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あの月が満ちるまでに 第5話

「テロメアって聞いたことあるだろ?」


「いえ。」


稲葉は素直にそう言った。


「その存在が一般に知られるようになったのはつい最近だけど、

医学界で確認されたのはマユカが生まれて2年目だった。

その頃はまだ罪の意識を感じながらも研究室に残って彼女の健康管理を続けてた。

彼女はとても健康体でね。その面では安心していたんだ。

でも、そのテロメアの存在を知って愕然とした。」


「何なんですか?それは。」


「ひとことで言えば人間の寿命を決めてしまうDNAなんだ。

正常な細胞が分裂する際、その染色体の末端にあるテロメラーゼが短くなって細胞が老化し

やがて分裂できなくなる。それが細胞の・・・つまりは人の寿命と言ってもいい。

つまりテロメアのせいで細胞は分裂出来る回数を決められているんだ。

20歳の人よりも50歳の人の方が残された時間が少ないのは当然ということになる。

そして・・・あの患者の女性は当時すでに38歳だった。」


「つまり、その細胞をスタートとして生まれたマユカちゃんの細胞はすでに

38歳だったってことですか?」


「外見的には分からなくても・・・・そういうことなんだ。」


「知ってるんですか?本人は、その事を。」


「・・・・うん。知ってしまった。」


「・・・・。」


「こんな罪、許せると思うか?」


「・・・その時、やめたんですね。大学院を。そしてここに来た。」


「何かやっていないと気が変になりそうだった。逃げたんだと思う。」


「でもあなたはいつも何か調べてる。医学書の蔵書だって半端じゃないでしょ?

逃げてなんかないんでしょ?あの子を救おうとしてきたんでしょ?ずっと。」


「・・・医学者の友人の力を借りて随分探ってみた。医学は随分進歩してね、

テロメラーゼを延ばす研究も進められている。

でも38年の月日を、俺にはどうすることもできない。

どんなに責められても、俺には償うことができないんだ。」


宇佐美はまたボンヤリと窓の外を見つめた。


「今でも3カ月ごとに彼女の体調のチェックをしているけど

会うたびに言うんだ。私、大きくなったでしょ?って。

自分の命がどこまで届くかわからないんだ。こんな怖い事ないだろ?

だけど、あの子はそう言うんだ。」


そして辛そうな目をする。


「でも・・・でもそれは・・」


「あの子が年を重ねるのが怖い。いつまでも小さなままでいてくれたらと思う。」


「なんで怖がってばかりいるの?責めるとか、償うとか、何か違うな。」


「どうして?」


「あの子はそんなこと言いに来たんじゃないような気がするんです。」


「・・・。」


宇佐美が少し不思議そうな表情で稲葉を見つめた。


「大きくなったでしょ?っていうのは、あなたへの当てつけだと思ってますか?」


「違うのかな。」


「大人っぽく見せようとしてるのは貴方を苦しめるためじゃないような気がするんです。」


「・・・・・。」



「あら、シロちゃんは女の子の気持ちがわかるのかな?」


いきなり響いた李々子の声にハッとする二人。


「私が入ってきても気付かないなんて不用心ね。秘密が漏れちゃうわよ。」


ほんの少し冷たく笑って李々子は自分のデスクにバッグをポンと置いた。


「李々子さん。」


「バカな子よね。自分から秘密をばらしちゃうなんて。

自分よりも諒が傷つくのがわからないのかしら。」


今日の李々子はいつもと何か違う。稲葉はそう思った。


「諒が怒らないからつけ上がるのよ。」


いつもはこんなトゲのある言い方しない。


「いいよ、李々子。」


「良くないもん。ずっとこんな調子でしょ?」


“何を焦っているのだろう。李々子さんは”

稲葉は李々子をじっと見つめた。


「もうすぐなんでしょ?あの親子がカナダに行くの。

それを言いに来てたんでしょ?あの二人は。」


稲葉にはもちろん初耳だ。


「そうだね。」

静かに言う宇佐美。


「もう充分苦しんだじゃない。」


「・・・。」


「夢もあきらめて、こんな事務所引き継いでくれて、

その傍らでずっとあの親子に心を痛めて、苦しんで。」


李々子は少し赤い目で宇佐美を見つめた。


「ついていく気じゃないわよね?二人に。違うよね?

あなたはもう、何もできないって言ったじゃない。

もう、離れたっていいじゃない。もう充分よ!」




・・・・ここを閉めるって言ったら、李々子怒るかな。・・・・



稲葉は宇佐美の言葉を思い出した。


“李々子さんはもう何かを感じ取っていたんだ。そしてそれを言えずに苦しんでいた。”


稲葉は涙を浮かべて少女のように声を振るわせている李々子に胸が痛くなった。

誰もが苦しんでいる。答えの見つからない、目に見えない呪縛に。


「あの子の体の事が心配なら現地の医療機関に手を回せばいいじゃない。

あの二人だって、来て欲しいなんて言ってないでしょ。」


「だけど、責任がある。」


「ここには責任はないの?ここはただ、あなたの逃げ場だったの?」


「李々子、違うよ。」


「あんな子、いなきゃよかった。」


「・・・。」


「あの子さえ生まれてこなかったら誰も苦しまずにすんだのに!」


「李々子!」


宇佐美が声を荒げた。

今まで聞いたことのない、怒りと悲しみの混ざった宇佐美の声。

李々子は強く正面から宇佐美を睨みつけた。


「大嫌い!」


そう言い捨てると李々子はぶつかるようにドアを開け、

まるでそこから逃げるように部屋を飛び出して行った。




再び残された二人の男はただじっとドアを見つめて立っていた。

追いかけて行ったところで、何も出来ないことは分かっていた。



「みんな、傷ついてる。」


ぽつりと稲葉が言った。


「あなたのせいですよ。宇佐美さん。」


ドアを見つめたままそう続ける稲葉を、宇佐美はゆっくり振り返った。


「うん・・・分かってる。」


「分かってないですよ。」


「・・え?」


稲葉は宇佐美を振り返った。


「あなたの罪は13年前じゃない。今ですよ。

昔の過ちに捕らわれすぎて大切な人たちの気持ちに気付いていない、今現在です。」


「稲葉・・・。」


「マユカちゃん、あと数日で誕生日だって言ってたけど、次の満月、つまり明日じゃないんですか?」


「うん・・・明日だ。」


「やっぱり。そうだと思った。」


「?」


「かぐや姫はね、残酷な女じゃない。

月へ帰る事は決めていたけど、やっぱり愛を確かめたかったんですよ。」


「かぐやひめ?」


宇佐美はきょとんとした表情を稲葉に向けた。


「あの子はあなたを困らせるためにあんな課題を出したんじゃない。

さっきの話に戻るけど、大きくなったでしょ、っていうのは宇佐美さんに安心して欲しかったんだと思う。

早く大きくなって、大人になって、そして人並みの時間を謳歌したい。できるんだ。

きれいになって、恋だってして。なんだってできる、普通の女の子なんだ、って。」


「稲葉はなんでも前向きだな。」


「茶化さないでくださいよ!

僕だって伊達に中高生を毎日相手にしてきた訳じゃないんですから。」


「ごめん、そんなつもりじゃないんだ。」


「・・・で?」


「で?」


「ここまで言っても分からないんですか?彼女のほしいモノ。」


「マユカの欲しいもの・・・・・誕生日プレゼント・・」


「そう、一番あたりまえすぎて気がつかなかったプレゼント。

たぶん、あなたは一度も彼女にあげたことがないんじゃないですか?」


「・・・・・。」


宇佐美はゆっくりと稲葉の目を見た。


「そう。それですよ、きっとね。 明日はきれいな満月の夜になりますよ。」


稲葉はそう言ってまたニコリと笑った。




           (つづく)

次回、最終話になります。

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