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rabbit.com 第1話

市街地より少し高台に佇む白亜の建物。

例年より早く梅雨が明け、澄んだ空気の中で少し高慢知己なその白が、ひときわ眩しい。

3時限目の終業のベルが、まだ新しいその女子校の校舎に響き渡った。

女の子特有の甘ったるい香りのする教室は、休み時間ともなると途端に賑やかになる。


高見カオルは一週間前に赴任してきた新しい生物の教師がテキストをまとめて教室を出ていく様子を眺めていた。

なぜか自然と目が行ってしまう。

きっと手でなでつけただけだと思えるくせっ毛の髪、愛嬌のある二重の目。特に二枚目というわけでもないが、一つ一つの動き、身のこなしがしなやかだ。スラリと背が高く、うまくスーツを着こなしている。外見に気を使うタイプではなさそうなのに、何となく生まれつきのセンスの良さが感じられる。

さらに女生徒の気持ちを引きつける脱線トークは抜群だった。飄々としてつかみ所はないが、何故か気になる。


じっと見ていると視線に気づいたのか目が合った。

ニッと笑いかけてきたのでカオルは慌ててわざとらしくプイと顔をそむける。

別に気にする様子もなく、ほんの少し笑うと彼は教室を出ていった。


後ろからポンと肩を叩かれ振り向くと、クラスメイトの香奈が上機嫌で話しかけてきた。

「ねえカオル、新しい先生何となくイイ感じよね。えーと、宇佐美先生。授業もすごく面白いじゃん。脱線すると元に戻らないとこなんか好きだなあ。モンシロチョウの恋の話でほとんど一時間使っちゃったよ、あのセンセ。それにさあ、笑うとちょっと可愛くない?」

「そう? でももう30過ぎじゃん。おじさんよ。時々無精ヒゲ生やしてるし髪だっていつも寝癖だし、変わり者っぽい」

「そうかなあ。……まあカオルは前の生物の清田先生がお気に入りだったんだもんね。仕方ないか」

「お気に入りとか、そんなんじゃないよ」

「清田先生……なんで死んじゃったんだろうね」

香奈が大きな声で言ってしまったので、周りの生徒が一瞬シンとした。


宇佐美の前任の生物教師、清田が自宅で一人亡くなっていたのは一ヶ月前。病死だと発表されていたが、服毒自殺だという噂は知れ渡っていた。校内の捜査は生徒への影響もあるので教師への聴取くらいに留まっていたが。


カオルはどうしても信じられなかった。口数は少ないけれど、熱心で優しかったあの先生が。

清田の不審死が知れ渡ったときは学校中がどよめき、ショックなのか好奇心なのか暫くさざなみのように生徒も教師も落ち着きを無くしていたが、それも次第に静まっていった。ただ、それぞれがしっくり来ないしこりを残しているように、カオルは感じていた。


「まあ、ちょっと暗いとこあったからね。なんか思い詰めてたりしたんじゃない?」

「やめてよ香奈」

「私は申し訳ないけどやっぱり歴史の稲葉先生がいいな~。本当に綺麗な顔してるよね。ちょっと子供っぽいところもあるけどさ、それもなんだか可愛くて魅力! スカウトとかされなかったのかな。もうねえ、あの顔見てるだけで歴史の時間は幸せなのよ~わたし」

「ぜんぜん授業聞いてないでしょ、香奈」

カオルは脳天気な友人に笑いながら溜息をついた。


四時限目の始業ベルが鳴る。

女生徒達はつかの間の休息を終え、席に戻っていった。


                ◇


まだ新しい校舎の隅々を眺めながら職員室に戻ってきた宇佐美を見つけ、前園洋子が話しかけてきた。色白で黒目がちのクリッとした目が可愛らしい若い校医だ。

「宇佐美先生、少しは慣れました? 女の子ばかりの教室ってけっこう怖いでしょ?」

宇佐美はネクタイを緩めながらにこっと笑った。

「そんなこと無いですよ。女の子はみんな可愛いです。30人がじっと私を見てるわけですよ。そしたらね、次はどんなオチで笑わしてやろうと思うんです。滑るのは教師として命取りですからね。ちょっとしたスリルですよ」

「先生?・・・・ちゃんと授業されてますよね?」

前園はあきれたように小さく肩をすくめる。


けれども宇佐美をみつめる前園の視線はあくまでも穏やかだった。

「でも私、感謝してるんですよ。清田先生が亡くなってからというもの、生徒たちはやっぱりどこか沈んでいたり落ち着かなかったり。仕方ない事なんだけど学校中が重い空気で満たされていて……。だけど宇佐美先生が来られてから、生徒たちにまた以前のような覇気と笑顔が戻った気がして。清田先生の事はもちろんお気の毒だったけど、私は……」


「あれ? お二人で、何話してるんですか? 僕も次、授業無いんで話しに混ぜてくださいよ」

前園が慌てたように振り向く。

「稲葉先生」

一見ホストと見間違いそうなほど濃紺のスーツがよく似合うその若い教師は、爽やかな笑顔で二人に近づいてきた。

「ごめんなさい、稲葉先生。わたし保健室に戻らないといけないので」

そう言うと前園は申し訳なさそうに二人に軽く頭を下げ、職員室を出て行ってしまった。


「あ……すみませんね、宇佐美先生。おじゃまだったかな?」

ちらりと意味ありげな視線で稲葉は宇佐美を見た。

「そんなことないですよ。それにしても……前園先生って綺麗な人ですよね」

「そうでしょ? そうなんですよね。あ、でもダメですよ、宇佐美先生」

「え? ダメって?」

「前園先生はこの学校のマドンナですから。うっかり近づくと、ここの独身男性教師みんなを敵に回しちゃいますよ」

「そうなんですか? それは気をつけなきゃ」

「なんてね。それはまあ、冗談なんですが」

「ですが……?」

「いえ。ただあまり清田先生の話題に触れるのは、どうかな、なんて思ったもので。いや、いいんです。気にしないでください」

「清田先生の話題を振ってきたのは前園先生なんですが」

「いや、いいんです。忘れてください」


ワザとなのか取り繕った結果なのか、少しばかり不自然な笑いを残したまま、稲葉は再び職員室を出て行った。

見送った後宇佐美はゆっくりと自分のデスクに戻り、教頭に手渡されていた職員の名簿をめくる。

稲葉幸一28歳。歴史科非常勤講師。

しばらくじっと名簿を見つめていた宇佐美だったが、すぐに興味を失くしたようにそれを閉じ、ひとつ欠伸をした。


                     ◇


学校のあるニュータウンから少し離れたオフィス街。

夜の街の灯りを映し込んだガラス張りのオフィスビルの一室で、女は誰かを待つように窓辺でタバコを吸っていた。

長い髪は緩く束ねられ、胸の開いた大胆なチュニックの左肩に流されている。

白く細い首は苛立つように時折壁の時計へ向けられる。さらにもう一つ白いため息。

何本目かのタバコを灰皿に押しつけたその時、背後でドアを開ける音とともに一人の男が女の待つ部屋に入ってきた。


「あ、お帰り! 遅かったじゃない」

女は主人を待っていた飼い犬のように男に駆け寄った。

「疲れたー」

いきなりソファに倒れ込んだ長身の男に近づいて、女は真上から嬉しそうにのぞき込む。

女の甘いコロンがフワリと香った。


「一日中若い女の子たちに囲まれてご機嫌なんでしょ?」

そう言って女は男の髪をやさしく撫でる。

「バカ言うな。仕事だよ、仕事」

「そうね、仕事だもんね。聞きあきるぐらい何度も聞いたけど。でも活き活きしてるのがバレバレよ」女の手が男の頬にかかる。

「ねぇ、宇佐美せんせい」


クスクス笑う女の手を鬱陶しそうに払いのけて宇佐美は体を起こした。

「ああ~~~! もう!。べたべたするのやめろって言ってるだろ、李々子。いい加減クビにするぞ」

「またぁ、つまんない事言って。いいじゃない触るくらい。減るもんじゃなし」

「減る! ぞわぞわする! 絶対お前には何か吸い取られてる気がする!」

ふふふと笑いながら一旦宇佐美から体を離すと李々子は、何かファイルの様な物を取り出してパラパラとめくった。

椅子に座り、形のいい足を組んだあと宇佐美をねっとりと見つめて言った。


「さ、じゃあ本題に戻るわね、諒。今日はどこまで調べてきたの? まさか先生だけやって帰ってきたわけじゃないんでしょう?」


……やばい。

形勢逆転だ。宇佐美はちょっと焦った表情を浮かべて、曖昧に笑って見せた。



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