「お前を愛せない」と言われた女帝は、誰とも結婚できない呪いにかけられていた
「オレはお前を愛せない! 愛してたまるか!」
男が発した声は、宮殿の屋根を震わせるほどに大きかった。
「この婚約は解消させてもらう! 分かったか、女帝コーディリア!」
目をギラつかせながら、男は狂ったように高笑いを始めた。男の付添人たちはまっ青になり、壁の両側に並ぶ廷臣の間に落胆が広がっていく。
玉座に座った私は、その様子を黙って眺めていた。こんな光景を見るのはこれで何度目だろうか、と苦々しく思いながら。
****
「十回目だ」
執務室に戻った私の元へ宮内大臣が駆けつけてくる。真っ先に口を開いたのは、近衛騎士のレナルドだった。
「コーディリア様のご婚約が破談になるのはこれで十回目。それで? 今度の男は――あの王子は何故コーディリア様にあんな口を利いた?」
体格のよいレナルドに詰め寄られ、小心者の宮内大臣は今にも卒倒しそうになっている。私は「レナ、止めなさい」と腹心をいさめた。
レナルドは主人の命令を大人しく聞き、威圧感を引っ込めて少し下がる。
「か、かの国の者たちの話によりますと、王子は昔から精神的に脆いところがおありだったようです」
大臣はほっとしたように話し出した。
「そして、今回陛下とご婚約を結ぶに当たって、相思相愛だった故国の女性と別れねばならなかったらしく……。それがきっかけで心を病んでしまい、自暴自棄になったのだろうということです」
大臣は額の汗をハンカチで拭いながら続ける。
「王子の付添人たちが謝罪をしたいと申し出ております。いかがなさいますか?」
「……謁見の場は後日改めて設けます。王子には『お大事に』と伝えておいてください」
承知いたしました、と言って大臣は去っていく。レナルドと二人だけになると、私は椅子から立ち上がった。
「あの男はコーディリア様の皇配になる資格がありません」
部屋をゆっくりと横断する私を見つめながら、レナルドがきつい口調で文句を言い始めた。
「結婚などこちらから願い下げです。それにしても、あのような王子を押しつけてくるとは……。かの国は帝国を愚弄しているのでしょうか」
「あれは痛ましい事故のようなもの。私は気にしません」
私は座り心地のいいソファーにかけ直した。空いている隣を手のひらで軽く叩くと、そこにレナルドが腰を落とす。私は話を続けた。
「それにこうなったのは、きっと私が原因なのです。彼に非はありません」
「しかし、コーディリア様……」
「分かっているでしょう、レナ。私がもう十度も結婚に失敗しているのは……呪いのせいなのだと」
私は廷臣たちに教えられた話を思い返した。
私が皇位に就く前は、母がこの国の元首だった。強く美しき女帝だ。
そんな麗しの帝王に恋をした男がいた。しかし、彼の求婚は撥ね付けられてしまう。
それを恨みに思った男は、母にこう言った。
――お前も俺と同じ苦しみを味わうがいい。貴様は一生誰とも結ばれない。誰の妻にもなれないのだ……!
その言葉を最後に、男は自らの命を絶った。強い怨念は呪いとなり、母に降り注ぐ。
しかし、男は知らなかった。まだ公表されていなかっただけで、母がもう結婚していたことを。夫のいる母にはその呪いは利かなかった。けれど、男の恨みが何の影響も残さなかったわけではない。
そう、母の代わりに呪いを受けた者がいたのだ。
それが、当時すでに母の体に宿っていた私だった。
「当初は呪いの話など、誰も信じていませんでした」
私はレナルドにもたれかかる。固い筋肉の感触が伝わってきた。
「ただの失恋男の捨て台詞だと皆が思ったのです。ですが……私に結婚話が持ち上がってきたことによって、事情が変わりました」
事故死、他殺、病死、行方不明……。私と婚姻するはずだった男は皆、誰も彼もが何らかの形で花婿に適さない人物となってしまった。今回のように式の目前で婚約の破棄を突きつけられたことも初めてではない。
――申し訳ありませんが、私はあなたを愛していないのです。
――こんな結婚では皆が不幸になります! わたくしは陛下に愛情を向けられないですから!
――自分が愛されているとでも思ったのか、傲慢な女帝め!
こんなことなら婚約など結ばなければよかった、と思うような言葉を山ほどかけられてきた。女帝の威厳を保つために何でもないふりをしているけれど、ふとした瞬間に嫌な思い出が脳裏に蘇って気分が落ち込むことなどしょっちゅうだ。
「コーディリア様、もうご結婚などお止めになってはいかがですか?」
私の肩を大きな手で抱き寄せながら、レナルドが優しく囁いた。しかし、私は小さく首を振る。
「それはできません」
この国は各地に植民地を持ち、周辺諸国にも多大な影響を与えている大帝国だ。そして、私はそんな国家の統治者である。
もし私が結婚せず、後継者も残さないままに死にでもしたら、国内外で大変な混乱が起きるに決まっている。
愛人を囲え、などという声もあるけれど、帝国の歴史を紐解いてみれば、非嫡出子が皇位に就くことの是非を巡る事件が山ほどあったのだ。下手なことをすれば、別の騒動を招くだけである。
「ですがコーディリア様、国の中でも外でも、たちの悪い噂が飛び交っていると聞き及んでいます」
レナルドが憤る。
「皆はコーディリア様がとんでもない悪女で、花婿候補を呪いに見せかけて殺害しているのでは、などと面白おかしく話しているのですよ? このままですと、あなた様の評判が地に落ちてしまいます」
帝国の元首として権威の失墜は避けるべきだと言っているのだろう。レナルドは眉根を寄せる。
「コーディリア様は素晴らしい方です。そんなことをなさるわけがないというのに……」
……そうだろうか?
私はゆっくりと息を吐き出した。
確かに私も初めはこれが誕生前からの呪いのせいだと思っていた。けれど最近は、もしかしたら本当に自分に原因があるのではと考え始めている。
私は少し首を動かし、レナルドの顔を盗み見た。彫刻のように端正な面立ちに視線が吸い寄せられ、呼吸が速くなっていく。
誰にも明かしたことはないけれど、私はレナルドが好きだった。彼は幼少期から従者として仕え、病を患い退位した母に代わって私が女帝となった後は、近衛騎士として支えてくれている。とても頼りになる私の懐刀だ。
そんな信頼がいつの間にか恋心に変わっていた、と自覚したのは最近のことだった。そして、私は同時にある懸念を抱いた。
もしかしたらこの恋心が呪いの力を増幅させ、花婿候補を害しているのではないか、と。レナルド以外と結ばれることを、私の心が拒んでいるのかもしれないと感じてしまったのだ。
「コーディリア様? いかがなさいましたか?」
私の視線に気付いたレナルドがこちらを向いた。綺麗な水色の瞳と目が合い、私は微笑む。
「何でもありませんよ」
私は立ち上がってレナルドの正面に回り、彼の頭を胸元に抱き寄せた。
「気にしないでください、レナ」
波打つプラチナブロンドの髪を撫でる。レナルドの体の重みを感じながら、軽く目を瞑った。
私の恋心が呪いの力を強めているなんてバカらしい妄想だ。どうやら私は自分で思っているよりも相当疲れているらしい。
けれど、こうしてレナルドと触れ合っていると心が安まるのを感じる。落ち着くし、温かい気持ちになれるのだ。
私のストレス発散のために毎回撫で回されるレナルドには申し訳ないけれど、これも腹心の務めだと思っているのか、今まで彼は文句の一つもこぼしたことがなかった。
それをいいことにちょっとした暇を見つけては、私はこうしてレナルドと密な時間を過ごしている。触れる度に恋心が高まっていくような甘美な一時だ。
「コーディリア様……」
恋がもたらした錯覚なのか、レナルドの声がやたらと甘く聞こえる。私は陶酔した気分に浸りながら、この時間が少しでも長く続けばいいのに、と思わずにはいられなかった。
****
私に面と向かって婚約の解消を告げた王子は、後日故国へと帰っていった。このまま帝国にいても病は治らず、女帝に婿入りするのは不可能だと見なされたのだ。
そしてその代わりとでも言うかのように、ある人物が私との謁見を申し出てきた。
「初めまして~、コーディリア陛下! 噂に違わずお綺麗ですね~! 関係各所をたらい回しにされた挙げ句、何ヶ月も待ったかいがありましたよ!」
ローブを着た集団を引き連れて謁見の間に現われたのは、派手な顔立ちの若い青年だった。
「俺はピエール。この帝国に比べたら小さいけど、一応西の方の国で王子とかしちゃってます。お近づきの印に、コーディリア陛下のこと『コーディ』って呼んでいいですか~?」
廷臣たちは石のように固まっており、私も玉座に座ったまま呆然としていた。けれど、すぐ後ろからの怒声に我に返る。
「この無礼者!」
控えていたレナルドだった。鬼のような形相だ。
「貴様、何様のつもりだ!」
「だから西国の王子、ピエールですってば。俺の話、聞いてました?」
ピエール王子は呆れたような顔をしている。レナルドは頬を引きつらせた。
「そういうことを言っているのではない! 誰に向かって話しかけているのか、と聞いているんだ!」
「コーディリア陛下でしょう? ……コーディ、この人大丈夫ですか? 全然人の言うこと聞いてないじゃないですか」
背後からの更なる怒鳴り声の気配を察知した私は先手を打って、「少し黙っていなさい」とレナルドを下がらせた。
私は深呼吸する。そして、目の前のとんでもない男に落ち着いた態度を見せつけるように意識しながら話しかけた。
「ピエール王子、今回はどのようなご用向きで帝国までいらっしゃったのですか」
「おっ、コーディは話が早くて助かりますね~」
私の努力も虚しく、ピエール王子は浮ついた口調のまま話を進める。
「実はですね~俺の国には、ある通過儀礼がありまして。一定の年齢に達した者は、呪術の修業に出ないといけないんですよ~」
「呪術?」
胸がざわりとする。廷臣たちも口元を手で覆っていた。けれどピエール王子は何でもなさそうに「変わってるでしょ?」と肩を竦める。
「俺の国ってね、呪術の研究が盛んなんですよ。……ああ、そんな顔しないでください。呪術って不吉なイメージがあるんで他国からは理解されにくいんですけど、極めたら結構面白いんですよ? 特に呪いにまつわるアレソレなんて、考え出したら眠れなくなるくらい!」
「……そうですか」
私の白けた反応を見ても、ピエール王子はニコニコしている。けれどすぐに大げさな身振りで、「ああ、そうだ!」と額に手を当てた。
「ほら、うちの国って閉鎖的じゃないですか。あんまり積極的に外交とかしてないんですよ。だからこういう場での作法とかに疎くて。何か失礼があったらごめんなさいね~」
私は玉座に深く座り直す。よく分からない男だ。
一国の王子だからと謁見を許可したが、まさかこんな人が来るとは。
レナルドを本気で怒らせるくらいのこの軽々しい態度は何なのだろう。帝国を舐めているのか、彼の言うように世間知らずなのか、彼自身が愚者なのか、それとも他に思惑があるのか……。
何か下心があってのことなら気を許すわけにはいかなかった。私は彼のペースに乗せられないように慎重に切り出す。
「ピエール王子、あなたは先ほど『呪術の修業』と言いましたね」
私は目の前の派手な青年を見つめた。
「あなたはその『修業』のために我が国に足を運んだのですか?」
「流石コーディ、ご明察~」
ピエール王子は手を叩く。
「まあ、修業なんて言っても普通はそんなに難しいもんじゃないんですけどね。でも、俺は一応王子なんで、中途半端なことはできないじゃないですか? で、何かいいネタはないかな~なんて探してる時に、呪われた女帝の話を知ったんです」
ピエール王子はキラキラした目で私を見つめる。
「結婚できなくなる呪いなんてすごく珍しい! 研究しがい、ありまくりです!」
ピエール王子は誇らしげに背筋を伸ばした。
「よかったら、この俺が研究ついでにその呪いを解いてあげちゃいますよ? もし成功したら、お礼にお婿さんにしてくださいね!」
****
「あんな戯れ言をよくもペラペラと宣って! 真面目に取り合うだけ時間の無駄です!」
執務室に戻った後、レナルドは荒れに荒れていた。
「何度あの場で叩き切ってやろうかと思ったことか! 婿!? ふざけたことを! コーディリア様を侮辱した罪は万死に値します!」
レナルドは物騒なことを言いながら腰の剣をいじっている。私は机に向かい、組んだ指先に額を埋めた。
――よかったら、この俺が研究ついでにその呪いを解いてあげちゃいますよ?
ピエール王子の言葉を思い出す。
呪いを解く? そんなことが本当に可能なのだろうか?
「コーディリア様、ご決断を! 早くあの男を処刑台へ!」
レナルドに促され、席を立つ。とは言っても、ピエール王子を抹殺するためではない。
「レナ、落ち着きなさい」
私はレナルドを黙らせるため、背伸びして彼のプラチナブロンドの髪を撫でた。まだしかめ面だが、少しは気分が和らいだのか、レナルドは口を閉ざす。
「廷臣たちは、彼の言葉が本当ならこれはまたとない機会だと言っています」
私の呪いを解こうと言い出した人は、ピエール王子が初めてではない。
怪しげな占い師や胡散臭そうな霊能力者が私を救ってみせると言って、宮殿へやって来るなどよくあることだった。しかし、成功した者は一人もいない。
けれど、「どうせ無理だから」と言って彼らを追い返せという廷臣は誰もいなかった。皆、藁にも縋りたい気分なのだ。
そして、今回もそれは同じのようだった。
「私の呪いが解けるのなら、手段は選んでいる場合ではない、と彼らは思っています」
「……コーディリア様、私は廷臣たちの意見など聞いていません」
レナルドは無愛想な声で言った。
「コーディリア様はどうなさりたいのですか? ……分かっておいでなのですか? 呪いが解けたら、あの男と結婚することになるかもしれないのですよ? それでよろしいのですか?」
いいわけがない。私の想い人は別にいるのだから。
私は目を細めながらレナルドを見つめた。しかし、すぐに視線を外して遠くに目をやる。
私はこの国の頂点に君臨する者だ。元首としての義務を果たさなければ、玉座に座っている資格などない。
後日、改めて交渉の場が設けられ、ピエール王子の祖国と帝国は正式に国交を結ぶことが決定した。
王子の国から彼のサポート役として、次々と呪術の専門家がやって来る。そして、ピエール王子は私の婚約者候補となった。
その肩書きから『候補』の文字が取れるのは、彼が私の呪いを解いた後になる予定だ。
****
「コーディじゃないですか~。未来のお婿さんに会いに来てくれたんですか~?」
西国の呪術師たちに、帝国は離宮の一つを貸し与えることにした。視察を兼ねて私がレナルドと一緒に訪問すると、上機嫌のピエール王子が出迎えてくれる。
「実はですね、そろそろコーディを呼ぼうかな、って考えてたんですよ~。やっぱり術の解析って、呪われた本人がいないと捗りませんからね~」
離宮の中の一番格調の高い部屋に私たちを通したピエール王子が、使用人が持ってきたお茶を啜りながら、いつもの浮ついた口調で言った。
朗らかなピエール王子に対し、私の後ろからは殺気と表現するしかないような冷気が伝わってきている。レナルドのものだ。
「やっぱり結婚したら帝国に住まないといけない感じですよね? でも、時々は里帰りさせてくださいね~。俺、郷土愛は強い方なんで!」
私は二人の温度差に困惑していたけれど、ピエール王子は全く気にしていないらしい。呑気にお喋りを続けている。
「にしても、王族も皇族も大変ですよね~。俺も母上から『いつまでもフラフラしていないで、早く身を固めなさい!』ってよく怒られるんですよ~。しかも『王子なのですから、相手はよく吟味しなさい!』なんて! 母上は分かってませんね~。まあ、うるさいのは嫌だったんで、最終的には『吟味』したんですけど! 修業完了と同時にお嫁さんもゲットしちゃうなんて、母上、嬉し泣きしちゃいますよ!」
ピエール王子は私にウインクを寄越す。彼が軽々しい動機で私に求婚したことが判明したせいなのか、レナルドの殺気がますます強まっていった。
「……お母様はおかしなことを仰っているようには思えませんが」
レナルドが今にも剣を抜くのではないかとヒヤヒヤしつつ、私はカップをソーサーに置いた。
「王族も皇族も国家にとって益のある相手と結ばれるべきです。あなたの国ではそうは教えられないのですか?」
「ええ~。どうでしょうね~?」
ピエール王子はケタケタと笑った。
「コーディはどうなんです? 今まで『益のある相手』を選んできたんですか?」
「もちろんです」
私は首を縦に振った。
同盟を結んで日が浅い国、緊張関係が続く隣国、敵にも味方にもなり得る貴族。
私の歴代の婚約者は、そんなところから選ばれた者たちばかりだった。皇族との結婚を機に、関係の強化を図るためである。
「じゃあ、どれだけ好きでも、『益のない相手』とは結婚しない、と?」
「……そうです」
後ろに控えるレナルドを意識しながら、私はピエール王子の質問に頷いた。
レナルドは代々皇室に仕えてきた上流貴族の出身だ。その信頼関係は厚く、彼の家は『死んでも飼い主の手を噛まない忠犬』と、尊敬なのか揶揄なのかよく分からない評価を得ている。
そんな『忠犬』と結婚するメリットなど、ないに等しい。裏切りの可能性が低い相手なのだから、わざわざ皇族の配偶者に選ばずとも構わないのだ。
つまり、レナルドは女帝の……私の結婚相手にはなり得ないということである。
「そんなことよりピエール王子、進捗はどうなっているのです」
どれだけ焦がれようが、私はレナルドとは結ばれない。今まで何度となく直面するのを避けてきた事実を思い返してしまって、私は気分が落ち込んできていた。
それを紛らわせたくて、別の方向に話を振る。
「帝国も、いつまでもあなた方を離宮に滞在させておく気はありません。それなりの成果を出していただかねば私としても……」
「ありゃ、お仕事モードですか、コーディ」
ピエール王子は紅茶のカップを脇に退けた。
「じゃあ、俺もちょっと真面目な感じでいきま~す! 実はコーディの呪いって、もうほとんど解けかかってたりして!」
「……何ですって?」
声が上ずる。ピエール王子はこちらの反応を楽しむように続けた。
「術者が死んでも持続する呪いなんて、滅多にないんですよ。普通は時間経過と共に消えちゃうんです。なのにコーディがまだ呪われてるのは……何かが呪いの完全消滅を防いでいるから、って考えるのが妥当でしょうね~」
「その『何か』というのは何なのです?」
「う~ん。分かりやすく言えば、『激情』ですかね~」
ピエール王子が自分の胸の辺りに親指を突き立てた。
「コーディは呪い……って言うか呪術の正体って何か知ってます? 強い感情なんですよ。押さえようもない激しい憎しみとか、やり場がなくて溜まりに溜った怒りとか。で、そういう感情を抱いちゃった人は、特別な訓練なんか受けてなくても、見事に呪術師に大変身! ってわけです。まあ、だからといって素人が上手いこと相手を呪えるかって言うと、それは別問題なんですけど」
やり方を間違うと、逆に自分が破滅するんですよね~、とピエール王子は言った。
「でも、元々存在していた呪いに便乗するのなら訳が違います。ゼロから物を作るより、初めから形ができあがっている物を利用した方がお手軽ですよね? つまり、コーディに結婚して欲しくない誰かが、消えるはずだった呪いを延命させちゃったってことです。意識してか無意識なのかは分かりませんけど。もしかして、帝国の滅亡を望む陰謀団の仕業!?」
怖~い! と言ってピエール王子はキャッキャと騒いでいる。対照的に私は、血の気が引くのを感じていた。
呪いが解けないのは自分に原因があるからだと思っていた。レナルドへの密かな恋心が呪いを強化してしまっているのではないか、と。
それは根拠のない妄想だ。なのに、当たらずとも遠からずな推論だったのだ。ピエール王子の言う『コーディに結婚して欲しくない誰か』は、他ならぬ私のことだ。
私はレナルドに恋をしていた。他の者と結婚したくなかった。だから、私は無意識の内に恋心を媒介として自らを呪ったのだ。いや、消えかけていた呪いを永らえさせた、の方が正しいか。
とにかく、私を呪っていたのは私だったということだ。
「……どうすればいいのですか?」
私は手の震えを懸命に抑えながら尋ねた。
「どうすれば、呪いは解けるのですか?」
「呪いの源である激情を消しちゃうのが手っ取り早いですね~」
ピエール王子は即答する。
「陰謀団に、打倒帝国の野望を諦めさせるとか!」
私がレナルドへの恋心を断ち切るとか?
声には出さずに付け足した。
そんなことができるわけがない、と真っ先に感じた。
けれど、それはあくまで私個人の感情で、女帝としてはそんなワガママを通すわけにはいなかった。
後ろに立つレナルドの気配を感じながら私は苦悩する。
いつもなら、難題に直面してもレナルドと共に乗り越えればいい、と自分を奮い立たせることができた。けれど今回ばかりは、彼の存在が私の懊悩を深くしているのだ。そのことを嘆かずにはいられなかった。
****
ピエール王子の話を聞いた時から、私の苦しみの日々は始まった。レナルドといることに罪悪感に近いものを覚えるようになったのだ。
そんな私の心境の変化を敏感に感じ取ったのか、レナルドもどことなくよそよそしい態度で接してくるようになった。二人きりになっても以前のように触れ合うどころか、会話すらない状況がずっと続いている。
しかし、そんなことになっても一度芽生えた恋心は簡単には消えてくれなかった。覚悟していたとはいえ、予想以上の茨の道に私の心は痛む。
いっそのことレナルドを傍に置くのを止めようかとも思ったけれど、彼は幼い頃からずっと私の隣にいてくれたのだ。レナルドがいない生活がどういうものかなんて、私には上手く想像することすらできなかった。
けれど、膠着状態に陥ったかに思えた事態は、突然に動いたのだった。
「お暇をちょうだいしたいのですが」
執務室で二人だけになったある日のこと。レナルドからかけられた言葉に、私は息が止まりそうになった。
「……何故ですか?」
動悸が激しくなっていくのを感じる。レナルドの深刻な表情からして、この場合の『暇』は休暇の類いではなく、私との主従関係を解消したいという意味だと理解したからだ。
「……遠くへ行こうと思いまして。コーディリア様は……どこかの誰かとお幸せになってください」
一礼してレナルドは執務室から立ち去ろうとした。私は慌てて彼の腕を掴む。
「いきなり何を言い出すのですか! 納得できません! きちんと理由を説明してください!」
「……気付いているのでしょう? 呪いを持続させている元凶について」
まさかの発言に息を呑んだ。レナルドは私の密かな恋心を見破ってしまったのだ。
「だから私は出て行くのです。私がいなくなれば全て解決するのですから。そして……」
レナルドは腰の剣に触れた。自刃しようと考えているのだと気付いて、私はまっ青になる。
「止めなさい! そんなことは私が許しません! あなたが死ぬなんて……! 私の傍にいても、呪いをどうにかする方法はきっと見つかります!」
「そんなものはありませんよ」
レナルドは強い口調だったけれど、私の手を振り解こうとはしなかった。私はそこに彼のためらいを見て取った気がする。
「私の想いはそんなに生易しいものではありません。私が耐えられるとお思いなのですか? あなた様が私以外の誰かと結ばれる光景を見ることに……」
「……え?」
それまで強ばっていた体から力が抜ける。『私以外の誰か』? 今、レナルドは何と言った?
「レナ、呪いが解けない原因は何だと思っているのですか?」
「今さら何を仰っているのです。この私が、一臣下の分際で恐れ多くもコーディリア様をお慕いしているからに決まっているでしょう」
苦しそうな声でなされた告白に、私は身動きが取れなくなる。レナルドは少し恨みがましそうに続けた。
「コーディリア様はご想像したことなどないのでしょう。あなた様に抱きしめられたり頭を撫でられたりしている時、私がどういう気持ちだったのかを。いつも何を感じていたのかを……」
あの一時の触れ合いを思い出しているのか、レナルドの恨めしそうな声はいつの間にか陶然としたものに変わっていた。彼の水色の瞳が潤んでいるのを認めて、私の体がほんのりと熱を持ち始める。
「そんなことを言うのなら……あなたこそ、私の気持ちを考えたことはあるのですか?」
私は自分の声が甘えた響きを帯びているのに気付かずにはいられなかった。
「私もあなたのことが好きなのですよ」
レナルドは雷に打たれたような顔になった。私はクスリと笑う。こんなことになるとは思ってもみなかった。
「私は呪いがまだ続いているのは、自分のせいだと思っていました。私の恋心が呪いの消滅を防いでいるのだ、と」
きっとその推測は間違いではない。けれど、完全に正しいわけでもなかったのだ。
「私に注がれていたのは、私が抱いていた激情だけではなかったのです。あなたが私に恋をしているというのなら……きっとその強い想いも何らかの影響を及ぼしていたはず」
私とレナルド、二人分の激情を受け、呪いは消滅を完全に免れた。それが真相だったのだ。
しかし、そうと判明したところで私は遣る瀬なくなる。
「どうします、レナ。呪いを解くにはこの激情を消さなければならないのですよ。私たちはお互いに思い合っている。けれど、その恋を実らせてはならないのです」
「いや~、そんなこともないんじゃないですか~?」
間延びした声と共に執務室にピエール王子が入ってきた。ノックもなしの訪問に、私もレナルドも飛び上がる。
「貴様、一体何を……!」
レナルドは頬を歪めて剣を抜こうとしたけれど、ピエール王子は「すいません、立ち聞きしちゃいました。この部屋、以外と扉薄くありません?」と平然と返した。
「この間、コーディが調査に協力してくれたでしょう? その結果が出たんです。それがちょっと面白いものだったので、話しておこうかな~と思って!」
「……何なのですか」
あんな会話を聞かれていたなど恥ずかしくて堪らない。いっそからかってくれれば気も楽なのに、と思いながら私はピエール王子に質問した。王子は機嫌良く回答する。
「呪いの正体は激情だって言いましたよね? それってつまり、抱いている想いによってどんな呪いなのかが決まるってことです」
ピエール王子は私とレナルドに視線を向けた。
「それは消えかかった呪いを延命させる時にも言える話で……。分かります? 面白いですよね? 新たに注がれた激情がどんなものかによって、元の呪いの性質が変わっちゃうんですよ!」
ピエール王子は感動しているようだったが、私もレナルドも彼が何を言いたいのかピンと来なかった。それに気付いたピエール王子は、もう少し具体的に説明してくれる。
「二人は相思相愛なんでしょう? だったら呪いは『誰とも結婚できない』から『レナルドさん以外の誰とも結婚できない』に変わってるってことです」
レナルドが瞠目する。私も呆然となってしまった。
レナルド以外の誰とも結婚できない? と言うことは、レナルドとなら結婚できる? 私は……レナルドと結ばれることができる?
きっと、私と同じことにレナルドも気付いたのだろう。レナルドの唇が動いた気配がした。彼は何かを私に伝えようとしているらしい。
けれど、先に口を開いたのは私の方だった。
「私と結婚してください」
レナルドの水色の目が見開かれた。放心したような顔で呟く。
「よろしいのですか、私で」
「……あなただからいいのですよ」
私はレナルドの輝く髪を撫でた。
「私が先に口を開かなかったら、同じことをレナが言っていたのではありませんか?」
「……仰るとおりです」
跪いたレナルドは私の手を取り、甲に口付けた。
「愛しています、コーディリア様」
それは私の求婚への了承だった。
立ち上がったレナルドが私を抱きしめる。彼の方からこんなことをしてくるのは初めてだ。私はレナルドの厚い胸板に頬を寄せながら、うっとりとした気分になった。
「愛しています」
レナルドが今度は私の耳元でもう一度囁く。
悲劇に終止符が打たれる音を聞いた気がした。
レナルドは女帝にとっての『結婚しても益のない相手』ではない。むしろ、唯一人の配偶者たる資格を持つ人物だったのだ。
けれど、そんな理屈っぽい考え方はこの場にはふさわしくないのかもしれない。私は自分の心の赴くままにレナルドに身を預けた。
「おめでとうございます!」
陶酔していた私は元気な声に我に返る。ピエール王子もいたとすっかり忘れていた。
それと同時に、あることも思い出す。
「そう言えば王子……私たちの結婚の約束ですが……」
「ああ、それですか?」
ピエール王子は何でもなさそうに言った。
「あんなの忘れちゃってくださいよ~。どうせ婚約者『候補』ってだけだったんですから。それに、『呪いが解けたら結婚する』って決めてたでしょう? コーディの呪いはまだ解けてませんからね~」
「ですが、これは国家間で交わされた約束です。そう簡単に話がつくとは……」
「コーディ、俺の国は帝国とは違うんですよ」
ピエール王子はニッコリと笑った。
「呪術は感情を重んじる分野。自分の本当の気持ちを抑え込んではならない。それは呪いを生み出し、皆を不幸にするから。俺の国ではそういうふうに教えられるんですよ」
ピエール王子は私たちに向けて手を振る。
「まあ、国同士は今後も仲良くやりましょうよ。面白い研究結果も得られて俺は満足したんで、修業はこれにて完了ってことにして、故郷に帰ります! そこでコーディに負けないくらい美人なお嫁さんでも見つけますよ! それじゃあまた! 末永くお幸せに~!」
ピエール王子は去っていく。最後まで不思議な人だった。
きっと、ああいうのが呪術師としての理想の姿なのだろう。自らの心に忠実で何者にも縛られない。もしかしたら私と結婚したいと言ったのも一時の気まぐれだったのかもしれないけれど、たとえそうだとしても不快な気持ちにはならなかった。
王子に対していい印象を抱いていなかったはずのレナルドでさえ、今は表情に感謝が浮かんでいる。
「彼の最後の言葉も呪い、でしょうか」
ふと、私は呟いた。「かもしれませんね」とレナルドが言う。
「言い方を変えれば『祝福』になるのかもしれませんが。ですが……そんなものはなくとも、私はコーディリア様を不幸せにはいたしません」
レナルドの宣言に嘘はなかった。後日私たちは結ばれ、呪われた女帝は祝福された女帝に変わったのだから。
『愛せない』という罵倒の代わりに、『愛しています』と甘い言葉を聞く毎日。そんな私の幸福の日々は、末永く続くことになった。




