そのすべてをここに置いて
大丈夫だと自分に言い聞かせていると両開きのドアが開いた。先ほど守家を案内したスーツの男だった。
「こんな少しの時間では疲れも回復しませんよね。すみません。でも、守家様には早く書庫へ行ってもらいたいのです」
アインスも言っていた書庫。そこに何があるのか分かりかねる。異世界の流れで行くならば古い言い伝えで勇者が世界を変える。みたいな内容の本が眠ってたりするんだが、この世界は俺の知っている異世界とはどうも性格が違うように感じる。書庫に行く他ない。
「大丈夫です。ただの車酔いです。もう何ともないですよ」
「それならよかった。では、書庫まで案内いたします。こちらへ」
客間を後にし向かいの階段を下りていく。来るときは意識する余裕も無かったが、入り口から左に客間、右に階段があり二階と地下へ行けるようになっている。今回は地下へ二人は歩を進める。
階段を下り、ちょうど踊り場のところで守家はスーツの男に質問した。
「そういえば、案内してもらってるのに名前を聞いてませんでした。何て言うんですか」
「そうでしたね、これは失礼しました。私の名はシーハと言います。アインス様の親衛隊隊長を務めさせていただいております。改めてよろしくお願いします、守家様」
「様なんて付けなくていいです。見た感じ年も離れてないようだし、全然呼び捨てでいいよ」
「それは出来ません。仮にもアインス様の客人ですから。せめて君付けでお願いします」
「じゃあそれで、俺も君付けで呼ばせてもらいます」
二人は階段を下り終わり、地下一階の書庫へたどり着く。書庫と言っても大きくは無く少し大きな棚が数台ある程度だった。シーハが中へ入り一冊の本を取り出してくる。
『大陸全書』
少し癖のある漢字でそう題を付けられた本は国語辞典ほどの大きさと厚さのある本だった。もちろん守家は初めて見る。故に驚いた。
「気づいたね、守家くん。君だよ。君が書いたんだよ」
「なんで、俺の名前が、」
『大陸全書 守家宗定』
守家の背筋が凍った。同姓同名の僕意外の誰かが書いたのか、そんな非現実的な考えなど守家の中には少しも起こらなかった。異世界に初めて来て、何も残っていないはずのこの世界に既に自分の書いた本がある。思い出そうとしても思い出せない。
「俺じゃない。俺、こんなの書いた記憶ない」
取り乱す守家にシーハは冷静に対応する。
「聞いてくれ守家くん。この本は間違いなく君が書いたものだ。それは事実なんだ。しかし、いつ書かれたのか、アインス様はじめたくさんの人たちが調べようとしても分からなかった。そこに、町で守家宗定という人物がいるとの情報があってね、急いで君の保護に向かったんだよ」
守家は背筋が凍ったままだった。題字の癖のある漢字が間違いなく自分の字だったからである。
「中は、何が書いてるんですか」
決して好奇心などではない。安心したい、間違いだと思いたい一心で守家はシーハから本の中を見せてもらう。
「守家くん、残念だけど今の君じゃ読めないと思う。君の書いたこの本は、題字は日本語でも中身は外地語なんだ」
「外地語?」
「そう、外地語。これはこの本に書かれてあったことなんだけどね、守家くんの話す言語と我々の話す外地語という言語は同じで文字だけが違っているんだ。詳しく言うと日本語ならではの表現やその逆もあるそうなんだけど、基本的に口頭で話す分には支障はないみたい」
「俺、外地語なんて知らない」
「落ち着くんだ守家くん、もうすぐアインス様が来られるから、ゆっくり話を聞くんだ。そこで現状について理解できると思う」
シーハから本を受け取るもその題字を見て気味が悪くなる守家。すると、上から足音が聞こえだした。
「アインスさん、」
すがるような声でアインスに助けを求める守家は精神が衰弱していったと言っても過言ではなかった。
「シーハ、本は見せたのか」
「はい、題字には引っかかるところがあるようですが中身はやはり、読めません」
「ありがとう、私は守家と話をする。勤務に戻ってくれ」
シーハはアインスに一礼すると階段を上がっていった。アインスの目の前に立ち尽くす守家。彼の眼は涙に溢れながら題字を見ていた。
「本当に知らないんです。書いた記憶も無くて、」
「大丈夫だ、心配することはない。私の話を聞いてくれれば少しは落ち着けるだろう」
どうして、どうして書いた記憶がないのに、泣いてるんだろう。分からない。異常だ。俺は何も知らない。大丈夫、大丈夫。アインスさんに付いて行けば、全部解決するはず。
「守家、少し話がしたい。そこに座ってくれ」
書庫の奥にテーブルと椅子があり、アインスは守家と向かい合うように腰掛けた。テーブルには守家の持っている本が置かれた。
「シーハから聞いたかもしれないがその本は間違いなく君が書いたものだ。覚えていなくてもひとまず飲み込んでほしい。そして大事な中身についての話だが、その前に確認だ。この本がいつから書庫に置いてあるのか誰も知らない。まあ、今君に聞いても分からないと思うがいちようだ、どうだ」
守家は無言のまま首を横に振る。眼から涙は消えていた。
「まあそうだろう。よし、中身についてだ。外地語は分からないんだな。ならばここに何が書いているかも知らない。ということでいいか」
「ほんとに、何も分からないんです。すみません」
「なに、君が謝ることではない。これから解決していく話だ、そう自分を責めるな。いいか、ここにはこの世界の大陸について書かれている。大陸は地球のユーラシア大陸よりも狭く、周辺を砂漠で囲まれているが、北や南に行けば徐々に海に囲まれる。多様な国家は存在せず、東の砂漠混じりのオースカンと西の内陸王国、その間に位置するハビタブルゾーンと呼ばれる自治領地がありオースカンも自治領地もこの内陸王国には大きく国力で劣っている。内陸王国のさらに西には巨大な山脈があり季節により東に強風や吹雪が吹く。山脈を越えた人類はまだいない。また、大陸外に目を向けると砂漠を越えれば東の大陸がありここは人の住める土地ではないとオースカンでは伝承がある。南東に進むと台地が広がり、ここも人の住める土地ではない。ざっとこのような感じだ。このあとそれぞれの領地について詳しい説明や砂漠、山脈についての説明がある。特徴は大きさや広さがすべて地球のもので例えられていることだ」
アインスは話しながら守家の顔色を窺う。
「どうだ、幾分か落ち着いてきたか」
「はい、なんだか懐かしく思える単語も聞けました。そうですよね、地球の事なんてこの世界の人たちは何も知らないのに、書けるはずがないですよね。やっぱり、俺が書いたんだと思います」
そう思うしか、今は出来ない。正直まだ納得したわけじゃないけど、無理しても納得するしかないんだ。大丈夫、アインスさんが守ってくれるから、異世界でも一人じゃない。
「守家、君がこの本を書いたのは自分のためなのではないかと思う」
「俺のため?」
「ああそうだ、いつ、どのような経緯でこれを書いたのかは分からない。しかしだ、このように分厚い本を書く熱量はあった。その熱量は、未来の自分に向けられているように私は思う」
この世界について自分自身の目で感じ取ったもの、耳で聞き取ったものを書いてある『大陸全書』はおよそ今の守家には理解できないが、それがあるということだけで、いずれかの自分が何かを伝えたかったということは理解に乏しい守家にも十分に伝わった。
そのすべてをここに置いて、自分は自分に託したのだった。
「とりあえずこの本は君が持っていてくれ、話はこれだけではない。君がその本をどうするかは君が決めればいい、私は干渉しないが、これから話すことは私が君に必ずしてもらわなければならないことだ。私も含めてこの世界に光をもたらすか否かとても大事な話になる」
先ほどよりも熱のある口調で発する言葉は守家に重大な話であると気づかせるには十分で、アインス自身も緊張感を持っていた。
「君がいるこの世界というのは、君がいた世界より過酷で危険で醜いかもしれない。なぜならこの世界は今、戦争の真っただ中にあるから。数年前も大陸内で戦争があった。その前もあったと聞く。だから、この世界にとって戦争とは君の世界ほど悪なものでは無いのかもしれない。とにかく今、このオースカンは戦争に巻き込まれ、疲弊している。国も民も皆、戦争終結を望んでいる。しかし、戦争相手が一向に和平に応じようとしなければ、訳の分からない兵器を駆使して領地を掠め取ろうとしている。私はとても戦っている相手が人間とは思えない。宇宙人が超技術で侵略しているようにしか理解できないのだ。このままでは我々オースカンは間違いなく負ける。しかし先日、降伏を覚悟した時に相手側が通信である提案をしてきたのだ、君を渡せば戦争は終わる。と」
守家は自身がとんでもないことに巻き込まれたと改めて感じる。彼は今、間違いなく戦争中の世界に降り立ったのだ。
「君だ、君さえ引き渡せば戦争は終わる。苦しい戦いから解放され、民は元の生活に戻ることができる。君が向こうに行ってくれれば、行けるのならどれほど喜ばしいだろう」
アインスの感情は一瞬にして変わった。それは戦争のせいか己のためかは定かではない。しかし、彼女は守家を一刻でも早く引き渡したかった。戦争は終わるのだから。しかしそれは出来なかった。
アインスは立ち上がる。本棚の一つから一冊の本を取り出した。
「『私史全論』、私の書いた歴史書だ」
本を持ち、席に戻る。立ち上がったアインスは守家を見下ろす形となり、勝ち誇ったようなその視線を守家は違和感に思う。
「私の書いた歴史書では、この戦いで君が重要人物になるとある。君がこの戦いに終止符を打つというわけだ。だから私は君を引き渡すことができない。終わる戦争も終わらせられないのだ。負けるわけにはいかない。君がいる限り、我々オースカンが侵略者に負けることはない!」
静かに、けれども力強くアインスは言い放つ。自分の書いた歴史書に絶対の自信を持つ彼女の姿勢は異常だった。守家はどうすればいいか分からない。故に彼女を頼っている。彼女はそれを理解して、自らのために守家を助けた。戦争の終止符をアインスはいつでも打つことができた。
俺が戦争の終止符を打つ?
「私は決して君のために君を助けた訳でも、私のために君を助けた訳でもない。ただ世界の大勢を光あるものとするために選択を行っているのだ。分かってくれ守家。君はこの戦争を終わらせるためにここへ来た。君はこの世界で戦争と共に歩み、その手で戦争を終わらせるのだ」
二つ返事で承諾は出来ないが、守家の考えはある程度固まっていた。それは彼が一度死んだという認識とアインスに頼るほかないという選択によってだった。
何一つできなかった、そんな俺が世界のスーパースターになれる。この人となら世界を変える存在になれる。いや、そうなりたい。
「アインスさん、俺、付いて行きます。アインスさんに付いて行って、この戦争を終わらせます」
守家は決意を固め、アインスは頬を上げた。
俺は一度死んだんだ。だったらこの先死んだって悔いは残らない。怖くもない、つらくもない。死を恐れることもない。たかが普通の高校生だった俺が、この世界で英雄にもなれるチャンスが巡って来たんだ。一度くらい、歴史に名を残したいじゃないか。何をためらうことがある。こんなチャンス二度とは来ない。失敗してもいい、途中で死んでも、その結果を受け入れられる。だったら俺は、この戦争の終止符になる!
ここに物語は始まる。アインスは世界を変えるために動き出し、守家は歴史に名を残すために動き出し、共に手を取り合った。
これまでの自分を顧みず、そのすべてをここに置いて……