62.Hut
この戦地は巨大な島。全方位を海に取り囲まれている。脱出を試みた者はいない。脱出をしたところで意味がないからだ。何故なら、未来人が住む世界は完璧に統制された世界。全ての人間にIDが振り分けられている。運よく帝国に辿り着いたとして、俺達のような死人が潜入など不可能。そもそも、潜入できたところでなんの意味もない。自分達が生きた時代は遥か昔に終了している。
そんな訳で、海岸沿いに街が築かれたことは過去ない。島の周りの海には危険な大型生物が潜んでいるため、漁業を営む者もいない。人間がいないという意味を込めて島の全ての海岸は『死の海岸』と呼ばれている。
「そんな所になんの用だ?」
俺はヴェロニカに向けて尋ねた。彼女が俺達の隊舎に訪ねてから数分、酷く長い時間に感じる。気を使ってヴェロニカに紅茶を用意したしろは、困惑の眼差しをヴェロニカに向けながら、ティーカップを彼女に渡した。
「わーありがとう。いい匂いだぁ」
ヴェロニカが無邪気な笑顔を浮かべると、しろは安心したようにほっとした表情をする。しろ、駄目だ。その外見に騙されるな。そいつが心の底から笑うのは、生き物を殺して解体している時だ。
再び来訪者。今度はしろが出入り口に向かい、一人の男を迎え入れた。俺は思わず立ち上がり、頭を下げて挨拶する。グレートウォールの英雄の一人、"達人"ジェット。
「すまない、葉鳥。ヴェロニカに先を越された。突然で意味が分からなかったろう」
ああ、意味不明だった。そいつは俺の質問に答えず、紅茶を飲まずにひたすら匂いを嗅いでいるし。
ジェットの説明を聞いて、俺はヴェロニカがやって来た理由を理解した。つまり、新しい任務が、俺とヴェロニカとジェットという班構成で組まれたらしい。その任務先が死の海岸だという。
「英雄二人で島の端に? グレートウォールは大丈夫ですか?」
「兵の装備も向上しているし、戦闘力の高いマスクは残る。なんとかなるだろうという判断だ」
それほど切羽詰まった任務ということか。機械人間のマスク一人をグレートウォールに残していくのは多少不安もあるが、殺人スイッチのない彼ならば問題ないはずだ。
「任務の概要は?」
「遊びに行くんだよ!」
「ギーク、彼の目撃情報だ。うちの兵士が新人を保護した際に、その新人が証言した」
新人が密林を彷徨っている最中に奇妙な男に遭遇した。白衣を着て、眼鏡をかけた学者のような風貌。「運が良ければ助かるかもね」と言い残してどこかへ去っていったという。
「その舐めた格好、腹の立つ言い回し。ギークですね」
「ああ、間違いない。彼はグレートウォールの威信にかけて、私達で処理するべきだ。何より、女王の仇を……討たなければ!」
ジェットは顔を赤くして机を拳で叩いた。ガラスの机は割れ、しろが小さく悲鳴を上げる。直ぐに平静を取り戻した彼は、「すまない」と言って片付けを始めた。
今は亡き性悪女王だが、人望がなかったわけではない。前英雄の"拷問官"とジェットは彼女を慕っていた。拷問官は自分の趣味を容認していることに対して、ジェットは自らの武術を称賛してくれたという理由で。彼ら二人の間に挟まれた風上隊長。徒労が目に浮かぶ。
「ギークは戦闘力が高い。噂では"ヤクザ"と"盗賊王"を退けたとか。念には念を入れて、私達英雄二人とヴェロニカで向かう。マスクもギークを恨んでいるそうだが、彼は英雄歴が短いからな」
作戦は早急に行われるべきとの判断により、明朝出発するようだ。ヴェロニカがしろに向けて「このガラスでも身体は切れるんだよ~」と解剖学講義を始めたので、俺は彼女を追いだして、早々に支度を始めた。
壁を出て、東に向かう。密林の中を歩いていると、随分と懐かしく感じた。グレートウォールの更に東へ向かうことは少ない。師匠のもとから街を目指した時代まで遡るかもしれない。
いつかの洞窟に入る。マンティスと呼ばれたキメラに遭遇した場所だ。マンティスの死骸は寄生植物騒動の際に利用されたためその場にはなかったが、兵士の装備をした白骨死体はそのまま残っていた。その死骸にジェットが反応する。
「この首飾りは……ハサン。こんな所で死んだのか」
「お知合いですか?」
「ああ。英雄候補の一人だった男。かつて風上と競い合った兵士だ」
それほどの男だったとは知らなかった。風上隊長と同格ということは相当な使い手だ。マンティスが当時の俺に瞬殺された理由がわかった。彼、ハサンと戦い、消耗していたのだ。
「骨にまでなっちゃうとな~私は、もっと凄いのが見たいのです」
「はいはい」
ヴェロニカの感想を聞き流し、前に進む。
「少し寄り道をしてもいいですか?」
「なんだ、葉鳥。こんな密林で」
「トイレ? ねぇ、トイレ?」
「違う。この近くに俺の師匠の小屋がある。様子を見れたら嬉しい」
「トイレじゃないの……」
なんで残念そうなんだよ。
風上班で任務をこなしていた時代、何度か師匠の下へ物資を届けるよう担当者に頼んでいたが、それ以上の関わりはなかった。理由は、師匠が外部との繋がりに興味を示していなかったからだ。直接会うのは、小屋を旅立った日以来か。
わくわくしながら小屋の場所へ向かったが、小屋は消滅していた。綺麗さっぱり何も残っていなかった。小屋があった場所だけぽっかりと空いている。
「道を間違えたか?」
「いえ……」
「死んじゃったのかな~」
やかましい。ヴェロニカを睨みつけるが、彼女は微笑みを崩さない。俺は長いため息を吐く。
「きっと点々と居住先を変えているのだろう。そういった育成者の存在は噂に聞く」
ジェットが俺の肩に手を置く。慰めだろうか。だが、少なくとも、俺はあの師匠が死ぬなんてことは想像が付かなかった。今まで様々なものを見てきたが、それでもだ。だから、心配はしていない。ただ、残念なだけだ。
懐かしい河原へ到着する。俺としろが決死のダイブを決めたのはこの付近だったな。後はこの河原の下流へ辿っていくだけだ。
「う~ん。なんにもいないねぇ。つまんないです」
「平和でいいだろう。無駄な戦いは避けるべきだ」
ジェットがもっともなことを言った直後、川の流れとは別に、水面が奇妙な揺れ方をした。俺達は全員それを察知する。
「何かいるな」
「ヴェロニカ、お前が妙なこと言うから。いや、いつもか」
「楽しくなるねぇ」
突然、川から大きな口を開けた赤い塊が飛び出してきた。俺達はそれを避けて周囲に広がる。うなり声を上げながら川辺から上がってきたのはワニだ。当然のように全身が赤い。
「二人とも気を付けて。百獣軍団です」
「成る程、こいつが噂の」
「ふひひ……君はどんな中身なのかなぁ」
ワニが俺達に狙いを定めている間に、崖の上から何かが落ちてきた。それは水をかき分けて河原に上がってくる。メタルグリズリーすら飛び込むのをためらう崖を飛び込んできたそいつは、またもや赤い身体をしていた。
「今度は猿か」
手が四本ある赤い猿。相手が哺乳類だと顔の醜悪さがよりはっきりする。
「さて、どうするか」
「ジェットさん。肉弾戦なら猿の相手を任せても?」
「そうしよう。ヴェロニカ。お前はサポートに回れ」
「嫌です」
「あ?」
「嫌なのです。私は……どっちも解体したい! ねぇ、いいでしょう、秋也くん!」
俺はなんて答えりゃいいんだ。
そうこうしている間にワニが襲い掛かってきた。俺はそれを避けて、ジェットブーツで蹴っ飛ばす。ワニは吹っ飛んで直ぐに体勢を立て直した。
「ヴェロニカ! 後で好きにすりゃいいから、ジェットさんのサポートに付け! こっちは俺に任せろ!」
彼女の不満そうな表情を見届けてから、俺はワニに向かって走った。




