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61.Easy

 結局のところ、洞窟も、氷の監獄も、凶暴な熊の正体も不明だ。頼りになるグレートウォールの科学者がどこかへ消え去った今、信頼性のある予測も立てられない。それでも、明らかに何者かの意思が感じられる今回の一件を放置するわけにはいかず、北のトップ、マーク・コーエン長官はスノーヴィレッジの英雄、科学者、博識者を集めて事態の把握に努めた。そうして立てられた仮説はすぐさま東西南北の街と中央に伝えられた。

 その仮説とは、例の監獄は凶暴な動物アニマルを閉じ込めておくための場所で、入り口は長い間閉ざされ、動物アニマルは極寒の中で眠らされていた。その扉が破られ、中に収容されていた動物アニマル達が脱出、周囲の基地を潰して逃走した。俺達が戦った熊は目覚めの遅れた一匹だったということだ。


「檻の数は一目では把握できない量だった。あれだけの戦闘力をもった動物アニマルが数十匹も外へ出たと考えると、事態は相当切迫している」

「しかし、あなた達はそいつを仕留めたのでしょう?」


 ノーマンの言葉に戸惑いを返す科学者。その返事は透明眼ステルスアイが、透明のままで答えた。


「英雄4人がかりで手間取った。英雄レベルの戦闘力をもっていれば倒すこと自体は可能だろうが、楽にとは言えない。装備が更新されたとはいえ、一般兵では難しい相手だ」


 機械人間の一件から戦勝ムードだった人間側に水を差すような出来事だった。その動物アニマルは、数十年前人間側に恐怖を与えた凶暴な動物アニマル達と同じ呼び名、百獣軍団と名付けられた。百獣軍団はかつて東西南北全てに数十匹ずつ縄張りを持ち、人間側に恐怖を与えたが、ある時突然消滅した、いわば動物アニマル達のボスのような存在だという。俺達が接触した熊と特徴が似ていたためそう呼ばれた。

 俺としろはグレートウォールへ帰還するよう命令を受けた。北の知り合い、アダムや英雄達と別れを済ませ、雪原から密林へと向かって歩いた。北と東の境目、雪がまだ残る林へと差し掛かった辺りで、しろが口を開いた。


「少し暖かくなってきましたね」

「ああ、少し休むか」

「いえ、まだ頑張れます」


 しろは拳を胸の前でぐっと握り、元気だとアピールする。俺に遠慮する必要はない、と何度も言っているから、俺も彼女の言葉を信じて進もう。そこで、道端にバックパックが落ちているのを発見した。血だまりの上に。俺は警戒しつつ、バックパックから視線を上げていく。雪の残る木の枝に、ボロボロの死骸が洗濯物のようにぶら下がっていた。消化管が身体の外へ放り出されており、風が吹くたびに揺れている。


「しろ、レーダーは?」

「反応なし。動物アニマルの仕業かな」

「そうだろうな」


 俺は死体が引っかかっている枝を拳銃で撃って折り、死体を下ろした。引っかき傷と噛み傷だらけの死体、男か。まだ若く見える。装備から見て兵士ではなく、ルーキー。気の毒だが運が悪かった、としか言えない。

 しろは死体の前でひざを折り、手を合わせた。


「安らかにお眠りください」

「しろは……最初から死体を見るのに慣れていたよな」

「はい。ここに来る前、前世で、たくさん」


 戦争真っただ中の収容所で最期を過ごした彼女は、知人が死ぬことでさえ当たり前の世界に身を置いていた。今の俺ならまだしも、前世の俺では考えられないことだ。

 死体を置いて進み始めた直後、しろのレーダーに反応があった。


「前方!」

「りょーかい」


 枝を折り、地面を駆けて近付いてくる動物アニマル。地響きからして大型。問題はないが。

 姿が見えた。なんとなく予測していたが、そいつは百獣軍団の特徴を持っていた。つまり身体が赤く、形相が怒りに満ち満ちており、正気とは思えない。今回は熊でなく、頭に角の生えた生物、サイのようだった。


「秋也さん……」

「大丈夫だ。ここで待っててくれ」

「わ、わかりました」


 この大陸に生息するサイは、アーマード・ライノセルス。鎧のような骨格をもち、メタルグリズリーともタメをはる巨体で突進してくる。何度か仕留めたが、目の前に迫ってくる奴はそれよりやや小柄で、速度が優れ、身体も頑丈そうだ。

 赤いサイは躊躇なく俺に向かってくる。俺は歩きながら刀を抜く。前回と違い、俺に向けて突っ込んでくるだけ。難しい相手ではない。俺にとっては。という訳で、俺は通りすがり様に赤いサイを両断した。赤いサイは二つに分けられて地面に倒れた。

 急いでしろが駆けつけてくる。


「し、秋也さん。英雄でも難しい相手だって……透明眼ステルスアイさんが言ってたのに」


 困惑するしろに、俺は得意げに笑みを作って見せる。誤解しないでほしいが、その笑みは本当に得意げになって浮かべているわけではない。俺も、自分の状態を説明できるほど、自身を理解しているわけではない。ただの誤魔化し笑いだ。

 機械人間のボス、マーダーを仕留めてからというもの、俺の戦闘能力は一段と強化された。身体能力、危機察知能力、反射神経の向上。武器の威力が上がっていることから考えて、ULの総量も上昇している。百獣軍団も他の動物アニマルも、さほど問題にはならない程度に。


「しろ、こいつの血を少し貰っていこう。研究所に渡せば、科学者の連中も喜ぶだろ」

「あ、はい。そうだね」


 しろは注射針を取り出して、死んだサイの血液を採取した。

 グレートウォールへ到着し、扉が開かれると、驚いた。グレートウォールの新英雄様がわざわざ出迎えてくれた。


「先輩への挨拶か? "マスク"」

「やかましいぃ。百獣軍団のおかげで、俺が警備隊長をするはめになたんだぁ」


 機械人間のボス・マーダーだ。中央都市の地下室に隠してあったスペアボディで動いている。俺と話し合い、人間を殺すことで得られる快楽のスイッチを切断させた。今の彼は人間側の英雄の一人となっている。勿論、彼が機械人間だということを知るのは、俺としろだけだ。スペアボディも、前の容姿とは異なる。マスクだけは同じだが、これは彼にとって必須アイテムらしい。


「マスクさん、これ、百獣軍団のサイの血液です。何かに役立てますか?」

「ほうぅ。これで本当に過去の百獣軍団と同じかどうかの判断ができる。お手柄だぁ」

「採るよう言ったのは俺だけどな」

「やかましぃ。お前はさっさと次の任務にでも行ってろぉ」


 マーダーことマスクは閉鎖されていたギークの研究所を貰い受け、科学者としても活躍している。機械人間を束ねていたボスとしての器と、マシンや兵器を開発した知識と技術を、今度は人間側に提供している。その目的はギークへの復讐だ。機械人間を利用し、使い捨てた彼を見つけ、仕留めることが今の彼の原動力となっている。

 隊舎へ戻り、しろと楽しくティータイムをしている間に、誰かが尋ねてきた。せっかくゆっくりしているのにと、覗き穴から来訪者を確認して、思わず「げっ」と声が漏れた。


「しゅうやくーん。いるんでしょう?」


 ヴェロニカ。俺の"おかしい奴ランキング"1位を維持し続けている女。


「ちょっと~」


 扉を叩く音が段々と強くなる。彼女とはグレートウォールへ来てから何度か顔を合わせたが、挨拶を交わす程度で済んでいたのに……何故だ。何故なんだ。何の用で来た。俺は諦めて扉を開けた。警戒は怠らない。突然刃物で刺してきても不思議じゃない奴だからだ。


「なんだ? どうした?」


 ヴェロニカは俺の顔を見るとふふんと満足そうに笑った。恐ろしい。彼女の行いは、それがどんな行為であっても狂気じみて見える。生まれた偏見は容易には消えない。


「遊びに行こ!」


 そう言ってナイフを目の前にかざす。俺は半歩引いた。遊び? どこへ。


「東の果て、死の海岸へ!」



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