。
「なかなか美味しかったわ。ワインで身体が火照っちゃいそうだわ」
頬を染めて見られる。誘惑――クソッタレだった。
「メノン、どうして君は投資会社のセールスレディになったんだい」
「金持ちが憎かったからよ」
すんなり、答えが返ってきた。メノンは酔っていた。自分のことを話すことで俺の心を引きずり出そうとしていた。
「お洒落な服を着た女の子達が羨ましかったわ。私だって綺麗なのになんで小汚い服を着なければならないかわからなかった。 私、スラム育ちなの。だからこんな仕事ができるの。金持ちから金を絞りとることができるの」
「俺からも金を取ろうとしてるのか?」
「ええ、悪い?」
「いや、悪くないさ。君の美しさに皆、惑わされる」
メノンの瞳、獲物がつれたと言っていた。俺の視界、スーツに身を包み俺達を凝視するスカルドが映っていた。俺は メノンの頬に手を伸ばした。メノンは愛しそうに手のひらに頬をすり寄せ、手の甲にキスをした。
視界に映ったスカルド――絶望の闇に包まれていた。