5.Reason
鍛えれば鍛えるほど身体能力が向上する。僅か一日でも実感があった。
気絶することもほとんどなくなり、射撃も的に当たるようになった。これが、ULという物質の本質なのか。かつて運動音痴だった俺ですら超人的な力が湧いてきて、身体をどう動かせばどうなるのか、直感で分かる。
森の枝から枝へ飛び移る。川を泳ぐ魚を投げた枝で突き刺す。猿を射殺する。簡単にうまくいく。
俺が自惚れずに済んだのは、俺の師匠が、俺を遥かに超える超人だったからだ。彼は風の揺らぎだけで敵の位置を捕捉し、射撃した。冗談みたいだ。
俺達が師匠に救われてから、既に180回の朝と夜を繰り返していた。
「そろそろだな」
師匠が呟いた。
「何がです?」
「お前達は街に行く程度の力は身に着けた」
森を抜け、人が生活する街へ向かうこと。俺達の取り合えずの目標。
「一番近くの街はグレートウォールと呼ばれる。巨大な壁で周囲を固め、化け物の侵入を拒む。この戦場においても極めて安全な街だ」
「ついに、俺達も巣立つってことですか」
俺はしろに目をやった。彼女は微笑み返す。
「その通り。街でお前達がどう生きるかは自由だ。野菜を育てて過ごのも、衣服をしたてるのも、家族をつくるのも、戦士になるのもだ。しかし、その為には当然、生きて辿り着かねばならない」
「今まで師匠の弟子は何人がたどり着いたのですか?」
師匠は短く笑った。返事はなし。意味は理解しかねる。
「一週間も西に歩けば街に着く。精々、油断はせぬことだ。強者でも油断すれば直ぐに死ぬ。ここはそういう世界だ」
死ぬつもりはない。話によれば俺達は既に死んでいるのだから、そう思うのも奇妙な話か。
「今日が最後の晩か」
俺が呟くと、師匠はまた短く笑った。
「名残惜しいか? 小僧」
「そう聞かれると、そうじゃないと断言できるのが不思議です」
「生意気な」
結局、このじいさんは俺達に必要以上の干渉はしてこなかった。この半年、俺達は互いの名前すら把握もせず、おかしな共同生活を過ごしていたのだ。
つまり、俺が言いたいのは、最後の日ぐらいは、許されるのではと。回りくどい言い回しはなしにしよう。どうせ、俺達は死人同士だ。
「師匠はなんで死んだんですか」
「なんだって?」
「一回目の死。師匠はなんで死んだんですか」
何故俺がこんな踏み込んだ質問をしたのかというと、俺達の唯一の共通点だからだ。生きていた時代も、人種も違う。趣味の話をしてかみ合う訳もない。そう考えた俺は、良かれと思って質問した訳だ。
「私が死んだ理由に興味があるのか? お前は、さほど他人の事情に興味がなさそうに見えたが」
「意外ですか。俺は他人に興味がない振りをしてるだけですよ。そう過ごす癖があるんです。その方が、俺達の時代では生きやすいんですよ」
「随分つまらん時代だな」
開拓時代のガンマンにつまらん時代と言われたら、言い返すことは難しい。
「……私は酒場の用心棒をしていた。ある日、盗賊が酒場に押し入り……」
「映画のようだ。べたな理由ですな」
「なんだお前、失礼だな。自分が死んだ理由も知らぬお前に言われたくはないわ」
人の死んだ理由にベターだと反応すると失礼になるのか。
ここで、俺はしろに目を向けた。彼女は俺達の会話を聞いても、ただ微笑みを浮かべているだけだった。思えば、同じ問いを彼女にかけたことがあった。彼女の最後の記憶を訪ねた時、彼女は首に手をあてていた。
彼女にこの質問はタブーだなと、思い至った。詳しくは分からないが、死んだ理由に首が関連しているなら、ろくなことではないだろう。
そう決めた筈なのに。
俺は師匠が最後に持ってきたワインなるものを一口飲んでおかしくなっていた。
俺がアルコールに弱かったせいで、俺はその質問を彼女にぶつけていた。
彼女は嫌な顔をしなかった。微笑みのままで、ジェスチャーで伝えてくれた。
師匠に伝わったかどうかはわからない。師匠が自分が死んだ以後の歴史をどの程度把握しているのか俺は知らないからだ。
俺には伝わった。彼女のジェスチャーと、俺の空っぽな脳の僅かな知識で、理解できた。
私達は迫害されました。
家族や親戚は殺されるか捕まりました。
私は捕まった先で過ごして、
最後に縄で吊るされました。
彼女はヨーロッパの人間だ。
俺の酔いは直ぐにさめた。
冷たいナイフを胸に刺された気分だった。
その夜、俺は彼女のもとに向かった。言い忘れていたが、俺達は三人とも寝床は別々だ。狭い部屋だが、師匠は仕事柄家を複数の部屋で区切っていた。
ともかく、俺は彼女の様子を見に行った。彼女は部屋の区切りのカーテンを開けて、笑顔を浮かべ、首を傾げた。
どうしたの?
調子に乗って、無遠慮な質問を下した最低な俺。しろは気にしていないように見えるが、俺自身はそうもいかないだろう。彼女の過去を考えると、ただの高校生として生きていた自分が申し訳なくなる。だが、平和な時代に生まれたことを悔やむのも狂った話だ。俺達は未来の話をしよう。
「しろ、俺、明日から、頑張る」
しろは ん? と戸惑う。
「初めて会った日は、俺逃げることばっかで、必死で、がむしゃらで、まぁかっこ悪かったけどさ。師匠が、この世界で戦う手段と、技術をくれた。絶対、生きて街までたどり着く。しろを守ってみせる」
超小心者の俺が恥ずかしげもなくこんな青いセリフを吐けた理由は、大きくまとめて二点ある。
一つは彼女の過去に感銘を受けていたこと。
二つ目は多分、まだアルコールが残っていたんだ。
しろは両手をぐっと握った。意味は分かった。
一緒に頑張ろう
朝になり、俺達は師匠の家の前に集まった。
師匠が支給してくれた武器を装備し、高性能のスーツを着込み、バックパックを持つ。
「二人とも、中々似合っているぞ」
師匠の突然の誉め言葉は心にくるものがあった。
「今まで私のもとで育てた者は100名を超えるが、私の話を信用しない者、途中で脱走する者、私に反感を覚え命を狙おうとした者も少なくない」
俺はふと疑問を持つ。その人達はどうなったんですか? と。そんなことはわざわざ聞く必要もないことか。なんとなく想像がつく。旅立ちムードを壊したくない。
「ただでさえ突拍子もない状況なのだ。その上、時代も人種もばらばらな人間が集まるのだから、当然のことかもしれん。しかし、お前達のように成長を遂げる者もいた。お前達なら街に辿り着ける。私は確信している」
「わかっているさ、師匠。俺達は街で生きる。仕送りは楽しみにしておいてくれ」
師匠はニッと笑った。俺も笑う。
「ジョン・クリケッツだ」
俺は思わず「はい?」と聞き返す。
「私の名前だ。幸運を祈る」
俺達は森に向かって歩き始めた。
不安も恐れもあるが、使命感の方が強い。
俺はしろを守って、自分の命も守って、街に着く。
後のことはそれから考えればいい。




