邂逅
気分が腐りきっている時にエリィに出会った。
薄汚れたボロきれのような服を着たエリィ、焦点の合っていない瞳のエリィ、金髪は見る影もなく砂埃で色と艶を失って いたエリィ、ガリガリの頬と骨と皮の小さな体のエリィ、ガイコツのように痩せ細っていた。
ただ、俺を見つめる瞳が自分の恋人と同じに見えた。だから足を止めた。だからいきなり裾をつかまれても振りほどこうとしなかった。
「三十ドル」
その頃の俺は何も知らなかった。ただ、漠然と思った。ガキの物乞いが値段をつきつけてきた、と。貧民街を 通っていたのは偶然だった。ただ、気分が腐っていたから腐っていると自分で勝手に思っているところを歩きにきた だけだった。
暴漢に襲われるのも半ば覚悟していた。俺は体を容赦なく鍛えていた。空手にあけくれる日常があった。人を殴り続けた 日常があった。暴力が絶対の自信となって俺を支えていた。それ以外は何も持たなかった。持てなかった。持つことが できなかった。
加えて――黒ジャケットの内側、両脇にある鉄の重み、トカレフ、ロシアの軍用銃だった。精度は低いがアメリカと裏では敵対していたからもっていた。それ以外の 意味はなかった。俺はアメリカを呪っていた。俺から全てを奪い、自由を与えたアメリカを呪っていた。
ガキの手を俺は振り解いた。俺は歩き始めた。数ドルならめぐんでやろうかと思っていたが、裏切られた気分になった。
「二十ドル」
値段が下がった。笑えた。笑ってやった。そんなに金が欲しいかクソガキが、と罵ってやりたかった。浮浪者は山ほど 見てきた。同情などこれっぽっちも沸かなかった。
自由の国アメリカ――日本のように甘ったるくなかった。小さなガキでも平然と路頭に迷い、のたれ死ぬ。金が なければ救急車すら呼ぶことができない。病魔を治療することもできない。腐敗していく。ただ、醜く死んでいく。
誰かが救おうと言った。そいつに向かって誰かがヤジを飛ばした。なら、お前が金を出せよ、誰かは押し黙った。
それが俺にとっても普通になった。俺はヤジを飛ばす側になった。いや、元々、ヤジを飛ばす側だった。ただ誤魔化して いただけだった。
「十ドル」
ガキはついてきた。うっとうしかった。ガキだと思ってめぐんでもらえるとつけあがっていると思った。ぶん殴ってやりたくなった。だが、ガキとはいえ年端のいかない女の子だった。だから 殴る代わりに睨みつけてやった。俺の凄惨な睨み、誰もが震えあがるものへと鍛えあげられていた。
ガキは逃げなかった。怯えもなかった。ただ、手をだしてきた。あまりの意地汚さを笑った。笑ってやった。だが、ガキが俺の腹に手を触れた 時に何かが変わった。
艶かしい手つきだった――呆然とした顔でガキを見た。ガキは言った。
「痛くても何でもする」
俺は反射的にガキを抱きしめた。目が熱くなっていた。声をあげた。泣き叫んだ。目の前のガキは自分の体を売っていた。そうやって生きているのだとわかった。俺は壊れたように泣き続けた。 わけのわからない感情が嵐になって体を焦がし、脳を焦がしていた。涙は俺にとって禁忌だった。弱さを 見せれば食われる世界で生きていると思っていた。禁忌を犯した。目の前のガキの前では無力になっていた。
「十ドル」
ガキの声、俺はすぐに手を離した。ポケットをまさぐった。財布を取り出した。札束を全部引き抜いた。ガキに差し出した。 ガキは困ったように笑った。多すぎる、と言った。構わない、と俺は言った。ガキは首を横に振った。受け取れないとい っていた。
俺は札束をガキに握らせたまま走った。逃げた。その場にいられなかった。熱い涙は頬をつたってとめどなく溢れていた。
俺は世界を呪い続けることを誓った。アメリカを呪い続けることを誓った。自分を呪い続けることを誓った。聖なる誓いを立てた。