画面でつながる恋人たち
「ンンン……、ンンン……」
スマホのバイブが鳴る。最近はよく鳴る。みんな暇なのだ。
突然広まった感染症。世界はこれの対応に追われている。外出は容易にできない。
だが、本当は外に出たい。
なんで?
あの人に会えるから。こうしている間も、本当ならあの人に会えているはずなのに。
私の家は、あの人の家からそう遠くはない。その気になればいつでも会える距離だ。
私は声が聞きたくなった。
ねえ、電話しない?
あの人にラインを送ってみた。すぐに既読が付いた。
いいよ
ただ、20分だけ待って
わかった。私は心の中でそう言って、既読を付けたままトークルームを出た。
思い返せば、ラインは手軽で時間も気にせず送れるから、ほとんどテキストに頼っていた。電話をするのはいつぶりだろう。
17分後、私はラインを開いてみた。何もメッセージは来ていない。
でも、私はトークルームを開いていた。だって、駆け引きは飢えに勝てないでしょ?
よし、今なら大丈夫
送った瞬間から既読が付いて、あの人は少々驚いたかもしれない。嬉しさもあったかもしれない。
私はすぐに無料通話を始めた。数秒の発信音の後、画面中央部に時間が表示され、心が高揚した。
「久しぶり、元気?」
先に話し始めたのはあの人の方だった。
「元気だよ。なんか、疲れちゃったけど」
「わかる、疲れるよね」
会話が途切れた。実際、話したい内容なんてなかった。声が聞きたかっただけだ。
「……大丈夫?」
あまりに沈黙するので、あの人が聞いてきた。
「あ、うん、大丈夫。何話そうかなと思って」
「そうだよね。ほぼ毎日ラインしてたら、話す内容なくなっちゃうよね」
そのとおりである。だが、ここで電話起きるわけにはいかなかった。つながっているだけ、それが大事ってこと。
「あ、そうそう、落ち着いてきたら、どっか行かない? 以前友達に自由が丘のカフェのこと聞いてさ、行ってみたいんだよね」
「いいよ。自由が丘の方あんまり行かないし、行ってみたい」
「だよね。じゃあ、落ち着いた頃に行こうね」
「うん」
再び沈黙が始まった。
自由が丘のカフェの話は本当だが、表参道の方が都合のいい私たちは、まず行くことはなかった。
「……もう切る?」
沈黙に耐えられなくなったのか、あの人が告げてきた。
違う、そうじゃない。話したいことがあるから電話するんじゃない。私は、ただつながっているという事実に溺れたいだけなんだ。
しかし、このまま何も思い浮かばなかったら、切る以外の選択肢がなくなってしまう。
「そうそう、テレビ電話しない?」
苦肉の策だ。
「ああ、いいよ」
あの人の方からカメラをオンにした。私も続いてしようとしたが、待て。
「あ、ちょっと待って、先にお手洗いだけ行かせて」
私はスマホをベッドの上に置き、急いで洗面所に向かった。
危ない、勢いで顔のチェックをしないでカメラをオンにするところだった。
髪型良し、服の襟は折れていない、目の調子も良し。
ベッドに戻りスマホを取り上げた。
「ごめん、お待たせ」
すぐにカメラをオンにした。
これでお互い、相手はそこにはいないのにそこにいる体験をすることができる。
「……カクカクするね」
私がそう言うのは、相手の顔が止まったり動いたりするからだ。見にくいことこの上ない。
「うーん、まあ仕方がないでしょ」
「そうだよね」
また沈黙だ。これが1番怖くなってくる。
会いたい、けど会えない。だから会っている感を作っている。
◇◆◇
このまま会わなかったら、私たちのこの関係も自然消滅するんじゃないか、なんて思えてくる。
そんなこと、あってたまるか。
でも現実はわからない。いつあの人が切り出すかは、私には予想できない。
「……あのさ」
背筋がぞくっとした。
相手のスマホが傾いたようで、天井だけが映し出された。普通の明るさの照明のはずだが、妙に煌びやかに見える。
「しばらく会えなくて、ちょっと考えたんだけどさ」
ああ、もうダメだ、と思った。嫌だよ、私は好きだよ、の言葉を口に出す余裕はなかった。
「いろいろ思い返したんだよね……」
私はスマホをベッドに下ろした。相槌を打つこともできなかった。
「それでさ、思ったんだけど……」
世間では、あらゆる行事がなくなっている。人の出会いの場が失われていく。
それに伴って、人の縁も失われていくのか。
理不尽。
「ンンン……、ンンン……」
誰かからのラインの通知だ。空気を読めない誰かからの。
「楽しかったよね」
「……うん」
早く言えよ。言っちゃえよ。
小さなイラつきが脳裏に現れた。
「……それで、しばらく会えなくなって思ったんだけど……」
さっさと言っちゃえよ。その方がスッキリするよ、お互い。
「俺、エリいないとダメっぽい」
「は?」
考えるより先に言葉が出た。
「どういうこと?」
「いや、前はこんなことなかったんだけど、しばらく会えなくなって、妙に愛おしくなっちゃって。今は仕方がないけど、本当はもっと会いたいんだよね」
「え、何それ。それを言いたかったの?」
「……なんで怒ってんの」
あの人の声が遠ざかった。
「……え? ううん、怒ってないよ。ちょっと身構えちゃっただけ」
「身構えた? ……何に?」
私は途中からよく見ていなかった画面を見た。
「……映ってないよ。天井が見える」
「ああ、ほんとだ。ごめん、気付かなかった」
画面が少し震え、あの人の顔が再び映し出された。
かすかだが、頬を赤くしているのがわかる。
「かわいい」
「は? さっきから意味わかんないよ」
あの人は本当に戸惑っているようだった。無理もない。
「そうそう。さっき、自由が丘の辺り知らないから調べてみたんだけど、ラ・ヴィータって行ってみようよ」
声が近付いた。
「え、何それ、知らない。何のお店?」
「店じゃないよ、場所だよ。ヴェネチア風の。詳しく書いてるサイトのリンク送ったから、後で見てみて」
「そんなのあるんだ。知らなかった」
ベッドのスマホを取り上げた。私の顔が中央に収まった。
きっと、幸いにも、イラついていた私の顔はほとんど見られなかっただろう。
「あ、親が呼んでる。じゃあ、また」
あの人はそう言い残すと、すぐに通話を切った。
あの人とのトーク画面に戻ってきた。リンクが貼られている。開いてみると、なるほど、おしゃれだ。
ホッとしたからか、急にお手洗いに行きたくなった。
私は立ち上がった。
「ンンン……、ンンン……」
通知だ。だが、もう何も気にすることはない。
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