その2
その2です。その1からお読みくださいませ。
短編小説 20XX年 はばぱ行党パッパラパー (5回連続) その2
当然のことながら、総選挙三度目も当選。そして、コロナ禍に見舞われた。与党は、自分番号カードを持っていれば、さらには、銀行口座と紐付けすれば、給付金や支援金がたやすく、素早く受け取れると雑務省と金蔵省を初め、政府一丸となって水面下で広めた。自分番号カードの取得率が上がった。10万円という飴を、ただで配るわけがない。金融口座番号情報は最初は振り込み後破棄すると建前では言い(廃棄したと言いながら、ちゃんと隠し持つのには慣れたもの)、次には最初は一つでも登録紐付けと言い、少しずつ法律を手直しして、気付いたら全口座紐付けしましたなんてのはお茶の子さいさい、慣れた道。与党が圧倒的多数をを占める議会で、まずは法制化した。全ての野党が結集できたとしても過半数には遠く及ばず、しかも小党乱立、足並みも乱れていたから、与党にとっては赤子の手をひねるように容易いものだった。他国が都市封鎖をして、それでも感染者数、死者数共に増えていく中、奇跡の神国日本は、カミカゼがウイルスを拡散し、感染者数、死者数共に少なく、コロナの第二波第三波で状況ははそれなりに厳しくなったが、与党は、大して策を立てずとも、ただただあちこちに金をばらまいててさえいれば、民からの苦情は大して出なかった。民の苦情が少なければ、メディアも騒がない。銀行口座や健康保険証と紐付けされて便利になった反面個人情報の集中管理や流出が不安視されたものの、元高官が二人を轢き殺しても逮捕すらされなかったことや、被告人に海外逃亡されたことも忘れられ、検察トップが賭博罪を適用されず数千万円の退職金を受け取ったことや元法務大臣夫婦が逮捕されたこと同様、コロナ禍下で鬱々身近な問題山積の上に次々と衝撃的なスキャンダルに目を奪われ、紐付けの諸問題は直に忘れ去られ、与党は安泰、私にもそろそろ良い席が回ってくると思っていた。
残念ながら日本製、国産ではなかったが、幸いにも他国で開発され有効性が確認され、時限的に特許取得を停止して、コロナに有効なワクチンや、対症療法ではなくコロナを完治できる薬剤が各国に広められたため、製造能力のある日本では、三年もあれば全員にワクチンが行き渡ると思われた。相変わらず感染者は出続けたが、死者数も減り、それでもコロナとの共生生活に慣れた民は、テレワークが増え、電車の混雑度は減り、街中の空気が清浄になり、こどもが公園で遊べるようになり、少なくとも日本に限って言えば、健全な社会生活が取り戻せた、と与党の一員として自負していた。
次の総選挙。もちろん、当選。四期目ともなれば、中堅。議員生活にも慣れ、与党の位置も、与党の中での位置も、安泰。奢っていたと言われるかもしれない、今から思い返せば。
コロナ禍が一段落したその総選挙で、新しい政党ができていた。総選挙の度に新しい政党ができたり、初回、あるいは二回目三回目には誰も当選しなくなる泡沫政党、消えていく政党は、私が政治家になる前から、いやという程見てきている。だから、その時にも、一人二人当選したからと言って、大したことはないと、たかを括っていたのは、私だけではない。コロナ禍を乗り切った与党中堅としては、当たり前の感覚だった。
その時の総選挙で初めて成立し、初回から三人も通ったのは、はぱば行党だった。選挙期間中、表立っては誰も言わなかったものの、仲間内では私は口を開いていたし、オフレコではメディア系の人種や、さらにはSNSなどでは、それなりにいろいろ、どころか悪口雑言が渦巻いて爆発寸前、「派遣のは、バイトのば、パートのぱ」 はまだ党名の誕生に因んではいたが、「恥のは、馬鹿のば、パッパラパーのぱ」とか、「破廉恥のは、売女のば、パチンコ狂いのぱ〜」とまで言われたあの衆愚政党が、三人も当選させるなんて。今から思えば、あの時に与党の誰も気づかなかったことが、今の私の状況につながっているのかもしれない。SNSの悪口雑言が減り、メディアも戸惑いながら冷静なコメントをし始め、私の周囲は、なんとも言えず、の表情をするようになった。
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