37.Hostage
ヴェロニカ。気の毒な有り様だ。俺の腕を伝って血液は流れ続け、身体を傾ければ腸が落ちそうになる。常に震えており、意識もはっきりしない。こんな状態でも人間は生きていられるのかと感心できるレベルだ。
「下山している時間はない。小屋に戻ろう。できるだけの治療はする」
「助かりますか?」
「彼女のULに期待するしかない。だが、助かってほしいと本気で思っているのか?」
ノーマンの言葉に返事をすることはできなかった。ヴェロニカは敵だ。仮に敵ではなかったとしても、命を弄んで殺すような狂人だ。瀕死の状態を見ても同情する気持ちはない、つもりだったが。
俺達がグレートウォールの軍人とホワイトフットの元へ駆けつけた理由は単純で、人類の強敵であるキメラを討つ機会があれば、俺の命が危ぶまれてもその機会をものにすべきだと俺が訴えたからだ。ところが駆けつけてみれば、英雄であるはずの"拷問官"は瞬殺されており、共闘する暇もなかった。
小屋の中でノーマンはヴェロニカの傷を消毒し、飛び出た臓器を仕舞いこみ、傷を縫い合わせた。俺は痛みで暴れまわるヴェロニカを抑え続けた。山小屋で手術を見ることになるとは驚きだ。
「これで、グレートウォールは二人の英雄を失った」
ノーマンは手を洗いながら呟いた。
「短期間に二人だ。立て直すのは容易ではない」
「英雄ねぇ」
街同士の牽制の為にある制度。果たして意味があるのか。いくら英雄だと囃し立てられても、最期は簡単に訪れる。それが、この世界だ。
「娘が運よく蘇生出来たら、頃合いを見て下山しよう。お前を追っていた連中は、その娘以外は死んだ」
「これで暫くは安泰ですかね」
ヴェロニカに目をやると意識をなくしたまま身体をずっと震わしていた。寒いわけではないだろう。俺は彼女の手を握ってやる。驚くほど熱い手だった。
「随分と優しいな。"無表情"殿」
「仲間だった頃もありましたし」
死ぬのなら、一人は寂しいだろう。
ところが、翌日ヴェロニカは目を覚まし、弱弱しい口調で「いきてる」と呟いた。
「あたしは、いきてる」
彼女が生きていることを喜ぶべきか悲しむべきか。正直に言うと、助からないと思っていた。
俺はヴェロニカを背負い、ノーマンの先導に従って下山することになった。
「俺が背負おう」
ノーマンが手を差し出すが、ヴェロニカ本人が首を振る。
「秋也くんがいいのです」
迷惑な話だ。背負っている間に後ろから刺されるんじゃないか不安だ。
山を下りている間、動物に遭遇することはなかった。登山時もそうだったが、おそらくノーマンの先導が優れているのだろう。なんとなく歩いているだけでは気付かなかったが、彼は新雪の積もり具合や動物の足跡などから道を選んで進んでいるらしい。
道中、大きな窪みがあった。なんだこれはと考えをめぐらす前に、ノーマンが口を開いた。
「ホワイトフットだ。当然、あの程度では死なないか」
見上げると、遥か頭上に崖があった。拷問官やグエン隊長の墓場だ。高いビル一つ分ぐらいの高さがあるだろうに、あのキメラはここから落下しても生きていたのか。勿論、あれで仕留めたとは思っていなかったが、視認すると驚きを実感できる。
スノーヴィレッジに帰還し、アダムの家による。全裸のアーサー隊長が迎えてくれた。
「無事だったか……なんだその子」
「取り合えず入れてください。スノーヴィレッジの病院には預けられない」
訳ありだと理解した隊長はそれ以上追求しなかった。病院にヴェロニカを預けられない理由は、病院でこいつが何をしでかすか分からないからだが、その説明をする必要がなくてほっとした。
「このいえはなに~?」
「できるだけ黙っててくれ」
「なんでぇ?」
「お前の性格がばれたら追い出されるぞ」
「ひど~い」と言われたが、本当に「ひど~い」のはお前の性格だ。
アーサー隊の全員と、アダムに事情を説明する。
「一件落着ってやつですかぃ」
「どうだか……女王様はお怒りかもしれねぇぞ。結局、俺は殺せてない訳だし、女王は俺に拷問官を殺されたと思うかもしれねぇし」
「この子に説明してもらえばいいじゃない」
指をさされたヴェロニカは床に寝かされたまま手をひらひらと振った。
「だめです。信用できない」
「そんな子をわざわざ助けたの?」
ユリヤの疑問はもっともだ。俺も、あの時の自分の行動に納得したわけではない。身体が勝手に動いていた。そうとしか説明できない。
「拷問官については北からもグレートウォールに説明しておこう。お前達はこれからどうする?」
「ショットタウンに報告をせねばならない。何よりアダムさんが犯罪者のままでは気の毒だ」
アーサー隊長の言葉に、「いやぁ、すみませんねぇ」とアダムが頭を掻く。その瞬間、カンカンと騒がしい音がスノーヴィレッジに響いた。
「なんだ!?」
「緊急警報……馬鹿な!」
ノーマンが慌てて飛び出す。俺とアーサー隊も続いた。
村中にこだまする神経を逆なでする音。吹雪の中で、叫び声と家が砕かれる音も聞こえた。
「襲ってこないんじゃなかったのかよ」
「そのはずだが……」
再びノーマンが走り出した。ついていくと、砕かれた家々と、倒された兵士が転がっていた。ノーマンが意識のある兵士を抱え、事情を聴く。
「ノーマンさん……」
「動物か?」
「いいえ、いいえ……キメラです。巨大な白い体躯……おそらく、ホワイト、フット」
昨日の今日で、しかも村を襲いに来るとは。
瞬間、家を砕いてホワイトフットが現れた。口を開け巨大な声を上げる。空気がびりびりと震えた。
「おいおい、元気そうだな」
俺は剣を抜いて構える。ホワイトフットが瓦礫を放り投げた。驚いた。家が天から降ってくるなんてな。ノーマンが斧を掲げ、瓦礫を叩き割る。パワフルな斬撃だ。風上隊長の斬撃と同じ威圧感を覚える。
発砲音が聞こえた。おそらくユリヤのライフルだ。吹雪で見えない中、どうやって狙ったのか。弾はホワイトフットの腕に当たったが、傷はない。例の甲羅か。
ノーマンが斧を振りかぶり、ホワイトフットに切りかかる。周囲の積雪が吹き飛ぶほどの威力。だが、奴は両腕で受け止めた。ノーマンは押し負けて後方に飛ばされる。
「力では敵わんか」
ホワイトフットは大声を上げて、地面の雪を掴んだ。
「なんだ……何を」
奴は大きく振りかぶって雪玉を投げた。雪玉は家を軒並み砕いて、応援に駆け付けていた兵士を粉々にしながら街にダメージを与えた。
ノーマンが吠えながらホワイトフットに切りかかる。成る程、まさに"野人"だ。一振り一振りが尋常ではない威力と速度だが、ホワイトフットはそれを捌き斬り、拳を振り上げた。ノーマンはホワイトフットの拳を受けて姿が見えなくなるまで吹き飛んだ。
「全員!! 下がっていろ!!」
アーサー隊長の声だ。しばらくしてから、派手な音とともに光の球弾が打ち出された。ロケットガンだ。街中でそんなものを撃つなんてどうかしている。
弾はホワイトフットに直撃して爆発。周囲の家を巻き込んで大きな煙が舞う。煙は吹雪に消され、中から元気そうなホワイトフットが現れた。
「直撃したはず……」
呆気にとられた兵士の声が聞こえた。人類側の最強兵器が直撃して生きているとは。
ホワイトフットはまた叫んだ。どうも様子がおかしい。以前会った時は、もう少し大人しかったように思ったが、今の奴は怒り狂っているように見える。
奴はまた雪玉を掴み、投げた。この雪玉を防ぐ手段がない。良いように街を破壊される。
俺は屋根の上に上る。ホワイトフットと目が合った。奴の感情に喜びが浮かぶのを感じた。
「俺と会いたかったのか」
ホワイトフットは腕を上げた。なんだ? 何かを掴んでいる。
兵士だ。見たことのない兵士。北の装備をしている。意識をなくしているのかぐったりと力なく掴まれている。そのまま奴は振り返り、兵士を掴んだまま山へと戻って行く。
「ついて来いってことか」
屋根から下を見ても動けそうな兵士はいない。戦えそうなのは俺だけだ。なら、仕方ない。俺はジェットブーツの出力を上げた。




