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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人でなし聖女は人の心を勉強中

人でなし聖女は人の心を勉強中【前編】

作者: 不揃いな爪

【追記】

『人でなし聖女は人の心を勉強中』の続きというかおまけを書きました。

(それにともない、タイトルに【前編・後編】とつけました)

もし続きを読んでいただける場合、作品の「小説情報」からをぜひお読みください。

ちなみに元々前編だけで完結していた作品なので、これだけ読んでも大丈夫です。

「聖女ディアースよ、お前との婚約を破棄する」

「構わん、承知した」


 突然の婚約破棄にも動じない聖女は、役職に恥じない豪奢な白いローブを纏っている。

 だがその少女の髪と瞳は人々が想像する聖女には似つかわしくない血を固めたような赤だった。


「近々そうなるとは思っていたからな。様子を見るに、真実の愛というものを見つけたのだろう」

「あ、あぁ」


 素人が見ただけでも高級だと分かる椅子に座り、落ち着いた様子で聖女は紅茶を啜る。

 対する男はディアースに喋りたいことを先に言われてしまい、頷くことしかできない。

 ディアースの、今になれば元婚約者である男の名はアフェアル。

 目を奪う程鮮やかな金髪と美男子と言える程の造形を持つ。

 爵位は今後伯爵を継ぐ事となっていて、未婚の女性が熱を上げることも珍しくはない。

 だが親の教育が悪かったのか本人の生来の気質か、傲慢な性格を持ち続けたまま成長してしまった。

 しかしディアースも相手の事は既に知っている。

 一時とはいえ、婚約者ではあったのだ。

 だからディアースは遅かれ早かれこのような状態に なる事を想定していた。


「元々、私が聖女である事だけが理由の婚約だ。そこの女と違い、傾ける情もなかっただろう」


 ディアースは腰まである長い髪を揺らしながら、男の横に小さく座っている少女に目を向ける。

 視線の先には栗色の緩やかな波を打った髪を持つ、愛らしい顔を持つ平民の娘。

 普段見ることはない豪奢な聖女の館と、この状況に萎縮しているのか小さい体を更に縮こまらせている。

 彼女の名はウィンピィ。

 平民ならではの屈託のない表情、好意を隠さない素直な態度を持っていることを聖女は知っていた。

 そのどれもが愛嬌のない聖女を婚約者に持つ男の心を掴んで離さなかったのだろう。

 まさに可憐。

 そんな言葉が似合う彼女はディアースの鋭い目と目が合った途端びくりと体を揺らすも、なんとか体勢を整えて喋りだした。


「ごめんなさい! 私、アフェアルとどうしても離れたくないんです! 二人で生きていきたいんです!」

「彼女を責めるなよ、結婚しようと言ったのは俺だ」


 何とか短いながらも自分の主張を終えたウィンピィは、アフェアルの腕に縋り付く。

 対するアフェアルは長椅子の上で上機嫌にふんぞり返った。

 本来なら頭の一つでも下げるべきだろうが、ディアースも別に謝罪を期待していた訳でもないので気を害する事も無い。

 そもそも今現在も平民であるウィンピィはともかく、貴族としてそれなりの爵位を継いでいるアフェアルは聖女よりも立場が上だ。

 もちろん聖女もかなり立場は上にあるが、それでもこの世界は男性優位であることも手伝って聖女に頭を下げることはまず考えられない。

 ましてアフェアルは甘やかされて育てられたのだろう、自分が人に謝る事など想像もしていないのが分かる。

 だが先ほども述べたように、二人からの謝罪をディアースは元々求めていない。

 だから聖女は二人をゆるりと見つめた後、手を振って二人の事を許容した。


「よい。真実の愛とは理屈でどうにかなるようなものではないのだろう、ならば仕方があるまい」

「なら!」


 ディアースの言葉を聞いたウィンピィが希望を見つけて声を高くする。

 しかし、ディアースの声はそれと対照的に一段低くなった。


「だが、落とし前はつけてもらうぞ」


 その言葉に、アフェアルは心得たように鼻を鳴らす。

 元々この話し合いはそれが目的だ。

 さすがにその程度の事はこの男も心得ていた。


「慰謝料なら幾らでも払ってやる、幾ら欲しいんだ」


 確かに爵位持ちのアフェアルにはそれなりの額を請求しても支払うことは可能だろう。

 だがディアースの求めるものはそういったものではない。


「金はいらん、聖女には国から補助が出る。欲しいのは研究材料だ」

「研究材料?」


 アフェアルは聞き返す。

 基本的に慰謝料というものは金以外では取引されない。

 それは金というものが最も平等な価値であることが挙げられる。

 物品での取引は物の良し悪しに内容が左右されることがあるからだ。

 後から不備も出たりすることがあるので、基本的に物品での取引は敬遠されることが多い。

 だが、被害者側が要求するとなれば話は別だ。

 まして今は公証人などを挟まないでの話し合い中。

 この話し合い自体はアフェアルたちが約束なしでディアースの前に現れたため、まだ話は大きく広がっていないだろう。

 だが先ほど強引に押し通られた門番は既にこの聖女の従者に話を通しに行っているはずだ。

 あの従者は国に直接繋がっている、だから可能な限りあの男が来る前に話に決着をつけたい。

 そう考えてアフェアルはディアースの要求に許可を与える。


「いいだろう、言ってみろ」


 それは貴族でないと手に入らないものだったりするのだろうか。

 それならば確かにアフェアルに要求するのは道理だ。

 だが聖女が指さしたのは、少女の下腹部だった。


「その女の腹にいる子供、それを摘出して引き渡せ」

「な……!」


 最初、アフェアルはディアースの言う事が理解出来なかった。

 同様にウィンピィも信じられないと言った面持ちで口を開いている。

 あまりに非人道的な物言い。

 聖女らしさどころか、人としてすら倫理が欠け落ちている。

 だからアフェアルの頭は現実逃避を行った。

 それは聖女の言葉を聞いた時に頭が弾き出した最悪の想定を受け入れたくなかったからだろう。

 ならばディアースの言い方はともかく、彼女が自分の子供を欲しがっているのではないかとその頭は考えを別方向にそらした。


「何だ、俺の子供が欲しいのか? 婚約破棄を受け入れると言いつつ、可愛いところがあるじゃないか」


 そうだ、研究材料というのは子供の成長を見ることなのではないか。

 この女は言葉に難がある、だから「せめて愛した男の子供が欲しい」と考えそれが口を突いて出るならちょうどこんな感じだろう。

 そうアフェアルは考える。

 しかし、


「研究材料だと言っただろう、話を聞いていなかったのか」


 そうディアースに詰られ、やはりアフェアルは当初の考えが間違っていなかった事を理解する。

 だが、理解したからと言って従うかどうかは別問題だ。

 何より、


「それが聖女の言う事か!?」


 言葉にするのに時間が掛かったが、ようやく言いたかったことをアフェアルは口にする。

 しかし、責められたディアースは呆れたように長い溜息を吐くだけだった。


「お前こそ聖女を何だ思っているんだ」


 元々鋭い聖女の眼光が、更にその細さを増す。

 それは鋭利な刃物のようで、しばらく会話に参加していなかったウィンピィすら刺殺されるのではないかと錯覚を起こした。


「聖女になる条件は知っているな? それは光魔法を使い、人を多く救う事だ」


 そう言いながら、ディアースは「役職としての聖女」について語っていく。


「そして私は人体実験を行って、より効率的な魔法の研究をしている。だが胎児のサンプルが足りなくてな」


 聖女の口から現れる「人体実験」や「胎児」などの生々しい言葉たち。

 既にウィンピィの方は気持ち悪さからか恐怖からか口を手で覆っている。

 だがこれはウィンピィが正常だ。

 まだ成人してすらいない少女、まして清廉であるべき聖女が抵抗感もなくそのような話をしている方がおかしいのだ。

 だが自分がどう評価されているのかを知らない、もしくは興味が無いのか。

 徐々に青ざめていく二人を気にもしないで聖女は話を進めていく。


「現在、地方で流行病が深刻化している。王都に病が届くまでまだ時間はあるが聖女としては見逃せん」


 それらの言葉は今までのものとは違い、考え方としては聖女としてふさわしいものだった。

 王都の貴族や王族だけではなく、末端の民をも救おうとする理念。

 ここだけ聞けば、このような考えを持つからこそ聖女に選ばれたのだろうと解釈するものもそれなりに現れるだろう。

 だが、ここ以外にも聖女の言葉を聞いている二人には到底納得のできるものではない。


「お互いちょうど良いだろう、愛する二人を引き裂かない方法だ」


 ディアースの小さくも真っ赤な唇が弧を描く。

 その表情を見た二人は、まだ何かされた訳でもないが自身に怖気が走るのが分かった。


「何も良くない! お前に人の心はあるのか!?」

「あるようだが、良く分からん。勉強はしているのだがな」


 唇は弧を描いても、決して笑っているわけではない。

 ディアースと付き合いのほとんどないウィンピィにすら、今度はそれが分かった。


「だが、愛する二人を引き裂くのは良くない事だと理解したぞ。だからそれを考慮した」


 人でないものが人の真似をして、理解を示そうとしている。

 聖女の様子は、そういった類のものだと本能が二人に告げている。


「お、おかしいわ貴女……」

「すまないな、勉強不足で。で、手術日はどうする?」


 ディアースの言葉に、今度こそウィンピィの動きが止まる。

 ディアースの中ではもう慰謝料が支払われる事が確定しているようだ。

 そしてそれにウィンピィより早く気づいたアフェアルは慌てて聖女に抗議の声を上げた。


「引き渡す訳ないだろう! 手術なんか彼女はしない!」


 ここに当事者以外の者がいれば、彼はまるで怪物から姫を守る騎士の様に見えただろう。

 だが、生憎この空間にはディアースとアフェアル、そしてウィンピィしか存在しない。


「なら、交渉は決裂と言うことか」

「当たり前だ!」


 吠える様に男が宣言する。

 対して聖女は不服そうに小さく口を尖らせた。


「愛する二人を引き裂かなかったのにか」

「子供だって共にいるべきなんだ! お前の様な人でなし聖女には分からないだろうがな!」


 そう怒鳴り終えると、アフェアルは勝ち誇った様に口角を挙げる。

 確かに愛を得て子を成した時点で、人としては優れているのだろう。

 少なくともこの世界では、その考えがまかり通っている。

 それが不倫の形を取っているのは問題だとしても。

 そしてディアースもそれに関して思うところがあるのか、反論はせず代わりに口に指を当てて考え込む素振りを見せた。


「なるほど、まだまだ私も知らない事が多いな。なら母体もセットで扱うとしよう」

「え」

「やめろ!!!」


 結論を言い終えると、ディアースの目の前に白い魔法陣が現れた。

 平民であるウィンピィは知らないが、これは束縛を行うための魔法陣である。

 正体が分からない魔法に当然ウィンピィは反応する事はできない。

 アフェアルの方はディアースの婚約者であった事もあり、それがどういうものかを理解していた。

 だから魔法陣を見た時点で、すぐに止めに掛かろうとした。

 が、一歩遅い。


「ウィンピィ!」


 アフェアルの抵抗も虚しく、金属の棒が床から何本も現れる。

 それはウィンピィを中心として円を描くように伸び、最後には少女の頂点で集合する。

 彼女が気づいた時にはもう、それは自分を閉じ込める為の大きな鳥籠になっていた。


「これなら子供と一緒にいられるぞ、良かったな」


 鳥籠に囚われた少女はもう言葉を発さない。

 聖女が生成した鳥籠は特殊で、中に閉じ込めたものの活動を停止させる。

 時間魔法の応用なので死亡こそしていないが、それでももう自らの意思で体を動かす事はできない。


 ――そして、次にそうなるのは自分だろう。


 そう思い至ったと同時に、血が凝固したような瞳が男を捉える。


「あぁ、番も忘れてはいけないな」


 赤い目に映ったアフェアルは、途端に愛しいはずの少女も腹にいる子供すらも置いて逃げ出そうとした。


「やめろ、やめてくれ! 殺さないでくれ!」


 何度か魔法陣を見た事があった為、アフェアルはウィンピィより長く逃げ回る。

 だがここは聖女の住まう館、聖女の望むように姿を変える。


「殺しはしない。それにダメだろう、愛する人達を置いていってしまっては」


 部屋の中を無様に走り回る男を、聖女はゆっくりと追いかける。

 聖女の部屋には重要人物を住まわせる為に、部屋と外界を隔絶する堅牢な魔法がかけてある。

 だが逆に言えば、それは部屋の中から何者も出さない障壁としても扱えるのだ。


「頼むっ、頼む……!」


 逃げ道さえ失い、無駄だと知りながらも扉に爪を立てて逃げようとする男を聖女は追い詰める。

 そして先程と同じ様に魔法陣の呪文を唇に乗せ、ディアースはアフェアルを檻の中に捕らえた。


「これにて慰謝料を受け取った事とする。もう話せなくはなるが、真実の愛はその程度では死ぬまい」


 隣同士に鳥籠を並べ、聖女は二人に話しかける。

 理解は出来ないが、否定せず、考えに寄り添おうとする。

 だがその様子こそが人ならざる者のようだと噂されていることを彼女はまだ知らない。


「安心してくれ。決して無駄にはしないし、愛する者達を引き離しはしない。必ず同じタイミングで実験をし、保管する事にしよう」






 騒動からしばらくし、外側から部屋の扉が開く。

 そこには聖女の従者が立っていた。


「終わったかい、ディアース」


 青く短い髪に、黒縁眼鏡を掛けた青年は聖女に近づく。

 彼の名はミスラッド。

 彼の姿を見るとディアースもまた、慣れた様子で青年に近づいた。


「あぁ。それにしてもやっと胎児を孕んだ母体を手に入れたぞ。これで妊婦への魔法に着手できる」


 聖女は先ほどのやり取りに対しての感想を述べない。

 冷淡ではあるが、これは完全にミスラッドの想定内だった。

 そもそも守るべき対象である聖女から従者が離れていたのは、いつあの男達が現れても問題ないと考えていたから。

 ディアースが今回の騒ぎで傷つくような感情を持ち合わせているとは考えられなかったし、あの男たちが逆上して暴れたとしても無傷での拘束ぐらいは行える。

 また聖女は爵位のある男には負けるが、研究に関係があると国が判断すれば誰も文句が言えない特権階級だ。

 爵位持ちの男が消えたとしても、それは国にもみ消される。

 まして今回は平民の少女との不倫の末、婚約破棄に至った。

 それを考えるとむしろ下手な醜聞が流れるより、聖女の研究対象として消されるほうが良いと考える可能性も高い。

 貴族の家らしく、あの男の家もまだ兄弟が何人もいたはずだ。

 爵位継承騒動はあるかもしれないが、それでもすぐ潰れる事はないだろうと判断する。

 それらの事からミスラッドは今回の騒動を予想していても、大事だとは考えてなかった。


「そうか、良かったな」

「もちろん。これでまた救われる命が増える」


 檻の中の研究材料を見ながら、聖女は頷く。

 やはりその言葉に感傷といったものは見当たらなかった。

 だからこそ、ミスラッドは感想を彼女に求める。


「ところで、婚約破棄について怒ったりしたか?」

「そこまで私はまだ情緒が発達していない。だが、今回の様な政略結婚の場合は感情がなくても構わんのだろう?」


 答え合わせをするように、ディアースは話題を合わせてくる。

 その回答を受けて、ミスラッドは彼女にとって先程の出来事は何かで予習をした内容だったのだろうと推測した。


「まあ、そういうパターンのもあるよな。ちなみにこの間渡した少女小説は読んだか?」

「あぁ、確かに結婚や恋愛を知るには良い教科書だったよ」


 そういうとディアースは白いローブの裾から、愛らしい桃色の表紙の本を取り出す。

 それはやはりミスラッドが渡した本と同じだった。

 といっても勉強ではなく、少しでも娯楽になればと渡したものだったが。

 だがしかし。


「それがああなるのか……」


 従者は思わず空を仰ぐ。

 この本の内容は有名なもので、ミスラッドも読んだことはなかったが概ねその内容は把握していた。

 が、それはどう影響されても先ほどの結果に繋がるような内容ではなかったはずだ。

 平民の少女と貴族の男が身分の差を乗り越え、真実の愛を貫く恋愛小説。

 ディアースに話を聞いてみても、きちんと平民の少女達の心情に理解を示している。

 途中に出てくるが、最後に婚約破棄される悪役令嬢に肩入れしている訳でもなさそうだ。

 もしそうであれば先ほどの行動にも理解が示せたが、どうやらそういうことでもないらしい。

 すると考え込んでいるミスラッドの様子を見たディアースが足を止め、彼に瞳を向けた。


「なぁ、やはり私は悪い事をしているのか?」


 先程までとは違い、ディアースの瞳が不安気に揺れる。

 だからミスラッドも足を止めて彼女に向き合った。


「すまない、本当に分からないんだ。だが、聖女としてはあれが正しいと思っているんだが」


 ディアースは人間としての振る舞いに自信がない。

 ミスラッドも最近知ったが、彼女は相当幼い頃から今までほとんど他人と触れ合わずに生活してきた。

 ミスラッドが護衛兼世話係としてディアースと引き合わされたのだってたった数年前だ。

 だからそれより前はもっと少ない人数と彼女は過ごしてきたのだろう。

 けれどそれだって大した触れ合いはなかったに違いない。

 

(実際ディアースと初めて出会った俺は、彼女の表情があまりに欠落していたから怯えて逃げてしまった)


 その後大人に捕まって引っぱたかれたが、それにすらディアースは何も言わなかったのだ。

 逃げられた事に怒りも悲しみもしなかった。


(これは異常だ)


 そう大して大人でもなかった、しかも付き合いがある訳でもないミスラッドにも分かるくらい、幼い彼女はおかしかった。

 能力から思想まで聖女として望まれたように造られた聖女、そう形容するにふさわしい。

 だからだろう、不要な人間としての部分が剥奪されていると感じたのは。

 確かにそういった部分を持つディアースが人々を救っている事も確かな事実だ。

 今までの聖女が行えなかった、特に生きた人間に行う魔法を彼女は忌避感なく行える。

 例えそのように教育されたのだとしても、結果は変わらない。

 彼女がそういう事をできる、それが重要なのだろう。

 現に彼女が非人道的な事に手を染めた魔法を行ってから、国内の死者は劇的に減少した。


(だから国はディアースを決して手放さない)


 そこまで考えて、数年前のミスラッドはディアースをそういうものだと理解はした。

 けれど納得はできなかった。

 いくら聖女だといっても、彼女も一人の人間だ。

 なのにこんな人間とのやり取りすら分からないように育てられるなんて、そんなの教育の皮を被った虐待でしかない。

 けれど、ミスラッドにはディアースを解放する力はない。

 元々優秀な従者の一族である事を買われて、ミスラッドはディアースについている。

 だから反抗の意思があると見なされれば、すぐにでもミスラッドは任を解かれるだろう。

 裏切らない一族の一人という信頼感が彼女に宛てがわれた理由だ。

 それがなくなれば自分を置いておく理由がないどころか、始末される可能性すらある。

 それに彼女に救われる民の事を考えれば、力があったとしても無策な行動はできなかった。

 だがそれらの事を考えてみても、ミスラッドはディアースを諦めたくない。


「間違っていないよ、聖女の仕事は多数の人を救う事。それは国が保証しているだろ?」

「……あぁ」


 それはディアースが何度も聞かされてきた言葉。

 親から、他者から、国から、目の前のこの男から。

 けれどディアースはそれを信じ切ることが未だできなかった。

 時折、先ほどの二人のように聖女を糾弾するものが現れるから。


「お前がやっている事は正しい、これはお前にしかできない事なんだ」

「……」


 ミスラッドはディアースの腕を引いて腕に閉じ込め、背中を軽く叩いてやる。

 それは熱を帯びた男女の触れ合いというよりも、子供をあやす安心を伝えるような触れ方。

 普段ならこれで大概の事は騙されてくれる。

 だが、今日のディアースはそれでもまだ体を強ばらせている。

 ミスラッドの服を掴んでいるが、まだ安心しきってはいない。

 それが分かるのはディアースが顔にも言葉にも出ない分、態度に出やすいからだ。

 きっと他者には分からない。

 たった数年、されど数年。

 これがミスラッドがディアースから僅かに得られた信頼だから。

 だが、今日はいつもより動揺が大きいのか事態が好転する様子が見られない。

 だから仕方なくミスラッドも切り札を切った。


「それでも心配なら、俺を信じてくれ。他の奴の言う事なんて信じなくていい」


 他の誰でもない、自分を信じてくれと。

 時間にしてみれば数年、だが誰よりも長く献身を捧げている己を信じてくれと。

 そう伝えて、ミスラッドはディアースに答えを促す。

 実質の強要だ、選択肢なんてあったものではない。

 だがそれを聞いたディアースは俯かせていた顔を上げた。


「そう、だな。ミスラッド、お前の言う事なら信じよう」

「あぁ、信じてくれ」


 たどたどしくディアースが伝えると、ミスラッドは笑顔を返した。

 それを見たディアースはようやく表情を緩める。

 それは長年付き添っているミスラッドでなければ見分けがつかないほど些細なもの。

 だが、それを見分けて彼はようやく聖女を腕の中から解放する。

 彼女は感情がない訳じゃない、ただ信じられない程に自分で分かっていないだけだ。

 そして自分すら分かっていないのだから、他人が見たって分かる訳がない。

 けれど注意深く観察して一度分かってしまうと、それは可愛らしくて仕方ないものに変化する。

 こういうところが、ミスラッドがディアースを助けたいと思う理由だ。

 分かりにくくはあるが、献身に対して信頼を返してくれる。

 理解不足の心に向き合って、何とかしようと学び続ける。

 いじらしい、他者に対しての小さな愛情。

 けれどそれをディアースが完全に理解してしまえば、きっと彼女はこの仕事に耐えられなくなってしまうだろう。

 ミスラッドだってディアースが憎い訳ではない。

 できる限り苦しめたくはないのだ。

 だから従者は今日も聖女を騙して黙らせる。


「じゃあもう帰って飯にしよう、今日はお前の好きなローストビーフを作ってやるよ」


 話題が掘り下げられる前にミスラッドが言うと、ディアースは僅かに目を見開いて彼に言葉を返した。


「私はローストビーフが好きなのか?」


 それは人間として生きてきた年月を持つ者として、あまりに幼稚な質問だ。

 だがディアースにはからかいの色も何もない。

 あるのは純粋な疑問だけだ。

 だからミスラッドもからかいもせず、真面目に答える。


「食べる量が普段より多いし、表情が緩むからそうだと思うぞ」

「そうか、知らなかったな」


 そういうと、ディアースは瞼を少し降ろした。

 眠くなっているようにも見えるが、これは彼女が何かを学んだ際の癖だ。

 もしかしたら外の情報を少しでも閉ざす事で、頭によりはっきりと刻み込もうとしているのかもしれない。

 だからミスラッドはその真っ赤な後頭部を混ぜ返して邪魔をした。


「うわっ」

「知らなくてもいいんだよ、お前は」


 国の為、従者の為、聖女の為。

 どうかディアースにはまだ勉強不足のままでいて欲しい。

 そうミスラッドは願うが、恐らくそれが叶わない事も分かっている。

 結局、利用する限りはずっと閉じ込めておく事などできないのだ。

 彼女は邪悪にすら見えるが、そうではない。

 ただただ、物事を知らないだけ。

 幼少期こそ勉学の為と閉じ込められていたが、これからはそうもいかないだろう。

 聖女は血を継ぐ為に今回の様に結婚しなければならないし、場合によっては人前で奇跡を起こす必要も出てくるだろう。

 それに何より、聖女自身にやる気がある。


「いや、私は勉強するぞ。色々足りないのは分かっているからな」


「そうかい」


 だからせめて、今は彼女の邪魔をする。

 どうか勉強不足に、そのままに。

 そしていつか彼女が本当に幸せになるべき勉強をできるように願っている。


お読みいただきありがとうございました。

評価や感想など、いただけましたら幸いです。


---

以下、おまけのざっくりした説明。


ディアース

dearth(不足)がそのまま名前になった。

聖女らしからぬ血に濡れたような赤い目と長い髪を持つ。

聖女として人を救うため熱心。だが、そのために人体実験なども行う。

人とは倫理観がずれていることをなんとなく理解している。

だが周りの環境がそれを許さないため、今日もずれたまま。

けれどなんとかしたいので人の心を勉強中。


アフェアル

affair(浮気性)を崩したものが名前になった。

顔が良く地位もあるものの、色恋ごとが大好き。

今回はそれに大きく足を救われた。


ウィンピィ

wimp(臆病)を崩したものが名前になった。

終始おどおどしていて、最初以外はほとんど喋れなかった。

アフェアルに恋はしていたが、悪いことをしてた自覚もある。

だが、爵位持ちに逆らえずに関係を引き延ばしてしまった。

本編の内容より、どちらかというと設定に関わっている名前。


ミスラッド

mislead(騙す)を崩したものが名前になった。

非人道的な扱いを受けている聖女を救いたい。

だが力が及ばないため、宙ぶらりんになっている。

国の傷ついた民を放置はできないけど、彼女は救いたい。

そのために力をつけて動きたいけど、国に反逆の意図を知られたくない。

何より聖女が今やっている事を理解して、傷つかないようにしたい。

そうこうしているうちに聖女を騙すような口振りになってしまった人。


【追記】

『人でなし聖女は人の心を勉強中』の続きというかおまけを書きました。

(それにともない、タイトルに【前編・後編】とつけました)

もし続きを読んでいただける場合、作品の「小説情報」からをぜひお読みください。

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