92.Alone
俺が全ての情報を伝えているのはしろだけだ。英雄会議の内容も全て隠さず話した。しろは隊舎の椅子に座って、聞き終わるまで何も言わなかった。
「お紅茶でもいれましょうか」
やっと口を開いた彼女の言葉だ。俺は面食らい、取り合えず頷いた。俺の話はどうなった? どう思った? 感想は? しろに共通感覚は使わない。人の感情を覗き見ることは進んでやるべきではない。だが、この時ばかりはそのこだわりを捨てたい気持ちになった。
しろが入れてくれた紅茶は美味しかった。美味しかったが、今はそれよりも尋ねたいことがある。しろは俺をぼんやりと見ているだけで何も言わない。俺は耐えきれなかった。
「しろ……」
「秋也さん……」
同時に喋り始めてしまった。しろは手を俺に向けて「お先にどうぞ」と示したが、俺は首を横に振った。しろは微笑んで頷いた。
「秋也さん……無事に帰ってきて下さいね」
きっと、それはしろが本当に伝えたかったことではない。敢えて言わなかった言葉があるようだ。だが、彼女はそれを言わないという選択をした。ならば、俺も敢えて聞かない。
「帰ってくるさ。帰ってきたら……」
そう。帰ってきたら、どのような形にしろ戦争は区切りを迎える。その時には、
「しろに言わなくちゃいけないことがある」
しろは少し驚き、それから笑みを見せた。
「なんだろ。気になるな」
「ああ、楽しみに……なるかどうかは分からないが、楽しみにしておいてくれ」
「わかった。待ってます」
最後の戦い、と銘打たれた侵攻作戦は、各街に一人の英雄と少数の兵士を残し、それ以外の兵士と英雄が参加する。この戦争史上最大の戦いとなる。
作戦会議に集められ、人間側の神と軍の上層部が概要を説明した。
「神の居場所は西南の洞窟。洞窟の構造は不明だが、入り口は5つある」
「最深部に神がいます。しかし、そこを守るようにキメラが配置され、アニマルの数も膨大です。一筋縄ではいかないでしょう」
「東西南北の英雄を中心に構成した班で四か所から攻める」
「葉鳥秋也さん。あなただけ単独で動いていただきます」
人間側の神からそう告げられた。
「俺だけですか?」
「はい。神がどのようなキメラなのか不明ですが、最強のキメラと同等の戦闘力を持つと仮定したとき、対処できるのは貴方だけとなる」
「他の隊は葉鳥が神を始末するまでの揺動となる」
反感を持つものがいてもおかしくはなかったが、マッチョナース隊長は「まぁ、妥当ね」と述べ、反対意見も出なかった。俺が思う以上に、俺の株は上がっているらしい。嫌な重荷だ。師匠の気持ちが分かる気がする。だが、感情は抜きにして、俺の目的には好都合だ。
会議が終わり、現場に向かう。当然、道中も俺は一人なわけだ。一人寂しく目的地へ歩く。その時、無線が鳴った。
「こちら葉鳥」
「葉鳥秋也さん、私です」
誰だったかと頭を使い、思い出した。人間側の神の声だ。
「どうされたんですか」
「貴方に伝えなければならないことがあります」
「なぜ無線で……」
「今、この会話は誰にも聞かれてはいません。会議中は貴方の周りに必ず誰かいましたし、二人だけで話すことは難しかった」
確かに、俺の傍には誰かいた。仕方がないだろう。北にも西にも南にも知り合いがいるのだから。それで、なんだというのだ。
「伝えたいこととは?」
「神に戦う力はありません」
それは、知っている。マーダーから聞いていたからだ。神というキメラに戦闘力はない。神は、キメラ達に共通言語を作り、それを広めた。言葉は脳を飛躍させ、キメラ達に人間的な思考を与えた。問題は、
「なぜ、そう思うのです」
「予測ではありません。事実です」
「なぜ……」
待てよ、と自分に言い聞かせる。神に戦闘力がないことを知っているのならば、俺に神を任せるこの作戦自体無意味なものだ。人間であれば、神に辿り着くのは俺でなくてもいいのだから。だから、俺は尋ね方を変えた。
「あなたはなんだ」
「私は神の使者」
どういう意味だ。
「神はあなたに会いたがっている」
「何を言っている」
「私には神の意志が分かるのです。彼の苦しみが分かる。彼を、助けてあげてください」
無線が切れた。なんだというのだ。
最悪のパターンは、彼女が神の部下であれば、基地に残る人々が危険だ、という点だ。しかし、キメラは人の言語を操れない。それが可能だったのは機械人間だけだ。つまり、少なくとも彼女は人間のはずだ。だとすれば、彼女はやはり嘘を吐いておらず、人間側の神であり、それゆえに、同じ立場のキメラ側の神に同情している、という予測が立てられる。
どちらにせよ、俺がとれる選択肢は進むか、引くかだ。ならば、進もう。いつもそうしてきたように、だ。
ジェットブーツの出力を上げ、走った。他の部隊に歩調を合わせる気はない。揺動などそもそも必要ない。敵がどれだけ配置されていようが、問題にはならない。
密林の中で洞窟を見つけ、侵入する。広い洞窟だ。そして、人間側の神が言っていたように、内部には多くの動物がいた。
メタルグリズリーが、イエロースパイダーが、ボアが、アイアンスネークが俺を見つけた瞬間、俺はバーサーカーの鞭を起動した。鞭全体に雷が走る。俺は速度を一切落とさずに、鞭を振るいながら走り続けた。暴風になった気分だ。俺が通り過ぎた道には動物の死骸が散った。
俺は進み続けた。今更、俺の障害となるような事態は起こらなかった。勿論、油断は大敵だ。走り、走り、うねる洞窟を駆けあがったり下がったりして、広い空間に飛び出す。そこで、俺はようやく止まった。大きな気配を感じたからだ。
目の前には巨大なライオンがいた。
「キング、だな」
「そうだ」
俺の共通言語は、リデルの時と同じようにキングに通じた。当時と異なる点は、お互い驚きも戸惑いもなかったところだ。
「俺のことを知っているのか」
「勿論、知っている。君は葉鳥秋也。グレートウォールの英雄で通称は無表情、多くの同胞を葬った仇だ」
そうだろう。そういう評価だろうな。
俺が鞭を構えると、キングは首を振った。
「……戦わないのか」
「神からの指令だ。君を通すように、と」
キングは後ろをさした。そこに、神がいるということか。
「君に手は出さない」
「そうなのか。あんたから感じる敵意は気のせいってことか?」
キングは間をおいて、ふっと笑った。
「隠し切れないか。できるだけ、感じさせないようにしていたのだがな」
「ああ、見事な技術だよ」
透明眼並みの感情と気配の消し方だ。おそらく、戦闘面でもこのキメラは相当強い。三害に匹敵するか、それ以上だろう。俺が戦えば、少なくとも足止めはくらう。
「……でも、戦わないのか」
「勿論だ。神の命令だ」
「あんたほどのキメラが、隠しきれないほどの敵意を持っていて、それでも尚、か」
「そうだ」
揺らがない。一切のぶれがない。成る程、これが神への忠誠心か。
俺はキングの横を歩いた。油断はしないが、攻撃してこないという確信があった。さらに奥に進もうとしたとき、キングが言った。
「後から来る君の仲間とは戦う。死力をとして進ませない。犠牲者も出るだろう。君も分かっているはずだ。それなのに、君は私に手を出さないのか」
「ああ」
「何故だ」
「仲間を信用してるからな」
「嘘を吐くな」
「早いな。酷くないか?」
「そんな曖昧なものを信じているようには見えないぞ。葉鳥秋也」
仲間を信じていない訳ではないが、キングに手を出さない理由は他にある、というのも事実だ。
「言ってほしいか?」
「早くしろ」
「あんたの覚悟が伝わったからだ」
「嘘……ではないようだな」
「ああ、びっくりだろ」
「奇妙な男だな。君は」
俺は走り始めた。
さて、キングの広間から一本道をひたすら走ると、大きな傾斜があった。そこを駆けあがると、再び広い空間に出た。そこには、大小様々な椅子と机があった。酷くバランスの悪い一室だ。
「なんだこれは……」
『奇妙な光景だろう?』
俺が視線を上げると、部屋の奥に続く道から、ゆっくりと生物が姿を現した。
『キメラ達の会議が開かれる場所だ。長年、人間の命運を握る場所だった』
「あんたが、神か?」
『そうだ。葉鳥秋也』
暗闇で姿がはっきり見えない。俺は目を細める。
『私は、君を見てきた。君の勇猛果敢な姿は、敵ながら見事だったよ』
少しずつ目が慣れてくる。
ああ、成る程。これが、神か。
目の赤い白い大きな牡鹿。翼を背中にたたんで、ゆっくりと歩いている。
「神々しいな。神様」
俺の言葉に、神は微笑みを見せた。
『随分と懐かしいだろう?』
懐かしい? 何を言っている。
「どういう意味だ」
『よく褒めてくれただろう』
理解することに時間を要した。
白い鹿なんて見たことはない。人生で初の経験だ。当然、褒めることなんてできない。見たことがないからだ。
そこで、神は言った。
『人生には意味がある、だろ? 葉鳥秋也』
その言葉には聞き覚えがあった。
「まさか、お前……」




