ベルをポケットに入れ
満天の星空に見とれる守家。
空の広さを実感し、ちっぽけな自分が客観的に認識できる。
「世界を変える、か。前の俺じゃあ考えられないようなセリフだな、」
浴槽には歪んだ星屑たちが行く当てもなく水面を動き回っている。
「そろそろ出るか」
不安を紛らわせるように独り言を言い風呂を出る。脱衣所には替えの服なんてものはなく来ていた服を一式すべて着なおす。
脱衣所にある姿鏡の前で守家の動きが止まった。
「俺なんだな、世界を変えるのは。本当に俺は変えられるんだな」
言った後に恥ずかしくなる守家だったが、これを覚悟というのだろうか。体格がいい訳でも特別長身である訳でもない、ただの高校生。ただの高校生であったなら、守家はこの世界に来ただろうか。この世界を変えたいと思っただろうか。守家は本当にこの世界を変えたいと思い、変えようとするだろうか。
一通りすることを終え、部屋に戻りベッドに入る。結局使用人ツヅキを呼び出すベルは使わなかったが念のためベッドの近くに守家は置いた。
翌朝、昨晩の夕食が思い出されるほど良い匂いが漂っている。守家は部屋を出た。
「おはようございます。守家様は昨晩よく眠れましたか」
ツヅキが台所に立って、挨拶をする。さながら新婚夫婦のようだがそんな暢気な想像ができるほど今日という日は甘くない。
「おはようございます、」
自然と今日を意識する。昨日アインスに言われた任務のことが気になっている。
「はい、おかげさまで気持ちの良い朝を迎えられました」
守家は決して嘘を言っている訳ではないがその言葉には多少の訂正が必要であった。
「もうすぐ朝食ができますよ。朝食後に親衛隊の方が守家様を迎えに来るとおっしゃっていました」
守家は顔を洗いに行き、絞まりの無い自分の顔を鏡で見てグッと睨む。鏡に映っているのは間違いなく自分なのだ。この自分が今日の任務を言い渡され、世界を変えなければならない。世界を変えるのはこの守家であって、守家はこの世界をしっかりと見なければならない。
昨晩と同様にテーブルに座り二人向かい合って朝食をとる。違う点と言えば目の前にある朝食が守家の知っている食べ物だということ。
「これは、トーストと言って小麦の粉を練って発酵させ」
「トーストは分かります。俺ほとんど毎日朝はトーストでしたから、好きですよトースト、おいしいです」
「ふふっ」
ツヅキはにっこりと笑う。
「何か変でしたか」
「いえ、何でもありません。少しおかしくなっただけです。お気になさらず」
何がおかしかったのかはツヅキにしか分からないが、守家はトーストをすぐに食べ終えた。ツヅキが空かさず台所からヨーグルトを持ってくる。
「これは、食べたことありますか」
「ヨーグルトですよね。ありますよ。おいしいです」
ツヅキは手に持った容器の中の白いドロドロとしたのを見る。首をかしげながら眉間にしわを寄せる。
「ヨウグルト、ですか?」
守家は予定の反応と違ったためかツヅキからヨーグルトの入った容器を手に取る。
「スプーンありますか、何かすくうものが」
ツヅキは台所に戻り銀のスプーンを一つ持ってくる。
「守家様、直接お食べになるのは少々、」
「ハムッ、」
もちろん目の前にあるのはヨーグルトであるため守家は躊躇しない。
「む、ん、うぅ!」
ツヅキの顔が心配から当然と言わんばかりに変わる。
「守家様、それはそうなります。ふふっ」
何とか一口を飲み込む。
「な、なんですか、この辛いヨーグルトは」
「それはヨウグルトじゃなくて、」
そこまで言ってツヅキはにっこりと笑う。
「ふふっ。いや、止めておきます。守家様が次もし私に会うことがあればその時にお教えいたしますよ」
ツヅキがそう言うと玄関から音がした。守家は一瞬で緊張状態になる。ツヅキの話など一瞬にして消えてしまう。
「おはよう守家君、行こうか」
守家は振り返り、その知っている顔に少し安堵する。
「シーハさんですか。びっくりしました」
シーハは守家の顔を見て眉間にしわを寄せる。
「君は顔を覚えるくらいには頭が良いらしいが、知り合いと話した内容までは覚えられないのかい」
守家は少し考える。
「守家君、残念だなあ。アインス様の客人に君付けは初めてだったのに、やはり無礼は無礼で返されるということか」
やれやれと頭を軽く左右に振り、守家をわざとらしく見つめる。守家はやっとのことでシーハが何を言いたいのかが分かった。
「俺の迎えに来たんですよねシーハ君」
「おお」
嬉しさでシーハは笑顔になる。半面ツヅキはにっこりとはしていなかった。
「ツヅキ、連絡の通りだ、守家を引き取りに来た。守家の安全確保ご苦労だった」
ツヅキはテーブルのものを台所に持っていき始める。
「守家君、それじゃあ急いで準備を済ませておいで、玄関前で待っているから」
「分かりました。と言っても特に荷物は無いので、ちょっと待ってください」
守家は部屋に戻りベッド近くのベルをポケットに入れ、玄関へ行く。
「よし、行こうか」
「はい」
二人は別邸を出た。ツヅキの姿はない。
「ツヅキさん!ありがとうございました!」
聞こえたかどうか守家に知る術は無かったが、感謝の気持ちをいちようは伝えた。
「さて、行きますか」
シーハは守家と共に車両に乗った。運転手は別におり、二列目に二人は座った。シーハは守家に話しかけることもせず、先ほどのテンションとは少し変わっていた。故に守家はこれからの出来事に不安を抱く。
「シーハ様、到着いたしました」
運転手がそう伝えるとシーハと守家は車両を降りた。
「ここは、」
物々しい雰囲気の入り口、守衛が数人立ち、ただでは入れてもらえないようだった。シーハはその守衛の一人と話をし、入り口の門を開けてもらった。二メートル以上はある壁がぐるりと囲っている中に二人は守衛一人と共に中に入る。
「ここは、どこですか」
その雰囲気に守家は少々怖気づきながらも尋ねる。
シーハは答えた。
「収容所だよ。普通の収容所。何も怖がることはない。中の人たちはみんないい人たちばかりだよ。心配することはないよ」
その言葉を聞き、守家はポケットに手を入れる。咄嗟に右手に当たった砂時計型のベルを握りしめ、顔を上げる。普通の収容所だとしても守家にとってはそれは普通では無かった。