9.Insaide
風上さんに連れられて俺としろは壁の内側に迎え入れられた。
壁の扉は見掛け上ただの壁と違わず、そこに扉があると教えて貰わなければ100年経っても見つけられそうにない。不親切にも程があるだろう。
壁の中には俺達が渇望していた光景が広がっていた。文明の存在だ。石の家が立ち並び、舗装された地面に、畑や人工的な池。そして、年齢や人種を問わず多くの人々が働いていた。
「子供までいるんだな」
農作業を手伝う幼い子供に目が向く。
「驚いたか? 新鮮な反応で嬉しいぞ」
風上さんは豪快に笑った。
「多くの人は言う。街の中は楽園だ、と」
確かに、当然のように白骨が転がる外とは大違いだ。壁を隔てて、次元を飛び越えたような気分。だが、それは決して喜びの感情だけではない。言い知れぬ罪悪感。風上さんはそのことに気が付いているようで、フォローをくれた。
「気に病むことはない。ここに来るまで、君達だって戦場にいたんだ。ここでほっと一息つくのは当然の報酬だ」
鋭い人だ。若く見えるが、多くの修羅場を潜っていることがわかる。
「俺達はこれから……」
「女王のもとに行く。この町に来た挨拶をしにな。そこで住民として登録され、家を与えられる」
女王。そんな話、師匠からは聞いていない。俺はしろに目配せをする。しろは小さく首を振った。
大きな家、いや、城か。大きな城に案内され、俺達は女王様に対面した。おそらく70過ぎの白人。彼女は何人もの警備兵を傍に従えながら、俺達を笑顔で歓迎した。
「素晴らしいわ。新しい家族が増えるのだから。二人とも、グレートウォールにようこそ」
上品、気品のある立ち振る舞い。確かに女王だ。酷く分かりやすい。
温かい歓迎。美しい装飾が立ち並び、綺麗な服が用意された。俺は断ったが、しろは無理矢理連れていかれて、ばっちり化粧を施され、おめかしして帰って来た。こうやって見ると、やっぱり美人だ。兵の何人かが見惚れている気がして、俺は何の関係もないのに得意げになった。
「彼女は喋れないようです」
侍女が女王様に告げる。
「あらまぁ、そうなの。大変だったわね。でも、大丈夫よ。この街には多くの国の、多くの時代の人がいる。きっとあなたと筆談できる家族もいるわ」
先ほどから繰り返される単語、家族。女王は町全体を一つの家族として考えているらしい。胡散臭いと感じるのは、俺がひねくれているからなのか。
俺達はその場で久しぶりのまともな食事をとった。街で育てた野菜や、外で戦士が狩ってきた獣の肉だという。確かに旨い。
「一週間したら、あなた達にこの街でのお仕事を与えるわ。希望もとるけど、その通りに行かない時もある。でも、安心して。それぞれに合ったお仕事を考えるから」
「陛下、葉鳥くんは外でメタルグリズリーを数匹仕留めました。是非とも戦士に」
「あら、そうなの。そうね、候補の一つに入れておくわ」
わははと笑う一同。俺も作り笑いを浮かべよう。
俺としろはそれぞれ別々の部屋を与えられた。しろがどの建物に向かったかは把握できなかった。というのも女王様が、
「あなた達はもしかしてカップル? 違うの。そう、兄妹でもないわよね、そうね、じゃあ、お友達なのね。じゃあ、家は別々にしましょう。その方がだって、ね、健全だわ」
と仰られたからだ。その後、俺達は急かされる様に別々の建物へ案内されたから、別れも、感謝も伝えることもなくさよならした。
部屋には生活用具一式が揃っていた。俺はシャワーを浴びてから、ふっかふかの布団に横になった。
恵まれている。恐ろしいほどに。
机にはリストブレイドと、故障したハンドガンが置いてある。この二つが、数か月命を懸けて戦った証拠だ。
街の歓迎や、豪華な食事や、ゆっくりとできる部屋。死ぬ前までは当たり前だった光景、二度目の生を受けてからは欲しかったもの。いや、まともな感性なら欲したであろうもの。
俺は街に辿り着くまでの数か月、満たされた環境を欲しいと願ったことがなかった。だからだろうか。この町の全てに怖気が走る。壁を乗り越えた僅か数メートル先で命を奪われる人々がいるのに、この町の多くはそれを忘れて生きている。
これは、代理戦争だろう。
別に、悪だ善だと論じたいわけじゃない。俺の気分の問題だ。
それから何日か。俺は仕事を与えられるまで暇だったので、街の中をぶらぶらと散歩した。街の人々は働き者で、毎日よく働いていた。自分達の働きが生活レベルに直結する訳だから、当然なのかもしれない。街には通貨がない。働く報酬が生きることなのだ。
散歩しつつ、いろいろ思いをめぐらした。例えば、俺の家族や、同級生のこと。もしかしたら、彼等も蘇ってこの世界に来ているかもしれない。この街で働いているかもしれない。仮にそうでも、相手の死んだ年齢、こちらで過ごした年数を考慮しなくてはならない訳だから、特定の人物を探すことなど不可能に思えた。問題ない。最初から期待していない。あれから数日、しろもどこにいったのかわからない。
ある日、声をかけられた。挨拶はたくさんしたが会話をしたのは久しぶりだった。相手は風上さんだ。私服らしくラフな格好をしている。
「こっちの生活には慣れたか?」
「どうでしょう。まぁ、はい、ゆっくりやらせてもらってます」
自分でも覇気のない声だとわかる。
「気にかかってな。ここ数日、部下に命じて君のことを見張らせていた」
何だって? 気づきもしなかった。
「俺が何かやらかすような言い方じゃないですか」
俺は笑いながら言った。風上さんの言葉のニュアンスが「俺のことを心配だから見てくれている」という風に読み取った上で喋ったジョークだった。ところが、
「正直に言おう。その通りだ」
と真顔で言われた。いつもの快活さはどこに行ったんだ。
「メタルグリズリーの死骸の傍らに立つ君」
ぼそりと呟く。
「町に入ってからの、住民を見る君の目。女王の前に立った時の表情。俺は君を、優秀な戦士として見る反面、危険因子とも見ていた」
「ちょっと待ってくださいよ。俺は……」
「違う、貶しているんじゃないぞ」
そうなのか? 言葉の意味をどう捉えても、いい方向には考えられない。
「君のような男を待っていたんだよ。葉鳥。俺には君が必要だ」
わからない。さっぱりだ。
「君のような、危うい強さを持った戦士を探し続けてきた。君が兵士になったあかつきにはぜひ、うちに来てくれ」
彼は言いたいことを言えてすっきりしたという表情を見せた後、去って行った。
人をサイコ扱いしたうえに勧誘するとは、変わった人だ。
だが、兵士という職業には興味が惹かれた。具体的に何をどうする仕事なのかは分からないが、少なくとも外には出れる。
この街に過ごしにくさを感じる俺には、丁度いいかもしれない。




