幼馴染は約束された勝利のフラグなのか否か
幼馴染同士の切ない恋愛を書こうとしたら何故かこうなった。
※一部幼馴染ヒロインをディスる描写がありますので嫌いな人はご注意ください
『恋のトリコロール』――床屋の息子である蒼太を主人公に、近所に引っ越して来た美容室の娘の朱菜と蒼太の幼馴染の真白の二人をダブルヒロインに据えた、30年前のセンスのタイトルとは裏腹に16巻の時点で累計1000万部を達成した人気ラブコメだ――
そんな『恋トリ』の最終17巻が昨日発売された。16巻の終わりでも主人公がどちらとくっつくのかがわからない――連載誌で読んでいる人は当然知っているけど――という展開で、俺を含め単行本派の読者の多くが最終巻を楽しみにしていた。
「ハールー。17巻ちょうだい」
幼馴染の中村鈴乃が、俺のベッドに寝転がりながら催促の手を伸ばしている。
「はいよ」
「ん。ありがと」
昨日読んで机の上に置きっ放しだったそれを手渡してやると、鈴乃は簡単に礼を言いはしたが早々に読書モードに入っていった。鈴乃は『恋トリ』が読みたくて、発売日ごとに俺の部屋を訪ねていた。もちろんそれ以外で来ることもあるけど。
高校では下ろしたままの黒く長い髪を左側でまとめている姿も、制服のスカートのまま足をぱたぱたとさせる子どもっぽい仕草も、普段の楚々とした鈴乃しか見た事が無い連中は当然知らない。
大好きな鈴乃のこんな姿が見られるのは幼馴染だけの特権だ。
「鈴乃、何か飲む?ウーロン茶か麦茶ならあるけど」
「じゃあ麦茶お願い」
「あいよ」
鈴乃に麦茶を出すため、2階にある俺の部屋から1階の台所に向かう途中で思うのは、やはり鈴乃が今読んでいる『恋トリ』の17巻の内容だ。
結論から言えば主人公は転校生のヒロインとくっついた。幼馴染の真白はボーイミーツガールの踏み台にされた。
現実の幼馴染が大好きなせいか、俺はフィクションでも幼馴染ヒロインが大好きなので、この結末は非常に後味の悪い物だった。ダブルヒロイン制な以上は、負けるヒロインが出るのは仕方なくはあるのだけど。
麦茶の入ったピッチャーとグラスをトレイに乗せて部屋に戻ると、鈴乃は足をぱたぱたさせるのを止め、読書に集中していた。
俺は静かにトレイをテーブルの上に置き、鈴乃が読み終わるのを待つ事にした。
読み終わった時、鈴乃は何を思うだろう。俺と同じように幼馴染の負けに憤ってくれるだろうか。
◇
「あーやっぱりましろん負けたかー」
軽っ。伸びをしながら起き上がった鈴乃の感想は、俺のそれとはまるで違う。
「やっぱりって?」
最終巻までどちらが勝つか分からないのも売りの一つだったはずだ。なのに鈴乃はわかっていだのだろうか。
「んー。根拠があった訳じゃないけどさ、ましろん負けるだろうなとは思ってたよ」
「どうしてだよ」
17巻を差し出す鈴乃から受け取り、本棚の16巻の隣にしまって聞き返す。
「だってさ。じゃあ聞くけどましろんの一番の魅力って何?」
そんなモノは決まってる!
「幼馴染」
「結局一番はそれでしょ?他には」
「幼馴染の何が悪いって言うんだよ」
いやマジで。
「他にも優しかったり健気だったり、可愛いだろ」
「それはそうだけどさ。逆に言えばさ、幼馴染の部分が無いましろんてアキナに勝てるの?」
「それは幼馴染ヒロインの全否定だろ」
いくら大好きな鈴乃相手でも、俺にだって譲れないモノはある。
「幼馴染ってだけに頼ったヒロインならそうだね」
「いや幼馴染は最高だろ」
「そう?一緒にいた時間なんてさ、これから恋人になったって積み重ねられるでしょ」
「ぐ……子どもの時から抱え続けた純粋な想いがだな」
「ずっと好きだったならさっさと告白しとけばいいのに。関係が壊れるのが嫌とか言ってさ、結局好きな人取られてたんじゃ意味なくない?」
なんでこの子さっきから俺の急所ばっか抉るの?
「しょうがないだろ!?大好きな幼馴染とずっと一緒にいたらさ、これから先もずっと一緒にいるって思っちゃうだろ。ずっと好きで頑張ってたらいつか振り向いてもらえるって、そう、思っちゃうもんなんだよ」
「ふーん。取りあえず麦茶飲もうよ」
俺が必死にまくし立てている間に、鈴乃はベッドを降りて俺の横まで来ていて、少し汗をかいたピッチャーを傾けて麦茶を注いでくれた。
「ありがとう鈴乃」
「どーいたしまして、ハル」
代わりに鈴乃のグラスに注ごうとすると、鈴乃は「自分でやるから先に飲んで」と優しく微笑んだ。
実際大分喉が渇いていたので、先に一口いただく事にした。鈴乃が注いでくれたからか、喉が渇いていたからなのか、普段よりも美味く感じた。
「それで、ハルが考える幼馴染の魅力って、じゃあどんなのがあるの?」
麦茶を一口飲んだ鈴乃が、俺をまっすぐ見て先程の続きを促してきた。いいさ、いくらでも語ってやるよ。幼馴染の魅力をな。
「いいか、まずはやっぱり一緒に過ごした時間だ。さっき鈴乃は後からでも積み上げられるって言ったけどそれは違う。これからの事は確かにそうだけど、これまでの事は絶対に、後から出会った奴じゃどうしようもないんだ」
鈴乃は真剣な目で俺の話を聞いてくれている。俺は麦茶をもう一口飲んで幼馴染の魅力を大好きな幼馴染に伝える。まだだ、幼馴染の魅力はこんなものじゃない。
「更に言えば子どもの頃からずっと一緒ってのが大きい。成長の過程でずっと一緒なんだから大好きな相手からいくらでも影響を受ける。俺の中に鈴乃がいるみたいに、真白の中には蒼太がいるんだよ。ずっと一緒にいる為に頑張るんだよ――」
「ふふっ」
気が付くと鈴乃が笑っている。少し悪戯っぽい笑みだが、喜んで笑っているのがわかる。こういった事に気付くのも幼馴染の魅力だぞ。
「どうした?ようやく幼馴染の魅力がわかったか?いいだろ、幼馴染は」
「ハル、自分が何言ったかわかる?」
「幼馴染の魅力を――」
言いかけた俺の唇の前に、鈴乃の人差し指が置かれる。触れてしまいそうな距離に心臓が高鳴る俺を余所に、鈴乃はスマホを掲げて――
『大好きな相手からいくらでも影響を受ける。俺の中に鈴乃がいるみたいに――』
流れてきたのは俺の声。自分で認識してる声とはちょっと違うよね。
『俺の中に鈴乃がいるみたいに――』
ちょっと違うよね、普段意識してる自分の声とは。やっぱり俺の声じゃないんじゃないかなあ。
鈴乃は堪えきれないといった様子でニヤニヤしている。
「何かいう事は?」
「……好きです。ずっと前から」
「うん。知ってた」
そう言った鈴乃の満面の笑みが眩しい。え?知ってた?
「しってた……?」
「うん。ハルが私の事を好きな事、ずっと前から知ってたよ。幼馴染だもん」
幼馴染の魅力を熱弁していた以上、そう言われては納得するしかない。
「でもハルは知らなかったよね。幼馴染なのに」
少し拗ねたように鈴乃が言うが、鈴乃の事で知らない事なんてスリーサイズくらいだ。
「私がハルの事好きだって事、知らなかったでしょ?」
「え?え、え?えぇぇ」
鈴乃が俺の事を好き?
「それってズルいよね?」
「ズルくなくない!?言えよ!」
「自分は言えなかったクセに私には言わせるんだ?」
「う」
下からのぞき込むように俺を見上げる鈴乃に、何も言えなくなってしまう。
「それで、ハルはどうしたいの?好きだって言って終わり?」
紅潮した頬の鈴乃からの挑発するような視線を受け、思わず俺は視線を逸らした。
「言わなくてもわかるだろ。幼馴染なんだから」
「言わなくてもわかる事でも敢えて言って貰いたいの。そういうのも幼馴染の良さでしょ?」
鈴乃と両想いだという事がわかっただけで、正直言って燃え尽きるレベルで満足している。それでもどうしたいかと言われれば、したい事はたくさんある。
だけど今伝えたいことは――
「鈴乃、ずっと好きだった。ずっと一緒にいて欲しい」
「え、いきなりプロポーズ?」
一世一代の告白だぞ?俺だって拗ねるぞ。
「ごめんね」
くすりと笑う声と共に発されたその言葉は、先程よりも近くから聞こえ、体に鈴乃の重みと、唇に柔らかな感触を感じた。
「大好きだよ、ハル。ずっと一緒にいてね」
何でも知っていると思っていた幼馴染の、俺の知らない最高に可愛い顔がすぐそばにある。
やっぱり俺の幼馴染は最高だ。