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6.Grizzly

 茂みに向けて引き金を引き、離す。空気の弾が銃口から放たれ、短い叫び声が森に響く。頭を砕かれた猿の怪物は、確実に死んでいた。


「こいつ等はあっちこっちにいるな」


 小屋を離れてから体感で一時間ほど。既に数匹の猿を仕留めていた。


「しろ、方向は?」


 しろは腰に下げたコンパスを開いて方角を示す。森はまだまだ続く。

 俺は目を細めて周囲を警戒する。高々とした木々の上や、背の高い草花でできた茂み。敵が潜んでいれば先手を取れるように、銃のグリップを握って進む。

 しばらく歩くと洞窟があった。指針はその先を示している。洞窟に出口がある保証はない。迂回する手もあったが、俺達は進んだ。

 洞窟は薄暗いが、全く見えない訳ではない。常人であれば何も見えなくても、僅かな明かりで視界が開ける。これもULの恩恵らしい。

 天井から落ちる雫を不快に思いつつ進み続けると、人型のシルエットが道の先に見えた。人間の可能性に心が揺れ、僅かに油断が生まれる。

 ところがそれは人ではなかった。蝙蝠のような羽を広げ、猿の身体に、蟷螂(かまきり)の顔が乗っている。


「……初めましてだな」


 その奇妙な生き物は首を傾げるような動きを見せた後、俺達へ襲い掛かって来た。

 俺は銃を構えて発砲する。一発で羽を打ち抜き、一発で猿の腕を吹き飛ばしたが、そいつは気にも留めていないようだ。近距離戦になり、片腕で掴みかかろうとしてくるので、俺はリストブレイドを起動して、蟷螂の頭を切り落とした。


「大丈夫か、しろ?」


 俺が尋ねると、彼女は間をおいて首を縦に振った。この奇妙な生物に驚いているようだ。


「師匠の話にこんな生物は出てこなかったけどな……」


 師匠曰く、この密林地帯に潜む生物は、戦場全体の危険度で言えばDクラスらしい。武器を持っている大抵の人間なら勝てるという評価だ。

 ところが、今の生き物の足元には人間の死体があった。体中の水分を奪われた干物のような遺体だ。性別は分からないが、問題なのはその干物が俺達と同じ服を着ていることと、傍らに損傷したハンドガンが転がっていることだ。


「さっきの蟷螂野郎にやられたのか」


 突然あんな生物にこの暗闇で襲われたら対処できない人間もいるだろう。


(かたき)はうったぞ。成仏してくれ」


 言い残してその場を去ったが、思い直せば、我ながら納得のいかない台詞だ。俺達は既に死んでいる。ある意味、この二回目の死こそが成仏といえるのではないか。


 幸い、洞窟には出口があった。先には相変わらずの密林が広がっている。

 そこからは猿に襲われることもなく順調に進んだ。日が落ち始めていたので、一際大きな大木にもたれて休憩をとることに決めた。

 俺達は師匠の家から持ってきた乾燥させた肉や果物を食べた。一週間の道のりはこれで凌ぐか、途中で調達すればいい。好き嫌いさえしなければ食料は豊富にある。


「しろ、大丈夫か?」


 彼女は笑顔で頷く。


「初日にしては良いペースだと思う。このままの調子で行こう」


 彼女はまた笑顔で反応した。


「そういや、師匠に何を貰った? 俺は(こいつ)手首刃(こいつ)だけど」


 今更の質問に、彼女はコンパスと、ナイフと、図鑑のような書物を見せてくれた。

 師匠の話では、当初彼女に射撃を教えていたが、しろの体内で分泌できるULの量があまりにも僅かなため、まともに弾を生成できなかったらしい。しろは、この世界の銃を扱うことができない。


「彼女には知識だけを教えた。いよいよ、戦闘には参加できない」


 これは師匠の言葉だ。


「これほどULの才能に恵まれなかった者を、私は初めて目にした」


 師匠は俺の負担が大きくなると思っていたのだろうか。彼女も、俺に負担をかけていると思い込んでいるのだろうか。二人の曇った表情を見るまで、俺は思いもしなかった。

 守る者がいたほうが生きがいがある。

 それも、こんな綺麗でいい子だぞ。悪くないじゃないか。


 しろに肩を叩かれて正気に戻る。しろは図鑑を開いて文章を示していた。「げっ」と思う。英語だ。


「ごめんな。俺、英語ダメなんだよ」


 彼女は「わたしも」とジェスチャーで示した。なんとなく程度にしかわからないらしい。あの師匠(じじい)、読めない本を渡されても困る。

 しろが文章を示した理由は結局分からないままだ。俺に意味が通じないと知ると、彼女は図鑑をしまった。


 次の日も、次の日も、そのまた次の日も、俺達は何に襲われることもなく進んだ。流石に、気味が悪くなってきた。襲撃がないのは喜ばしいことだが、順調すぎる。

 五日目、俺はその理由に気が付いた。道を歩く途中、俺はしろに止まるように指示した。距離にして数十メートル。俺は俺達を付けてきている存在に気が付いた。

 音や、匂い、肌にぴりつく不快感。これが気配を感じるということなのか。

 そして、俺が気が付いたことに、そいつも気が付いたらしい。そいつは走り始めた。ドスンドスンと重い音が聞こえる。

 俺はしろに、適当な高さの木に登るように指示した。彼女は心配そうに顔を曇らせる。 


「大丈夫。初日とは違うってことをあいつに分からせてやる」


 熊が襲い掛かって来る。初日に遭遇した奴だ。何故だかわかる。師匠の下でマラソンをしていた時も何度か見かけた。半年前から狙い続けるなんて執念深い奴だ。

 師匠曰くメタルグリズリーと呼ばれるあの種の熊は、この密林の生態系の王者に相当する生物らしい。あれが俺達に狙いを定めてから、他の生物が俺達を標的にすることをやめたのだ。俺達の時代の熊よりも嗅覚に優れ、爪と歯が文字通り金属でできている。

 俺は銃を構えて二発発砲する。だが、どうやら弾が表面組織で止まっているらしく、ダメージもなければ、進行の勢いも止まらない。奴にダメージを与えるほど弾丸の威力を高めるには時間が足りない。


「仕方がねぇか」


 俺は銃をホルスターにしまい、リストブレイドを起動する。

 ご存知の通り、この武器の有効範囲はとんでもなく短い。超接近戦用の刃だ。その代わり、威力は使用者の腕次第で格段に上がる。

 目の前に、除雪車のような巨体が突撃してくる。

 心から湧き上がる恐怖を殺す。

 グリズリーの巨大な腕が空気を引き裂く。

 俺は上体を屈めて避ける。

 交差する寸前、リストブレイドで思いっきり身体を引き裂く。重すぎる。歯を食いしばり、腕を振る。骨が折れるかと思った。

 グリズリーの身体から血が噴き出し、そのまま茂みにダイブした。

 俺は倒れた巨体に近付いた。改めてみると本当にでかい。

 グリズリーは、ふっ、ふっと短く息をしていた。紅い目を俺に向けている。


「悪いな。助けてやれない」


 銃を向け頭を吹き飛ばす。

 今更だが、以前の俺は虫も殺せないような人間だったんだ。蚊にだって血液を献上していた。

 ここでは、そういう訳にはいかない。

 今度の俺は、そう簡単に死ぬつもりはないんだ。



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