66.Solid
"名前のない怪物"フランケン。彼の手には割れた酒瓶、それもたった今放り捨てられた。ならば、俺も素手で戦おう。人間同士の殺し合いなんて無駄な行為だ。
フランケンは余裕綽々、自信満々といった様子で、両腕を広げて薄ら笑いを浮かべながら近付いてくる。今まで俺が見てきた人間の中で最も背が高く、体格もいい。『名前のない』かどうかはともかく、怪物と呼びたくなる気持ちは十分に分かった。だが、俺達はいつも本物の怪物達と戦っている。今更、臆することはない。
両者の距離が近付き、お互いの手が届く距離に入ると、フランケンは拳を振るった。速く、力強い。だが、当たらなければ無意味だ。俺はフランケンの拳を避け様、彼の顔面を殴った。そこで驚く。異常に硬く、異様に重い。盾を纏っている訳でもないのに、人間とは思えない感触だった。
「はっはぁ。意外とやるじゃねぇか」
フランケンは俺の攻撃を気にもせず再び殴りかかってくる。俺はそれを全て避け、隙ができれば殴り、蹴りを入れた。段々と力を強くし、大型の動物を吹っ飛ばせるであろう威力を発揮しても、奴は平然とし、へらへらと笑い、ダメージも受けていない。耐えかねて、俺は思わず言葉を口にする。
「なんなんだ、あんた」
「俺ぁ生まれつき丈夫でな」
次の奴の行動は共通感覚で予測はできたが理解ができなかったため回避動作が遅れた。フランケンはすーと息を吸うと、思いっきり吐いた。冗談みたいだ。奴の吐いた息は散乱していたごみを軒並み吹っ飛ばし、強い突風となって俺を襲った。俺がそれに耐えている間に、フランケンは俺に接近し、拳を振り上げた。
「ちょっと本気出すぞ。俺みたいな奴ぁ、加減しなきゃいけねぇ」
命の危険を感じた。俺が身体を捻って奴の拳を避けると、そのまま拳は地面にめり込み、街を陥没させた。小さなクレーターが出来上がり、傍に会った家は崩落した。
「あぁ、こいつはちょっとやりすぎたな」
"野人"ノーマンと同等かそれ以上のパワー、機械人間並みの耐久力、"達人"ジェット並みの速度。その上、まだ奴は本気ではない。その時、軍曹から攻撃の意思を感じた。ところが、それは俺を狙ってはいなかった。
デカいライフル、装甲車も貫通できそうな銃の弾は、怪物・フランケンの額に直撃した。ガンッと音がして、フランケンは若干の仰け反りを見せ、「ああ?」と不愉快そうな声を上げた。
「何しやがる、軍曹」
「やりすぎだ、馬鹿め」
「やりすぎだぁ? まだ生きてんだろうが」
大型の銃弾が頭に直撃したにも関わらず、普通にやり取りを続けている。駄目だこいつら。人間とは思えない。
そこで、屋根の上から見物していた執事が下りてきた。
「どうです、"無表情"の葉鳥秋也。諦める気になりましたか?」
「諦める?」
「命をです。君が大人しく死ねばあの班員も悪いようには致しません」
執事が指さした先にはしろが地面にへたり込んでいた。怪物の一撃に驚いて腰を抜かしたらしい。、全く執事とやら、面白いことを言う。
「命を諦めるだと? この程度でか」
「ならば仕方がない」
執事は流れるような動作で何かを取り出し、指に挟んだ。よく見ると、それはナイフやフォークなどの銀食器だ。俺に向かって投げてきた。確かに速い。銃弾並みの速度があるだろう。だが、それがどうしたというのか。俺はそれを全て避けた。
「これだけかよ」
「よく見なさい」
銀食器が通った軌跡は、目を凝らすと鈍く光る糸が走っていた。それは壁に突き刺さった銀食器まで続いている。
「お疲れ様でした」
執事がお辞儀をすると銀食器自体が細かく分かれ、銀の鋭い線になって俺へ襲い掛かってきた。気味が悪い。まるで生きているかのようだ。およそ数百本の糸は一本一本が鋭利で、触れた部分が切り刻まれる。ならば、触れなければいいだけの話だ。
ジェットブーツを起動し、執事までの距離を一瞬で詰める。間の抜けた爺さんの顔がよく見えた。
「お疲れ様でした」
執事の顎に掌打をくらわし、ふらついたところをジェットブーツで蹴っ飛ばす。未だ口論していた軍曹と怪物のところにシュートしてやった。
「なんたじじぃ! 突然抱き着いてきやがって!」
「さっさと立たねぇか……」
南の英雄たちがはしゃいでいる間に、俺は再び距離を詰めた。軍曹の顔面に飛び蹴りを入れ、執事を雑にどかして立ち上がった怪物と向かい合う。奴は笑っていた。
「笑える速度だ。ほとんど見えねぇ」
「俺の得意分野なんでな」
「だろうな。俺の拳をあんだけ避け続けた奴なんて記憶にねぇ。こいつらじゃ敵わねぇだろ」
意識を失って伸びている二人を見下げて、彼はそう吐き捨てた。
「やっぱり、あんたが一番強いのか」
「英雄だなんだと担ぎ上げられても、俺並みの奴はそうはいねぇ。俺ぁ、女と強い奴は好きだ」
なんだか分からないが、認められたらしい。フランケンは軍曹と執事を担ぎ、明後日の方向へ歩き出そうとした。
「ちょっと待ってくれ。俺はあんたらに用があるんだ」
「今夜1時にCandyって店に来い。話ぐれぇは聞いてやる」
振り返りもせずにそう答えると三人はどこかへ消えた。彼が向かった先に軍の基地があるのだろうが、追いかけていく気にはならなかった。
三人が去ってから、しろが心配そうな顔で駆け寄った。
「大丈夫ですか? けがは!?」
「ああ、大丈夫だ。それに、チャンスもできた」
それからひっそりと街で過ごし、Candyという店を探した。扉を開けると、酷い店だった。布の面積が極端に少ない衣装をまとった女性達が怪しげなダンスを舞台で披露する中、不潔の化身のような男達が酒を片手に歓喜の声を上げていた。甘ったるいにおいが不快をより強くする。
適当な席に座り、ウェイターらしき女性の注文の催促も受け流し、時間を待った。約束の時間を過ぎても、見覚えのある顔は現れない。
「ねぇ、秋也さん」
「なんだ?」
「本当にこのお店ですか?」
「そのはずだが……」
一時間経過。変化はない。
「ねぇ、秋也さん」
「なんだ?」
「秋也さんがこのお店に入ってみたかった……訳じゃありませんよね」
しろの表情には不安が混じっていた。俺は昼間の戦闘よりも焦った。「とんでもない」と「有り得ない」を繰り返すと、しろは「冗談です」と言って微笑んだ。
結局、予定時刻から2時間が経ち、ようやく軍曹が現れた。フランケンが来るだろうと予測していたので困惑したが、戸惑っているだけでは話が進まないので取り合えず手を上げて位置を示した。軍曹は俺を見るなり憤怒の形相を見せ、わざと音を立てて席に座った。
「で、なんだ?」
面倒なので、相手の感情や反応は気にせず事情を説明した。グレートウォールの科学者の話と、南に逃げ込んでいるという情報。その捜索の案内役が必要だということと、報酬のこと。軍曹は意外にも早々にそれを承諾した。
最後に、軍曹は言葉を付け加えた。
「報酬の件だが、もう一つ付け加えて欲しいものがある」
「なんでしょう?」
「その科学者を見つけ、拘束もしくは排除した後でいいから……」
てめぇをぶっ殺させてくれ、と頼まれた。いいでしょう、と返してやる。できるなら。
すっかり夜になった。オアシスにも来客用の施設が建てられていたため、俺達はそこに泊まった。しろと二人きりというのは隊舎でもよくある状況だが、他の街でというと話が変わる。汚い部屋だったが、その空間だけは憩いの場だった。頑張って旅行だと思い込もうとした。
いつも通り雑談を交わし終え、ふと沈黙が訪れた時、しろが小さく呟いた。
「秋也さん、どんどん強くなる」
「そうかな」と俺は照れたが、この発言はどうも賞賛の言葉ではなかったらしい。
「やっぱり、今でも風上さん達のことを?」
つまり、復讐を考えているのか、ということを聞かれているらしい。俺は「それだけじゃないよ」と答えたが、しろは腑に落ちない表情だった。
「どうしたんだ?」
「秋也さん、優しいから……」
優しい? そういえば、以前もしろに言われた言葉だった。俺は自分自身のことを優しいなんて微塵も思っていない。だって、そうだろう? 優しい人間が人様の顔面を蹴り飛ばすか? 容赦なく命を刈り取る姿から"無表情"なんてあだ名をつけられるか?
「世間的には……俺自身も含めて、俺のことを優しいなんて思ってるのは、君ぐらいだろ」
笑いながら言葉を投げかけると、しろは寂しそうに笑い、用意されたベッドの上に寝っ転がった。布団をかぶって丸まり、「おやすみ」の挨拶を言い終えた後、ぼそっと聞こえた。
「いつも誰かの為に戦ってる」
長い間眠る必要のない身体になった俺は、その短い夜に、しろの言葉を反芻した。




