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97.Hero

 泥は絶え間なく侵攻を続ける。だが、俺達兵士は何もできない。銃弾も爆撃も斬撃も、泥に対して無力だ。俺の寄生植物パラサイトプラントで囲んでみようかとも考えたが、直ぐに無駄だと悟った。あまりにも範囲が広すぎるし、囲い込んだところでそのうち溢れ出てくる。


「俺が監視を続けます。皆さんは一度退避して本部で作戦を練って下さい」

「しかし……」

「動きがあればお知らせします」


 俺の提案を兵士達は受け入れ、一人、また一人と去った。

 すると、セシリアが俺の肩に手を置いた。


「どうした?」

「葉鳥、無茶しようと思ってない?」


 北の英雄達とパーカー、マッチョナース隊長とアーサー隊長もセシリアの後ろで俺を見ていた。俺は半笑いで首を横に振った。


「あれを見てくれよ。流石に、どうしようもないだろう?」


 疑わしい瞳を向けられる。しばらくしてセシリアは「なら、いいわ」と歩き出した。

 ああ、本当にどうしようもない。あれは、戦うとか、そういう問題ではない。災害のようなものだ。人間の力でどうにかできるとは思えない。俺より遥かに賢い人たちが話し合い、対処法を決めるべきだ。俺はそれに従う。それだけだ。

 最後の戦いに生き延びた兵士達は全員ショットタウンに向かった。そこには本作戦の司令部が置かれており、人間側の神もいる。各街の司令官や科学者、そして俺の付き添いとしてしろもいる。俺は無線越しに会議が開かれるのを待った。

 その間、いろいろと考えた。

 俺は、神と呼ばれるキメラの覚悟を見誤っていた。いや、思えば今まですべてのキメラ達の意思を甘く見積もっていたのかもしれない。彼等もまた、必死だったのだ。

 美しい白い獣は、今や広がり続ける泥の化身と化した。自分の命も顧みず、人間を滅ぼすことに全てを捧げる。だが、神、本当にこれでよかったのか? これがお前の望んだ結末か? 

 しかし、彼を追い詰めたのは俺だ。俺に、それを問う権利はないのかもしれない。ならば、自分自身に問うてみよう。


「これが、俺の望んだ結末か?」


 泥はいまだに範囲を広げ続ける。一定のペースで、ゆっくりと。決して速くはない。ただ、止まらない。解決策を見つけなければ、いずれ、全ての街を飲み込んでしまうだろう。

 時間が経ち、俺が飲み込まれ続ける密林を眺めていると、ようやく会議が始まった。


「あれはなんなんだ?」

「この街からも視認できるとは」


 天まで立ち上る泥の柱。難しい説明はパーカーがこなした。彼の理路整然とした説明ならば、理解できない者はいない筈だ。事情を今しがた知った司令官たちが困惑をあらわにする中、一人の笑い声が聞こえた。なんだ? 気のせいか? 電波の混線か? そんな訳はない。その笑い声は、会議の場に明らかなおかしい空気を作り出していた。


「何がおかしいのですかな? 神」


 グラン総帥の声が聞こえた。笑い声の主は人間側の神だった。神は、笑いを含んだ声で続けた。


「だって、おかしいでしょう。あなた達は、この戦争が終わった後も生き続けるおつもりでしたか?」


 「どういう、意味ですか?」と、セシリアの声だ。


「決まっているでしょう、アパーテさん。この戦争が終われば、私達は死ぬのです。私達はこの戦争の為だけに命を得た駒。戦争が終われば役目は終わる」


 「言っている意味が、理解できないぞ」、これはノーマンの声だ。

 神の笑い声が響いた。甲高い、癇に障る声だった。


「理解できるはずですよノーマンさん。私達は役目を終えた。これは、定めなのです。長い長い余興はお仕舞い。死人はもとの場所に戻る」


 「あんたは、これを知っていたの?」、地声の透明眼ステルスアイの声。

 「知っていて神を殺しに行かせたのか?」、アーサー隊長の声だ。


「ええ、勿論。どのような形で終末が訪れるのか、それは知りませんでした。しかし、パーカーさんの話をお聞きして理解しましたよ。全ては未来の為に。過去は終わる。ようやく未来が始まる」


 「おやおや、正気とは思えませんね」とギャンブラーが呟く。

 「ど、泥を止める手段はないのですか?」とフィリップの慌てる声が聞こえた。


「ありません。止められない、止めてはならないのです」


 再び神の笑い声。すると、グラン総帥の怒声が響いた。「こいつを牢に入れておけ!!」

 扉が勢いよく開く音が聞こえた。神を連行する兵士が来たのか、と考えた。しかし、続いて大きな声が聞こえて、そうではないことが分かった。


「秋也さん! 秋也さんは帰ってきてませんか!?」

「おい、会議中だぞ!」

「す、すみません。でも、秋也さんが……秋也さんが……」


 「大丈夫よ、しろちゃん。葉鳥は任務中。無事よ」と、マッチョナース隊長。

 「しろさん、こっちに来て」と、セシリア。椅子を引く音が聞こえた。

 俺は思わず笑顔を浮かべてしまった。無線を触るガサコソという音が聞こえて、しろが小さな声で無線に話しかけた。


「秋也さん、秋也さん、大丈夫ですか」

「ああ、大丈夫だよ」


 はぁ~という息を吐きだす音が聞こえた。それだけ、心配してくれていたのか。


「ええい! 対処法はある筈だ。全街のどんな兵器を使ってもいい! 泥を食い止めるのだ!」

「無駄ですよ。あの泥に近付けば神の意志により泥が襲ってくることでしょう。どんな者でも飲み込まれる。攻撃も通じない。神の本体は雲よりもさらに上空の柱の先におられる。島は終わる」


 神の声は止まらなかった。


「皆さん、これは自然なことです。私達は死人。生きていることがおかしい。死ぬべきです。私達はその為だけに存在する。静かに、安らかに眠りにつきましょう。抵抗する必要はない。恐れる必要もない。帰るのです。元居たところへ」


 無線から声がしなくなる。重苦しい沈黙が流れる。

 誰も反論できない。きっと、神は正しい。俺達はたまたま蘇り、戦争の為だけに生かされた。全ては未来のため。きっと、人間が生きるということは、そういうことなのかもしれない。未来のための糧となること。それは、俺達が特別なのではない。全ての人生の意味は決まっている。

 なんて、当然、俺が納得する訳がないよな。


「俺達が戦い続けてきたのは」


 俺は無線のマイクに口を近づける。


「死ぬためじゃない」


 会議室に俺の声が届く。間をおいてから、神の声が返ってくる。


「違います。私達は死ぬために蘇ったのです。それが役割なのです」

「未来人の考えなんて、どうだっていい」


 俺は泥の柱を見上げる。


「俺達は俺達の為に戦ってきた。知らない誰かの為じゃない。守りたいものがあるから、戦うんだ」

「無意味です」

「生きる意味は、自分で決めるもんだ」


 ゆっくりと立ち上がる。何故か、笑みが止まらなかった。


「俺は決めた」

「無駄です。神の泥には敵わない!」

「そうかな?」


 ジェットブーツを起動する。


「俺は伝説の英雄。人間の希望だ」


 無線が乱れた。誰かが慌てて近付いてきたのだ。


「秋也さん! 待って!! 行っちゃだめです!!!」

「しろ……」

「駄目です! 戻ってきて!! 最期……最期まで、一緒に……」


 ああ、そうだな。

 君の隣で死ねたら、さぞ幸せだろうな。

 それでも、君が生き続けてくれる方が、もっと幸せなんだ。

 まったく、約束、守れそうにねぇな。

 任務に出る前に、言っておけば良かった。


「しろ、大好きだよ」


 俺は無線を捨てた。

 ジェットブーツ出力100%。

 天へ駆け上がれ!


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