嵐の中の恋人たち
休日の朝、なぜかいつもより早く起きて、彼のところに行きたいな、と思った私は窓の外を眺める。
——大雨。
たしか、台風が近付いていたんだっけ? 今日上陸するのかな。
そして、そんなことにはお構いなしに、すぐにスマホを手に取る。ラインを起動して、彼とのチャットを開く。
起きてる?
今日は雨だけど、行っていい?
すぐに既読が付いた。起きていた、よかった。
しかし、私はすぐにチャットを閉じた。だって駆け引き、大事でしょ?
起きてるよ、おはよう
ダメだよ、今日は台風なんだから、出てくると危ないよ
彼は私のことをよく考えてくれているし想ってくれている。だから止めてくれている。もし普通の友達でも、止めているだろうけど。
彼は止めてくれた、けど私は行きたい。だから私はしばらく待って彼にそう送った。
すると、またすぐに彼からの返信がやってきた。
明日はきっと晴れるだろうから、明日おいでよ
わかってない。明日は確かに晴れるかもしれない。けど、私の心は「今日」彼を求めているんだ。
今日はダメなの?
気を付けて行くからさ
私は、彼が「いいよ」と言っていないのに、家を出る準備をした。クローゼットから、デート用に買っておいた、白地に青い花柄のワンピースを取り出し、洗面所に向かおうとした。が、そのときラインの通知に気が付き、ベッドに戻った。
まだ落ち着いているけど、これから雨激しくなるって
明日こっちから行くから、今日は我慢しようよ
まだわかってない。単に会いたいんじゃないの。今日、私から行きたいの。
そして、洗面所に向かい、顔を数回洗った。
いいことを思い付いた。すぐに部屋に戻った。
実はもう家出ててさ……
これで彼は私を引き止められないだろう。私は急いで家を出る準備をした。
メイクをし、服を着替えて、傘を持って、家を出る前にもう一度ラインを開いた。
えっ
どこ?
返信しなかった。既読も付けなかった。これで、私がまだ家にいることはわからないはず。後で返信しよう。
かかとが少しだけ高い白色のサンダルを履いて、家を駆けるように出た。
風なんて、全然ないじゃん。台風なんて本当に来ているの?
水溜りを飛び越えながら、足取り軽く彼の家に向かった。
彼の家は、歩いて40分ぐらいのところにある。そして、その道中、グラウンドが併設された大きな公園がある。
私と彼は、何をするか迷ったときは、よくその公園に行った。そこでベンチに座って、子どもが遊んでいる姿を見ながら近況を話したり、木々に囲まれた遊歩道を散歩したりした。
◇◆◇
20分ぐらい歩いた。そのときも私は水溜りを避けず、あえて飛び越えて歩いていた。
しかし、体に疲れが溜まっていていたのだろうか。着地に失敗して、足首を捻ってしまった。さらに不幸なことに、体勢を崩し、水溜りの上にこけてしまった。
傘が水溜りの向こうまで飛んでいった。
家を出たときより激しくなっている雨が、私の体に釘を刺すように打ち付けた。
傘には微量にも雨水が溜まっていた。放っておけばさらに溜まって行くだろう。
ゆっくりと立ち上がり、傘を取りに向かった。足首が痛んだ。溜まっていた雨水を出し、私はこの先の道を眺めた。
結構歩いてきたからなぁ……。
大きなため息をこぼし、また私は歩き始めた。先ほどよりもずっとゆっくりと。
それから5分ほど歩いて、公園に着いた。
——そうだ、彼に連絡しよう。
そう思い付いて、私はカバンからスマホを取り出した。誰もいない公園の端のベンチに、ただ1人、ずぶ濡れになってスマホを触っていた。
ごめん、今こうえん
しかし、スマホは私の手の中より水の中を選んだようだった。
「こうえん」を「公園」と変換しようと親指を上に持っていったはずみに、スマホが手から滑り落ちて、足下の水溜りに落下した。
すぐに拾い上げたが、スマホは暗いまま顔色を変えなかった。以前落としたときにできたひび割れから、水が内部に入り込んだのだろう。
彼を呼び出すこともできなくなっちゃった。あーあ……。
足首は痛めるし、服はびしょびしょだし、スマホは壊れるし。やっぱり出て来なかったらよかったのかなぁ。
それに、雨はさらに勢いを増し、風も出てきた。遠くで雷が鳴っている。
エリ?
そう、私はエリ。
って、えっ……?
私は顔を上げた。
その人の顔が傘で陰になっていたが、私にはそれが誰かすぐにわかる。
私は自分で持ってきた傘を投げ出し、彼に抱きついた。
「どうしてここにいるの?」
「だって、家から出てたんだろ? これから嵐が激しくなっていくだろうし、どこにいるかも返信ないし、とりあえずエリの家までの道を辿ってみることにしたんだ。そしたら、こんな天気なのに公園に1人で座っている人がいて。……すぐわかったよ」
「そう……」
私は彼の胸から顔を離せなかった。
「ごめん、実は、もう家から出たって、嘘だったの。そうでもしないと止められるだろうと思って……」
周りの木々が風に煽られ、激しく騒ぎ出した。
「さっき、ここに来る途中に足首捻っちゃって、痛いから呼ぼうと思ってラインしかけたんだけど、スマホ、落として壊れちゃって。……2度迷惑かけちゃって……私、来なけりゃよかったね。……ごめん……」
そして、自分の服がびしょ濡れだったことを思い出して、すぐに彼から離れた。
「そっか、嘘だったんだ。俺は2度迷惑かけられたんだな。……けど、エリに会えたし、久々にエリから抱きしめてくれたし、2度の迷惑はこれでチャラだな」
そう言って彼は笑っていた。
「じゃあ、俺からも1回迷惑かけさせて。うちに来て!」
「じゃあ、私もまた迷惑かけちゃう。だって、こんなびしょびしょの私が行ったら、すっごい迷惑でしょ?」
「ほんとだ」
そう言って、彼は笑っていた。
私は、内も外も濡れて使い物にならない自分の傘を畳んで手に持ち、大きな彼の傘に入れてもらった。
雨は激しく降っていた。それに雷も鳴っていた。木々はまだ騒いでいる。
けど、この傘の中はずっと静かだ。
「恋人たち」シリーズ最初は、「嵐の中の恋人たち」でした。
今後も数話を投稿していきますので、ほのぼの感が好きだなと思っていただけましたら、ブックマークをしていただければ嬉しいです。
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