モノクロ巻貝の映画
死んだ父さんがその昔、無理やり見せてきたつまらないモノクロ映画の記憶。あまりにも退屈で題名も役者も何もかも覚えていないその映画の中、一つだけずっと気になっているシーンがあった。
ヒロインと思われる女性と主人公の男性が浜辺で言い争いをする、子供ながらに複雑な気持ちになる場面だ。演出のつもりかカメラは二人を写さずに、海水に濡れっぱなしの半分埋もれた変な巻貝の殻にピントを合わせていた。突拍子もないそのシーンばかりが記憶に残り、なんとなしにあの映画を『巻貝の映画』と呼んでいた。
父さんが死んだ日のこと。
漁師だった父さんは仕事一辺倒の朴念仁だった。一度も遊びに連れてってもらったことはなく、僕の誕生日は漁師にとっての繁忙期。決まって毎年母と二人。場合によっては何か月も海の上で漁をするのだから、子供の誕生日になど構っていられないのだろう。
結局、そんな父さんの最後も嵐に呑まれて遭難だった。まるで実感が湧かなくて、これっぽっちも悲しくなかった。
酷く悲しんだ母さんが元気になるように明るくふるまっていたら、父さんとの思い出が色あせるのに時間はかからなかった。
父さんが出てくる記憶はいつもあの映画のようにモノクロだ。
成人式の帰り道、ふと気まぐれに父の遭難した海へ向かった。見慣れた港の懐かしい景色が目の前に広がる。あの頃のままの船、あの頃のままの音、あの頃のままの……。
記憶にある通りの景色を見て、心臓の鼓動が早まっていく。子供の頃、何度も何度も観たはずのそこは、見慣れない色でカラフルに染まっている。塗り替えにしてはボロボロで、まるで僕の記憶から色だけが失われていたかと思える光景が、心の奥の記憶のドアを強く叩いた。
海沿いを駆け足で辿っていく。そこには僕の、思い出の景色が残っているはずだ。唯一覚えている父さんとの思い出、嫌々観させられた名も知らない映画のシーン。喧嘩している、『父』と『母』。それにそこに置かれていた『巻貝』。
着いた先に広がる景色は思っていたよりも綺麗ではなく、最も記憶に残っていた巻貝はどこにも埋まっていなかった。
むなしく海に背を向けて帰ろうとしたとき、忘れていた映画の最後を思い出した。
まだ若い幸せそうな二人が、赤ん坊を抱えて笑っている。
その映画を観終わった後の父さんの横顔は、決まって頬を赤く染めて、恥ずかしそうに照れていた。